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第165話:青い少女 その3

 スライム――そう呼ばれる魔物がこの世界には存在する。


 前世ではゲームのヘビーユーザーというわけではなかったが、そんなレウルスでも聞き覚えがある名前だった。

 もっとも、レウルスが知っているのはあくまでゲームに登場するモンスターとしてのスライムである。


 セピア色になるどころか激しく虫食いが進行している前世の記憶だが、スライムと聞いてレウルスが思い浮かべたのはゲームに登場するスライムだ。

 前世で遊んだことがある、国民的RPG。その中で序盤も序盤に登場する“雑魚”モンスター――その程度の認識しか残っていない。


 だが、今世において知ったスライムはまったくの別物だ。レウルスもジルバから聞いたことしかないが、その危険度は話として聞くだけで十分に伝わるほどである。


 “あの”ジルバが真剣な表情で警戒を促す魔物と言えば、それだけでも十分に脅威だろう。


 曰く、中級中位から上級上位まで成長したことがある化け物。


 曰く、生半可な武器では刃が通らず、仮に通っても武器を溶かす特性の持ち主。


 曰く――『国喰らい』。


 レウルスがラヴァル廃棄街の仲間達によって冗談交じりにつけられたあだ名と違い、正真正銘、“事実”を指してそのようなあだ名がつけられている魔物だ。


 レウルスは以前、『城崩し』と呼ばれる魔物と交戦したことがある。


 属性魔法を使ってくることもなく、『強化』を使っていたかも定かではないが、体の大きさと地中に潜るという特性で上級の魔物に分類される巨大なミミズのような魔物のことだ。


 その名の通り、人間が造った城ならば単独で崩せるような化け物である。レウルスが交戦した『城崩し』は何故か怪我を負っており、体格の違いはあれどレウルスとの“相性”も悪くなかった。愛剣の完成も間に合い、倒しきることができたのだ。

 それ故に、レウルスは確信する。


 ――眼前の魔物は、『城崩し』よりも格上の“化け物”だ。


 レウルスはこれまでスライムと遭遇したことはない。話に聞いたことがあるだけで、実物を見るのは初めてである。

 だが、実物を目の当たりにすれば嫌でも理解できてしまうのだ。


 スライムが持つという『核』の存在もそうだが、戦ったわけでもないのに感じ取れる威圧感が凄まじい。


 これまでレウルスが交戦したことがある上級の魔物は、火龍のヴァーニルと『城崩し』の二体だ。前者は本気で戦ったことはなく、後者は手負いだったわけだが、眼前の魔物は明らかに上級の域に達していると感じ取れる。

 生まれたてならば中級中位に分類されるという話だったが、いくらスライムが相手といっても中級ならばレウルスとてここまでは恐れない。


 近くにいるだけで全身に悪寒を覚え、脳内では本能とでも言うべき声がガンガンと警鐘を鳴らす。


 近づくな、逃げろ、“喰われる”、と。


(コレがスライムじゃなかったら、本当のスライムはどれだけの化け物だって話だよ……)


 気温が低いにも関わらず勝手に浮かんできた汗を拭いつつ、レウルスは内心だけで呟いた。それと同時に、納得もする。


 こんな化け物がいるのなら、魔物も魚も遠くに逃げるだろう。

 仮にレウルスの体調も魔力も万全で、同じように万全の状態のエリザとサラが傍にいて、ミーアを二人の補佐に回して、それで“戦える”かどうか。勝てる勝てない以前の問題で、そもそも勝負が成り立つのかどうかもわからない。


 レウルスはスライムが襲ってくるのではないかと危惧しつつ、相手を観察する。


「っ……すぅ……はぁ……」


 激しく脈打ち始めた心臓を落ち着けるように、深呼吸を繰り返す。愛剣の柄を握る手がじっとりと湿り気を帯び始めていたことに気付き、服で拭う。


 全体の大きさはわからないが、少なくともスライムの“表面”は凍っているように見えた。内部にある『核』はゆっくりとだが動いているため、内部まで完全に凍り付いているわけではないのだろう。


(というか、『核』が三つあるぞ……一つじゃなかったのか? もしかして、一匹じゃなくて三匹のスライムが一緒にいるのか?)


 呼吸を落ち着けながら観察すると、いくつか気になる点が見えてきた。


 以前ジルバから聞いた話では、スライムは『核』と呼ばれる弱点を持っていたはずだ。この『核』を破壊すればスライムを倒すことができるらしく、これまでスライムを倒してきた者達によってそれは実証されている。

 だが、『核』を複数持っていると聞いた覚えがない。一匹のスライムが三つの『核』を持っているのか、それとも三匹のスライムが寄り集まっているだけなのか。


(その辺りのことを聞きたいんだけど……)


 レウルスは少しだけスライムから視線を外し、メルセナ湖の――スライムの表面を踊るように滑っている少女を見る。


 何か規則性があるのか、それとも気の赴くままに踊っているだけなのか。髪や瞳と同じように青味を帯びた羽衣が翻り、少女がステップを踏む度にスライムの表面が凍り付いて小気味良い音を立てる。

 “それ”を邪魔してはいけない。レウルスは直感でそう判断し、再びスライムへと視線を向ける。


 どれだけ離れていたのかはわからないが、薄っすらと感じ取れた魔力の持ち主はこのスライムだったのだろう。青い少女も中々に強い魔力を持っているが、スライムと比べれば大きな差がある。

 だが、凍っているからなのか、レウルスでも至近距離に近づかなければその凶悪な魔力は感じ取れない。距離が離れていると、微弱な魔力を辛うじて感じ取れる程度だ。


(大きさは……この島よりは小さいみたいだけど、“奥”の方が見えないな)


 前世でいうところの50メートルプールぐらいの大きさだろうか、とレウルスは一人呟く。もちろん、プールのように規則正しく立方体になっているわけではないが。


「…………」


 これはどうしたものかと悩むレウルスだったが、いつの間にか踊り終えたと思わしき少女が近くに立っていた。スライムを真剣に見つめるレウルスの横顔を、不思議そうな顔つきで眺めている。


「っと……さっきは本当にありがとう。助かったよ。少し寝たら体も楽になった。君には感謝してる……えーっと、もう一回名前を聞いてもいいかい?」


 膝を突き、目線の高さを合わせながら感謝の言葉と共に質問を投げかけるレウルス。しかし、少女の返答は変わらなかった。


「わたしは“わたし”」

「……そ、そうか」


 もしやワタシちゃんというのだろうか。この世界における命名の基準を知らないレウルスとしては何も言えない。もしかすると探せば珍しくない名前なのかもしれない。


「それじゃあ……ワタシちゃん?」

「違う。わたしは“わたし”」

「…………」


 この問答は何なのだろうか。レウルスは凍っているとはいえスライムが近くにいるというのに、思わず天を仰ぎたくなった。


「そ、それじゃあちょっと聞きたいんだけど、君はこのスライムについて何か知ってるのかな?」


 名前について聞くのは諦め、目下の脅威としてスライムについて尋ねる。すると、少女はスライムに視線を向けて頷いた。


「知ってる。数えていないけれど、太陽と月が何度も入れ替わる前、ここに現れた。だから凍らせた」

「……なんで凍らせたんだい?」

「アレは人の世に災いをもたらすから」


 名前については反応に困るが、尋ねれば知っていることを答えてくれるらしい。少女の口調にはよどみもなく、嘘を言っているようにも見えない。


「スライムについて何か知っているのかな?」

「知らないけど知ってる。アレは人間にとって危険なもの」


 噛み合っているようで、若干噛み合っていない。だが、少女の口振りにはいくつか引っかかる部分があった。


「君は……魔物、いや、亜人……それとも、まさか……」

「わたしは“わたし”。それ以外の何者でもない」


 人間ではないのだろう。そう推測して尋ねても、返ってきた言葉は相変わらず要領を得ない。


(サラみたいに精霊かと思ったけど、もしかしたら違うのかも……いや、精霊ってサラしか知らないしな。この子の方が精霊らしい反応をしている……か?)


 火の精霊であるサラと眼前の少女。どちらの方が精霊らしいかと問われると、レウルスとしては返答を保留して目を逸らしたいところだ。

 そのような思考は蓋をして脇にどけると、レウルスは他にも気になっていたことを尋ねることにする。


「君がここであのスライムを凍らせてるのはわかったけど、それならなんで俺を助けたんだ?」


 少女がここで何をしているのかは理解できたが、レウルスを助ける必要はなかったはずだ。助けられたことに文句があるわけではなく、むしろ感謝しかないが、気になるものは気になるのである。


「…………?」


 しかし、少女は不思議そうに首を傾げるだけだ。レウルスの言葉が理解できなかったというよりも、何故“そんなことを尋ねた”のかわからないと言わんばかりに。


「“わたし”が人間を助けるのは当然のこと。それに、わたしを呼んだのはあなた」

「ん? んん?」


 今度はレウルスが首を傾げる番だった。少女の言葉は理解できるが、何を言いたいのかが理解できない。


 レウルスは力尽きてメルセナ湖に沈んでいたのであり、その途中で少女を呼んだ記憶などなかった。そもそも、この孤島に来るまで少女の存在は知らなかったのである。

 真顔で見つめてくる少女に対し、どんな反応を返せば良いのか。レウルスは言葉が通じるのに意思の疎通が困難な現状に困り果てる。


「俺が君を呼んだ?」

「うん。引き寄せられた」

(……どういうことだ?)


 本当に同じ言語で話しているのか、少女との間には何か不可思議な力が働いて言葉がねじ曲がっているのではないか。


 レウルスは一度目を閉じ、深呼吸をする。


(落ち着け……この子は俺を助けてくれた。つまり命の恩人だ……人かどうかわからないけど……そんな子がこんな場所で一人でスライムを凍らせている……)


 レウルスが今回の旅に出た目的――それは水不足に陥ったラヴァル廃棄街を救うためだ。


 そのために必要なのが氷魔法か水魔法の使い手、あるいは水の『宝玉』である。眼前の少女はその目的に合致するのではないだろうか。

 もちろん、それらの目的がなくても眼前の少女は命の恩人である。少女が望むのならば、出来得る限りのことはしたい。


「君はこのスライムをどうしたいんだ? このまま凍らせ続けるのが目的なのか?」

「……わたしの魔法だと倒せないから凍らせてる。できるなら倒したい。わたしの力も……残り僅かだから」


 それまで無表情だった少女だが、そこで初めて、少しだけ表情を変えた。どこか寂しそうな、悲しそうな――辛そうな表情である。


 その表情を見たレウルスは、圧倒的な存在感を放つスライムへと視線を向けた。


 倒せるなら倒したい。それは少女が見せた初めての“意思”である。


 それならばレウルスとしても協力することは吝かではなく。


「それなら俺にも手伝わせてくれよ。この島から抜け出すのも今のままだと難しそうだし、このまま放置してたらとんでもないことになりそうだ」


 そう言って、少女へ協力の意思を示した。


 少女が凍らせてスライムの動きを封じているのだろうが、限界が近いという。もしもその限界が訪れれば一体どうなってしまうのか。


 相手はスライム――『国喰らい』と呼ばれる化け物だ。


 下手するとラヴァル廃棄街にまで影響が及ぶ危険性があり、それに思い至った以上はレウルスとしても逃げ出すわけにはいかない。


 しかし、問題は今のままではスライムを倒すどころかまともに戦えないほど魔力を消耗していることで――。


「……スライムも魔物なんだよな」


 倒せるかはわからないが、倒そうと思えば魔力を補充する必要がある。そのためには魔物を食したいところだが、肝心の魔物が目の前のスライムしか見当たらない。


 ――中身を食べれば溶けるだろうが、“皮”ならばイケるのではないだろうか?


 真顔で呟くレウルスに、少女はその表情を大きく変えた。


 少女の顔は、引きつっていた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] マジで見境ない……
[気になる点] >(コレがスライムじゃなかったら、本当のスライムはどれだけの化け物だって話だよ……) →(コレが『国喰らい』じゃなかったら、本当の『国喰らい』はどれだけの化け物だって話だよ……) …
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