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第164話:青い少女 その2

 謎の少女に案内された巨木の洞で数時間の睡眠を取ったレウルスは、目を覚ますなり自分の体調を確認した。

 一時間にも満たない着衣水泳だったが、『熱量解放』によって魔力のほとんどを使い果たしたことを差し引いても疲労が濃かった。眠ったことでだいぶ楽になったものの、どうにも体が重くて仕方がない。


 風邪でも引いたのかと思ったが、額に手を当ててみても熱はないようだ。気だるげに体を起こして洞から顔を出してみると、寝ている間に雨が上がったのか雨音が消えていることに気付く。

 それでも雨雲は去っていないらしく、周囲は薄暗かった。僅かにでも天候が変化すれば再び雨が降ってきそうな空模様である。


(……あの子はどこだ?)


 自分を助けてくれた少女の姿が見えず、レウルスは周囲を見回す。しかし見える範囲に少女の姿はなく、レウルスは首を傾げながら洞から這い出た。


(魔力は……感じないな。周囲に漂う魔力が邪魔で感じにくいというか……)


 目視ではなく魔力で少女の居場所を探ろうとするが、周囲に漂う魔力が邪魔をしているのか居場所が掴めない。レウルスは困ったように頬を掻くと、雨が止んでいる内に周囲の探索を行うことにした。

 分厚い雨雲によって太陽の位置がわからないが、完全に真っ暗になっていないためまだ日が落ちていないのだろう。レウルスは巨木に立てかけておいた『龍斬』を掴むと、剣帯を体に巻いて背中に固定する。


「っ……重たいな……」


 “素”の身体能力に戻るのは久しぶりだが、普段ならば心地良い重さの愛剣が非常に重たく感じられる。

 シェナ村にいた頃と比べれば筋肉もついているため、愛剣を振り回せないことはない。しかし『熱量解放』なしでも片手で振るえた愛剣を縦横無尽に振るうのは不可能だろう。


(どれだけエリザとサラに助けられていたんだって話だよな……)


 湿り気を帯びた地面を軽く蹴り付け、レウルスは小さく苦笑した。


 完全に魔力が尽きたわけではないため『熱量解放』を使えないことはないが、使えても精々十秒といったところだろう。瞬間的に発動できればそれでも十分かもしれないが、今のレウルスにそのような芸当は不可能である。


 運が良いのか悪いのか、近くに魔物の気配はない。『熱量解放』なしでも歩き回ることに支障はなく、レウルスはひとまず岸辺に向かうことにした。

 一歩一歩、確かめるように歩く。体に鉛でも流し込んだかのように動きが鈍く感じられるが、今の状態こそが“普通”なのだ。感覚の差異に意識が追い付けば、もう少しまともに体を動かせそうではある。


 ――なんとも贅沢な話だ、とレウルスは苦笑を深めた。


 一年前の自分ならば、このような考えは抱かなかっただろう。シェナ村で農奴として扱われ、毎日魔物に怯えながら畑作業をしていた時と比べれば今の状態でも雲泥の差がある。

 ラヴァル廃棄街で冒険者になってから充実した食生活に、何度も潜り抜けてきた魔物との戦い。それらは長年の酷使で痩せこけ、農作業に必要な筋肉以外は強制的に削ぎ落されたようなレウルスの肉体を強くしている。


 健康になった。体力もついた。防具を着込んで武器を振るい続けたおかげか全身に筋肉もついた。さらに言えば『龍斬』という最高の武器も手元にある。


 それだというのに、エリザやサラから送られる魔力が途切れた途端に“コレ”だ。


 それだけ自らの環境が向上したということなのだろうが、レウルスとしては苦笑を止めることができなかった。


(失ってから気付くこともある、と……いや、距離が離れただけで失ったわけじゃないけどさ)


 無事に戻ることができたならば、エリザやサラに魔力を送るのを止めてもらって素の身体能力を鍛えた方が良いかもしれない。二人の魔力で『強化』されるのならば、元々の身体能力が高い方が何かと便利だろう。

 『契約』による魔力の融通を止めることができるのかはやってみないとわからないが、距離が離れただけで届かなくなるのだ。魔力の扱いに長ければそれも可能になるのではないか。


 自らの体や“これから”に思いを馳せたレウルスだったが、まずは目の前の問題を片付ける必要がある。


 ここがどこで、どこに向かえばエリザ達と合流することができるのか。それを調べるためにも現状の確認は必要で――岸辺に到着したレウルスは早々に頭を抱えた。


「マジか……うわぁ、マジか……」


 ほんの数分で岸辺に到着したレウルスだったが、周囲を見回して思わずそう呟く。


 雨が止んだからか、メルセナ湖も少しは落ち着きを取り戻しているように見える。吹き付ける風は相変わらずのため湖面が波打っているが、少なくともレウルスが溺れた時と比べればマシだろう。

 その点に関しては良いのだが、レウルスは“岸の形”を見て頭を抱えたくなった。


 完全な円形ではないが、砂浜とメルセナ湖の境界線は緩やかに弧を描いている。遠くに視線を向けてみてもそれは変わらず、どうやら自分がいる場所は島のようだ、とレウルスは結論付けた。


 半島のように突き出た立地の“先端”にいる可能性もあるが、周囲を覆うメルセナ湖は非常に広く、視界の暗さも相まって陸地があるようには見えない。どこか遠くの陸地から細々と地面が隆起して半島状になっていると思うのは無理があるだろう。

 全景を確認したわけではないため断言はできないが、自分が立っている場所はメルセナ湖に存在する孤島なのだ。そう思考したレウルスは困ったように頭を掻く。


 青い髪をした少女のおかげで生き延びたが、自分の現在地はわからないままだ。前後左右、360度をメルセナ湖に囲まれているため、どこに向かえば良いのかもわからない。

 そもそも、どうやって向かうというのか。幸いにして多少とはいえ木が生えているため、切り倒して船代わりにすることはできるかもしれない。木にしがみ付いて流されていればいつかは陸地にたどり着く“かもしれない”が、これもまた博打が過ぎるだろう。


(天候が回復すればどうにかなるとは思うけど……)


 レウルスは分厚い雨雲で覆われた空を見上げる。時間はかかるが、太陽の動きを確認すれば大体の方向は割り出せるだろう。

 頭上にあるのが当たり前すぎて気にしなかったが、前世と同じように太陽が東から西へ動いている保証はないが。


(いや、以前姐さんが見せてくれた地図とその時の説明から考えれば太陽の動きは一緒のはず……そういえば木を切ったら年輪で方向がわかるんだっけ? あれ? でも太陽の移動する方向が前世と違ったらまずいしな……)


 グルグルと思考が空転するのを感じたレウルスは、数度頭を振って意識を切り替える。


 どう動くにせよ、まずは天候が回復するのを待つしかない。木に跨ってメルセナ湖に漕ぎ出したとしても、再び悪天候に飲み込まれたら今度こそ死にかねないのだ。


(晴れて視界が良くなったら陸地が見えるかもしれないし、まずは回復を優先するか)


 天候が回復すればあっさりと陸地が見つかるかもしれない。そう前向きに考えたレウルスはそろそろ空腹を訴えようとしている腹部に意識を向けると、次いでメルセナ湖の湖面に目を向けた。


 水は濁っているが、岸辺は水深が浅いのかある程度までは水中が目視できる。それは精々岸から三メートル程度と短いものの、魚を探すだけならば事足りるだろう。

 レウルスはじっと水面を見つめるが、水中に動くものはない。風で水面が揺れるばかりで、魔物どころか魚の一匹すらも見つけることができなかった。


(天候が悪いから他所に移動してる……って単純な理由ならいいんだけど)


 水深が深い場所に潜って湖の荒れ模様から身を守っているのかもしれない。しかし、近くに魔物がいない点を考慮すると魚も付近にいない可能性があった。


 レウルスは無言で踵を返すと、近くに生えていた木の根元にしゃがみ込む。そして腰裏に固定していた短剣を鞘ごと外すと、短剣を引き抜いて鞘だけを握った。


 ドワーフ達が精錬した鉄を使って作り上げた短剣は、鞘も相応に頑丈である。『龍斬』の鞘と比べれば遥かに劣るだろうが、それでも金属で補強された短剣の鞘は多少手荒に扱っても壊れることはない。

 レウルスは無言で鞘を地面に突き立てると、黙々と地面を掘り始める。雨を吸い込んだ土はそれなりに掘りやすく、それほど時間をかけることもなく木の根が露出した。


(ミミズは……いないか。まあ、木の根っこも細い部分なら“いける”し……)


 木の根――その中でも先端付近の細い部分を短剣で切り取り、脇に置く。

 周囲を見回すと僅かとはいえ草が生えていたため、こちらも切り取って一つにまとめた。


(虫……虫……くそっ、全然いないな)


 土を掘り返してみても、木の周囲を探してみても虫はいない。シェナ村時代でも世話になった、貴重なタンパク質なのだが。


 いないものは仕方ないと諦め、レウルスは木の根をメルセナ湖で洗う。草はそのままでも良いだろうと判断し、レウルスは木の根と草を齧り始めた。


「……うん、不味いな」


 水で洗いはしたものの、口の中に芳醇な土の香りと味が広がる。シェナ村にいた頃は気にする余裕も比較対象もなかったが、ラヴァル廃棄街で――特にドミニクの料理で舌が肥え始めていたレウルスとしては渋面になりそうなほど酷い味だった。


 それでも、食べることができる以上は食べないという選択肢はない。魔物ではないため魔力として蓄えるのは無理だろうが、物理的に腹が膨れるのならばそれで良い。


 よく噛んで木の根と雑草を完食すると、口直しにメルセナ湖の水を掬って飲み干す。多少濁ってはいるが、こちらも飲めないことはない。


 今度からは干し肉のような日持ちする食べ物をどんな時でも携行しよう。レウルスはそう思った。


(さて……腹も膨れたしあの子を探すか)


 口の端についた土を拭いつつ、レウルスは岸に沿って歩き出す。


 レウルスに対して敵意も見せず、かといって特別な興味も見せない青い少女。現状では他に話を聞ける相手もおらず、レウルスとして是非とも何かしらの情報を得たいところだった。

 反応が独特でレウルスとしても返答に困ることがあるが、言葉が通じないわけでもない。このような場所に居る以上は普通の子どもではないと思うものの、“そんなこと”を気にしている余裕もないのだ。


「……ん?」


 雨が降らないように祈りつつ歩いていると、周囲に漂っていた魔力がより強くなったように感じられた。それは水中で感じ取った時よりも顕著で、レウルスは小さく首を傾げる。


(土の中にいた魔物は魔力が感じ取りにくかったし、やっぱり水の中でも似たような感じなのか?)


 土中と比べればまだマシだが、水中――魔力を発する相手との間に“障害物”があると魔力が感じ取りにくいようだ。

 木が生えているだけならばそんなことはないが、魔力を感知するのが遅れればそれだけ危険な目に遭うこともある。これからは更なる注意が必要だとレウルスは己を戒めた。


 いつでも抜けるように背中の大剣を意識しつつ、レウルスは歩を進めていく。その間に周囲の地形を確認してみるが、予想通り半島ではなく孤島のようだ。

 反対側の地形はわからないが、島の形状は円形に近いと思われる。広さは半径五十メートル程度だろうか、とレウルスは歩幅から推測した。


 この広さでは魔物も生息していないだろう。仮に魔物がいるとすれば、空を飛べる鳥型の魔物ぐらいではないか。しかしながら、そうなるとレウルスが感じている魔力がどこから出ているのかが謎になるわけだが――。


「…………」


 周囲を警戒しながら進むレウルスは、少女を見つけて足を止める。先ほど“道草”を食った岸辺から正反対、それこそ島の反対側と呼べる場所に青い少女がいた。


(水に浮いてる? いや、足場が……氷?)


 ただし、島の反対側といっても陸地にいたわけではない。少女はメルセナ湖の湖面に立っており、踊るような足取りで水上を駆けていた。

 魔法に因るものなのか、それとも少女が“そういう”種族なのか。少女が駆けた場所はパキパキと音を立てて凍り付いていく。


 少女が何をしているのかわからず、レウルスは困惑しながらゆっくりと近づいていく。そして凍り付いた湖面に足を乗せ――ゾクリ、と久しく感じていなかった強烈な悪寒が全身を貫いた。


「っ!?」


 レウルスは可能な限りの速度でその場から飛び退く。そして即座に大剣の柄を握ると、なけなしの魔力を使って『龍斬』を鞘走らせた。


 背筋を駆け抜けたのは、氷のような寒気。それは生存本能と評すべき感覚で、レウルスは油断なく周囲を見回す。


 少女がレウルスに対して敵意を抱いたわけではない。“それ以外の何か”がレウルスの勘に引っかかったのだ。


 それまで薄っすらと魔力を感じてはいたものの、今しがた感じ取った悪寒の凶悪さは初めてキマイラのような強力な魔物と遭遇した時以来だ。

 ヴァーニルや『城崩し』も強力な魔力を持っていたが、これほどまでの悪寒は感じなかった。


 自分の魔力が底を突きかけているから余計にそう感じたのだろうか、とレウルスは思考しつつ、今しがた自分が足を乗せた湖面へとゆっくり近づいていく。

 元々凍っていたのか、それとも少女が凍らせたのか。荒れたメルセナ湖の濁った水が凍っているわけではなく、清水のように透き通った巨大な氷がそこにあった。


 氷の大きさはわからない。幅が広く、高さもどれほどあるのか。何故こんなところに巨大な氷があるのかわからない。

 わからないが、目を凝らして観察するレウルスはすぐさまあることに気付いた。


「嘘だろ……オイ……」


 そして呆然と、あるいは目の前の出来事を信じられないように、レウルスが呟く。眼前の“凍った物体”は、思わず『龍斬』を手放してしまいそうになるほど衝撃的だった。


 いや、まさか、と必死に否定しようとする。だが、見開いた視界が捉えた物は間違いなく――。


「『核』……か?」


 透き通った氷の中。


 ――そこには、“三つ”の『核』を蠢かせるスライムがいた。

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