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第162話:選択 その2

 ――船底が擦れる轟音と共に激しい衝撃が甲板に伝わる。


 降り注ぐ雨は相変わらずだが、何とか岸辺に“乗り上げて”船が停止したことにジルバはほっと安堵の息を吐いた。


 だが、それもほんの一瞬である。


 甲板を見回してみてもレウルスの姿がない。その事実がジルバの表情を曇らせていた。


「あいたたた……もう、思いっきり頭打ったわ……いくら船を停める場所がないからって、これはさすがに強引過ぎるんじゃないの?」

「サラ様……申し訳ございません。近くに使える河港もないようですし、この状況ではヴァルディの河港に向かうのも困難でしょうから……浸水も酷かったようですし」


 頭を振りながら歩み寄ってくるサラに対し、ジルバは申し訳なさそうな顔をした。サラの隣にはエリザの姿もあるが、こちらはサラが肩を抱いて引きずっているような有様だった。


 エリザは呆然自失としており、船が岸に乗り上げる際も能動的に対応できたとは思えない。それでもサラがエリザを庇った結果、傷一つないようだった。その代わりにサラは甲板で頭を強打していたが、痛みなどなかったようにエリザを引きずっている。


「わたしは船乗りじゃなくて火の……ごほんっ! とにかく、わたし達だけでも窮地を脱したんだから文句は言わないわよ! 値切ってもらったとはいえ、お金払って船に乗ってこれか! って思う気持ちもあるけどね!」

「は……私としても色々と思うところはありますが……」


 サラの態度にジルバは困惑する。呆然としているエリザはまだしも、サラの態度はあまりにも“普通”すぎた。


 ――メルセナ湖に落ちたレウルスを置き去りにした形になったというのに、だ。


 魔物の警戒と船の揺れに気を取られて反応が遅れたのは、ジルバとしても痛恨の出来事だった。


 レウルスがエリザを庇って代わりに落水してしまったが、もしもレウルスが間に合わなければ――あるいは二人が一緒に落ちていれば、今頃どうなっていたか。


 ジルバから見れば、レウルス一人ならまだ何とかなるかもしれない。防具を着込んでいれば危うかっただろうが、寝起きということで防具を外していたのは幸いだった。レウルスならば泳いで自力で岸まで辿り着ける可能性がある。

 仮にエリザまで一緒に落ちていれば、その可能性もほぼ皆無になっていただろう。エリザだけが落水していても、助からなかったに違いない。


 しかし、である。あくまでレウルス単独ならば助かる可能性があるだけで、その可能性は高いわけではない。それだというのにサラの表情に焦りの色はなかった。


 船が浸水し始めていたこと、レウルスがレテ川の流れに飲まれてあっという間に遠ざかってしまったこと、船を襲っていた魔物がレウルスを追って船から離れたこと。

 様々な理由はあれど、船そのものや他の乗客の命を守るためにはすぐにでも岸に向かう必要があった。ミーアが船内に飛び込んで浸水を少しでも防ごうとしていたが、ドワーフの腕をもってしても“ギリギリ”のところだったのである。


 これ以上の航行は危険だと判断し、風を読んで帆が破れるのにも構わず帆走し、何とか岸まで辿り着いたのだ。


 ジルバとしても不思議なことに、メルセナ湖の沿岸部には多くの魔物がいた。

 エリザをサラに託したジルバが甲板に積んであった銛を全て消費する勢いで投擲し、船体に更なる被害を受けつつも辛うじて突破できたが、船長曰く“普段”であればこれほどまでに魔物と遭遇することはないらしい。

 サラもエリザを庇いながら火炎魔法を行使していたが、こちらは牽制以上の効果はなかった。その戦いぶりからレウルスを心配しているように思えず、それがジルバにとっては不思議だったのである。


「んん? レウルスが心配じゃないのかって? そりゃ心配だけど、レウルスが死んでたらわたしは消滅してるだろうし?」


 サラはあっけらかんと言い放つ。そこに一切の気負いはなく、自らが存在していることこそがレウルスの無事を証明しているのだ、と。


「わたしが生きてるってことはレウルスも無事ってことでしょ。まあ、今は無事でもどうなるかわかんないけど……わたしとしてはレウルスがさっきの魔物を生で齧ってないかの方が不安ね! お腹空いたら生でも平気で齧るわよきっと!」

「レウルスさんなら……まあ、そうでしょうね」


 妙なところを心配するサラに対し、ジルバは困ったように相槌を打った。


 距離が離れすぎたのか、火の精霊であるサラの力でもレウルスとのつながりが維持できていない。


 サラの場合はレウルスに付けられた己の名前と魂――自らの“存在”そのものを捧げる強固な『契約』を交わしている。物理的に距離が離れただけで『契約』が切れたわけではないが、さすがに魔力を融通するには距離があり過ぎた。


 この距離というのが厄介で、どれだけ離れているのか『契約』でのつながりは感じ取れてもレウルスがどこにいるかまではわからない。現状では酷く曖昧に、ぼやけたような感覚があるだけだ。


「レウルスなら大丈夫だと思うんだけど……むむむ……」

「どうかされましたか?」


 サラが抱きかかえているエリザの容態を確認しつつ、ジルバが尋ねる。サラは相変わらず荒れているメルセナ湖に視線を投じつつ、大きく首を傾げた。


「距離が離れているからっていうよりも、何かに阻害されてる……ような? なーんか嫌な感じがするのよね」


 言葉で説明するのが難しいのか、サラはもどかしそうに、あるいは不快そうに眉を寄せている。“それ”が何なのかは傍で聞いていたジルバにも理解ができず、まずは現状をどうにかしようと口を開いた。


「ひとまず船内に戻りましょう。この雨ではヴァルディに向かうのも難しいですし、天候が回復するのを待たなければ……着替える必要もありますしね。荷物が無事なら良いのですが」

「ミーアが向かったから部屋の方は大丈夫だとは思うんだけど、岸に乗り上げるのってちゃんと聞こえたのかしら? 下手するとミーアが船の中で転がってるかも……」


 ジルバとしてはレウルスを救助したいが、現状では救助の手段がない。ここまで乗ってきた船は限界が近く、近隣で船を借りるとしても悪天候過ぎてレウルスを捜索することすら困難だろう。

 今できることといえば、雨が当たらない船内に避難して少しでも体力の回復に努めることぐらいだ。


「レウルスならきっと大丈夫よ。なにせわたしの契約者だもの! だからほら、エリザもそんな顔をしてないで……ね?」

「…………」


 船長とも色々と相談する必要があるが、ジルバは普段と変わらない様子のサラと一切の反応を返さないエリザを見比べ、内心だけで嘆息する。


 メルセナ湖に落水するレウルスからエリザを託されたのだ。何があろうと守り抜かなければならない。


 そう思い定めたジルバは一度だけ頭を振ると、エリザとサラを促して船内へと向かうのだった。








 ――正直なところ、甘く見ていたのかもしれない。


 湖だというのに風雨と流れで波打つ水面を泳ぎつつ、レウルスは内心で呟いた。


 泳ぎ出して既に10分が経過した。背負った大剣の重さで沈まないようにと『熱量解放』を使って泳いでいたが、水の冷たさと体に纏わりついてくる服が非常に厄介だ。


 着衣水泳など前世を含めてほとんど経験がない。以前、シェナ村から売り飛ばされた後にキマイラと遭遇し、逃げるために小川に飛び込んだことがあるぐらいだ。

 その時は水深が浅く、川底に足がついていたため大きな問題にはならなかった。だが、足がつかない状態で泳ぎ続けている現状では衣服の抵抗が非常に邪魔である。


 『熱量解放』を使っているため多少の抵抗は無視して泳げているが、素の身体能力だけで泳いでいたら今頃沈んでいたかもしれない。


 せめて靴は脱ぐべきだっただろうか、とレウルスは頭の片隅で思考する。

 魔力を発している存在と遭遇した際に全裸ではまずいだろうと着衣のままで泳ぎ出したが、ただでさえ防具がない状態なのだ。靴まで手放してしまうことに抵抗があった。


(魔物が襲ってこないのは予想通りだけど、“そうなる”と陸地を目指して泳いでたら危なかったんじゃないか……)


 自分の現在地がわからないレウルスだが、10分近く全力で泳いでも敵対的な魔物の魔力を感じない以上、付近には魔物がいないのだろう。


 この状況で魔物の襲撃がないのは有難い話だが、感じ取った魔力を目指さずに陸地を目指して泳いでいた場合、死んでいた可能性が高かったのではないか。

 レウルスは魔力目指して進んでいるが、メルセナ湖に棲む魔物が何者かの魔力から“逃げている”のだとすれば、陸地を目指していた方が危険だっただろう。


 先刻襲われたこともそうだが、メルセナ湖の沿岸部周辺に魔物が固まっている可能性がある。


(どっちを選んでも危険だったかもしれないけど、陸地を目指して泳いでたら大量の魔物とぶつかってたかもな……ゾッとしないけど)


 陸地まで魔力がもたないこともそうだが、そこに魔物との戦闘が加われば魔力の消耗は嫌でも増す。

 再び足場にできるような大きさの魔物が狩れれば話は別だが、それに期待するのはさすがに博打が過ぎるだろう。

 それらを踏まえると魔力目掛けて泳いでいて正解だったのだろうが、感じ取れる魔力は多少強くなっているものの、それ以上の“変化”は訪れなかった。


(魔力は……もう半分もないな。使い切ったら気絶するし、『熱量解放』を続けられるのはあと五分……最大で七分ぐらいか? まずいな……)


 速度を優先してクロールでひたすら泳ぐレウルスだが、自身の状態を確認するとその胸中に不安が過ぎる。

 薄っすらと感じていた魔力は少しずつ強まっているものの、まだまだ距離があるように思える。


 そもそも感じ取れる魔力は希薄な上に、周囲一帯を覆うように広がっていた。感覚としては近づいていると思うものの、泳ぎながらでは確証があるわけでもない。


(魔力もだけど、水が冷たくなってるような……)


 バシャバシャと激しい水音を立てながら泳ぎ続けるレウルスだが、少しずつ水温が下がっているように感じられた。

 体が冷え過ぎてそう感じているだけなのか、本当に水温が下がっているのかはわからないが、冬の寒さと降りしきる雨、そして吹き付ける風という要素を思えば水温が下がっていてもおかしくはないのかもしれない。


 じわじわと減っていく魔力に、急激に下がっているように感じられる水温。相変わらずと言う他ない風雨は強烈で、魔力を感じ取っていなければ真っすぐ泳ぐことすらできそうにない。

 ひたすら泳ぐことしかできないのがもどかしくて仕方がないが、他にできることもなかった。レウルスは今すぐにでも何かしらの変化があるよう祈るが、変化しているのは水温ぐらいで感じ取っている魔力に大きな変化はない。


 そうこうしている内に一分が過ぎ、二分が過ぎ、三分が過ぎ――五分が過ぎた辺りでレウルスの焦りはピークを迎える。


 『熱量解放』に回していた魔力が底を突き始めているのか、泳いでいた体が重くなってきているように感じられた。服の抵抗がいっそう増したようにも感じられ、冷たい水の中だというのに全身から冷や汗が噴き出ているような錯覚に陥る。

 気絶覚悟で『熱量解放』を使い続けるべきか、それとも“自力”で泳ぐべきか。前者の場合は魔力を使い切ればそのまま水に沈み、後者の場合は体力が尽きれば水に沈む。


(ギリギリまで『熱量解放』を使って……あとは自力でどうにかするしかないか)


 少しでも前に進むべく、レウルスは限界ギリギリまで魔力を使うことにした。


 湖の流れはだいぶ緩やかになっているが、自力で泳いでいても前に進めるかわからない。流れに押し戻される可能性もあるからだ。


 それでも前に進めると信じ――10分後、メルセナ湖の湖面にレウルスの姿はなかった。

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[一言] その後レウルスの姿を見たものは誰もいない 完
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