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第160話:濁流 その3

(くそっ……何も見えねえ)


 エリザを放り投げたことで体勢を崩し、頭からメルセナ湖へと落下したレウルスだが、最初に感じたのは視界の不明瞭さである。


 荒天の影響でメルセナ湖の水は濁っており、元々太陽が雨雲で遮られていたこともあって暗闇の中に落ちたようだった。


 “まずい”のはそれだけではなく、メルセナ湖の水は酷く冷たい。ラヴァル廃棄街からかなりの距離を北上してきたが、全身に感じる水の温度は氷のように冷たかった。

 それでいて全身を圧し潰すような水の勢いがレウルスの方向感覚を狂わせ、自分が水面に向かって浮かび上がっているのか水底に沈んでいるのかもわからない。


 防具一式は身に着けていないが、右手には大剣を握っている。そのため浮かぶよりも先に沈む方が早いのだろうが、水流の勢いもあって上下の感覚が狂うのだ。

 仮にエリザが落ちていたら間違いなく助からなかっただろう。多少泳ぎが達者でも、間違いなく溺死する環境である。


激しい水の流れに、目を開けていても閉じていても大差ない視界。自分が今どこにいるのか、どの程度の水深にいるのかすらもわからないのだ。


(エリザとサラの魔力は……あっちが水面か)


 だが、レウルスならば問題はない。例え視界が塞がれていようとも、『契約』を結んだエリザとサラが無事ならば魔力の位置を辿ることで“自分の位置”を逆算できる。

 レウルスは右手に大剣を握ったまま、『熱量解放』によって底上げされた身体能力を駆使して水面を目指す。水面に顔を出せれば、あとは船から引き上げてもらうだけで――。


『レ……スッ! そっ…………きの……が!』

(っ!)


 水面を目指している途中で、サラから『思念通話』が届いた。しかしそれは普段と比べて不明瞭な、途切れ途切れの声である。

 水中にいるのが原因なのか、それとも別に原因があるのか。それはわからないが、サラが危険を知らせていることだけは理解できた。


 ――正面から迫る、巨大な魔力。


 レウルスは反射的に大剣を“縦”に構える。順手で柄を握ったままだった右手を咄嗟に逆手に変え、左腕を剣の腹に当てて防御態勢を取った。


(ぐっ!?)


 両手に走る激しい衝撃。盾にした大剣に“何か”が衝突し、水面に向かおうとしていたレウルスの体が後方へと押し飛ばされる。陸上と違って踏ん張りが利かず、水流で揉みくちゃにされる木の葉のようにレウルスの体が不規則に回転した。


 ダメージはない――が、思わぬ衝撃に息が口から漏れる。


 レウルスは人間であり、当然ながら生きるためには酸素が必要となる。いくら『熱量解放』という“隠し玉”があろうとも、さすがに酸素まで生み出してくれるわけではない。


(やばい……水面は……あっちか!?)


 強制的に水中で回転させられたことで、鼻から水が入ってきそうになる。レウルスは鼻から息を吹き出すことでそれを防ぐと、エリザやサラの魔力を探って水面へ浮上しようとした。

 だが、普段ならば多少距離があろうと感じ取れる二人の魔力が曖昧にしか感じられない。自分が水中にいるからだろうかと疑問を覚えるレウルスだったが、今は疑問の究明よりも水面に顔を出す方が先決だった。


 体当たりを仕掛けてきた魔物の魔力を警戒しつつ、両足をばたつかせて急速に浮上する。服を着ている上に大剣まで握っているが、『熱量解放』で身体能力が底上げされた体はレウルスの意思に応えてあっという間に水面まで昇りつめた。


「ぶはっ! はぁ……はぁ……船は……」


 水面に出たレウルスは大きく息を吸い、左手で顔を拭って視界を確保する。そして感じ取れるエリザとサラの魔力を辿って視線を巡らせてみるが、“見える範囲”に船の姿はない。


『レウルス!? レウルス!? ちょっと、聞こえてるの!?』


 しかしサラの声は『思念通話』越しに聞こえてきた。先ほどと違って明瞭に聞こえるのは、水中から脱したからだろうか。『思念通話』が使える距離には限度があるが、さすがに声が届かないほど距離が開いたわけではないようだ。


『聞こえてる! サラ、空に向かって炎を撃ってくれ!』

『えっ? よ、よくわかんないけど撃つわよ!』


 レウルスが指示を出すと、サラは即座に火炎魔法を発動する。そして降りしきる雨を物ともせずに巨大な火球を空に向かって放った。


 水面に出ても視界は悪いが、火の精霊であるサラが放つ火炎魔法は非常に強力である。レウルスは遠くに打ち上げられた火球を見上げ、思わず内心だけで呆然と呟く。


(水に落ちて一分も経ってないぞ……どれだけ流されたんだ……)


 レウルスの目に映ったのは、暗い雨空に舞い上がる“小さな”火球である。視界が悪いため距離の感覚もあやふやだが、少なくとも二百メートルは離れていそうだった。


『撃ったわよ! ちゃんと見えた!?』

『見えた、けど……くそっ、遠すぎる!』


 水中で全身に水の流れを受けたからなのか、船が岸を目指して方向転換していたからか。レウルスが予想するよりも遥かに開いた船との距離に、焦りの声を上げた。

 それでも、まだ間に合う。全力で泳げばまだ追いつける。例え濁流だろうと逆らって距離を詰めることができる。


 ――この場に魔物さえいなければ。


 水の中、レウルスの真下から迫る魔力。それに気づいたレウルスは一際強く水を蹴り付けると、可能な限り水上へと体を出す。そして両手で大剣の柄を握り締めると、ばたつかせていた両足を停止した。


「オオオオオオオオオォォッ!」


 体が再び水中へと沈む。その勢いを利用しつつ、全身を折り曲げるようにして大剣を水面へと叩きつける。


『キッ!?』


 耳に届いたのは、甲高い鳴き声だ。それはレウルスが水面ごと頭蓋を叩き切った魚の魔物による断末魔で、レウルスは両手に伝わってくる感触から一撃で仕留められたのだと悟る。

 だが、やはり陸上で剣を振るった時のようにはいかない。鞘を嵌めているというのもあるだろうが、二メートル近い魚の魔物の頭蓋を叩き切ったところで刃が止まってしまった。


 仮に鞘から『龍斬』を抜いていても、足場が悪いどころか存在しない状態では両断できたか怪しいところだ。


(一匹目……っ、他のも寄ってきたか)


 魚の魔物――叩き切った時に間近で見た感想としては、鮫に近いだろうか。


 鮫の魔物を斬ったことで再び水中に沈んだレウルスだったが、派手に暴れたせいなのか“仲間”が殺されたせいなのか。先ほどまではシャチに似た魔物を狙っていたはずだというのに、レウルス目掛けて複数の魔力が突っ込んでくる。

 さすがに水中で大剣を振り回すのは難しい。そのためレウルスは腰の裏に装備していた短剣を引き抜くと、左手で握り締めた。


 愛剣には劣るものの、ドワーフ手製の短剣である。その切れ味と頑丈さは折り紙付きで、水中で振るうのに支障はないだろう。

 水中のため切れ味がどうなるかわからないが、レウルスとしては接近してくる魔力目掛けて魔力の刃を叩き込むつもりだった。


 牽制程度で構わない。その間に再び水面に浮上し、一匹一匹仕留めていけば良いのだ。


(…………?)


 そう思ったレウルスだったが、向かってきていた魔力が急に向きを変えた。途中までレウルスの方に向かっていたというのに、迂回するようにしてレウルスの“後方”へと通り過ぎていく。

 一体何のつもりかと思いつつ、今の内にとレウルスは水面へ浮上した。そして息継ぎをしながら鮫の魔物が通り過ぎた先へ意識を向ける。


 ――レウルスの聞き違いでなければ、湿っぽい咀嚼音が響いていた。


(……共食いするのかよ)


 おそらくだが、今しがたレウルスが仕留めた“お仲間”を食べているのだろう。船ではなく、船を襲う手負いのシャチの魔物に襲い掛かっていたあたり、血の臭いに敏感なのかもしれない。


 前世で知る鮫もそんな習性があったような気がしたレウルスだが、相手は魔物だ。すぐには思い出せない記憶を探るよりも、今はこの窮地を脱する方が先だろう。

 そう判断したレウルスは船の位置を確かめるべくエリザとサラの魔力を探る。その間にもメルセナ湖に流れ込んだレテ川の濁流に体が押され、距離が離れていた。


『――――ッ! ――! ――――ッ!』

『サラ? おい、サラ!?』


 先ほどは聞こえていたサラの声が、水上にいても聞き取れない。必死に声をかけているというのは伝わってくるが、何を言っているのかわからなかった。

 それでも、先ほどレウルスが伝えた指示を守っているらしい。レウルスは薄ぼんやりとした赤色の光が遠くに瞬いているのを見つけ、そちらへと向かって泳ぎ出す。


 鮫の魔物は共食いに夢中らしく、今の内に少しでも距離を取るべきだろう。そう考えるレウルスだが、鮫の魔物と比べて大きく感じられる魔力が正面から突っ込んでくる。

 先ほど船を襲ったシャチに似た魔物だろう。船を襲うよりも、船から落ちたレウルスが狙い目だと思ったのか。水中に落ちて最初に突撃してきたのはこちらなのかもしれない。


(こいつに押し飛ばされたから船との距離が開いたのかもな……)


 視界が悪いため、一体何が正解なのかレウルスにはわからない。わかることがあるとすれば、相手が自分を獲物と判断して喰らおうとしているということだけだ。

 シャチの魔物は大きく口を開き、真っすぐ突っ込んでくる。巨大な体に見合った大きさの口はレウルスを丸呑みできるほどで、『城崩し』を彷彿とさせた。


「…………」


 レウルスは無言で短剣を鞘に戻すと、左手で『龍斬』の鞘を掴む。そして水中ということもあって手放してしまわないよう注意しつつ、真紅の大剣を鞘から引き抜いた。


 “水面”で、真正面から向かってくるのならばレウルスが取る手段は一つだけだ。


「アアアアアアアアアアアアァァッ!」


 レウルスは右手一本で真紅の大剣を握り締め、水面と平行に、体を捻る勢いで横一線に大剣を薙ぐ。

 相手が水中に潜っていないのならば、魔力の刃でも斬れる。そう判断してシャチに似た魔物の顔面を――大きく開いた口を境にして、“上部”を斬り飛ばそうとする。


 水棲の魔物の身体的構造は知らないが、頭と思われる部分を潰せば死ぬというのは先ほど実践で理解できた。


 それ故にレウルスはシャチに似た魔物の頭部を狙ったのだが、やはり足場の悪さが尾を引く。

 悪いどころか足場が存在しない状態で放った魔力の刃は、普段と比べてその鋭利さが落ちているように感じられた。それでも巨大な口を横一文字に斬り裂き、盛大に血を噴き出させる。


「ぐっ!?」


 正面から口を横に割られた激痛でシャチに似た魔物の軌道が逸れ、レウルスを掠めるようにしてその巨体が通り過ぎていく。その圧倒的な重量が生み出す水流は、掠めるだけでもレウルスの姿勢を大きく乱した。

 三度水中へと沈んだレウルスは、自分のすぐ傍を通り過ぎていくその巨体目掛けて大剣の切っ先を突き込む。すると大剣越しに体が引っ張られ、強烈な水圧がかかった。


 ――ここで大剣から手を離せば危険だ。


 そんな直感から柄を握る右手に力を込め、左手で握る鞘も手放さないよう必死に保持する。


「っ!? おおぉっ!?」


 体のどこに大剣が刺さっていたのかはわからないが、シャチに似た魔物にとっても痛手なのだろう。右手に伝わる振動が変化したかと思うと、レウルスの体が持ち上げられて水面から弾き出された。

 どうやら大剣を抜くために全力で体を捻ったらしい。大剣を右手だけで握るレウルスとしても限界寸前と思えるほどに圧力がかかり、大剣が抜ける感触と共にレウルスの体が水上を舞った。


 だが、これはチャンスだ。


 空中という身動きが取れない状態に追い込まれたが、シャチに似た魔物の体は“真下”にある。


 レウルスは回転する視界の中で必死に狙いを定めると、落下する勢いごと大剣を振り下ろした。


 右手に伝わるのは、表皮や鱗ごと肉を斬り裂く感触。このチャンスを逃してはならないと左手に握っていた鞘も突き刺し、不安定な体を支えると、斬り込んだ大剣を引き抜いて何度も振るう。

 再び足元の魔物が暴れて撥ね飛ばされるよりも早く、水中に潜られるよりも早く、バラバラにする勢いで斬撃を叩き込み続ける。


「ガアアアアアアアアアアァッ!」


 斬りつける度に血しぶきが舞い、魔物の体が震えた。それでもまだ死んでいないと悟ったレウルスは“傷口”に両足を突っ込んで足場を確保すると、両手で大剣を柄を握り締める。


 可能な限り刀身に魔力を乗せ、レウルスは全力で大剣を――『龍斬』と名付けた、火龍すら斬り裂く一閃を叩き込んだ。


『――――』


 刀身の長さ以上に刻まれる、深い傷跡。その一閃は魔物の巨体を縦に大きく斬り裂き、それまでの暴れようが嘘のように動きを止めさせる。


 背中から頭にかけて、まっすぐに断ち切ったのだ。

 相手を仕留めたことを確信したレウルスは水中に落下しそうになっていた鞘を掴み取り、深く息を吐く。


「船は……どっちだ」


 戦っている間にさらに流されたのか、サラが放つ火球も見えなくなった。距離が開き過ぎたのが原因なのか悪天候が原因なのかはわからないが、『契約』によってつながっているはずの魔力もほとんど感じられない。


「……まずは残りの魔物を片付けるか」


 大量の血が流れたことで接近してくる敵の魔力を感じ取ったレウルスは、疲れたように呟くのだった。

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