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第158話:濁流 その1

 ――ガツンッ、という派手な物音でレウルスは目を覚ました。


 一体何の音だと目を開けてみると、視界がやけに揺れている。病気にでもかかったのかとベッドの上で体を起こすが、どうやら船全体が揺れているらしい。

 ぐらぐらと激しい地震のように船が揺れており、レウルスは思わず眉を寄せてしまった。


「ふおおぉぉぉ……あ、頭打ったぁ……ガツーンって、ガツーンって打ったぁ……」


 レウルスが寝ていたのは二段ベッドの下段だが、上段で眠っていたはずのサラから押し殺したような声が聞こえてくる。何事かと確認してみると、額を抑えたサラがベッドの上でのたうち回っていた。

 船が揺れた時に落下しないよう、ベッドの手すりは高く作ってある。しかし、今回はそれが仇となったのだろう。派手に船が揺れた時に体が動き、サラは手すりに頭をぶつけてしまったようだ。


「なんじゃ朝から……って、ゆ、揺れておらんか? なんか滅茶苦茶揺れておらんか?」

「んぅ……二人ともどうし……うわっ、なにこれ気持ち悪い!」


 サラが立てた物音に反応してエリザとミーアも目を覚ますが、すぐに焦ったような声を上げる。

 レウルスはベッドから降りて床に立っているが、何かに掴まらなければバランスを崩してしまいそうなほどに船が揺れているのだ。


 船の周囲に魔力を感じないため、魔物の襲撃ではないのだろう。レウルスは揺れる足場に苦心しつつ、なんとか大剣を背負って短剣を腰の裏に差す。

 さすがに防具まで着込む余裕はない。着込んでいる間に何回か転んでしまいそうだ。仮に防具を着込んだとしても、ドワーフ製の頑丈な防具を着込んだ状態で転べばそのまま床に穴が開いてしまいそうである。


「とりあえず状況を確認してくる。エリザ達も準備が整ったら来てくれ」


 エリザ達にそう声をかけ、レウルスは扉を開けて廊下へと出る。金属で補強されているはずの船は時折軋むような音を立てており、レウルスは壁に手を当てながら甲板を目指した。


 そして甲板へと続く扉を開け――。


「おいおい……なんだこりゃ」


 思わずそんな呟きを漏らす。


 扉を開けたレウルスだったが、扉を開けるなり風と雨が吹き付けてきた。まるで叩きつけるような風雨で、扉が風に煽られて軋みを上げる。冬の寒さと雨、それに暴風が加わったことで一気に体温が下がった気がした。


 顔面に吹き付ける雨粒に目を細めるレウルスだが、その視界に飛び込んできたのは昨日までとは打って変わって荒れ狂った様子のレテ川だ。

 川の水は茶色に染まっており、まるで海のように波打っている。甲板に出ようとしたレウルスが思わず足を引っ込める程度には“大荒れ”模様だった。


(ジルバさんが荒れるかもって言ってたけど、荒れすぎだろ……)


 流れの速さが変わるどころの騒ぎではない。

 レテ川につながる川はいくつもあり、その上流で大雨が降ったのだろうとジルバは予測していたが、大雨を降らせた雨雲がこちらにも流れてきたのだろう。


 下流に近づいたことで川幅が増したレテ川は茶色一色に染まっており、降り注ぐ雨のせいで岸が見えない状況だった。仮に晴れていたとしても岸が見えないほど川幅があるのかもしれないが、現状では確かめようがない。


「レウルスさん!」


 困惑したように周囲の状況を確認していたレウルスだが、先に甲板へ出ていたと思わしきジルバが駆け寄ってくる。

 船が激しく揺れ、甲板も雨で濡れているにも関わらずバランスを崩さないジルバには驚くしかない。レウルスは壁に手を当ててなんとかバランスを保っている状態なのだ。


「船室にいて大丈夫でしたか? ここ一時間ほどで天気と川の様子が急変したんですが……」

「今さっき起きましたよ。サラが額をぶつけたぐらいで、大きな怪我はないです」

「そうですか……この荒れ模様では船も揺れますからね。船長や船員の方が極力揺れないよう船を操舵していたのですが、さすがに限界がきたようです」


 どうやら今まで目を覚まさなかったのは船長や船員の腕に因るものらしい。レウルスは門外漢のため何をしたのか推測もできないが、なるべく船が揺れないようにしていたようだ。


「それって大丈夫――っとと!?」


 限界と聞いて嫌な予感を覚えたレウルスが疑問を解消しようとすると、一際大きく船が“跳ねる”。横ではなく縦に、バウンドでもしたように船が揺れたことで一瞬レウルスの体が浮きかけた。


『ぎゃあああああぁぁっ! 頭打ったああああぁぁっ!』


 何とかバランスを保つレウルスだったが、船室の方からサラのものと思わしき悲鳴が聞こえてくる。女の子が出して良い悲鳴ではなかった気がするが、そちらよりも先にレウルスはジルバへと疑問をぶつけた。


「滅茶苦茶荒れてますけど、このまま進んで大丈夫なんですか?」

「ええ、“船は”大丈夫だそうです。問題があるとすれば、ここまで流れが速いと河港に入れないことでして」


 そう言いつつ、ジルバは船が進む先へと視線を向ける。雨で遠くまで見ることはできないが、風を切る音の強さから考えると昨日までの倍近い船速が出ていそうだ。


「川の水も増えていますし、ヴァルディの河港も使えないでしょう。船長が言うにはもうすぐヴァルディが見えてくるそうなのですが……」


 そんなジルバの言葉にレウルスは空を見上げてみる。

 分厚い雨雲で覆われているため太陽の位置が見えず、現在の時刻はわからない。それでも“雨雲が見える”程度には視界が明るいことから、既に朝を迎えているのだろう。


「今日の夕方ぐらいに到着する予定だったのですが、このままだとヴァルディを通り過ぎます。川の流れに乗ってメルセナ湖まで抜けて、流れが緩い場所を通って陸地を目指すそうです」


 船の損害さえ気にしなければ岸へと舵を切って陸地へ乗り上げることもできそうだが、レテ川の荒れ方から考えるとそれも危険だろう。

 船全体で陸地に乗り上げるのは難しく、レテ川の流れに船体が持って行かれて転覆する危険性がある。そもそも増水した状態で陸地に乗り上げた場合、水が引けば船が陸地に取り残されてしまうのだ。


「そっちの方が安全だっていうのなら、素人の俺達にできることも言うべきこともありませんね」


 予定よりも半日近く早くヴァルディに到着しそうだったが、そのまま通り過ぎるしかないらしい。

 レテ川はメルセナ湖につながっているため、メルセナ湖まで行けばこの急流からも脱することができるのだろう。


 例え異世界だろうと自然の猛威には勝てないらしい。前世でも時折台風が直撃していたな、とレウルスは吹きつける風雨に目を細めた。


「安全かと言われると難しいところです」


 だが、自然のことならば仕方がないと考えたレウルスと違ってジルバは深刻そうだ。一体何事かとレウルスが困惑すると、ジルバは荒れ狂うレテ川へ視線を向ける。


「レテ川と違い、メルセナ湖には水棲の魔物が多く存在します。陸地に着くまで船を守らなければ沈みかねません」

「……メルセナ湖ってそんなに危険な場所なんですか?」

「レテ川とは大きさも水深も桁違いですからね。レテ川なら巨大な魔物と遭遇する危険も少ないですが、メルセナ湖まで行くと何が出るか……」


 沿岸部なら危険も少ないのですが、とジルバは付け足す。


 どうやら期せずしてレウルス達の出番がありそうだった。できれば何事もなく目的地であるヴァルディへ到着したかったのだが。


(どれだけ大きな湖なんだよ……)


 巨大なレテ川が流れ込むだけあり、メルセナ湖もまた巨大なのだろう。まさかとは思うがメルセナ“湖”と言いながら海に出るのではあるまいか。


「私も数度訪れたことがありますが、晴れている日でも対岸が見えないぐらい広いんですよ。メルセナ湖の“下流”は海までつながっていますしね」


 どうやら海ではないようだが、とてつもなく広いらしい。


 前世で生きていた日本における最大の湖――琵琶湖のようなものだろうか、とレウルスは思考する。朧げな記憶を探った限り、実際に行ったことはないのだが。


「メルセナ湖に着いたら、まずはこのレテ川の“流れ”から外れて……あとは運次第ですね」

「俺、自分の運の良さに自信がないんですが……」


 顔をしかめるレウルスを肯定するように船がもう一度縦に揺れ、船室からサラの悲鳴が響くのだった。








 ジルバが話した通り、レウルスが甲板に出てから大した時間も経たない内にヴァルディの河港を通り過ぎてしまった。

 あまりにも激しいレテ川の流れに逆らえず、また、逆らえたとしても増水した影響で河港に船を留めることすらできないのだから仕方がないだろう。


「うぅ……頭が痛い……」


 もう少しでレテ川を抜けてメルセナ湖に到達する。怒号のような船員達の声からそれを悟ったレウルスだったが、フラフラとした足取りでサラが近寄ってきた。

 どうやら派手に頭を打ち付けたらしく、額に手を当てている。そんなサラの後ろにはエリザとミーアの姿があったが、二人とも顔色が悪かった。


「レウルス……その、少し……いや、かなり気持ち悪いんじゃが……」

「お腹が変な感じ……ボクもきつい、かも……」


 昨日までと違い、激しい揺れに襲われたことで船酔いになったようだ。火の精霊であるサラと比べれば、エリザもミーアも“普通”の体である。


 レウルスは『加護』の影響なのか元々の体質なのか、バランスを取ることに苦慮する程度で酔った気配はない。

 ジルバなどは激しい揺れにも関わらず甲板を駆け回る船員達と同様に、船の揺れに合わせてきちんとバランスを取っていた。船に酔った様子もなく、エリザとミーアを心配そうに見ている。


「きついなら無理せず部屋で休んでてくれ……って、言いたいところなんだけどな。この状況だと変わらないか」

「怪我ならともかく、船酔いは治癒魔法でも治せませんからね。今から薬を飲んでも“戻す”だけになりそうですし……」


 ジルバは治癒魔法と呼ばれる魔法を使えるが、船酔いまで治せるほど万能ではない。船から降りるのが最適解だとは思うものの、現状では降りることなどできるはずもなかった。

 酔い止めの薬も“現代”のもののように高い効果や即効性があるわけではない。ジルバの見立てでは薬が効くよりも先に、胃に物を入れたことで吐き気が増すだけの結果に終わると見ていた。


「もうすぐメルセナ湖に到達します。レテ川の流れから外れれば揺れも収まるはずですから、それまでは我慢してもらうしかないですね」

「エリザもミーアも、きつかったら吐いてこい。船のへりから……だと落ちるか。便所の桶が無事ならいいんだけどな」


 船の内部には便所があるが、当然ながら水洗などではない。小さな個室に桶が置かれており、用を足したら川へ捨てるのだ。

 ただし、激しく揺れている船の中では嘔吐することすら難しいかもしれないが。


「そ、それはちょっと……」

「う、うん……」


 顔色を悪くしているエリザとミーアだが、年頃の少女としては避けたい事態なのか首を横に振る。

 恥や外聞を気にしている場合かと言いたくなったレウルスだが、気にするだけの“余裕”があるのだと判断した。


 エリザは床に突き立てた杖を両手で掴んで必死に体勢を維持し、ミーアは壁に手をついて体を支えている。ミーアは背中に鎚を背負っているものの、この状況では振るうこともできないだろう。


「メルセナ湖が近づいてきたぞ!」


 どうしたものかと悩んでいると、見張りをしていたと思わしき船員が声を張り上げた。その声に釣られてレウルスは船の先に視線を向けるが、降りしきる雨で視界が遮られているためよくわからない。

 もしかすると視覚ではなく川の流れの変化などで把握したのだろうか。そんな些細な疑問を覚えたレウルスだったが、船員とは“別の理由”でメルセナ湖が近づいていることに気付く。


 ――レウルスの感覚に、いくつもの魔力が引っかかったのだ。


(この気配は……一匹や二匹じゃねえな)


 距離があり、なおかつ水中に潜んでいるからか感じ取れた魔力は曖昧である。それでも複数の魔物が船の進む先に点在していることを感じ取った。

 ただし、あくまで魔物の魔力を感じ取っただけである。相手は船を狙っているわけではないのか、あるいは船と同じように水の流れに押されているのか、不規則な動きで移動しているようだった。


「サラ、魔物の熱は?」

「うー……無茶言わないでよぅ……陸地ならともかく、水中にいる魔物だと水が邪魔で感じ取れないってば」


 一応サラに確認したレウルスだったが、答えは芳しくない。レウルスよりも広範囲かつ高精度なサラの熱源探知も、この状況では役に立たないようだった。


「よし、レテ川を抜けたぞ! 櫂を入れろ! 流れから抜け出すぞ!」


 船長らしき男性の声が風雨を貫いて響く。その声から僅かに遅れて船が揺れたかと思うと、流れを“斜め”に突っ切るよう船が進路を取り始めた。

 レテ川の下流の川幅から考えると、流れから抜け出すのは中々に手間だろう。それでもこのまま流され続けるとメルセナ湖の奥へと進んでしまうため、櫂を漕いででも抜け出す必要がある。


「船長! 帆はどうしますか!?」

「まだだ! 今の風だと張った瞬間転覆するぞ!」


 よりいっそう慌ただしく甲板を駆け回る船員達の姿に、レウルス達はどうしたものかと視線を交わし合う。当然ながら船の操作などできるわけもなく、大人しくしているのが最良なのだろう。

 それでも、メルセナ湖に突入してから感じ取れる魔力の数が一気に増えた。距離の違いか保有する魔力の違いか、強弱様々な魔力をレウルスは感じ取る。


(……多くないか?)


 船上から水中の魔力を探るなど、これまでの人生でもなかった。そのため確信は持てないが、少なくとも五つの魔力が探知可能な範囲に存在してる。


「ジルバさん、相手も流されているだけかもしれませんけど魔物の気配が……」

「数は?」

「五匹……いや、六匹に増えました」


 ひとまずジルバに警戒を促すレウルスだったが、会話の途中で魔力が一つ増えた。その魔力は他の魔物と比べるとはっきりと感じ取ることができ――。


「まずい……一匹来ます!」


 そう叫び、レウルスは船の左舷へと駆け出す。広くもない甲板だが、足を滑らせないよう注意しながら接近してくる魔物へと視線を向けた。


 魔力の位置は水中ではなく水面で、明らかに船に向かって近づいてきている。

 濁流に流された“獲物”が通りかかるのを待っていたのか、それとも偶然なのか。レウルスは手すりに到着するなり、傍に置かれていた銛を拾い上げる。


「……おいおい、でかすぎじゃないか?」


 相手が姿を見せたら銛を投擲しよう。そう考えたレウルスだったが、水面に浮かぶ真っ黒な影を見てそう呟いく。


 薄暗い視界の中、目を凝らしたレウルスが見たのは船よりも僅かに小さい――魚類にしては明らかに巨大すぎる魔物の姿だった。

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