第156話:レテ川 その2
交渉に出かけたジルバは十分も経たない内に戻ってきた。
河港の様子を見ていたレウルスからすればあっという間と思える短さで、交渉も上手くいったのか歩み寄ってくるジルバは笑みを浮かべている。
「話がまとまりました。出航予定は明日の早朝で、我々なら一人当たり金貨一枚で乗せてくれるそうです」
そう言って笑いかけてくるジルバだが、先ほど聞いた船賃は一人あたり金貨三枚である。短い交渉で三分の一まで減っていることにレウルスは眉を寄せた。
「それは助かりますけど……どんな交渉をしたんです?」
五人で金貨15枚だったのが金貨5枚まで減ったのである。出費が少ないのは喜ばしいが、いくら交渉したといっても“普通”なら三分の一にはならないだろう。
ジルバならば相手に騙されることもないとは思うが、さすがに詳細が気になるレウルスだった。
「船乗りには精霊教徒が多いんですよ。人間も亜人も関係なく、船乗りや水辺で仕事をする者はその多くが水の精霊様を信仰しています。同じ精霊教徒として船賃を値引きしてくれたのです」
「なるほど、それで三分の一に……って、俺達は精霊教徒じゃないんですが」
一瞬納得しかけたレウルスだが、ジルバはともかくレウルス達は精霊教徒ではない。サラは精霊教徒どころか精霊教が信仰する精霊そのものなのだが、いくら船賃を値引くためといってもジルバが口外することはないだろう。
すなわち、“他の何か”が条件として挙げられたと思うのだが――。
「あの船の船長は知り合いでしてね。私の紹介であることと、レウルスさんが精霊教の客人であること……そして全員が魔法を使えることを話しました」
「……何をしろと?」
ジルバの前振りを聞き、レウルスは頬を引きつらせた。エリザ達は首を傾げているが、レウルスからすれば値引きした分は働けと言われているようにしか聞こえない。
「大したことではありません。魔物が出た場合に加勢するだけですよ。ただ、それ以外にもエリザさんには“作業”を頼むかもしれません」
「ワシにか?」
話の矛先を向けられたエリザは困惑したように眉を寄せる。
「はい、エリザさんには魔物が寄ってきた場合に雷魔法を使っていただければ、と。それでも相手が逃げない場合は我々の出番ですね」
「む……船の上でか?」
今でこそ自爆することなく雷魔法を使えるようになったエリザだが、それはドワーフ製の杖を補助に使い、なおかつ自分に向かう電撃を杖越しに“逃がす”という前提があればこそだ。
普段ならば地面に杖を突き刺し、電撃を地面に流すことで自爆を防いでいる。だが、船の上ではそれも不可能だろう。
「威力を絞ればなんとかなりそうじゃが、全力を出すのは……」
そう言いつつ、エリザはレウルスを横目で見た。しかしすぐに視線をジルバへと戻す。
「うむ、わかったのじゃ。必要なら全力で撃つ……それでいいんじゃろ?」
決意を込めた声色でエリザが尋ねる――が、ジルバは首を横に振った。
「いえ、そこまでは求めません。牽制になれば十分です。それで逃げない魔物なら我々の出番ですから」
ジルバとしてもエリザに無理をさせるつもりはないようだ。ただし、そうなると今度はレウルスが疑問を覚えてしまう。
「我々の出番と言われても……もしかして魔物が船に上がってくるんですか?」
水棲の魔物は見たことがないが、もしかすると半魚人でもいるのだろうか。いきなり水中から飛び出して船の甲板に飛び乗ってくるような魔物がいるのか。
巨大な魚に人間の手足が生えた姿を想像したレウルスだったが、ジルバはそんなレウルスの思考を見抜いたのか苦笑を浮かべる。
「あの船に飛び乗ってくるような魔物はいないと思います。我々は船の上から銛を投げるんですよ」
「……銛?」
「ええ。投擲用の銛が積んであるんです。さすがに船の真下に潜られると狙えませんが、船に被害を出そうと思えば相手も水面近くまで上がってくる必要があります。そこを狙って銛で仕留めるのが我々の仕事です」
そう言われてレウルスは自分達が乗ることになる船をもう一度見る。
船体の下半分は金属で補強されており、いくら魔物といえど水中で破壊するのは困難だろう。ジルバの言う通り船の真下は死角だが、それ以外の場所ならば投擲用の武器で狙えそうである。
「レウルスさんなら魔物の位置もわかりますし、適任かと思いました。銛には縄がついているので投げる練習もできますし、仕留めた魔物は引き上げてその場で捌いてくれるそうですよ。可能なら魚を仕留めても良いそうです」
「――やります」
水棲の魔物だけでなく、魚を食べることができるかもしれない。
そう考えたレウルスはすぐさま頷くのだった。
そして翌日。
レウルス達は予定通り早朝からレテ川の河港へと足を運んでいた。
昨晩は少しでも出費を抑えるべく、ジルバの紹介で精霊教の教会を利用している。見知らぬ土地で宿を借りるよりも、ジルバに同行して教会で寝泊りする方が安全かつ安価だったからだ。
レテ川の傍にあるということで水の『宝玉』が売られているか、あるいは水を生み出せる魔法具が売られているかを確認したものの、こちらは空振りである。
それならばと氷魔法か水魔法を使える人材を、と思ったがこの地に根を張る精霊教徒でも聞いたことがないようだった。
(そう簡単に見つかるわけもないか……)
レウルスの周囲には魔法を使える者が多いため忘れそうになるが、魔法使いの数は非常に少ない。その上、属性魔法を使える者となるとさらに数が減ってしまうのだ。
レウルス達の目的に合致する水魔法の使い手――それもラヴァル廃棄街で利用できるだけの水量を発生させられる手練れとなると、希少も良いところだろう。
(水の『宝玉』を探す方が現実的かね)
水の『宝玉』さえ手に入れば、あとはカルヴァン達ドワーフに任せれば良いだろう。水を生み出すという機能に限定すれば、ある程度質が悪い『宝玉』でもどうにかしてくれそうだ。
「それでは行きましょうか」
普段通りにこやかに微笑みつつ、ジルバが先導する。レウルス達はジルバに続いて河港に留まっている船へと近づき――そのまま船を見上げてしまった。
「……近くで見るとけっこうデカいな」
そんなレウルスの呟きには、感嘆の色が混ざっている。
これから行うのは“川下り”だ。水深が深い海を渡るわけではない。それだというのに、眼前の船は見上げてしまうほどに大きかった。
船体は幅が八メートル程度、長さは三十メートルを超えているだろう。水に浮かんでいるため正確な船の高さはわからないが、金属を用いた補強と相まって頑強そうな印象を受ける。
「レウルス……わたしってばとんでもないことに気付いてしまったわ」
今世において初めて見た船にレウルスが感動していると、同じように船を見上げていたサラが声を震わせながら呟く。
一体何事かと思いながらレウルスが視線を下げると、サラも視線を移してレウルスを見つめた。
「わたし……泳げない。落ちたら死んじゃう」
火の精霊だからというよりも、単純に泳げないことで溺死することを心配しているようだ。
「うっ……ワシも足がつく川なら泳げないこともないが、足がつかない深さだと泳げる自信がないんじゃが……」
「ボクも泳ぎはちょっと……」
不安そうなサラの雰囲気が伝播したのか、エリザとミーアも不安そうな声を漏らした。
(『強化』を使いながら犬掻きするだけでも沈まないと思うけど……“泳ぎ方”自体を知らないとどうにもならないか?)
前世では学校で水泳を習うこともあり、レウルスもある程度泳ぎ方を知っている。
以前、生まれ故郷であるシェナ村から鉱山向けの奴隷として売り払われ、運ばれている途中でキマイラと呼ばれる魔物に襲われたことがあった。
その時にキマイラの追跡を撒こうと川に飛び込んだが、足がつく深さといっても一時間近く水中を移動することができた。その点から考えるとやはり泳ぎ方を知っているかというのは大きいだろう。
(今の身体能力ならトビウオみたいに水面を跳ねることも可能かもしれないしな……)
さすがに無理だとは思うが、装備を全部外して身軽になっていればできそうな気もする。『熱量解放』を使えばその可能性もさらに高まりそうだ。
もちろん、そんなことを試すために水に飛び込んだりはしないが。
「なんで川に落ちることが前提なんだよ……不安なら、なるべく船内に引っ込んでれば安全だと思うぞ」
不安を払拭させるために、敢えて呆れたようにレウルスは言い放つ。
川下りといっても、これほど大きな船なら航行も安定するだろう。仮に落ちたとしてもレウルスが助ければ良い。
「しかし……ワシは魔物が寄ってきたら雷魔法を使うんじゃろ? ずっと船内にいるわけには……」
ジルバから事前に“別作業”を言い渡されていたエリザは、その顔に不安の色を増していた。
何故船に乗る前からこんな問答をしているのだろう、とレウルスは頭を抱えそうになったが、前世でも船や飛行機に乗りたくないと言う者がいた気がして踏みとどまる。
「落ちたらすぐに助けてやるから安心しろ。ほら、乗るぞ」
そう言ってエリザ達の背中を叩き、船に乗るよう促す。
何事も初めてというのは緊張するものだ。実際に船に乗り、時間が経てば船から落ちるという不安も解消されるだろう。
(……いや待て、俺が知らないだけで滅茶苦茶揺れる可能性もあるのか)
前世でも川下りなどしたことがないが、状況によっては激しい揺れに襲われそうである。
レテ川に視線を向けてみると流れは緩やかだが、そういった場所を選んで河港を作った可能性もあった。魔物が寄ってくることだけでなく、レテ川の流れの速さなども警戒する必要があるのかもしれない。
「……ジルバさんって泳ぎに自信あります?」
そのため、エリザ達に啖呵を切ったレウルスはこっそりと小声でジルバに尋ねる。乗客が川に落ちたならば船員が助けてくれそうだが、救助の手段は多い方が良いのだ。
「これといって訓練したわけではないですが、着衣したまま泳げる程度には……」
「心強いです」
事も無げに答えるジルバに、かつてない頼もしさを覚えるレウルスだった。




