第154話:緊急依頼 その3
ナタリアから特別な依頼を任されたレウルス達は、準備を整えて早々に旅立つことにした。
移動速度を優先するため旅具は最低限である。
雨が降っても移動できるよう魔物の油脂を塗り込んだ外套に、野営する際に使用する寝具が少々。寒さ対策に服は厚手のものを用意し、下着なども替えを用意する。
魔物を狩って食料にする時間も惜しいと、日持ちする固焼きパンや干し肉、干した野菜と果物、塩分補給のため塩をリュックに放り込む。
サラがいるため火を熾すのは容易で、薪などは行く先々で拾えば良いと最初から荷物に含んでいない。レウルスは以前ナタリアから贈られた火打石を携行しているが、これは最早縁起担ぎに近い。
それぞれが防具を着込み、武器を携えてリュックを背負えば出発の準備は完了だ。
あとは水の『宝玉』が売られていた場合に購入できるようにと金を受け取ったが、『宝玉』は買おうと思えば非常に高い。そのためナタリアが用意したのは大金貨が詰まった布袋で、これが一番重いぐらいだ。
「もしもの時を考えて、袋は三つに分けておくわね。一つは坊やが、一つはジルバさんが、そして最後の一つはエリザのお嬢さんが持っておきなさい」
準備を整えたレウルス達が再び冒険者組合に向かうと、ナタリアが真剣な顔でそう告げてくる。
今回の旅に参加するのは五人だが、レウルスとエリザ、ジルバの三人に持たせたのは信頼の差だろうか。サラに持たせているといつの間にか落としていそうで怖いところではある。
「それと、ミーアのお嬢さんにも冒険者の登録証を用意したわ。何かあれば提示しなさい。お嬢さんはドワーフにしては背が高いし、人間の魔法使いだって言い張ればそこまで問題も起きないはずよ」
「ありがとう、ナタリアさん。えーっと……下級中位冒険者?」
ナタリアから金属板で作られた冒険者の登録証を受け取ったミーアだが、その板面を見て首を傾げる。
「貴女はドワーフ……腕前だけ見れば最初から中級でも良いのでしょうけど、さすがにいきなり中級だと色々と、ね」
「はいはーい! わたしの分はないの? わたしってば冒険者見習いのままなんですけど!?」
ミーアがいきなり下級中位の冒険者に認定されたと聞き、サラが抗議の声を上げた。
「……貴女の場合は精霊教との兼ね合いがあるのよ。何かあってもジルバさんが身分を保証してくれるでしょう」
ナタリアはジルバを一瞥してから理由を告げる。それを聞いたサラは不満そうだったが、ナタリアはエリザに視線を移して冒険者の登録証を渡す。
「エリザのお嬢さんはその杖のおかげで安定して力を発揮できるようになったから、下級上位に昇格させるわ。他の女の子二人の面倒をきちんと見てあげなさい。いいわね?」
「うむ! 任されたのじゃ!」
元気よく返事をするエリザに、ナタリアは優しげに微笑んだ。しかしすぐに笑みを引っ込めると、ナタリアはレウルスへ視線を向けて一歩だけ近づく。
「坊や……いえ、レウルス。貴方は中級下位のままだけど、今回の依頼を達成すれば中級中位へ昇格になるわ……貴方の場合、冒険者としての階級は気にしないでしょうけどね」
「まあな……冒険者としての階級よりも、この町の皆を助ける方が重要だろ?」
ラヴァル廃棄街に来てまだ一年も経っていないのだ。冒険者の階級は一年で一つ上がれば早いらしいが、レウルスとしてはラヴァル廃棄街を守ることの方が重要である。
そのため笑って言い放つと、ナタリアも相好を崩して柔らかく微笑んだ。
「ふふっ、そうね。旅の無事を祈るわ……依頼の達成も期待したいけど、まずは無事に帰ってくることを優先しなさい。貴方はこの町にとって必要な人間よ」
「そう言ってもらえるなら嬉しいね。できれば姐さんにとっても必要であるとなおさら嬉しいんだけど?」
旅立つ前の挨拶として、軽い冗談を飛ばすレウルス。するとナタリアは小さく目を見開き、次いで、口元に手を当てて艶やかに笑った。
最近はよく笑ってくれるな、とレウルスが思っていると、ナタリアはレウルスとの距離を詰めて耳元に顔を寄せる。
「帰ってきたらまた料理を作ってあげるわ。気を付けてね、レウルス」
「そこで料理で釣るあたり、俺の性格がわかってんなぁ……俄然やる気が出てきた。行ってくるよ」
名残惜しいが、既に時刻は昼前だ。
急な依頼ということで挨拶もそこそこに、レウルス達はラヴァル廃棄街を出発するのだった。
レウルス達が真っ先に目指すのは、マダロ廃棄街やヴェオス火山よりもさらに東にあるレテ川である。
休息のためにマダロ廃棄街もしくはドワーフ達が作っている集落に泊まる予定だが、これまでの旅の中でも最も長距離の移動になるだろう。
「“普通”なら魔物や野盗を警戒しながら進むのですが、今回に限ってはエリザさんやサラ様の力があります。マダロ廃棄街に向かった時よりも警戒を緩めても問題はないでしょう」
「どれぐらいの日数でレテ川に到着するんですか?」
道案内を兼ねてジルバが先頭を駆けつつ説明を行い、それにレウルスが疑問を呈する。
ジルバはマタロイ各地だけでなく、周辺諸国にも足を踏み入れたことがあるのだ。その時も自分の足で移動していたらしく、その脳裏には大まかながらもマタロイ全土の地図が描かれていそうである。
「昔は警戒しながら進んだので、レテ川まで二週間ほどかかりました。今回の場合はおそらく一週間もかからないと思いますね……何もなければですが」
「不安になるんでやめてくださいよ……それで、レテ川まで行けば船があるんですよね?」
「ええ。カダーレという町がありまして、そこから船が出ています。街道を通れば迷わず行けますが、時間を節約するためにも兵士の巡回を避けるつもりです。絶対にはぐれないでくださいね」
そう言って肩越しにジルバが視線を向ける。その視線の先にいたのはエリザとミーアだ。
今回の旅は速度優先ということで、小走りとは言えない速度で走り続けている全員が身体能力を向上させる魔法――『強化』を使えるからこそできる強行軍だ。
レウルスの場合は自力で『強化』しているわけではないが、『契約』を結んだエリザとサラのおかげで常に『強化』並に身体能力が向上している。
ジルバは当然のことながら、レウルスも話をしながら走れるぐらいには余裕があった。疲労という概念があるのかすら不明なサラも鼻歌混じりについてきている。
しかし、エリザとミーアは喋る余裕もない。走ってついていくだけならばなんとかなるが、喋ればその分体力を消耗してしまう。少しでも体力を温存しようと無言で走り続けていた。
(ついてこれる分、エリザも体力がついたな……)
ドワーフであるミーアは集落からほとんど動くことがなく、力はともかく持久力は高くないらしい。
それでも中級の魔物に分類されるミーアとほぼ同等の速度で走れる辺り、エリザも体力が増えているのだろう。
(そういえば生まれ故郷を追い出されてからは山の中で育ったんだっけ……『強化』にも慣れたみたいだし、走るだけなら問題はないか)
内心でそんなことを考えるレウルスだが、走るペースを決めているのはジルバだ。おそらくはエリザとミーアがついてこれるギリギリの速度を保っているのだろう。
荷物の大部分をジルバとレウルスが背負っているが、ジルバはレウルスと比べても余裕があるように見える。いくら『強化』があるとはいえ、壮年の域にあるジルバの方がレウルスよりも体力がありそうなほどだ。
そうやって走り続けていると、道の先を見据えながらジルバが口を開く。
「レウルスさん、水の『宝玉』についてヴァーニル殿の助力は得られませんか? もしかすると持っている可能性もありますが……」
「俺も考えましたけど、火龍が水の『宝玉』を持ってるものなんですかね? いえ、聞くだけならタダですけども」
レウルスは以前、ヴァーニルと一対一で戦ったことがある。その時に妙に気に入られてしまったのだが、火の精霊であるサラを託す対価として様々な希少品を受け取った。
その中には火の『宝玉』と雷の『宝玉』も含まれており、もしかすると水の『宝玉』も持っているかもしれない。しかし、“火の力”が強いであろうヴェオス火山周辺で水の『宝玉』が見つかると考えるのは無理があるだろう。
それでも、聞くだけならば手間もかからない。ヴァーニルが持っていれば僥倖だと思いつつ、レウルス一行は街道をひた走るのだった。
『水の『宝玉』? 我が持っているわけなかろう』
「だよな」
三日とかけずにヴェオス火山の麓までたどり着いたレウルス達だったが、到着するなり飛んできたヴァーニルに尋ねた結果は残念なものだった。
呆れたように答えるヴァーニルはヴェオス火山一帯を支配する火龍で、その体長は優に三十メートルを超えている。やや好戦的な性格ではあるが、人語を解するだけの知性も持ち合わせた上級の魔物である。
レウルス達――とりわけレウルスとヴァーニルの関係は複雑だ。
火の精霊であるサラには身内のような接し方をしているが、レウルスが相手となるとまた反応が異なる。
レウルスにとっては、恩人であるドミニクから譲られた大剣が砕けた一因でもある。だが、ドミニクの大剣が砕けたのはレウルス自身の未熟さも関係しているため、ヴァーニルを恨んでいるわけでもない。
その関係を一言で表すならば喧嘩友達だろうか。レウルスは喧嘩を売られた側で、顔を合わせる度に戦いを挑まれるような間柄だが。
当然ながら、今回はヴァーニルと戦っている余裕はない。ドワーフの集落で一晩宿を借りて少しでも疲れを癒したならば、すぐに出発するのだ。
「っ! レウルスレウルス、わたしってばものすっごい名案を思い付いたわ!」
縄張りに踏み込む前に飛んできたヴァーニルと話をしていると、サラが表情を輝かせながら声を上げる。
普段ならばサラが何か言い出す度にツッコミを入れるエリザはこの場にいない。
エリザとミーアはドワーフ達にとって初対面であるジルバを連れ、一足先に新しいドワーフの集落へと向かっている。これはエリザとミーアの疲労を考慮したもので、集落に到着すればすぐに休息するよう言い含めてあった。
「……一応聞いておこうか。その名案ってのは?」
「ヴァーニルに乗せて飛んでもらうのよ! そうすればわざわざ船に乗る必要なんてないわ! 北の……えーっと、なんとかって湖にもすぐに到着できるわ! これって名案でしょ?」
サラが提案したのは、ヴァーニルに騎乗してメルセナ湖まで飛んでもらうという有用“そうな”案だった。地上を走っていくよりも、空を飛んだ方が短期間で目的地に到着するというのは当然といえば当然だろう。
「サラはああ言ってるけど?」
『それは無理だ、火の精霊よ』
「ええー!? なんでよー!」
ヴァーニルの返答を聞いたサラは頬を膨らませ、ヴァーニルの後ろ脚を丸めた拳で叩き始める。
傍目から見れば可愛らしいのだろうが、叩いている相手が巨体の火龍とあってはただの自殺行為にしか見えない。ただし、叩かれているヴァーニルは気にした様子もなかった。
『今回は人の営みに関わることなのだろう? 我が関わるわけにはいかぬ』
「ん? そうは言っても、初めて会った時はお前さんの“庭”で暴れてた魔物がマダロ廃棄街まで押し寄せてきたよな。あれはいいのか?」
『あれは言わば自然現象だ。我は関わっておらん。人間が敵として向かってくるならば排除するが、率先して助けるわけにもいかないのだ』
どうやら何かしらの線引きがあるらしい。サラは頬を膨らませたままでヴァーニルの後ろ脚を連打しているが、レウルスとしても水の『宝玉』を持っていたら僥倖程度にしか考えていなかった。
「……俺、ヴァーニルから色々と素材をもらったけど?」
『“個人”が相手ならばそこまで気にすることでもない。そうさな……さすがに肩入れしすぎて国を亡ぼすような真似をすれば問題だが、気に入った者を多少贔屓するだけならば許容範囲だ』
亡国と個人への贔屓ではあまりにも差があり過ぎて基準がわからない。それでも藪を突いて蛇どころか龍が出てきそうに思えたため、レウルスは軽く話題を流して手を挙げた。
「それなら仕方ない……急に押しかけてすまなかったな」
水の『宝玉』を所有しておらず、助力を得られないとわかっただけでも収穫だ。レウルスはサラを連れてドワーフ達の集落へと向かおうとする。
元々大した期待もなく、旅の途中に休息がてら寄っただけだ。進路の傍にヴェオス火山がなければそのまま通り過ぎていたかもしれない。
ドワーフの新しい集落がどうなっているかは不明だが、一晩の宿を借りるぐらいなら問題はないはずだ。宿賃は帰り道で化け熊でも狩って行けば良いだろう。
『……少しぐらい戦っていかないのか?』
「今回はさすがになぁ……戦う暇があったら休む時間に充てるよ」
今回は急ぎの旅のため、手土産もない。酒でも持ってくれば良かったかと思うレウルスだったが、ヴァーニルに水の『宝玉』について尋ねることを思いついたのはラヴァル廃棄街を出発した後である。
『我も永い時を生きているが、雑談のためだけにこの火山に近づいた人間は貴様が初めてだな……』
呆れたように呟くヴァーニルだったが、その声色が少しだけ寂しそうに聞こえたのはきっとレウルスの錯覚だろう。
レウルスはサラを連れ、ドワーフの新しい集落を目指して再び駆け出すのだった。