第152話:緊急依頼 その1
たった一日ラヴァル廃棄街を離れた間に何が起こったのか。
井戸の水が減っていると聞いたレウルスは嫌な予感を覚えつつ、冒険者組合へと急いで向かう。
狩ってきた魔物を持って行く必要があるためどの道向かうつもりだったが、何か良からぬことが起きていると直感したのだ。
「この時期は雨も少ないから、元々水が少なくなる傾向にあったのよ……でも、それにしても今年は異常だわ。いつもならもっと緩やかに減るのに、ここ最近は目に見えて水の量が減っているの」
そして、冒険者組合に到着するなり受付の女性――ナタリアに尋ねるとそう返された。
ナタリアは艶のある紫色の髪と理知的な瞳が印象的な女性だが、食料収集に出かける前と比べてその表情は曇っている。常日頃から持ち歩いている煙管を弄ぶこともせず、口元に手を当てて眉を寄せていた。
ナタリアはレウルスからすれば非常に魅力的な女性で、普段ならばそのような仕草も色っぽいと思うところだが、今回は軽口を叩く余裕もない。
「そういえば、たしかに最近雨が降ってないな……」
ナタリアの話を聞き、レウルスはここ最近のことを思い返す。
冬場ということで朝晩は寒い毎日が続いていたが、晴天ばかりで日中はそれなりに温かかった。時折雲が空を覆うことがあったものの、降雨には至らなかったのである。
冒険者として活動する分には、雨よりも晴れの方が良い。しかしそれにも限度があるだろう。
水がなければ人は生きていけないのだ。レウルスとしては飢えの方が辛く感じるが、水がなければ渇いて死ぬしかない。
それも、飢えて死ぬよりも短期間――それこそ数日で命を落としてしまう。
「もちろん、すぐに水がなくなるわけではないでしょうね。ある程度なら水も蓄えてあるし、井戸もすぐさま枯れるわけではない……ただ、明日からは坊や達に頼む依頼を変える必要があるわね」
「俺達にできることなら何でも言ってくれよ。水がなくなったら死活問題だからな」
この時期に水が減るのは毎年のことらしく、備えもしてあったらしい。だが、備えていたといっても限度があるだろう。
「そう言ってくれると助かるわ……依頼といっても坊や達にとっては難しいことじゃないの。町の東に川があるのは知ってるわね?」
「ああ。行ったことがあるし、道も覚えてるよ」
ナタリアが口に出した川というのは、ラヴァル廃棄街から東に一時間ほど歩いた場所に存在する。
以前、水浴びがしたいと言い出したエリザを連れ、先輩冒険者であるシャロンの引率の下で訪れた場所だ。それほど大きい川ではないが、川幅が十メートル近くあり水量もそれなりに豊富だった。
「調査かい? それとも、町の住民を連れて行って水を汲ませるための護衛をすればいいのか?」
「両方よ。荷車にありったけの桶や壺を積んで、水を汲んできてもらうわ。坊や達はその護衛……魔物の肉を集めるという意味ではエリザのお嬢さんを置いていってもいいけど、住民の安全を優先してちょうだいな」
「わかった。まずは安全優先だな」
吸血種と呼ばれる種族のエリザは、下級に分類される魔物ならば近寄ってこない。中級の魔物だろうと対面すれば何かしらの危機感を覚えるらしく、“魔物避け”にはうってつけの人材だった。
「それと、町周辺の水脈の調査に関してはカルヴァン達に動いてもらうわ。少し移動すれば豊富な水脈が流れているかもしれないし、彼らなら井戸も掘れるでしょう」
「井戸? うん、ボク達ドワーフの得意分野だね。任せてよ」
ナタリアがミーアに視線を向けると、ミーアは得意げに胸を叩く。
そんなミーアの父親――カルヴァンはレウルスが町に連れてきたドワーフだ。優れた鍛冶師であり、鍛冶以外にも様々な技術を身に着けており、ついでにいえば中級の魔物の範疇だが腕が立つ。
ラヴァル廃棄街の周辺ならば単独で調査することも容易だろう。ラヴァル廃棄街にはミーアやカルヴァン以外にもドワーフが四人ほど住み着いているため、手分けして調査すれば短期間で水脈の一つや二つは見つかりそうである。
「川の調査は明日でも大丈夫なのか? 確認するだけなら今からでも行ってくるけど……」
既に日が暮れているが、レウルス達ならば夜間の移動もそれほど危険ではない。
レウルスは魔力を感じ取ることができ、サラは火の精霊らしく離れた場所にある熱源を感じ取ることができる。
レウルスの場合は相手の魔力の強さ次第で感じ取れる距離が変わるが、サラの場合は意識さえしていれば数百メートル近い探知範囲を誇るのだ。不意打ちも避けることができるため、夜間の移動でも問題にはならない。
「この時期は水が減るって言ったでしょう? もしかすると数日もすれば元に戻るかもしれないし、いくら坊や達の腕が立つといってもわざわざ今から向かわせるつもりはないわ。今夜はしっかりと休みなさいな」
「わかった。それなら、狩ってきた魔物の換金を頼むよ」
ナタリアの表情は普段と比べて真剣だが、切羽詰まっているとまではいかない。
レウルスがラヴァル廃棄街に住み着いたのは春先のため初めてのことだったが、この時期に水が減るというのは“いつも”のことらしい。
それでも例年と比べて様子が異なるため、念には念を入れて早めに手を打っておこう――その程度の認識のようだ。
レウルスも納得し、魔物を狩ってきた報酬を受け取ると冒険者組合を後にするのだった。
明けて翌日。
昨晩ナタリアから聞いていた通り、レウルス達はラヴァル廃棄街の東にある川へ向かうことにした。
ラヴァル廃棄街の各地に設けられている井戸の水の量は相変わらず減少傾向にあり、各家庭への“給水”も制限されるようだ。
普段ならば『水を買い過ぎないようにしましょう』というような緩い制限しかないが、明確に一人当たり桶で何杯といったように制限が敷かれるらしい。
レウルスの命の恩人――ドミニクが経営する料理店などはその制限から外されるようだが、それでも普段と比べれば自粛する必要があるだろう。
レウルス達は荷車に桶や壺を積んだ町の住民を連れ、ラヴァルから東へと向かって歩いていく。
護衛に就くのはレウルス達四人だけではない。エリザがいるため問題はないと思うが、用心としてレウルス達以外にも十人ほど冒険者が同行している。川は森の中にあるため、水を汲む際の警戒要員が必要だというのも理由の一つだった。
川に水を汲みに行く住民の数は五十人とそれなりに多い。冬場で農閑期ということもあり、余っている人手が回されたのだ。
レウルスが列の先頭に立ち、列の中央に魔物避けとしてエリザを、列の最後方にサラとミーアがついている。他の冒険者達は列の脇を歩き、周囲を警戒しながら進んでいく。
それでも冬場だからか、レウルス達が同行していたからか、川に到着するまでに魔物が姿を見せることはなかった。レウルスには魔物の気配が感じ取れず、サラもこれといって熱源が引っかかることはなかったようである。
そうして東の川に辿り着いたのだが――。
「かなり水が減ってるな……」
到着した川の様子を確認するなり、レウルスが呟いた。
魔物がいないか索敵してから川に近づいたのだが、以前訪れた時と比べて水が流れる音が小さい。それに気づいてまさかと思って覗き込んでみれば、明らかに川の水が減っていたのである。
以前訪れた時は十メートル近くあった川幅はその半分近くまで減っており、それに伴って水深も浅くなっている。
雨が降らない日が続いたことで水の量が減ったのだろう。当分水が枯れることはないだろうが、雨が降らない日が続けばいつかは干上がりそうである。
(……とりあえず水を汲んで帰って、姐さんに報告だな)
ラヴァル廃棄街から一番近いのが目の前の川というわけで、探せば他にも川はあるはずだ。ナタリアに聞けばすぐにわかるだろう。
しばらくはその辺りの調査が必要かもしれない、などと思いながら、レウルスは水汲みを行う住民を守るために周囲に意識を向けた。
三日後。
レウルスはエリザ達を連れて朝から冒険者組合へと向かっていた。
二日前に少しだけ雨が降ったものの、川の水が少し増えただけで井戸の水に大きな変化はなかった。相変わらず微減傾向にある。
地面に染み込んだ雨水が地下水脈まで到達するのに時間がかかっているだけかもしれないが、この三日間でも井戸の水は緩やかに減り続けていた。
東の川だけでなく、歩いて行ける範囲にある周囲の川には全て足を運んでいる。しかしながらどの場所でも水が減っており、今年の冬は水が少ないぞと町の住民も不安そうに噂し合っていた。
「たしかに水が減っちゃいるが、最近の天気から考えると十分あり得る範疇だな。レウルスが反応しないってことは、いつぞやみたいに地中で魔物が暴れてるってわけでもねえだろうし……」
ラヴァル廃棄街周辺の地下水脈を探っていたカルヴァンは難しい顔をしていたが、あくまで自然現象だろうと結論付けている。
カルヴァンはドワーフで、地中に穴を掘って家を作る習性がある。そのため地下水脈の探り方や異常の発見にも長けており、その発言にも一定以上の説得力があった。
そのカルヴァンの報告を受けた冒険者組合がどんな決断を下すか。それを聞くためにもレウルス達は朝早くから冒険者組合に向かっているのだ。
(雨乞いでもするんだろうか……いや、魔法がある世界だし、雨を降らせる魔法もあるのかもしれないけど……)
天候が操れれば農家は大喜びするだろう。少なくともこの現状ならばレウルスも大喜びだ。
レウルスはそんなことを考えながら冒険者組合の扉を開けるが、中に一歩足を踏み入れるなり重苦しい空気が漂っているのを感じ取る。
組合の中には既に複数の冒険者が集まっており、それぞれが今にもため息を吐かんばかりに渋面を作っていた。
「……姐さん? これは一体……」
受付に歩み寄り、何となく小声で尋ねるレウルス。その問いかけを受けたナタリアは、珍しく疲れたようなため息を吐いていた。
「おはよう、坊や。坊や達にも……いや、依頼をお願いするから必要ないわね」
「そこで切られると気になるんじゃが……一体何の話じゃ?」
さすがにエリザも聞き逃せなかったのか、ナタリアの言葉に食いつく。ナタリアはエリザを少しだけ見ると、その視線をレウルス達の首元にかけられた金属板――冒険者の登録証に向けた。
「坊や、冒険者になるにあたっていくつかの“特権”があったわよね? ちゃんと覚えているかしら?」
「え? あ、ああ……井戸水が無料に使えるのと、納める税の減免だろ?」
「そう……でもね、さすがにこの状況で冒険者だからと水を無料で渡すと、色々と……ね?」
「あー……」
ナタリアの話を聞いたレウルスは納得したように声を漏らす。“必要以上”に水を使う場合は金を払う必要があるが、使い過ぎさえしなければ冒険者は基本的に井戸水は無料で使える。
これは命懸けで町を守っている対価のようなものだろうが、さすがにこの状況では水を無料で、とはいかないだろう。
それが他の冒険者にとって不満だったのかとレウルスは納得するが、ナタリアは苦笑しながら首を横に振る。
「ああ、不満は“そっち”じゃないわ。他の子達はね、今回の水不足を解決するにあたってやることが少ないから凹んでるの」
「……ん?」
思わぬ方向に話が飛び、レウルスは小さく首を傾げてしまった。
「この状況だもの。水税を取っても文句を言う子はいないわ。ただ、できることが限られているから凹んでるのよ……そう、坊や達以外の子はね」
「その口ぶりだと、俺達には別口の仕事がありそうだな……聞かせてくれよ姐さん」
今度は何をすればいいのだろうか。何をすればラヴァル廃棄街の水不足を解消できるのか。
地下で魔物が水脈を塞いでいるから斬ってこい――そんなシンプルな依頼があったら、喜び勇んで叩き斬りに行くのだが。
「“以前”はマダロ廃棄街からだったけど、今回はこのラヴァル廃棄街の冒険者組合として特別な依頼を出すわ。坊や達に是非受けてもらいたい依頼があるの」
「どこかに行ってこいって話か?」
まずは場所を聞こう。そう思って話を促すと、ナタリアは簡潔に行先を告げた。
「マタロイの最北端――メルセナ湖よ」