第151話:異変
――“時”はもう残されていない。
残った力は僅かで、稼げる時間もほんの僅か。
人ならざる身における時間の流れは曖昧なれど、日が昇って沈むのを三十回も繰り返せば限界が訪れる。
限界が訪れれば、それで終わりだ。
何もかも、一切合切が無に帰す可能性もある。
場所が悪かった。
運がなかった。
破局を防ぎ得る手段を持たなかった。
できたことといえば、少しでも破局を先延ばしにすることだけ。
それでも、その場所を離れるわけにはいかない。
――“わたし”は、それしか知らないのだから。
「そっちに行ったぞ! 間違っても森を焼くなよ!」
鬱蒼とした木々が生い茂る森の中、一人の青年の声が響く。
身長は170センチに届くかどうか。邪魔にならない程度に伸びた赤茶色の髪の毛は乱雑に切られており、森の中を疾走しながら前を見据える瞳からは獲物を追い立てる猛獣のような荒々しさが感じ取れる。
一見すると革鎧で全身を固めているように見えたが、“革鎧の下”には軽くとも頑丈な鉄の鎧が潜んでいる。背中には柄も含めれば身の丈を超える大剣を背負い、足場の悪い森の中を疾走する姿は人の姿をした獣のようだった。
「はいはーい! ちゃんと止めるってばー!」
青年――レウルスの声に、少女のものと思わしき声が返ってくる。
レウルスが走る先で、炎の煌めきが迸った。間欠泉のように地面から炎が吹き上がり、レウルスが追いかけていた四本腕の熊らしき魔物が慌てたように足を止める。
炎を生み出した少女は堂々と仁王立ちをしており、足を止めた化け熊を見て楽しそうに笑い声を上げた。
「あっはっは! わたしとレウルスから逃げられると思ってんの? アンタは町の皆の食料になる運命なのよ!」
笑い声を上げる少女は小柄で、その身長は140センチに届くかどうかといったところだろう。腰に届きそうなほど長い真紅の髪をたなびかせ、髪の毛と同様に真紅の瞳を化け熊に向けていた。
「よし! よくやった!」
少女――サラが発現した炎を見るなり、レウルスは背負っていた大剣を握り締める。そして炎の前で急ブレーキをかけていた化け熊目掛けて全速力で突っ込み、歓喜の笑みを浮かべながら踊りかかった。
「シャアアアアアアアァァッッ!」
化け熊は慌てた様子で振り返るが、最早遅い。むしろ振り返ったことが仇となる。
レウルスは両手で握った大剣を肩に担ぎながら跳躍すると、化け熊が迎撃の体勢を取るのに構わず全力で大剣を袈裟懸けに振り下ろす。
レウルスの腕力と、大剣の自重。切れ味はそれほどでもないが、ドワーフ製の大剣『龍斬』の“鞘”はしっかりと化け熊の太い首を捉えた。
――生木を圧し折るような鈍い音が、周囲に響く。
斜めからレウルスの斬撃を受けた化け熊の首が不自然に曲がる。三メートル近い化け熊の体が大きく痙攣し、咄嗟に迎撃しようと持ち上げかけていた四本の腕がダラリと下がる。
「ふんっ!」
化け熊の首を鞘で殴り折ったレウルスは、着地するなり再度の斬撃を繰り出す。左から圧し折った化け熊の首を、今度は右から殴りつける軌道で大剣を叩きつける。
化け熊の体は非常に強靭だ。下位とはいえ中級に分類される肉体は全身が筋肉のようなもので、首周りの筋肉も非常に発達している。
だが、食料を目の前にしたレウルスの執念はそんなものでは止められない。二度の斬撃でしっかりと化け熊を“撲殺”すると、しっかりと残心を取ってから構えを解く。
「よし……こいつは大物だぞ。サラ、エリザ達を呼んでくれ」
「はーい。ちょっと待ってね」
レウルスが指示をすると、すぐさまサラが『思念通話』と呼ばれる魔法で遠くのエリザに声をかけ始める。
サラは火の精霊と呼ばれる存在で、レウルスとの間に『契約』というつながりがある。そんなレウルスが『契約』を結んでいるのはサラだけではなく、吸血種の少女――エリザもまた同様だった。
レウルスが『契約』を結んでいるからか、多少の距離ならばサラの『思念通話』はエリザに届くのだ。
『エリザエリザ、こっちは終わったわよ』
『うむ……すぐに行くからその場を動くでないぞ?』
簡単なやり取りを終え、数分もするとエリザが姿を見せる。
外見はサラにそっくりだが、見慣れたレウルスからすれば別人だとわかるほどに違いがある。似てはいるものの、精々姉妹程度にしか似ていない。
サラと違って髪の色は桃色がかった金髪である。顔のパーツなどはサラとそっくりだが、無邪気で朗らかなサラと違ってエリザは少しだけ大人びた顔付きをしていた。
エリザは吸血種と呼ばれる種族で、“色々と”経験したためその辺りの苦労が顔に出ているのだろう。
「うわー……今回は大物だね。ボク、こんなに大きなオルゾーは初めてみたかも」
そんなエリザから僅かに遅れ、エリザやサラよりも小柄な少女が感心したように呟きながら近づいてくる。
こげ茶色の髪をショートカットに切り揃え、くりくりとした瞳が印象的な少女である。ただし、その小柄さと外見が嘘に思えるほど巨大な荷車を引いている。
大の大人でも引くのが困難に思えるような、木製の荷車。それを一人で牽引し、地に伏した化け熊の姿に驚きの視線を注いでいる。
小柄な少女――ミーアは荷車から離れると、手慣れた様子で化け熊の解体を開始した。その手並みによどみはなく、血抜きをしながら服でも脱がすように化け熊の毛皮を剥ぎ取っていく。
ミーアはドワーフと呼ばれる亜人で、手先の器用さと力の強さで知られている。荷車を引くのも魔物を解体するのもお手の物だった。
「なんか最近、魔物が俺を見て逃げるんだよな……いや、エリザほどじゃないんだけどさ」
「それってこの前ヴァーニルを斬ったからじゃない? アイツの匂いが剣に染み付いてるとか……」
そんなミーアの作業を邪魔しないよう、それでいて他の魔物が乱入してこないように周囲を警戒しながら、レウルスとサラが言葉を交わす。
ヴァーニルとはヴェオス火山と呼ばれる場所に住む火龍で、先日三対一で喧嘩をした相手だ。喧嘩ならば一対一でやるべきだろうが、彼我の力量差があり過ぎるためレウルス、エリザ、サラの三人で挑んだのだ。
それでも、結果は敗北である。辛うじて一太刀浴びせたものの、本気になってもいないヴァーニルに負けてしまったのだ。
喧嘩ではなく殺し合いだったならば結果は違ったかもしれないが、レウルスとしてはそこまでヴァーニルを憎んでいるわけでもない。
恩人からもらった武器が壊れる一因のため不仲ではあったが、新しい武器を作るための素材を分けてもらったため態度に困るのだ。
新たな武器である『龍斬』はレウルスにとって最高の相棒のため、ヴァーニルに対して抱いていた確執も消え失せている。それでも喧嘩をしようと言われれば応じる辺り、レウルスとしてもヴァーニルとの間柄に関しては表現に困る。
「……よし! あとは運ぶだけだね!」
レウルスが周囲の警戒をしていると、ミーアが明るい声を出した。それを聞いたエリザはミーアに水が入った皮袋を渡しつつ、荷車に手をかける。
「それなら、次はワシが引いてみるかのう……『強化』の訓練になるじゃろ」
「血の臭いに釣られた魔物が寄ってくるかもしれないし、ゆっくりでいいからな?」
「で、近寄ってきたらわたしとレウルスが仕留めに行く、と……完璧ね!」
荷車には既に魔物の死体が積まれているが、その数は二匹と多くない。それも角が発達した兎の魔物だけで、“量”としてみれば心許ないのだ。
「冬だからか、魔物も冬眠してるのかねぇ……いや、この熊が獲れたのはデカいけどさ」
白い息を吐きながら、レウルスは周囲の森を見回す。
季節は本格的に冬へと入っており、日の出は遅く、日の入りは早くなっている。
レウルスがかつて生きていた世界――平成の日本と比べれば寒さも緩やかだが、寒いものは寒い。そして、冬が来れば魔物と呼ばれる生き物だろうと冬眠しているのか、自分から探し回らなければ中々見つからなかった。
レウルス達が魔物狩りに勤しんでいる理由は単純だ。冬を越すための食料を少しでも見つけるという、生物として避けられない理由からである。
レウルス達が住む町――ラヴァル廃棄街と呼ばれる場所では、越冬を見越して食料を溜め込んでいた。しかし、ミーアを始めとしたドワーフ達への援助により、少しばかり食料に不安があったのである。
そのため、ドワーフ達を連れてきたレウルス達が率先して魔物狩りに勤しんでいるのだ。
しかしながら、レウルス達の“活躍”によってラヴァル廃棄街の周辺では中々魔物が見つからない。それ故に足を伸ばし、片道一日ほどかけて森の中へと分け入って魔物を探しているのだ。
それでも見つけられた魔物の数は少なく、化け熊が見つかるまでは暗澹たる気持ちになっていた。“ボウズ”ではないが、ラヴァル廃棄街の食料事情を少しでも改善させるためには到底足りない量なのだ。
このまま魔物を探し続けるか、あるいはラヴァル廃棄街に引き返すか。そうやって悩んでいるところに三メートル近い化け熊の登場である。
レウルスはエリザとミーアに荷車を任せ、嬉々として化け熊に襲い掛かった。だが、普段ならば人間を見ると襲い掛かってくる魔物が即座に逃げ出したのである。それ故の追跡劇であり、それも今しがた終わりを迎えたのだった。
「でも、この大きさでも町の皆で分けたら一食分ぐらいにしかならないんじゃよな……」
「ギリギリだけど食料も足りる見込みだし、一食浮けば十分だと思いたいな……とりあえず町に戻るか。寒いから肉も腐らないだろうけど、傷む前に戻りたい」
エリザの言葉にレウルスは肩を竦める。
化け熊の体は大きいが、骨や皮を除いた肉の量はどれほどになるか。内臓まで含めればそれなりにありそうだが、千人以上の住民が住むラヴァル廃棄街では精々一食分にしかならないだろう。
あるいは干し肉にでもして“もしも”の時に備えるべきかもしれない。
(町に戻ってる途中で血の臭いに惹かれた魔物が寄ってくることを祈るか……)
冬の寒空を見上げたレウルスは、そう祈ることしかできなかった。
荷車に魔物の死体を積んでいるにも関わらず、レウルス達は行きと同じ時間でラヴァル廃棄街に戻ってきた。
仕留めてきた魔物の肉をどうするかは、冒険者組合で指示を仰ぐしかないだろう。そう考えてラヴァル廃棄街に足を踏み入れたレウルスだったが、町の雰囲気がどこかおかしい。
「……何かおかしいのう」
エリザも町の雰囲気がおかしいことを察したのか、不思議そうに首を傾げる。
余所者が暴れたのかと警戒するレウルスだが、漂う雰囲気は殺伐としたものではない。困惑の色が強く、住民達はどこか不安そうな様子だった。
「何かあったのか?」
近くにいた男性を捕まえてレウルスが問いかけると、その男性は視線を逸らして建ち並ぶ家々に――正確には家の間に作られた井戸へと向ける。
「『魔物喰らい』か……いや……昨日から井戸の水が妙に減ってるんだよ」
その返答に、レウルスは眉を寄せるのだった。
熊「中級の魔物なのに食料扱いかよ……」
どうも、作者の池崎数也です。
毎度ご感想やご指摘をいただきましてありがとうございます。感謝感謝です。
前話で間章も終わり、5章開始です。
5章はこれまでの章と比べて長くなるかもしれませんが、気長にお付き合いいただければと思います。
それでは、こんな拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。