第148話:引っ越し その4
「ねーねーレウルスー、わたしってば一つ気になったことがあるんだけど」
「なんだ?」
あと少しでヴェオス火山の麓にたどり着くというところで、サラがいつものように軽い口調で何やら言い出した。
「もしもの話なんだけど……このままわたし達が帰ったらヴァーニルはどうするつもりなのかな?」
そんな予期せぬ問いかけに、レウルスは思わず足を止める。
「いやお前、あれだけの啖呵を切っておいてそんな……コントじゃないんだから」
「こんと?」
殺し合うつもりはないが、ヴァーニルという強大な相手と戦う前の冗談だったのかもしれない。このまま回れ右してラヴァル廃棄街に帰った場合、戦う気満々だったヴァーニルを置き去りにすることになるわけだが――。
「よくわかんないけど、さすがに飛んで追いかけてきたりはしないでしょ?」
「しないと思うけど……どうだろうな。今回はいいかもしれないけど、次回会おうとしたら友好的に接してくれないと思うんだが……」
そんなことをすれば全力で襲い掛かってきそうだ。レウルスとしてもやるつもりはないが。
「火龍と戦うというのに余裕じゃのう……」
レウルスとサラの会話を聞いていたエリザが頭痛を堪えるように顔をしかめる。前回の戦いでは見ているだけだったが、それでもヴァーニルの強さは嫌というほど理解しているのだ。
だが、今回は戦いに参加する予定である。前回は『詠唱』なしでは雷魔法が使えず、ヴァーニルもレウルスが火の精霊の契約者として相応しいかを試すという目的があったが、今回はそれらの条件がない。
魔法に関してはサラがいるため必要かどうか問われると迷うところだが、サラが使うのは火炎魔法だ。火龍であるヴァーニルに通じるとは思えず、エリザの雷魔法の方が有効だと思われた。
「ボク達ドワーフの住む場所の交渉として戦うんだから、一緒に戦いたいところなんだけど……うん、交渉として戦うっていうのがよくわかんないけどさ」
「気持ちはありがたいけど、それは駄目だ。ミーア達も強いけど、ヴァーニルが相手だと蹴散らされる」
ミーアが申し訳なさそうに言うものの、レウルスは断固として参戦を止める。ヴァーニルもある程度手加減はすると思うが、手加減している状態でも簡単に死ぬからだ。
ドワーフ達はレウルスと同じで身体能力を活かした接近戦が得意――むしろそれしかできないが、ヴァーニル相手に接近戦を挑めるかといえば答えは否だろう。
今回は大人しく観戦するだけだ。レウルスにとっては、真紅の大剣を作ってもらった“お代”がわりである。
『――来たか』
ヴェオス火山周辺の森を抜けると、待ち構えていたと思わしきヴァーニルが声をかけてきた。
ヴェオス火山の麓は相変わらず足を踏み入れるだけで強大なプレッシャーを覚える場所で、ミーア達ドワーフの面々は瞬時に顔色を青くしている。
ヴェオス火山の麓は前回来た時とまったく変わっていない。草木がほとんど生えておらず、地面はところどころで黒い岩肌が覗き、噴石らしき物体が転がっている。
足場の状態はそれほど悪くないが、良いともいえない。噴石や地面の起伏に足を取られないよう注意する必要があるだろう。
そんな殺風景な景色の中、距離を取った場所に威風堂々たる姿でヴァーニルが佇んでいた。
優に三十メートルを超える巨体。全身は頑丈そうな真紅の鱗で覆われ、生半可な武器など容易く弾き返すだろう。既に臨戦態勢に入っているのか魔力を隠す様子もなく、暴風のような圧力が押し寄せてくる。
ただの人間ならば、その場に立つことすらできないだろう。そもそもヴェオス火山の麓に足を踏み入れる前に逃げ出すに違いない。
「おう、来たぞ赤トカゲ」
重圧が圧し掛かる中、レウルスは敢えて雑に言い放つ。これから行うのは殺し合いではない。言わば“喧嘩”だ。
『フフフ……面白いものよな』
「なにがだ?」
『普段ならば、そのような口を利いた人間など瞬時に消し飛ばしている。だが、今ばかりは心地良い』
言葉通り、心地良さげに口の端を吊り上げるヴァーニル。
『貴様は我を恐れているが、その裏では対等で在ろうとしている……いや、違うな。我も他の魔物と同様に、食えるかどうかだけで判断している。人間というよりも、レウルスという一個の生き物よな』
「いきなり人間の枠から外しやがったなこの野郎……というか、さすがに言葉が通じる奴まで“率先して”食おうとしないっての」
『絶対に、とは言わんのだな』
「……そりゃまあ、腹が減ってたら食うかもな」
戦う前の戯れとして言葉を交わすものの、ヴァーニルからの評価にレウルスはげんなりとする。この世界でも希少かつ強力な魔物だろうヴァーニルにそんなことを言われると、普段の行いを顧みるべきだろうかと少しだけ迷ってしまった。
『これでも褒めたのだぞ? 我を狙うグレイゴ教徒にも手練れは多いが、貴様はまた別種よ。久しく忘れていた、楽しいという感情を呼び起こしてくれる』
「ふーん……長く生きてるとその辺の感覚がなくなるのかね」
そう言いつつ、レウルスは背負っていた大剣を握る。
「こっちは俺とエリザ、サラの三人で戦わせてもらう」
『構わん。貴様の見極めは前回で済んだ。今回は……そうさな、余興のようなものだ。精々我を楽しませてみせよ』
「ハッ……楽しんでる最中に首が落ちても知らねえぞ」
楽し気に語り掛けてくるヴァーニルに対し、レウルスもまた楽し気に応える。
今の自分がどこまでやれるか――何よりも真紅の大剣が“どこまで”斬れるか。
それを楽しみに思う気持ちがあった。
「それじゃ……やるか」
『応とも……やろう』
そんな簡単な言葉を皮切りに、戦いの幕が上がった。
「オオオオオオオオオオオオオオォォッ!」
腹の底から咆哮し、レウルスが一直線に駆けていく。既に『熱量解放』も使っており、その速度は放たれた矢のようだ。
ヴァーニルとの間に開いていた距離はおよそ百メートル。『熱量解放』を使ったレウルスなら数秒とかからずに走破できる距離で――ヴァーニルにとっては“数歩”で踏破できる距離でしかない。
正面から突撃するレウルスに対し、ヴァーニルもまた正面から迎え撃つ。レウルスの接近に合わせてヴァーニルも前へと踏み込み、その大木のような巨腕を振り下ろす。
ヴァーニルの巨体が小さな山ならば、振り下ろされた腕は巨大な落石だろうか。問題があるとすれば、直撃すればドワーフ製の防具を着込んだレウルスでも潰されそうな威力があることだろう。
「シイイイイイイイイィィッ!」
鋭い呼気を発し、レウルスは“鞘を付けたままで”大剣を振り上げる。
せっかくヴァーニルと戦うのだ。新たに手に入れた愛剣のことを、鞘まで含めて隅から隅まで知り尽くしたいのである。
真紅の大剣は凄まじい切れ味を発揮するが、鞘を付けた状態でもそれなりに切れ味がある。頑強な相手には鈍器として叩きつけることになるが、その辺りに生えた普通の木なら両断できる程度には切れ味があった。
振り下ろされたヴァーニルの巨腕と、正面から打ち合う。振り上げた鞘がヴァーニルの手首を叩き、強引にその軌道を変える。
大剣を握るレウルスの両手にも衝撃が伝わってくるが、大剣は軋む様子すらない。むしろレウルスの両腕の方が先に参りそうなほどで、持ち主よりも先に折れるということはなさそうだった。
『ほう! 我と打ち合えるとは、切れ味はともかく頑丈な剣だな!』
「最高の剣だからなあっ!」
ヴァーニルの巨腕を打ち払った勢いを利用し、レウルスはその場で旋回する。そして遠心力を乗せて横薙ぎに大剣を振るうが、ヴァーニルは即座に後方へと跳んで間合いから逃れた。
ヴァーニルは地表に降り立つと四足で移動するが、その一歩一歩が非常に大きい。全力で後方に跳べば、それだけで軽く数十メートルは移動する。
「でかいのに速いってのは反則だろうが!?」
『我としては貴様の腕力の方が反則なのだがな……』
呆れたように言いながら、ヴァーニルはレウルスが打ち払った自身の前右脚を見る。ほんの僅か、肉には届いていないが鱗に一筋の切り傷が刻まれているのだ。
血も出ていないため傷とは言えないかもしれない。だが、これほどあっさりと鱗を割られたのは久しぶりだった。
『――良い! 良いぞ!』
嬉し気に声を上げ、距離を取ったヴァーニルは体の周囲に次々と火球を生み出していく。その数は軽く五十を超え、下手すると百に届いているかもしれない。
空を飛んだ状態で撃ってくるならば回避しても良いが、ヴァーニルは地面に足をつけたまま水平に撃つつもりらしい。レウルスの背後にはエリザとサラがいるため、レウルスとしても避けるわけにはいかない。
『これはどうする?』
レウルスの動きを確かめるように、ヴァーニルが火球を放ち始める。狙いは大雑把だが時折エリザとサラ目掛けて放ち、なおかつ時間差をつけることでレウルスの動きを制限しようとする。
「サラ!」
「はいはーい! 前回ならともかく、今回はわたしも最初から本気よー!」
レウルスの声に応え、サラがヴァーニルに対抗するように火球を生み出した。そして自身とエリザを狙った放たれた火球を迎撃し、相殺して空中で打ち消していく。
そうやってサラがヴァーニルと撃ち合っている中、エリザは動かなかった。杖を地面に突き立て、その“照準”をヴァーニルに向けて魔力を練り上げるだけである。
『ふむ……さすがは火の精霊といったところか。下級程度の火炎魔法ではいくら撃っても相殺されるだけだな』
どこか感心したように呟くヴァーニルだったが、その視線が自身の足元へと向けられる。
サラに守ってもらったエリザと異なり、自力で火球を切り払ったレウルスが突っ込んできたのだ。
先ほどまでは咆哮を上げていたというのに、接近する時は声一つ立てていない。むしろ殺気すら隠しているようで、ヴァーニルとしては野生の獣を想起する。
「チィッ!」
気付かれたことに舌打ちしつつ、レウルスは大剣を振るう。強敵相手に鞘の性能を試していなかったため威力は不明だが、ヴァーニルの前脚を圧し折るつもりで全力で叩きつけた。
『甘いわっ!』
『強化』を使ったのか、それとも力を込めただけなのか。先ほど強引にヴァーニルの腕を切り払ったレウルスを真似るように、ヴァーニルもまたレウルスが振るう大剣を強引に殴り飛ばす。
以前のレウルスならば、剣の柄から手が離れていただろう。もしくは剣に引っ張られて体勢を崩していたに違いない。
だが、レウルスとてヴァーニルと別れてからただ剣を作ってもらったわけではないのだ。“技術”の大切さを学び、拙いながらも自らの血肉に変えようと足掻いてきた。
レウルスは弾かれた勢いに極力逆らわず、地を蹴って後方に跳ぶ。それでいて体勢も崩さないよう姿勢を制御し、追撃があっても弾けるよう大剣を上段に構えながら着地した。
(手が痺れそうになる……でも、衝撃は大体逃がせたな)
以前使っていたドミニクの大剣は、レウルス自身の技術の低さもあったが手荒に扱い過ぎた。真紅の大剣は鞘も含めて頑丈だが、剣の負担になることは極力避けた方が良いだろう。
剣を振るう技術にばかり注力するとレウルスの持ち味である“奇抜さ”がなくなるため、武器に負担をかけないよう意識するだけだ。それでも、以前と比べれば武器への負担も減るだろう。
『以前の武器よりも頑丈だな……だが、“それだけ”か?』
ヴァーニルが挑発するように言う。レウルスの拙い技術を含めての挑発だろう。それを聞いたレウルスは内心で苦笑したが、敢えて乗ることにした。
「ここからが本番さ……まあ、俺もどこまで斬れるかまだわかってないんだけどな」
そう言って、レウルスは刀身に自身の魔力を通していく。すると、『熱量解放』の時のように何かが噛み合うような感覚が剣から届いた。
『……む?』
大剣の鞘は、何も知らない者から見れば鞘自体が巨大な剣にしか見えない。そのためレウルスが“刀身”を引き抜いたのを見て、さすがのヴァーニルも驚いたような声を漏らした。
鞘から引き抜かれたのは、ヴァーニルの鱗にも似た真紅の刀身である。それでいて刃の部分は磨き抜かれ、銀色の輝きを放っていた。
「お互いに、ここからが本番ってことで……俺もこの剣がどこまで斬れるかわからないし、どうなるかわかんないけどな」
握ると目につく物を何でも斬りたくなる、我が儘で困った御姫様だ。ないとは思うが、勢い余ってヴァーニルを斬り捨ててしまうこともあり得る。
鞘を放り投げたレウルスは真紅の大剣を肩に担いで前傾姿勢を取り、獰猛に笑うのだった。