第147話:引っ越し その3
「……まさか、そっちから来るとはな」
地面に降り立った火龍――ヴァーニルを見たレウルスは、思わず呟く。
縄張りに近づいてはいたが、実際に足を踏み入れるまでもう少し時間がかかっただろう。それにも関わらずレウルス達の接近に気付き、自ら出向いてきたヴァーニルには驚くしかなかった。
『風に乗って“我の匂い”がしたからな』
事も無げに言い放つヴァーニルだが、どうやらレウルスに渡したヴァーニル自身の爪や鱗の匂いで接近に気付いたらしい。
それでも、ヴェオス火山までまだまだ距離があるのだが。
『ほう……我が渡した爪も鱗もきちんと武器に使ったようだな。武器と防具が釣り合っていないようだが、それでも以前と比べれば雲泥の差か。感心感心……む?』
レウルスが身に着けている装備一式を見てどこか上機嫌な様子だったヴァーニルだが、その巨大な顔が僅かに歪む。
そして鼻先をレウルスとエリザ、サラに近づけると、初めてヴァーニルを見たミーアやカルヴァンでもわかるほどに表情を変えた。
『――レウルス、貴様ら一体“何”に出遭った?』
その顔付きに劣らない、険しさを含んだ声。その声色に含まれていたのは驚愕か、あるいは警戒か。
「……何って、何がだ?」
だが、レウルスからすればその問いかけは反応に困る。ヴァーニルは一体何を気にしているのか。
『この匂いは、まさか……いや、かの御方ならば我が気付かぬはずが……』
「ヴァーニル?」
予想よりも早くに会えたこともそうだが、ブツブツと呟くその姿もまた驚愕に値する。レウルスがヴァーニルの名前を呼ぶと我に返ったのか、その巨大な頭を振った。
『こちらの話だ……それで? 此度は何用だ?』
レウルスとしても気になる反応だったが、ヴァーニルの中では何かしらの折り合いがついたらしい。ヴァーニルはレウルスとエリザ、サラに視線を向けた後、突然現れたヴァーニルの威容に硬直しているカルヴァン達を見た。
『後ろの亜人は……土の民か。一人や二人ならばともかく、これほど大勢の土の民を引き連れて歩くとは……吸血種といい火の精霊といい、相変わらず奇縁に恵まれているようだな』
どこか呆れたような口調で話すヴァーニルだが、レウルスとしては目の前の火龍も奇縁の類だろうと思う。むしろぶっちぎりで一番の奇縁だろう。
「色々とあったんだよ……カルヴァン?」
「お、おう……疑ってたわけじゃねえんだが、本当に火龍と知り合いだったんだな」
呆然としていたカルヴァンだったが、レウルスが声をかけると我に返った。高い知性がある分、ヴァーニルとの魔物としての“格”の違いを感じ取ったのだろう。
「こいつはカルヴァン。俺の新しい相棒を作ってくれたドワーフだ」
『土の民……いや、敢えてドワーフと呼ぶか。たしかにドワーフならば我に届き得る武器も作れようが……何をどうすればこれほど大勢のドワーフを見つけられるのだ?』
心底不思議そうに首を傾げるヴァーニルだが、むしろレウルスの方が首を傾げたい。
マタロイの西側でドワーフを見たという噂を信じて向かってみれば、集落を作って五十人近いドワーフが生活していたのだ。『城崩し』に襲われたことといい、奇縁というのは言い得て妙だと思う。
「あー……ドワーフがいるって噂を聞いて探してみたら見つけた。別に狙ったわけじゃない」
『まさに奇縁よな。それに……ふむ……貴様の防具からは土の匂いがするな。それもその辺の雑魚ではない、上等な魔物の匂いだ』
「上等というか、上級? 『城崩し』って魔物に襲われたんだよ。で、あたらしい剣で斬った。匂いはそいつの体にくっついてた鉱石が原因じゃないか?」
『…………』
ヴァーニルの目が変な生き物でも見るように細められる。レウルスの言葉は理解したが、その内容が理解できないとでも言いたげだ。
『……貴様、グレイゴ教徒にでもなったのか? 上級に分類される魔物は会おうと思って会えるものではないのだぞ?』
「そんなもんになった覚えはねえな。というか、俺も会いたくて会ったわけじゃねえよ」
会おうと思ったら向こうから飛んできた上級の魔物が目の前にいるのだが、レウルスも触れなかった。
『まあ、それは置いておくか。それで? わざわざドワーフを連れて我の縄張りに近づいてきたのだ。何か用があるのだろう?』
「一言でいうなら……引っ越し先の紹介?」
そう言って、レウルスはこれまでの経緯を説明していく。
その間もカルヴァンを始めとしたドワーフ達はガチガチに緊張していたが、こればかりは慣れるしかないだろう。レウルスも気軽に言葉を交わしているが内心は緊張しており、心から気を抜いているのはサラぐらいである。
『なるほど……『城崩し』が暴れた影響でドワーフの集落が人間に見つかる危険性が高かったわけか。それに、『城崩し』が出たのならばグレイゴ教徒が嗅ぎ付けて寄ってくるかもしれぬ、と……それで“引っ越し”か』
レウルスが一通り説明すると、ヴァーニルは納得したように頷いた。縄張りの内部か近くに新しい集落を作ると聞いても、嫌悪感が感じられない。
「それでこの辺り一帯を縄張りにしているアンタに話を通しにきたんだけど……」
『ふむ……まあ、ドワーフならばよかろう。何かと便利な技術を持っているしな』
思ったよりも好意的な反応である。生贄的な意味で家賃を取られることもなさそうだ。
『ただし、あくまで許可を出すだけだ。我の庭には多くの魔物が住んでいるが、それらに襲われても文句は言わせん』
「お、おう……元々自分達の力でやってきたからな。それで構わねえ……ですよ?」
ヴァーニルの威容に飲まれているのか、奇妙な敬語を使うカルヴァン。
周囲の魔物から身を守る必要はあるが、ラヴァル廃棄街やマダロ廃棄街に人員を割いても三十人以上のドワーフがいるのだ。“同格”の魔物がそれだけ群れを成していると思えば、他の魔物も迂闊に手を出すことはできないだろう。
予想していたよりもあっさりと話が終わりそうだ。そう考えたのが悪かったのか、ヴァーニルの瞳がレウルスに向けられる。
『――だが、対価もなしに願いが叶うとは思ってはいまい?』
「だよなぁ……やっぱりそうくるよなぁ……」
半ば諦めたようにレウルスがため息を吐く。顔見知りではあるが、親しい友人というわけでもないのだ。
対価もなく、無償で申し出を受け入れてくれるとはレウルスも思っていない。
「金で片付くなら楽なんだけど……家賃はいくらだ?」
『クハハハッ……“わかっている”だろう?』
冗談を飛ばしてみるが、ヴァーニルは上機嫌で笑うだけだ。その返答を聞いたレウルスは自身を鼓舞するように口の端を吊り上げる。
「おやっさんの大剣の仇を討つ時が来たか……三枚に下ろすぞ赤トカゲ。自分の爪と鱗を使った武器で斬られるのがどんな気分か、しっかりと教えてくれよ」
『フ――ハハハハハハハハハハッ! 良い! 良いぞ! その啖呵を待っていた! 我にとっては瞬きするような時間だったが、それでも待ち遠しかったぞ!』
呵々大笑するヴァーニルだが、その笑い声に合わせて魔力が大きく膨れ上がる。その圧力だけでドワーフの数人が呻き声を上げたが、レウルスは一歩も下がらずに大剣の柄に手を伸ばした。
「おいおい、ここでやるのか?」
『いや、ここでは場所が悪いな。我がある程度本気を出すと森が全焼しかねん……“前回”の場所で良かろう。待っているぞ?』
そう言って、ヴァーニルは翼を羽ばたかせて悠々と去っていく。今すぐ戦うことは避けられたが、その背中を見送るレウルスはため息を吐くしかなかった。
「ずいぶんと大口叩いてたが、勝てんのか?」
「無理」
ヴァーニルが去るなりカルヴァンに問われたが、レウルスは顔の前で手を振りながら即答する。
推定ではあるが、『城崩し』という上級に匹敵するであろう魔物と戦った今ならばわかる――ヴァーニルがどれほどの化け物なのか、と。
上級に分類される魔物でも強さはピンキリだろうが、『城崩し』は明らかに“下”の方だろう。それに対し、ヴァーニルは明らかに“上”の方だと思われる。
武器も防具も新調した。真紅の大剣を使えばどんな相手だろうと斬り裂ける。そうは思うが、“それだけ”で勝てるなら苦労はしない。
前回戦った時も思ったが、ヴァーニルはあの巨体で飛ぶのだ。それに加えて地上でも移動は速く、巨体だから動きが鈍いといった幻想はあり得ない。
その巨体に見合った身体能力を備えているのだからそれは当然だ。そこに『強化』が加われば数十メートルの巨体でレウルスよりも速く動きかねない。
ヴァーニルの性格的に空を飛びながら魔法で嬲り殺しにするという戦法は取らないだろうが、形振り構わなければそれだけで勝負がついてしまう。
レウルスの土俵にヴァーニルが乗ってくれなければ勝負にすらならないのだ。かといって、地上だけで戦うとしてもレウルスが勝てる見込みは乏しい。
(でも、この剣の“本気”は俺も見たわけじゃない……)
『城崩し』を倒す時に使ったが、全力だったかと言われれば答えは否だ。あの時はそれまでの戦いでレウルスも負傷しており、魔力も万全とは言えなかった。
しかし、今は体調も魔力も不足はない。奇跡が数十回連続すれば勝てるかもしれないが、奇跡に頼らなくても良い勝負にはできる――はずだ。
「お前でも無理なのか……いや、実際に相対してわかったが、ありゃ『城崩し』なんて目じゃねえほどの化け物だ。『城崩し』が十匹いても全部丸焼きにしそうだしな……」
「……カルヴァンにとってはそう見えるのか」
ドワーフも中級の中では強い部類の魔物である。カルヴァンがそう言うのならば、きっとそれだけの差があるのだろう。
レウルスが武器と防具を揃えてきたことで、以前ほどの“手加減”は期待できそうにない。そもそも、前回の戦いでもまともな傷は一つも負わせていないのだ。
右手が砕ける勢いで殴りはしたが、ヴァーニルにとっては痛みもなかったに違いない。驚いてこそいたものの、それは殴ると宣言した上で実現させたレウルスに驚いていただけである。
それが原因で気に入られ、今回の騒動に発展しているとも言えるが。
(たしかに、ヴァーニルと本気で殺し合うぐらいなら『城崩し』十匹と戦った方が生き残れそうな気はする……でも)
レウルス単独で戦っても勝てないが、“条件”さえ揃えば善戦はできそうだ。そう考えたレウルスは、ヴァーニルが飛び去った方向を呑気に眺めていたサラへ視線を向ける。
「ん? なになに? レウルスってばわたしに何か用? あっ! わかったわ! 一緒にヴァーニルをボッコボコにしようって言いたいんでしょ?」
「ああ、その通りだ。サラの力を貸してほしい」
「うん、知ってる。最近優しいのか冷たいのかわからないけど冷たく拒否されるのもまた妙な安心感がって嘘おおおおおおおぉっ!?」
素直に助力を頼むレウルスに対し、サラは目を剥いて叫び声を上げたのだった