第143話:哀切 その2
大通りから外れた場所にある、ラヴァル廃棄街の中でも住民が普段は寄り付かない区域。
雑多に建ち並ぶ住宅街を抜けた先にぽっかりと開いた大きな敷地に、“その場所”はあった。
普段は冒険者組合やドミニクの料理店、職人が店を構える大通りしか出歩かないレウルスが初めて足を踏み入れたその場所は、夕方の喧騒が遠くに聞こえるほど静謐な空気が漂っている。
簡素な木の柵で区切られた区画――ラヴァル廃棄街の墓地だ。
日本の墓地と異なり、墓石の類は見えない。木で作られたと思わしき墓標が整然と並び、斜陽に照らされて赤く染まっている。
そして、墓地の中で一つの墓標を前にして膝を突き、一心に祈るコロナの姿があった。目を閉じて両手を胸の前で組み合わせ、微動だにせず祈りを捧げている。
時期がそうさせるのか、あるいは夕刻だからか。墓地にコロナ以外の姿は見えず、墓標を前にして祈りを捧げるその姿は一枚の絵画のようですらあった。
「…………」
何かあれば大変だとコロナの後を追ったレウルス達だったが、遠目に見えたコロナの姿に足を止める。祈りを捧げるコロナに声をかけることすら躊躇われ、レウルスは困ったように頬を掻いた。
(問題は……なさそうだな)
ラヴァル廃棄街の中でコロナに危害を加えるような者など、余所者ぐらいしかいない。そして、仮に余所者がコロナに手を出そうとすれば即座に住民に取り囲まれるだろう。
「……戻りましょう」
「……ええ」
ジルバが小声で促し、レウルスもまた小声で応じる。
エリザはどこか複雑そうな顔で墓地を眺めており、普段は騒がしいサラも周囲の空気に気圧されているのか無言だ。ミーアはコロナの背中を心配そうに見ていたが、周囲に危険がないと判断したのかレウルスとジルバに従って背を向ける。
(そういえば、コロナちゃんの母親は死んだってことしか知らないんだよな……)
いつ、どんな理由で命を落としたのか。
レウルスも聞く気がなかったため尋ねなかったが、この世界では死の危険が身近なところにある。
ラヴァルなどの城壁で囲まれた場所で生まれ育ったのならば違うのだろうが、ラヴァル廃棄街で生きていくには命の危険が付きまとう。
その中でも冒険者が一番危険だろうが、普通の住民だろうと強力な魔物が出れば命の危険に晒される。魔物以外にも、害意を持った余所者に襲われることもあるだろう。
それ以外にも病気や飢えなど、命を落とす理由を探そうと思えばいくつも思い浮かぶ。ラヴァル廃棄街では中々ないだろうが、過労死という可能性も捨てきれない。
(いやいや、シェナ村じゃないんだから……)
レウルスは頭を振って頭に浮かんだ考えを振り払うと、獲物を担いだままで歩き出す。帰り道はゆっくりと、コロナの害になりそうな余所者がいないか、周囲を観察しながら帰るべきだろう。
「そういえば……ジルバさんはコロナちゃんの母親について何か知ってるんですか?」
墓地からある程度離れると、レウルスはジルバに話を振る。ジルバの表情が“そう”だと物語っていたからだ。
もちろん、言いにくいことならば聞く気はない。踏み込むべきでないのなら、踏み込むつもりはなかった。
「個人的な親交があったわけではありませんよ。ただ……」
ジルバは足を止め、肩越しに振り返る。その視線の先にあるのは、先ほどの墓地だろう。
――その表情は、レウルスが見たことがないほど哀切に満ちていた。
「最期を看取った……それだけの関係です」
その日の夜、普段ならばドミニクの料理店も閉店になるであろう遅い時間。料理店のカウンター席に腑に落ちない顔をしたレウルスの姿があった。
普段ならばドミニクの料理をこれでもかと頼むのだが、今日は控えめだ。空になった皿が五枚ほど積み重なっているだけで、あとは手元に酒が入ったコップを置いているだけである。
最近は酒の量が増えているな、などと思いながらコップを傾けてちびり、ちびりとゆっくりとしたペースで酒を飲む。
「……どうした。何かあったのか?」
そうやって酒を飲むレウルスの姿に何か感じたのか、閉店作業を始めていたドミニクが声をかけてきた。
コロナの姿はない。日頃世話になっているからと、エリザが自宅の風呂に誘って連れ出したのだ。
コロナは閉店作業を手伝うつもりだったようだが、せっかくだからとドミニクが風呂に入ってくるよう勧めた。
コロナはそれでも葛藤していたが、エリザとサラに両手を引かれ、ミーアに背中を押されながらレウルス達の家へと向かっていった。
「わざわざ娘を追い出したんだ……何かあるのだろう?」
「あれはエリザがコロナちゃんと一緒に風呂に入りたいってだけさ……そういうことにしといてくれよおやっさん」
別にレウルスが指示をしたわけではない。墓地で一心に祈るコロナを見て、エリザなりに何かしたいと思ったのだ。
あるいは、レウルスが考え込んだのを見てコロナを連れ出してくれたのか。普段は甘えん坊で子どもらしいところがあるエリザだが、同年齢の子どもと比べれば重い過去を背負っている。色々と察してくれたのだろう。
(聞くつもりはなかったのに、ジルバさんの言葉が気になって仕方ない……度し難いな、どうにも)
ジルバが看取ったとなると、一体どんな状況だったのか。身近なところにいる――恩人であるドミニクとコロナに関わることでもあるため、気になってしまったのだ。
しかし、いくら恩人といっても個人の事情に首を突っ込むわけにはいかない。いやいや、それでも――と迷って酒に逃げているわけである。
「……今日、墓地でコロナちゃんを見たんだ」
結局、レウルスは軽く触れるに留めた。あとはドミニクの反応次第で、触れない方が良いと思えばすぐに引くつもりである。
「……そうか」
ドミニクもある程度は察していたのか、納得したように頷くだけだ。
店内に残っている客はレウルスだけで、これ以上は聞かずに帰ろうかとレウルスは腰を浮かしかける。だが、ドミニクはそれを手で制し、厨房に向かって歩き始めた。
そして、一分と経たずに戻ってくる。その手には酒瓶とコップが握られており、ドミニクはレウルスの隣の席に腰を下ろした。
「せっかくだ……付き合え」
「ういっす。おやっさんの酒ならいくらでも飲むよ」
どうやら話してくれるらしい。レウルスは椅子に座り直すと、ドミニクと酒を注ぎ合ってから飲み始める。
結局踏み込んでしまう自分に少しだけ呆れてしまうが、そんなレウルスの葛藤に気付いたのかドミニクは小さく笑った。
「気にするな。お前は外から来たから知らないだろうが、この町の住民なら大抵は知っている話だ……お前は身内だからな。“よければ”聞いてくれ」
「そう言われたら絶対に断れないですよ」
ドミニクに身内と言われ、気遣った物言いをされてはレウルスとしても聞くしかない。
ドミニクはコップに注いだ酒をゆっくりと飲み、数秒ほど言葉に迷ってから口を開いた。
「レウルス……お前はコロナをどう思う?」
「コロナちゃん? 良い子だよ……俺としちゃあそう言うしかないね」
コロナの話題が出てきたため、レウルスは本心から答える。
行き倒れたレウルスをコロナが拾わなければ、ラヴァル廃棄街に到着したその日に死んでいたかもしれない。
この世界において――否、ラヴァル廃棄街において見知らぬ余所者を救おうとするなど、余程の善性がなければできないことだ。
コロナ自身の性格を含め、“良い子”だと言うことしかレウルスにはできない。精霊教の代わりに信仰したいぐらいだが、そのような軽口はさすがに叩けなかった。
「良い子、か……ああ、そうだな。親の欲目を抜きにしても良い子に育ってくれた……そう思う」
「何か気になることでも?」
しかし、ドミニクの反応が少しばかりおかしい。それに気づいたレウルスが酒を注ぎながら尋ねると、ドミニクは一気に酒を飲み干した。
「ふぅ……いや、なに……良い子過ぎるのではないか……この言い方は適切ではないな。良い子で“在ろうとしている”のではないか……そんな風に考えることがある」
――良い子で在ろうとしている。
ドミニクの言葉が、妙にあっさりと腑に落ちた。レウルスは簡単に納得してしまった自分を誤魔化すように酒を飲む。
前世を含め、子どもどころか所帯を持ったこともない――はずだ。
そんなレウルスよりも、生まれた時からずっと見ているドミニクの方がコロナの“異変”に気付けるのは当然だろう。
「俺の妻も冒険者だった……だが、魔物との戦いで深手を負ってな。その頃は教会に精霊教師もおらず、治癒魔法の使い手はジルバだけだった……それでも、治療の甲斐なく命を落としたがな。あれは、そう……コロナが七歳の頃だったか」
どうやらドミニクの妻も冒険者をやっていたらしい。レウルスは黙ってドミニクの話を聞き続ける。
「妻は料理店を営むのが夢だった……この店を建てて、まだまだ若いが冒険者も引退か、と笑っていたよ。俺と夫婦で料理屋をしたい、将来的には成長した娘も入れて三人で、とな」
「…………」
「だが、この店を建てることはできたが開店資金が足りなくてな。しばらくは冒険者を続けていた……まったく、計画的だったのか大雑把だったのか、今でもよくわからん。女という生き物はこの歳になってもよくわからんが、アイツのこともよくわからなかった」
そう言って寂しそうに笑うドミニク。その言葉の全てが過去形なのは、レウルスにも触れることができない。
「そして、他所の廃棄街からの救援依頼を俺が受けている間にアイツが死んだ。帰ってきた時には、もう全てが遅かった……店自体は建てたし、住んでもいたんだ……あとは俺に任せて、引退していれば死ななかったはずだ……」
ピシリ、と音を立ててドミニクが握っていたコップが割れる。当時を思い出したのだろう。
ドミニクの表情に浮かんでいたのは怒りと遣る瀬無さで、その感情の全てがドミニク自身に向けられているようだった。
ドミニクは深々と息を吐くと、ゆっくりと頭を振る。
「それ以来、俺は冒険者をやりながら料理の修行を始めた。女々しいと笑ってくれてかまわん。アイツの夢だけは叶えてやりたくてな……だが、“だからこそ”コロナもああなってしまったのか……いや、それは親として俺の責任だな」
独り言のように語ったドミニクだったが、その視線がレウルスに向けられる。いつものように物静かで、それでいて温かさが感じられる眼差しだった。
「レウルス……冒険者として生きる以上、危険と隣り合わせだ。無理をするなとは言わん。無茶をするなとも言わん……だが、死ぬな。お前にも“家族”がいるだろう?」
「エリザ達を残して死ぬつもりはありませんよ……無茶も無理もするとは思いますけどね」
ドミニクの心からの忠告に、レウルスは大きく頷いた。すると、ドミニクは僅かに迷ってから頭を掻く。
「コロナは人の死に敏感だ……特に、冒険者のな。アイツを思い出すからかもしれんが……」
(……だからコロナちゃんの目に留まるところで死ぬなって言ってたのか)
ドミニクの言葉を聞き、レウルスは初めてドミニクと会った時のことを思い出す。あの時の言葉もすべてはコロナを慮ってのことだったのだろう。
ドミニクは椅子から立ち上がると、厨房に向かって歩き始める。さすがに長居をし過ぎたのか、そろそろコロナが帰ってきてもおかしくはない。
レウルスはテーブルの上に置いていた皿などをまとめて厨房に運ぶと、今晩の食事代を払ってからお暇しようとした。すると、ドミニクが墓地のある方向を見ながら言葉を紡ぐ。
「まあ、なんだ……気が向けば花でも手向けてやってくれ。騒がしいのが好きだったし、アイツも喜ぶだろう。命日も近いしな」
「是非そうさせてもらいますよ……ごちそうさまでした」
レウルスはドミニクに向かって深々と頭を下げると、ドミニクの料理店を後にする。あとは家に戻り、コロナを料理店に送ってから帰宅するだけだ。
「花、か……よし」
その道すがら、レウルスは一つの決意を浮かべるのだった。