第139話:お風呂あるの? その3
「――実は、シャロンは女なんだ」
そう告げたニコラの表情は真剣そのもので、先ほど口にしたような冗談とは思えない。
これで再び冗談だったならば今度は家から放り出そう、とレウルスが真顔で考えていると、ニコラは何度も頷く。
「お前が驚くのも無理はねえ。あいつのことはずっと俺の弟だって言ってたからな……嘘を吐いてすまねえ」
どうやら今度は冗談ではないらしい。申し訳なさそうに頭を下げるニコラに対し、レウルスも申し訳なく思いながら言葉を紡ぐ。
「いや……シャロン先輩は女の子だって思ってたから」
「え?」
「シャロン先輩は女の子だって思ってたよ、うん」
大袈裟に驚いた方が良いかと思ったが、ここは素直に白状することにする。どんな意図があって性別を偽っていたのかはわからないが、シャロンを男装させるとしても他にやりようがあったのではないか。
レウルスの言葉を聞いたニコラは呆然としていたが、やがて我に返ると椅子を蹴倒す勢いで立ち上がった。
「ど、どういうことだ!? まさかお前、シャロンに手を出したんじゃないだろうな!? どっちだ!? 男だと思って手を出したのか!?」
「俺のこと全然信じてねえだろ先輩! というか本気で隠す気があったのかよ!?」
胸倉を掴みそうな勢いで詰め寄ってくるニコラに対し、レウルスは心からのツッコミを入れた。
「手を出してないのに気付いた? 嘘つけこの野郎! もしくはアレか? エリザの嬢ちゃんの指導で東の川に行った時、水浴びを覗いたのか!?」
「むしろ何で気付かないと思ったんだ?」
騒ぎすぎるとシャロン本人に気付かれそうだ。そう思ったためレウルスは声を潜めて尋ねる。二階では相変わらずエリザ達がドタバタと騒いでいるが、大きな声を出すと風呂に入っているシャロンに聞こえかねない。
たしかにシャロンは中性的な外見をしているが、初対面の時点でレウルスが疑問を持ったぐらいなのだ。肩幅や喉仏等の体つきは誤魔化しようがないとはいえ、せめて髪型ぐらいはもっと“男らしく”しておくべきだろうと思う。
本気で隠すつもりがあるのなら、ショートカットではなく短髪にするべきだろう。そうすれば中性的な美少年だとレウルスも思ったはずだ。
――それでもやはり、接している内に気付いただろうが。
「えっ……そりゃお前、ちゃんと男装させてたし、俺の弟だって紹介すれば男だって思うだろ? というか気付いてたのならなんで言わねえんだ!?」
「先輩にシャロン先輩が弟だって紹介されたからだよ……」
だからこそ、レウルスも言及しなかったのだ。打ち解けた今ならばこうやって気軽に話せるが、冒険者になったばかりの頃にニコラやシャロンに対してそんなことを聞けるはずもない。
「男だって偽るんなら、せめて髪を切った方がいいんじゃないか? 先輩と同じぐらい短くしてたら俺も気付かなかったかもしれないし」
「俺もそう言ったんだが、あれ以上短いのは嫌らしくてな……昔はもう少し短かったんだが……十二……いや、十三歳ぐらいの時から今の髪の長さになったんだ。あれが妥協できるギリギリの長さらしい」
(それってシャロン先輩も内心では男扱いされるのが嫌だったんじゃ……)
町の住民も気付いていなかったのだろうか。あるいは気付いていて触れなかっただけなのだろうか。
レウルスは疲れたように酒を呷ると、テーブルに肘を突きながらニコラに据わった目を向ける。
「それで? なんでわざわざそんなことを?」
ここで問題になるのは、シャロンが女性だということよりも男装をしていた理由ではないか。話を聞いた限りシャロンも好んで男装をしているようには思えず、間違っても趣味ということはないだろう。
レウルスが問いかけると、ニコラも落ち着きを取り戻したように椅子に座り直す。そして酒を口に運ぶと、その目付きを鋭いものに変えた。
「レウルス……お前もこの町に来てそれなりに時間が経った。マダロ廃棄街の救援依頼にも行ってくれたし、自分の武器を作るためって話だが一ヶ月以上旅もしてきたな……その上で聞くんだが、冒険者の立場についてどう思う?」
「俺の場合は精霊教の客人でもあるから答えに迷うけど……良くはないな」
シェナ村で農奴として生きてきたレウルスにとっては、冒険者の立場でも十分過ぎる。しかし、ニコラが言っているのは“一般的な”冒険者の立場についてだろう。
「そうだ、良くねえ……そんな良くねえ立場で女性の冒険者がいたらどうなる?」
「…………」
ニコラの言葉を受け、レウルスは沈黙する。
女性の冒険者というのはゼロではない――が、多くもない。
レウルスの場合は周囲にエリザ達がいるため錯覚しそうだが、ラヴァル廃棄街で見かける冒険者の大半は男性だ。
魔法という超常の技術が存在する世界ではあるが、魔法使いの数は非常に少ない。魔法が使えないとなると素の身体能力で勝負するしかなく、男性と比べると女性はその点で劣るだろう。
レウルスとしては女性を蔑視するつもりはないが、筋力を始めとしてほとんどの場合で女性は不利になる。冒険者という荒事に従事する場合、それは顕著だろう。
その不利な状況をひっくり返すのが魔法だが、前述の通り魔法使いの数は非常に少ない。基本中の基本である補助魔法、『強化』を使えるだけで魔法使いを名乗れるが、そんな初歩的な魔法でさえ生まれ持った才能がなければ使えないのだ。
「女性の冒険者は目立つし、立場が悪いと何をされるかわからねえ……シャロンに男装をさせてるのも可能な限り“面倒事”を避けるためさ」
「……なるほど」
ニコラとシャロンは中級中位の冒険者で、ラヴァル廃棄街では主力と言える技量を持つ。マダロ廃棄街の時はレウルスが救援依頼を受けたが、レウルスがいなければニコラとシャロンが請け負ったと思えるほどに。
レウルスは旅をしていた時に出会った兵士達を思い出す。精霊教の『客人の証』を持つレウルスでも、相手によってはぞんざいに扱われたのだ。単なる冒険者となると何をされるかわかったものではない。
シャロンは男装をしていただけあり、外見は中性的だ。しかし、最初から女性だとわかっていればその印象も変わるだろう。
(男装はシャロン先輩が酷い目に遭わないためにしてたのか……でもなぁ)
ニコラの話は理解できた。男装がシャロンの身を案じてのものだというのも、今のレウルスなら納得ができる。他所の廃棄街の救援に向かう可能性があるとなれば、それはなおさらだろう。
だが、それはそれで一つの疑問が浮かんでしまう。
(それならなんで日頃から男装してるんだ? 旅や依頼の間だけでも良いと思うんだけど……いや、言わないってことは何かあるのか)
単純に、日頃から男装に慣れておかないといざという時にボロが出ると考えているだけかもしれない。近くにラヴァルがあるため、ふとした拍子に目撃されることを恐れているだけかもしれない。
――“昔から”男装させていたことに、レウルスはきな臭いものを感じ取った。
「それなら俺もエリザ達に男装させた方がいいのか?」
それでも、わざわざ尋ねることはせずに話題を逸らす。必要ならばニコラも話しているだろう。そう思えるぐらいにはレウルスもニコラのことを信頼している。
「精霊教の客人の連れに手を出す奴がいるってのは考えにくいけどな……ま、そういう心構えが大事だって話だ」
レウルスの言葉を聞いたニコラは、どこかほっとした様子で酒を飲んでいる。やはり他にも何か理由がありそうだったが、ラヴァル廃棄街に悪影響があることならばナタリアやバルトロが把握しているだろう。
それでも放っているのなら、レウルスが首を突っ込むことでもない。
「また旅に出ることがあったら注意しとくよ」
「そうしとけ……それで、だ。お前、どうやってシャロンが女だって気付いたんだ? 周囲の奴らからもシャロンの性別について聞かれたことはねえぞ」
話を戻したわけではない。ニコラは単純に興味が引かれた様子で尋ねてくる。
それは周囲の仲間達が気を遣っただけではないか、と思いながらレウルスは応えた。
「体つきと声の高さ……かな?」
「声の高さはわかるが、体つき? あれ……でもお前ってシェナ村にいた頃は酷い扱いを受けてたんだろ? 女の体なんてどこで見たんだ? 覗きでもしてたのか?」
男同士で酒を飲むには似合いの話題になってきている。レウルスは口の端を吊り上げると、意味深に笑った。
「覗きなんてしてたら村の上層部の奴らに殺されるって……でも、女の体なら腐るほど見てきたよ」
「ほ、本当かよ……お前って意外と経験豊富な――」
「村で死んだ女の子を十人近く埋葬したからな。村の上層部のやつら、農奴の死体に服は必要ないだろうって服を剥いで裸のガキを埋めさせるんだぜ? あまり思い出したくないけど、中には酷い状態で……」
「腐るってそういう意味かよ!?」
レウルスの話を聞き、ニコラは酒を吹き出す勢いでツッコミを入れる。
前世のことなど話しても信じてもらえるとは思えず、話題のインパクトで強引にニコラの意識を逸らすレウルス。ニコラは頬を引きつらせながら酒を飲み、レウルスはつまみの肉に手を伸ばす。
「そんなわけで、初対面の時点でシャロン先輩が女の子じゃないかって疑ってたんだよ。で、疑ったままシャロン先輩を見てたらやっぱり女の子だな、って」
「そうか……昨日、シャロンの奴がお前の家で風呂に入ってくるって言ってたからよ。お前のことだから仲を深めるために一緒に入ろうぜ、とか言いそうだったから釘を差しにきたんだが……」
昨日の段階ではシャロンに口止めをしていなかったため、ニコラもレウルスの家に風呂があると思っていたようだ。
(おやっさんの店で飲んでたって聞いたけど、シャロン先輩を追い返さなければ昨晩押しかけてきてたのかな……)
それもこれも、ニコラがシャロンのことを大事にしているからだろう。当のシャロンが男の家で風呂を借りるという行動に出たため、ニコラとしても気が気でなかったに違いない。
(というかシャロン先輩、ニコラ先輩が言うように俺が風呂に入ってきたらどうするつもりだったんだ……)
もしかすると、シャロンの性別に気付いているとわかった上での行動だったのかもしれない。レウルスがそんなことをしないと信頼してのことなのか。
風呂に入りたい欲求が身の安全の配慮を上回ったわけではない――と思いたいレウルスである。
「……っと、酒が切れたな」
そうやって話していると、酒瓶を振りながらニコラが不満そうに言う。それでも話したいことを話せてすっきりしたのか、笑いながら椅子から立ち上がった。
「それじゃあ、キリが良いからここで帰るぜ……いきなり押しかけて悪かったな」
「気にしないでくれよ先輩。酒、美味かったよ」
「そりゃ良かった……ああ、レウルス」
空になった酒瓶を左手だけで持ち、扉に向かって歩き始めたニコラだったが、ふと何かを思い出したように足を止める。
「ん? さっきの話なら誰にも言わないって。エリザなら大丈夫だろうけど、サラはうっかり口を滑らしそうだしな。ミーアはシャロン先輩とほとんど接点がないし」
「そりゃ助かる……いや、それもだが、そうじゃなくてだな」
空いた右手で乱雑に頭を掻くニコラ。何か言いにくいことだろうか、とレウルスはニコラの言葉を待つ。
「さすがに毎日はないだろうが、またシャロンの奴が風呂に入りたいって言い出すかもしれねえ……その時はまた面倒を見てやってくれねえか?」
今回のようにシャロンの性別を隠し通せということだろうか。数回ならば大丈夫だろうが、あまりにも回数が増えるとエリザ辺りは勘付くかもしれない。
「出来る限りでいいなら」
「おう、それで頼む……覗くなよ?」
「先輩達には世話になったし、そんな不義理はしないって」
冒険者としての基礎を教えてくれたのはニコラとシャロンだ。その恩を忘れるつもりなどない。
ニコラはレウルスの言葉に納得したのか、ヒラヒラと手を振ってから扉を開けて出ていく。扉が閉まるとニコラの魔力が遠ざかっていくが、一分と経たずにその動きが止まった。おそらくはドミニクの料理店で飲み直すつもりなのだろう。
「レウルス、上がった……誰かいた?」
コップに残った酒を飲みつつ肉の塩焼きをつついていると、風呂から上がったシャロンが姿を見せる。その声に引かれてレウルスは肩越しに振り返ると、湯上りのシャロンを見て小さく笑った。
「酒に酔ったニコラ先輩が顔を出しただけだよ……おやっさんのところにいると思うから、帰りに寄っていったらどうだ?」
ニコラの話を聞いたからか、風呂上りだからか。ニコラに似た赤い髪を湿らせたシャロンからは、色気のようなものを感じる。風呂に入ったことで血行が良くなったのか顔が赤らんでいるのがそれに拍車をかけているのだろう。
それでもレウルスは気づかなかった振りをすると、コップに残った酒を一気に飲み干した。
「それで? うちの風呂はどうだった?」
「最高だった……また入りにきたい」
そう言いつつ、シャロンは何かを思い出したように懐から小さな布袋を取り出す。その際金属が触れ合う音が聞こえ、中身は硬貨なのだろうとレウルスは思った。
どうやら風呂代を払うつもりらしい。
「今回はいいよ。ニコラ先輩から“お代”をもらったしな。サラは俺の方で労っとく」
「……いいの?」
「美味しい酒を飲ませてもらってね。あと、酒の肴にちょっとした話も聞かせてもらえた」
エリザ達と旅に出る場合、これからはよりいっそうの注意が必要だろう。ニコラのシャロンに対する気遣いも目の当たりにでき、レウルスとしては酒の肴にピッタリだったと笑う。
「わかった……それならボクは兄さんを拾って帰る」
「おう。昨日も言ったけど、夜道には気を付けてな」
ニコラから話を聞いたというのもあるが、いくら魔法使いとはいえ女の子が夜道を歩くのは危険だろう。しかし、だからといってシャロンを送ればそれはそれで問題だ。これまで通り男性として扱うという前提が崩れてしまう。
「レウルス、君は……」
そこでふと、シャロンが何かを言いかけた。レウルスが首を傾げると、シャロンは口を閉ざして頭を振る。
「……何でもない。それじゃあ、また」
そう言って、僅かに微笑んでからシャロンはレウルスの家を後にする。レウルスはシャロンの背中を見送ると、空になったコップを揺らしてため息を吐く。
「なんだかんだでエリザは察してそうなんだよな……エリザには話しておくか。またシャロン先輩が来そうだし、そっちの方がサラとミーアには誤魔化しが利きそうだし……」
いつの間にか静かになっている天井を見上げ、レウルスはそう呟くのだった。
そして後日、レウルスは沈静化させたはずの噂に尾ひれが生えて復活したことを知ることとなる。
「よお『魔物喰らい』……ちょいと小耳に挟んだんだが、お前さんがシャロンの奴を家に連れ込んでるってのは本当なのか? ナタリアの姐さんを口説いてたって話だけど、お前って男色じゃなくて“どっちも”イケる――」
「よしわかった。もう一回ジャイアントスイングをしてほしいんだな? それならそうと言ってくれよ」
「おい馬鹿足を掴むな俺は男色家じゃ――」
入浴シーン? 奴は死んだよ。
どうも、作者の池崎数也です。
前話では大量のご感想をいただきありがとうございました。
過去最大の感想数で、30件超えていました。感謝感謝です。
それでは、こんな拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。