第13話:魔物退治 その2
「腹が膨れたらやる気が出てきた! 魔物を倒したら金になるし食える! 『冒険者』って素晴らしい!」
ニコラが倒したシトナムの肉を平らげたレウルスは、それまでとは打って変わって溌剌とした様子でそんなことを叫んだ。
たしかに魔物は恐ろしい。シャロンに聞いた話によればシトナムの危険度は下級中位と下から二番目であり、そんなシトナムでさえ粗末とはいえ防具で身を固めた人間の胴を両断することができるという。
レウルスが以前倒した角兎――イーペルの危険度は下級下位と最低に分類されるらしいが、鋭い角で刺されれば死ぬことも十分にあり得た。
下手すれば容易く死に、下手せずともふとした拍子に怪我をしそうな魔物退治。そんな危険な仕事を行うにあたりやる気が激減していたレウルスだったが、倒した魔物の素材が金になる上、腹も満たせるとなれば話は別だ。
今まで魔物の体の大きさやその攻撃力にばかり気を取られて恐れていたが、倒すことができればその体の大きさはレウルスにとって歓迎すべき事柄となる。
体が大きいということは、それだけ食べ応えがあるということだ。ニコラとシャロンの反応を見る限り食べられる魔物は少ないのだろうが、レウルスはそのようなこと微塵も気にしない。食べられるから食べる、それだけで良いのだ。
さすがに鉱物のような硬さを持つ魔物がいれば物理的に食べることができず、寄生虫や毒を持っているとわかっている場合は余程空腹でない限り食べないが、それ以外の場合は躊躇なく食べることができるだろう。
例え異端で異質で異常だと言われようと、飢えることと比べれば遥かにマシなのだ。さすがに二度目の人生も栄養失調が一因で死にたくはない。そのためならば相手が虫型の魔物だろうと喜んで食べることができる。
魔物と戦うことへの恐怖が完全に払拭されたわけではないが、倒した分だけ食料と金になると思えば我慢できた。シトナムの場合は両腕の鎌だけが有用と聞いたが、“それ以外”の部分は好きにしても良いのなら飢え死にする危険性は限りなく小さくなるだろう。
「食用になる魔物ならともかく、シトナムを食ってそれでやる気を出す奴なんて初めて見たな……」
「案外、レウルスは大物なのかもしれない」
それまでと違ってギラギラとした目付きで周囲を見回して魔物を探すレウルスに、ニコラとシャロンはひそひそと小声で話し合う。
レウルスが倒したことがあるイーペルなどは、食用の魔物としても知られていた。少々癖があって獣臭いが、その味は食用として十分だからである。しかしながら昆虫を巨大化させたようなシトナムを、それも生で食べた人間をニコラ達はレウルスの他に知らない。
それでもレウルスがやる気を出したのならば水を差すこともないと判断し、レウルスの教育に戻ることにした。
「盛り上がってるところ悪いんだが、魔物を倒した後の助言をしとくぜ」
腹は膨れたものの満腹にはまだ遠く、未練がましく“シトナムの殻”を握り締めたままのレウルスにニコラが話しかける。レウルスは拝聴するべく背筋を正したが、魔物を食料にするという考えに目を輝かせたままだったため、ニコラは少しだけ距離を離した。
「シトナムみたいな魔物ならそこまで気にする必要はねえが、イーペルみたいに殺すと血の臭いがきつい魔物を狩ったらすぐにその場から離れろ。下手すりゃその血の臭いに釣られた他の魔物が寄ってくるからな」
血の臭いに敏感な動物がいるというのは、前世でも聞いたことがあるレウルスである。そのため素直に頷くが、すぐに質問が浮かんだ。
「つまり、血の臭いでおびき寄せて一気に狩ったら食べ放題ってことだな?」
「さっきまで魔物退治に怯えてた奴の台詞とは思えねえな……」
一気に物騒になったな、とニコラは頬を引き攣らせた。怯えすぎるのも問題だが、血気に逸るのも問題である。ただし、レウルスの場合は血気というよりも食い気に逸っているのであり、ニコラとしてもどう注意すれば良いかわからない。
「何が寄ってくるかわからねえんだ。雑魚を集めて一気に狩るのも一つの手法だが、運が悪いと大物を釣っちまう。対処できる相手なら良いが、中級以上の魔物が出てくることもあるからな」
「中級……いまいち基準がわからないけど、同じ中級の先輩達なら倒せるんじゃないのか?」
魔物の脅威度によって分類されているようだが、その基準まではわからない。それでも中級中位の『冒険者』であるニコラ達ならば大丈夫ではないかと思ったレウルスだが、ニコラは困った様子で視線を逸らした。
「当たり前だろ……と、言いたいんだがなぁ。中級下位ならともかく、それ以上となると厳しい……というか死ぬ可能性が高い」
「ボク達が中級中位の『冒険者』だから中級以上の魔物が相手でも大丈夫だと思った?」
「そうだけど……違うってんならどんな基準なのか余計にわからなくなるぞ」
下級中位のシトナムを容易く仕留めたニコラでさえ、中級の魔物と戦うのは難しいらしい。そのことを疑問に思うレウルスだったが、小さく苦笑を浮かべたシャロンがそれに答えた。
「ボク達冒険者の階級は強さだけじゃなく、依頼の達成率や冒険者組合への“貢献”も加味されて判断される。だから中級の『冒険者』でも下級の魔物を倒せないことがある」
「なるほど……実績を含めた総合的な能力で『冒険者』としての格が決まるわけか」
「そういうこと。ずば抜けた強さを持っているけど依頼の達成率が悪い、もしくは素行が悪い。そんな理由から上の階級に行けない者もいる」
単純に強いだけでは『冒険者』として大成できないようだ。下級下位のレウルスにとってはまだまだ先のことだろうが、なるべく品行方正に過ごそうと決意する。
納得した様子のレウルスに何を思ったのか、シャロンは目を細めながら言う。
「ところでレウルス。君はラヴァル廃棄街に来るまでずっと農民として生きてきたし、文字も書けないと聞いた。でも、ずいぶんと“頭が良い”気がする。一を聞いて十を知るとまでは言わないけど、理解が早い上に疑問もきちんと確認するのは感心する」
「お、それは俺も気になってたぜ。なんつうか、どことなく品が良いっつーか頭が良いよなお前」
「……そう、なのか? それは先輩達の教え方がわかりやすいってだけの話だと思うんだけど……」
ニコラとシャロンの指摘に首を傾げるレウルスだったが、前世の経験がある分“何も知らない”農民と比べれば理解が早いのも当然だろう。前世で培った専門的な知識は大部分が虫食い状態になっているが、常識的な知識に関してはまだまだ薄れていない。
現在生きている世界と前世を比較し、整合性を取る必要があるが、前世での知識と照らし合わせれば“ある程度”は理解できるのだ。
「俺がいたシェナ村ではさ、頭を働かせないと生きていけなかったんだよ……上手く立ち回らないと村の上層部連中に殴られるし、下手すりゃ殺される。この歳まで生きて成人したと思ったら、奴隷として売り飛ばされたけどさ……」
だが、前世の記憶があるなどとは説明できない。そのためこれまでシェナ村で受けてきた仕打ちについて匂わせ、表情も苦々しいものに変えることで誤魔化すことにしたレウルスだった。
「そうか……お前も苦労してんだなぁ。よし、町に戻ったらおやっさんのところで飯を奢ってやるよ!」
「……まあ、苦労は人を育てるとも言う。それと兄さん、飯を奢るのは良いけどそのためにも無事に戻らないと」
レウルスの言葉を聞いたニコラは同情するように眉を顰め、次いで明るく笑いながらレウルスの背中を叩く。シャロンは僅かに間を置いて肩を竦めると、それ以上追及することなくニコラへと視線を向ける。
「わかってるって。この辺で見かける魔物なら後れを取ることもねえ。レウルスにもちゃんと経験積ませてやるし、運が良けりゃ金になる魔物も狩れる。それで良いだろ?」
シャロンのたしなめるような言葉に対し、ニコラは笑って流す。兄弟ということもあり、ニコラとシャロンは互いに気安い間柄のようだ。
「それなら次はあの兎が良いな。肉が食いたい」
「……な、生でか?」
魔物を狩ると聞いて欲望に忠実な発言をするレウルスだったが、ニコラは若干身を引いた。シトナムを生で食べたことが大きな衝撃だったらしいが、レウルスは腕を組んで悩ましげに頭を振る。
「ドミニクのおやっさんに料理してもらうのが一番なんだけど、最悪生のままでも……」
――栄養として考えれば生で食べた方が良かった気がする。
レウルスの前世での知識がそう訴えかけてくるものの、料理をできる人と環境が揃っているのならわざわざ生で食べる必要もないだろう。
「今日を乗り切ったら君は火打石でも買うべき。さすがに生で食べると体に悪い」
そもそも魔物がうろつく町の外で暢気に肉を焼くなと言いたいシャロンだったが、さすがのレウルスでもそこまで分別がないわけではない――と思いたい。しかし、生でシトナムを食べていた辺り信用が置けなかった。
「火打石……魔法が使えればなぁ。火を熾せるだけでも十分なのに……」
前世も含めれば“いい歳”になっているレウルスだったが、男としての性なのか、魔法という言葉の響きに惹かれる気持ちがある。
漫画やアニメに出てくるような強力な魔法までとは言わないが、せめてライターの代わりになるぐらいの魔法が使えればと思ってしまう。火打石を買えば良いと言われても、きちんと使いこなせる自信がない。
火打石で火花を起こせることは知っていても、実際に火を点けるとなると話は別だ。燃えやすいものならばすぐに火が点くのか、それとも何かしらのコツがあるのか。
慣れれば使い勝手が良いのかもしれないが、便利な道具で溢れていた平成の日本で火打石を使って火を熾したことがある者など周囲にいなかった。
「火を熾す程度の魔法具ならラヴァル廃棄街でも売ってある。魔法具は知ってる?」
「なんだそれ。名前だけ聞くと……魔法が使えるようになる道具?」
その他に解釈のしようもないが、確認しておくに越したことはない。シェナ村では得られる情報があまりにも少なかったため、この世界における常識に自信がなかった。
「その認識で合ってる。魔石という魔力を帯びた石があれば誰でも魔法が使える……っと、ボクも話がズレてしまった。レウルス、色々と知りたいのはわかるけど、まずは魔物退治を終えてから」
「ごめん、つい」
油断と呼べるほど気を抜いていたわけではないが、今は魔物退治に集中すべきだ。レウルスにもそれが理解できたため口を閉ざし――チリ、と首筋に震えが走った。
(これは……もしかすると、“もしかする”のか?)
獅子の魔物――キマイラと遭遇した時と比べれば微細な“嫌な予感”。しかし、この予感は魔物の接近を知らせているように感じられ、レウルスはぐるりと視線を巡らせた。
反応があったのは少し離れた林の中。鬱蒼と、と表現するには木がまばらだが、乱立する木立が視線を遮って林の奥までは見通すことができない。
それでもレウルスは目を凝らして何か異常がないか確認する。己の考えが間違っていなければ、何かが潜んでいるはずなのだ。
(……ビンゴ、と)
木陰から窺うようにして覗く、緑色の体。それは今しがたニコラが倒したシトナムと同種のものであり、三人で固まっているレウルス達を警戒しているようだった。
「先輩」
「あん? って……おー、お前中々良い目をしてんな」
シトナムに意識を向け過ぎないよう注意しつつ声をかけてみると、ニコラもすぐに気付いたのか感心したような声を漏らす。シャロンもそれは同様であり、周囲を見回す振りをしながらシトナムの姿を捉えていた。
「……ボク達よりも先に見つけた。レウルス、君は案外『冒険者』向きなのかもしれない」
「アレが食べられる生き物だと知って、頑張って見つけたんだ」
「そ、そうなんだ……」
真顔で誤魔化すレウルスに対し、シャロンは頬を引き攣らせながら頷く。レウルスは何故シャロンが引いているのだろうかと思いつつも、腰の剣を引き抜いて右手で構えた。
シトナムがレウルスにとっては食料になるとわかったからか、剣を抜く動作にも迷いがない。スムーズに剣を抜くと、ついでとばかりに足元から手頃な大きさの石を拾い上げた。
「死なないよう、何かあったら助けてやる。でも少しの怪我ぐらいなら放っておくからな」
「了解……そんじゃ、やってみるか!」
レウルスはお手玉をするように右手の剣と左手の石を入れ替えると、シトナムに向かって突進していく。そしてある程度まで近付くとシトナムが威嚇の体勢を取ったため、走った勢いをそのままに石を振りかぶった。
「ど――っせえええええい!」
己を鼓舞するためにも声を張り上げ、全力で踏み込んで右腕を鞭のようにしならせる。そしてシトナム目掛けて石を投擲すると、即座に剣を右手に持ち替えた。
投げた石は風を切ってシトナムに向かうと、そのまま胴体に直撃する。鈍い音と共にシトナムの体が後ろへと大きく揺れたのを視界に捉え、レウルスは勢いに任せて剣を構えたままで直進した。
いくら魔物とはいえ、一メートルサイズの生き物に対して人間が全力で石をぶつければそれなりに効果がある――そう思ってしまったのは油断と言うべきか、はたまた魔物の異常さこそを驚くべきか。
両腕と羽を広げて威嚇の体勢を取っていたが、レウルスが投げた石が直撃したことで体勢を崩したかに見えたシトナム。しかしレウルスが近づくと即座に体勢を立て直し、両腕を広げて飛びかかってきた。
「シャアアアアアアアァァッ!」
近づいてきたレウルスを迎えるように広げられたシトナムの両腕だが、そこには鈍く光る鎌がある。そして真正面から突撃してきたレウルスは格好の得物であり、胴体を分割するべく左右の鎌が真横へと振るわれた。
「うおおおおぉっ!?」
思ったよりもダメージがないシトナムの動きに、レウルスは剣を振ろうとした腕を無理矢理止めるなり咄嗟にスライディングする。そうして飛び上がったシトナムの真下を潜り抜けるが、それまで胴体があった場所をシトナムの鎌が斬り裂くのを見て冷や汗を流した。
(速ぇっ!? ってか怖っ! 風切り音がすげぇ!)
何とかスライディングで回避したレウルスだったが、戦いは始まったばかりである。即座に跳ね起きて剣を構え直すと、見守っているニコラ達へと叫んだ。
「先輩コイツやべぇ! 任せたいんだけど!?」
勢いだけでどうにかなるほど魔物退治は甘くない。石が直撃したのは良いが、シトナムの耐久性を甘く見ていたレウルスである。そのため必死に助けを求めたが、ニコラは鞘に剣を納めたまま腕を組んだ。
「よーし、そんじゃあ一つ助言をしてやるよ」
「助言よりも加勢をお願い!?」
三メートルほど距離を取ってシトナムと向かい合っているが、歯を噛み鳴らしてキチキチと威嚇音を向けてくるのだ。その音はまるでスズメバチの威嚇音のようにも聞こえ、レウルスとしてはすぐにでも助けがほしいところである。
「シトナムの鎌はたしかに厄介だ。何せ両腕についてるからな。まともに受けたらそのまま押し切られるかもしれねえし、片方を受けたらもう片方で斬られる……が、それなら当たらなきゃいいだけの話だ。もっとよく見ろ」
「も、もっと具体的に!」
とりあえずシトナムが近づいてこないよう、牽制のため剣を突き出しつつレウルスは叫ぶ。さすがに視線を外すことはないが、一メートル程度とはいえ魔物と直接対峙していると恐怖感がこみ上げてきた。
攻撃に当たらなければ死ぬことはなく、怪我を負うこともないのは道理だが、それができるなら苦労はしない。振り回される鎌は細い木ならば容易く両断し、威嚇音を上げる牙は人の肉程度簡単に噛み千切るだろう。
(……ん? 鎌?)
だが、シトナムと対峙していたレウルスは思考に閃くものを感じ、牽制を続けながらシトナムの様子をじっと確認する。
二本の足で立ち、両腕の鎌を誇示するよう広げ、孔雀が威嚇するように羽を広げて牙を鳴らすシトナム。初めて行う本格的な魔物退治ということで緊張があったが、じっくりと観察してみるといくつか気付く点があった。
羽を広げてはいるが自由に飛び回ることはできないらしく、見た限りでは両足だけで立つ際にバランスを取る役割を兼ねているようだ。
一番の脅威と思われた両腕の鎌も、いくら切れ味が鋭いといってもその形状が鎌であることに変わりはない。まさか腕から切り離してブーメランのように飛んでくるはずもなく、威力はあっても攻撃の“幅”は小さいように思えた。
(もしかして……)
突き出していた剣を引き、両手で構えてからレウルスは地を蹴る。ただし今度はシトナムに向かってではなく、シトナムの周囲を回るよう円状にだ。
するとシトナムはレウルスの動きに追従すべくその場で回り始めたが、その動きはレウルスと比べて少々遅い。体の大きさと移動距離の長さの違いから余裕を以って追従できると思われたが、その動きから判断する限り、シトナムは方向転換が苦手なようだ。
加えて、今レウルスがいる場所は林の中である。シトナムの中心に置いて円を描きながら移動しつつ、乱立する木々の中から盾に出来そうな太さの木を探していく。
「へぇ……」
「ふむ……」
そんなレウルスの行動を見ていたニコラとシャロンが小さく呟くが、その呟きがレウルスに届くことはない。眼前のシトナムだけでなく移動の際に木の根などに足を取られないよう集中しており、二人にまで意識を向ける余裕がないのだ。
(こっちの動きに合わせて方向転換するだけか……魔法が使えるなら話は別なんだろうけどな)
魔法にしろ何かの飛び道具にしろ、シトナムが遠距離から攻撃ができるならレウルスもここまでの余裕は持てなかっただろう。自分の方が勝機を握っていることが確信でき、レウルスは剣を握っている両手に力を込める。
最初に手本としてニコラがシトナムを倒したが、その時のインパクトが強すぎたらしい。何も真正面から倒す必要はなく、魔物と戦う際にどんな戦法を取ろうと卑怯だなんだと言われることもないはずだ。
(相手の隙を狙うだけで卑怯って言われたら何の反論もできないけどな……)
真正面から斬りかかっても倒せないのならば、倒せるよう行動すれば良い。今回の戦法が他のシトナムにも通用するかわからないが、今回はシトナムを倒す明確なイメージを描くことができた。
レウルスはシトナムの周囲を駆け回ると、隙を見計らって小石を拾い上げる。そして挑発するように何度も小石を投擲すると、痺れを切らしたのかシトナムが飛びかかってきた。
背中の羽をよりいっそう強く羽ばたかせ、鋭利な光を宿す鎌を振りかざして突っ込んでくるシトナム。それを見たレウルスは即座に足を止めると、心中でカウントダウンを行う。
(三……二……一……今っ!)
首を刎ね飛ばそうとする、シトナムの両鎌。左右から挟み込むようにして迫るその一撃は、巨大なハサミが迫るようなものである。それでもレウルスは冷静に行動を――背負った木から身を離し、再びシトナムの股下にスライディングを敢行した。
「ッ!?」
攻撃せずに回避に徹したレウルスの行動に、シトナムは小さく鳴き声を上げる。切り落とそうとしたレウルスの首は既になく、空振りした両腕の鎌はレウルスが背負っていた木の幹の半ばまで食い込み、その動きを止めた。
「っしゃあっ!」
回避しつつ斬れるような技術はなく、防御しながら相手の隙を狙う器用さもない。そのためシトナムの動きを止めることだけに集中したレウルスだったが、シトナムが木の幹に鎌を食いこませたのを見て思わずガッツポーズを取った。
相手が人間ならば通じなかっただろうが、軽く挑発するだけで思い通りに動いてくれたシトナムに内心で感謝する。それと同時に、自分が選んだ木を容易く輪切りにするほどの攻撃力がシトナムに備わっていなかったことに安堵した。
だが、安堵してそれで終わりではない。レウルスはすぐさま体勢を立て直すと、剣を構えながら地を蹴る。そして木の幹から鎌を抜こうとしているシトナム目掛け、力任せに剣を振るった。
今のシトナムはレウルスに対して背中を向けている状態である。その上、両腕の鎌が木に食い込んでいるため斬撃を回避することもできないだろう。
そう自分に言い聞かせるレウルスだったが、いくら思考は冷静でも体はついてこない。首を落とせば死ぬと聞いてはいたが、振るった剣が狙い通りに動くかはまた別の話である。
勢いに任せ、思い切り踏み込んで振るった剣。シトナムとの身長差もあり、それはまるでバッティングのような形でシトナムの首を“真横から”落とそうとする。
「……あっ」
シトナムの首を落とす――よりも先に、剣先が木に食い込んだ。シトナムの動きを止めるために選んだ木によって、今度はレウルス自身が動きを止められたのである。
武器の違いか膂力の違いか、レウルスが振るった剣はシトナムの鎌よりも浅く食い込んだだけで済んだが、即座に引き抜くのは不可能だ。刃はギリギリでシトナムに届いておらず、剣の軌道上にあった羽を斬り裂いただけである。
「やっべ食い込んだー!?」
己がイメージしたものとは異なる結果に気付くまで一秒。シトナムを殺すどころか一転してピンチになったことに気付き、レウルスは叫んでいた。
(自分が利用した木に剣を食い込ませるとか馬鹿じゃねえの俺!? 馬鹿だよチクショウ!)
言い訳するならば、レウルスには一キロ以上の金属の塊である剣を全力で振るった経験がない。今世では農作業の際に鍬を使っていたが、土を耕すために振り下ろして使っていただけだ。武器として、全力で、相手を斬るために剣を振り回したことなどないのである。
それに加えて命を賭けた実戦は緊張を抱かせ、レウルスのイメージと実際の行動に齟齬をもたらした。
予想していなかった結果にレウルスの思考は真っ白になる。木の幹に力いっぱい斬り込んでしまったことで手に痺れが走り、剣の柄から手を離してしまう。
シトナムは羽を切られたことに怒りを覚えたのか、ギチギチと牙を噛み鳴らしながら両腕の鎌を木の幹から引き抜き始めた。
レウルスの剣よりも深く食い込んでいるためすぐさま抜けることはないだろうが、魔物の膂力ならばレウルスよりも先に引き抜けるだろう。
「ギギギギギッ……」
両腕の鎌を木の幹に食い込ませたまま、肩越しに振り返って威嚇するように鳴くシトナム。昆虫らしい無機質かつ不気味な瞳で見上げられたレウルスは、背中に怖気が走るのを感じた。
(近くで見ると余計に気持ち悪っ! てか怖っ!)
間近で見た一メートル近いカマキリというのは、恐怖と同時に気持ち悪さをレウルスにもたらす。子供の頃は昆虫に対して忌避感など抱かなかったというのに、ある程度年齢を重ねると急に嫌悪してしまうようなものだ。
食用になるからと自分を誤魔化していたが、手を伸ばせば触れ合うほど間近で見たシトナムに対する嫌悪感は強く。
「っ! オラァッ!」
嫌悪感から咄嗟に前蹴り――所謂ヤクザキックをシトナムの背中に叩き込み、シトナムを木の幹に押し付けて動けなくした。そして比較的痺れが弱い左手で腰に吊るした短剣を引き抜き、逆手に構えてシトナムの頭部へと振り下ろす。
その体の大きさと比較してシトナムの頭は小さい。だが、両腕の鎌が木の幹に食い込んでいる上に背中から蹴り込んで固定している状態ならば今のレウルスでも十分に狙える。
木に叩きつけた衝撃から立ち直らない内にと振り下ろした短剣は、狙い違わずシトナムの後頭部を捉えた。鋭い切っ先が緑色の外殻へとめり込み、そのまま突き破ってシトナムの頭を木に縫い付ける。
(うげぇ……硬いと思ったら案外柔らけえ……)
思ったよりも短剣が鋭かったのか、あるいはシトナムが柔らかかったのか。外殻はそれなりに硬かったものの“中身”は柔らかく、左手に伝わる感触は心地良いものではなかった。
短剣を突き刺した場所からは緑色の血液らしき液体が溢れ、その色が余計にレウルスの気分を削いでいく。それでも仕留めることができたと安堵するレウルスだったが、突き立てた短剣から逃れようとシトナムの体が動いていることに気付き、頬を引き攣らせる。
昆虫だからか、それとも魔物だからなのかわからないが、短剣で頭を貫かれても動こうとしているシトナムに戦慄を覚えた。
「頭潰しても生きてんじゃねえか!」
レウルスは吐き捨てるように叫ぶと、突き立てた短剣を引き抜くなり今度は横薙ぎに振るう。それは驚きを起因とするほぼ無意識での行動だったが、この場においては最善と言えた。
レウルスが振るった短剣はシトナムの首を薙ぐと、硬質な手応えと共に外殻に食い込んだ。その感触から首を刎ねるには程遠いと察したレウルスは体重を乗せ、強引に刃を埋めていく。
「……短剣、本当に役に立ったな」
そして、力任せにシトナムの首を切り落としてからそう呟くのだった。