第138話:お風呂あるの? その2
翌日、日が暮れる時刻になると宣言通りシャロンがレウルスの家を訪れた。
シャロンは昨日と装いが変わらず、着替えなどが入っていると思わしき籠を小脇に抱えている。
「来た」
「うん、見ればわかるんだけど……先輩楽しみにしすぎだろ」
正確な時計がないため確信は持てないが、おそらくは昨日とまったく同じ時間に来訪したシャロン。表情こそ普段の無表情だが、その瞳は期待に輝いている。
「お風呂は?」
「あー……沸かしてるところだ。もう少し待っててくれるか?」
昨晩シャロンが生み出した氷が一日で溶けきらなかったため、サラを放り込んで溶かしている最中である。そのままサラが水に浸かり続ければすぐにお湯になるだろう。
とりあえずシャロンをリビングに招き、コップに入れた水を出してみる。シャロンは礼を言って水を飲み始めるが、その視線は地下室へと続く階段へと固定されていた。
かつてシャロンから冒険者として“指導”を受けたエリザもこの場にいる。シャロンが来たということで何度か話しかけるが、シャロンは視線を動かさないままでロクな反応を返さない。
シャロンとほとんど関わりがないミーアもいるが、レウルスとエリザが話しかけても上の空のシャロンを苦笑しながら見ているだけだ。
(どんだけ風呂が好きなんだよ……ん? 待てよ?)
内心だけで苦笑するレウルスだったが、そこでふと疑問を抱く。
(この町にあるのってサウナ風呂だよな? 川に行っても水浴びはできるけど、風呂ってわけじゃない……となると、先輩は“どこで”風呂に入ったことがあるんだ?)
温かいお湯で満たされた風呂など、ラヴァル廃棄街では入りようがない。もしかすると話に聞いたことがあるだけで実際に入るのは初めてかもしれないが、それならばこれほどまでに期待に満ちた雰囲気は放てないだろう。
相変わらずの無表情ながら、全身からワクワクと擬音が聞こえそうな様子のシャロン。その姿はやはり、男性というよりは年頃の少女のようで――。
(いやいや、詮索はしない、と……まさか風呂場に突撃して確認するわけにもいかないしな)
体が勝手に動いて風呂場に突入、などという惨劇を引き起こすつもりなどない。そんな事態に陥ったら“何者”かに操られているとでも思うべきだろう。
魔法が存在する世界のため可能性もゼロとは言わないが、レウルスの体を操ってシャロンの入浴現場に突撃させるような“何者”かがいるとは思えなかった。
そうやってレウルスがシャロンを観察していると、階下からバタバタと足音が聞こえてくる。どうやらサラが風呂を沸かし終わったらしく、それを知らせにきたのだろう。
「ふぃー……良いお湯だったわ! あれ? 良いお湯に“なった”? とにかく準備できたわよー」
一仕事終えた、と言わんばかりに額を手で擦るサラ。良い仕事をしてきたとアピールするように笑顔だが、お湯を沸かすため湯船に浸かっていたらしく、全裸だった。
「ぎゃあああああああああああぁっ!? 沸かすのは良いが何故お主は全裸で出てくるんじゃ!? ああもう! 床が濡れる! 体を拭くからミーアも手伝ってほしいのじゃ!」
「う、うん!」
そして、全裸で出てきたサラを見てエリザが悲鳴を上げる。『強化』でも使っているのかと言わんばかりの速度でサラに肉薄すると、そのまま抱え上げて二階へと運び去ってしまった。
おそらくは自分のタオルなどでサラを拭いてやるつもりなのだろう。
(サラなら火炎魔法で体についてる水を蒸発させられるんじゃ……家が燃えるかもしれないから自重しただけか?)
もしくはレウルスに褒めてほしいからと体を拭くことすら忘れ、すぐに上がってきただけなのか。レウルスが少しだけ首を傾げていると、シャロンが椅子から立ち上がる。
「それじゃあお風呂を借りる」
「お、おう……先輩ブレないな」
サラの全裸およびエリザとミーアの慌てようなど眼中にない、と言わんばかりの様子だった。
地下室の明かりはサラが点けっぱなしにしているため、レウルスが同行する必要はないだろう。昨日訪れたことで部屋の間取りを覚えたのか、シャロンは迷うことなく地下室へと向かっていく。
(俺が覗くとか思わないんだろうか……いや、覗かないけどさ)
シャロンの迷いのない足取りに思わず苦笑を零すレウルス。
エリザ達が下りてきたらドミニクの料理店に行こうか、などと考えていると、家の外に魔力を感じた。続いて、昨日のシャロンの時のように扉がノックされる。ただしシャロンと比べるとそのノックは少々荒っぽかった。
「……誰だ?」
計ったようなタイミングだ。レウルスは少しだけ疑問に思いつつ、短剣の柄を握りながら扉を開ける。
「……よう」
そこには、バツの悪そうな顔をしたニコラが立っていた。
何か用事があるのだろうと判断したレウルスはニコラを家に上げる。そしてシャロンの時と同じようにリビングに通すと、ニコラは物珍し気に周囲を見回した。
「初めて上がったが、ずいぶんと良い家じゃねえか」
「元々は平屋建てだったのに、カルヴァンのおっちゃん達が一晩で地下室と二階を増やしてくれたからな……ありがたいけどさ」
そう言いつつ、レウルスはニコラの様子を窺う。ニコラは最初こそ周囲を見回していたが、徐々に表情が張りつめていく。その様子から余程大事な用件なのだろうと察し、レウルスはサラへと『思念通話』をつないだ。
『サラ、しばらくエリザ達と一緒に二階にいてくれ。ニコラ先輩が俺に用があるみたいだ』
『あっ、れ、レウルス!? エリザってば酷いのよ!? 謝ったのにわたしの足を掴んで“じゃいあんとすいんぐ”を――』
二階からドタンバタンと騒ぐような音が聞こえてくる。元気で良いことだ、と思いながらレウルスは『思念通話』を切った。数秒経つとサラの悲鳴が聞こえてきたが、いつものことである。
「悪いな先輩。エリザ達がちょっと激しく遊んでるみたいだ」
「いや、それは構わねえけどよ……むしろ音で紛れて都合がいい」
そんなことを言いながら、ニコラは両手に提げていた物をテーブルに置く。酒瓶が二本に大きな木の葉で包まれた何か――匂いから察するに肉を焼いたものだろう。
「手ぶらでってのも悪いしな。おやっさんのところから買ってきた……ちょいと付き合ってくれるか?」
「……それじゃあご相伴に預かろうかね」
シャロンが風呂に行った直後だが、ニコラも“わかっていて”やってきたのだろう。
レウルスが自分とニコラ用のコップをテーブルに置くと、ニコラは慣れた手つきで酒を注ぎ始める。レウルスが大きな葉で包まれた土産を開けてみると、中からは予想通り肉を塩で焼いたものが出てきた。
何の肉かはわからないが、焼き鳥のようなものだろう。
「それじゃ、乾杯といくか」
「そりゃいいけど、何に乾杯するんだ?」
「……最近の怪我人の少なさと、町の住民の健康を祈って?」
レウルスが不思議そうに尋ねると、ニコラは僅かに悩んでから乾杯の理由を捻り出す。その理由ならば確かに乾杯でも良いだろうと納得し、レウルスはニコラとコップをぶつけ合った。
「ふぅ……美味い」
「ああ、美味いな。でも先輩、これって高いんじゃないか?」
ドミニクの料理店で扱っている酒は、その大半が町の住民でも気軽に飲める安酒だ。一杯あたり銅貨3枚で飲める代わりに、味は大したことがない。
だが、ニコラが持ち込んだ酒は相応に値が張る“例外”だ。町の住民も祝い事などの時にしか買わないような酒で、瓶で買うとなると一本でも銀貨が必要になる。
「気にすんな。最近は装備に金をかけることも減ってるし、日頃の依頼で金が貯まる一方なんだよ」
「それならいいけどさ……」
一杯、二杯と早いペースで酒を飲んでいくニコラ。その様は早く酔いたいとでも言いたげで、レウルスは内心疑問を覚えながらちびちびと酒を飲む。
『あああああああ頭打ったぁあああァァッ! レウルスレウルス! エリザってばわたしをイジメるの! 助けてよぅ!』
『ほどほどにするよう伝えといてくれー。あとあまり騒ぎすぎるなよー。一階まで音が聞こえるぞー』
ニコラと酒を飲んでいると、サラから悲鳴染みた救助要請が届いた。しかしレウルスはいつもの“姉妹喧嘩”だと軽く流す。
『なんかすっごい他人事!? あっ、やっばいわ! 今エリザがわたしの背中に乗って両足を掴んで無理矢理逸らせて――』
「全裸で人前に出るなと何度言えばわかるんじゃあああああああぁぁ!?」
「エリザちゃん!? サラちゃんの体がとんでもないことになってるよ!?」
どうやら二階ではエリザによるお説教という名のプロレス大会が開かれているようだ。シャロンというお客様がいるというのに、全裸でサラが登場したことがエリザの逆鱗に触れたらしい。
レウルスがエリザと『契約』を結んでいた影響により、サラが顕現する際にエリザそっくりな姿になったのはエリザも知るところである。エリザからすれば、自分の全裸が目の前にあるようなものなのだろう。
「お前のところのエリザの嬢ちゃんも、だいぶ明るくなったな」
「元気なのは良いことさ……うん、良いことのはず……」
子どもは元気なのが一番で、エリザとサラの喧嘩は微笑ましいものがある――が、エリザがレウルスのやったことを真似ているようでレウルスとしては気が気ではない。
「そ、それは脇に置くとして……そろそろ本題を聞いてもいいか?」
「う……ま、まあ、さすがにわかるよな……」
ニコラとしても露骨だと思っていたようだ。レウルスが本題について尋ねると、ニコラは困ったように酒を呷る。
余程言いにくいことなのか、ニコラは酒をコップに注いでは飲み干し、視線をあちらこちらに彷徨わせていた。
(そこまで言いにくいことなのか?)
竹を割ったような性格で、普段ならば直截な物言いをするニコラがこれほど言いよどむのだ。
(ここは逆に、俺の方からシャロン先輩について言及した方が話しやすいかな?)
そうした方がニコラも話しやすいかもしれない。おそらくではあるが、ニコラがわざわざこのような場を設けたのもシャロンのためだと察したのだ。
――タイミング的に、それ以外考えつかないのだが。
しかし、ニコラは相変わらず視線を彷徨わせている。酒ばかり飲むため既に一本目の酒瓶を空けており、二本目に手を伸ばしているほどだ。
「どうしたんだよ先輩。普段の先輩ならもっとずばっと言ってるだろ?」
「そりゃそうなんだが……ことがことだけに、な。いや、俺もお前を信頼してるんだが……」
ニコラはリビングの奥にある階段へと視線を向けながら、歯切れ悪く言う。シャロンが風呂に向かってまだ十分も経っていないが、いつ上がってくるか気になっているのだろう。
「シャロン先輩なら風呂場から魔力が動いてないし、まだ時間がかかるんじゃないか?」
「そうか……いや、うーん……あ」
そこでふと、何かに思い至ったように呟きを漏らすニコラ。レウルスはとうとう本題かと酒を飲みながらニコラの発言を待つ。
「実は……シャロンは姐さんの子どもなんだ」
「ごっほっ!? う、嘘だろ先輩!?」
そして、思い切り酒を吹き出してしまった。ニコラの表情は真剣で、レウルスはむせながら事の真偽を問う。
(姐さんの年齢的におかしくないのか? いやいや、そうだとしたらシャロン先輩を何歳で産んだんだよ!? もしかして旦那さんがいたのか!? 俺って人妻か未亡人かを口説こうと――)
「ああ、嘘だ」
「はっ倒すぞ先輩」
混乱が瞬時に収まり、心底からの冷たい声が漏れた。抗議するようにニコラの脛を蹴ると、ニコラは真剣な表情を崩して笑う。
「いてぇ、いてぇって! 場を和ませる冗談だっての……酔っぱらってるってことで見逃せ」
「姐さんに『ニコラ先輩が言ってたけど子持ちなのか?』って聞いてくるぞ……」
「やめろぉっ!?」
きっと素晴らしい笑顔でニコラに“説教”をしてくれるに違いない。レウルスはそう思いながら、コップに酒を注ぎ直して一気に飲み干す。
「……で? 出来の悪い冗談を聞かせるためだけにわざわざうちに来たわけじゃないよな?」
目を据わらせて尋ねるレウルス。二度目の冗談は許さないと言わんばかりの目つきに、ニコラは視線を泳がせた。
「あー……その、なんて言えばいいんだろうな……レウルス、お前シャロンのことどう思ってる?」
「その質問は色々と誤解を招きそうだから先に言っとくけど、俺は男色家じゃないぞ……ついでに言えばエリザ達にも手を出してねえ」
まさかシャロンが風呂に入りに来ると知って、わざわざ釘を差しにきたのではあるまいか。男色家だのなんだのという噂は消えたと思っていたが、まだ根強く残っていたというのか。
「その辺はちゃんと理解してっから……まあ、“それだと”俺としては逆に安心できねえっつうか……いやいや、でもレウルスだしなぁ……」
一人で何やら百面相を始めるニコラ。レウルスは片眉を跳ね上げつつも、酒を口に運ぶ。こういう時は落ち着くのを待った方が良いだろう。
「シャロン先輩について、何か言いたいことがあるのか?」
そして、ニコラが落ち着いた時を見計らって声をかける。すると、ニコラは酒を一口飲んでから大きく頷く。
「ああ……今回のことは良い機会だと思ってな。お前に話しておきたいことがあるんだ」
そう言って、ニコラは真剣な表情を浮かべ――告げる。
「――実は、シャロンは女なんだ」
な、なんだってー