第136話:どういうことだよ姐さん
時を僅かに遡る。
農作業者の護衛依頼を無事完遂したレウルスは、冒険者組合でナタリアに報告を行っていた。レウルスはエリザやサラ、ミーアと組んでおり、その代表者として依頼の達成を報告する必要があるのである。
「今回も平穏無事に終わったようね……なによりだわ」
「怪我人なし。農作業も順調、と。俺としちゃあ一匹ぐらい魔物が出てくれた方が食事的な意味で助かるんだけどな……ま、皆に怪我がない以上の報酬はないか」
「お金の報酬はちゃんと出るのだから、ドミニクさんのところでちゃんとした料理を食べなさいな」
レウルスの言葉を聞き、ナタリアは苦笑しながら今回の依頼の報酬を取り出す。
魔物が出なかったため追加報酬がなく、ミーアが冒険者ではないためレウルスとエリザ、サラの三人分の報酬だが、それでも銀貨2枚になる。
本来は銀貨1枚と大銅貨5枚の報酬だが、レウルスとサラの索敵能力に追加で報酬が出ているためだ。もしかするとそういった名目でミーアの分の報酬を足してくれているのかもしれないが、レウルスもナタリアに確認するつもりはなかった。
いわゆる技能手当のようなものだとレウルスは解釈している。そういう名目ならば多少報酬を増やしても周囲に何か言われることもないだろう。銀貨2枚あればミーアを含めても数日分の食費になるため、レウルスとしてはありがたい限りである。
「エリザ、俺は姐さんに話があるから先に帰っていてくれ」
「む? 話ぐらいなら待っておるぞ?」
「いや、長くなるかもしれないからな。もし帰りが遅くなったら先におやっさんのところで晩飯を食っててくれ」
そう言いつつ、レウルスは今回の報酬をエリザに渡す。その態度は堂々としており、後ろめたさなど微塵も感じていないようだった。
「帰りはちゃんと大通りを通ること。何かあったらすぐに声を上げること。知らない人に声をかけられてもついていかないこと……って、余所者ならすぐにわかるか」
車に注意しなくても良いのは助かる話だ。不審者についても、余所者ならばエリザ達が気づかなくても周囲の住民の空気でわかる。
「ワシは子どもかっ!? ええい、サラもミーアも行くぞっ!」
「何かあったら『思念通話』を飛ばすわ! エリザ、家に帰る前に買い食いしましょ買い食い!」
「えーっと……それじゃあ、ボク達は先に帰ってるね?」
子ども扱いされたことが嫌だったのか、エリザは頬を膨らませてノシノシと歩いていく。サラは楽しそうに、ミーアはエリザの剣幕を見て困ったように去っていく。
「それで? あの三人を先に帰らせて何を聞きたいのかしら?」
エリザ達が冒険者組合を後にするなり、意味深に微笑んだナタリアが聞いてくる。その問いかけにレウルスは頬を掻き、困ったように首を傾げた。
「いやぁ……この町の娼館について尋ねたくてさ。ニコラ先輩に話をしてみたら、姐さんに話を通せって……遺憾ながら、俺が男色家だって噂もあるみたいだし」
もちろん、その噂も悪意を持って広められているというわけではない。先輩冒険者達が冗談混じりで口にしているだけだろう。
他にも“妙な噂”があるのだが、そちらに関しては触れなかった。傍目から見れば誤解を招いても仕方がないと思っているのである。
「それで娼館に行こうと? 気持ちはわからないでもないけど、少々短絡的ではなくて?」
ナタリアは日頃から持ち歩いている煙管を弄びながら、呆れたように言う。
「まあな……でも、話に聞いたことがあるだけで実際にどんな場所かも知らないしさ」
どこにあるかも、どんな場所かも知らないのだ。エリザと出会った当初にエリザが娼館で働くことを薦められていたが、レウルスとしてはそれぐらいしか関わりがない。
「幸い、金にも少しは余裕があるしな。社会勉強だと思って」
「――駄目よ」
レウルスの言葉を遮るよう、ナタリアが切って捨てる。少しばかり冷たく感じられる反応にレウルスが片眉を跳ね上げると、ナタリアはため息を吐いた。
「そうね……坊やなら精霊教の客人でもあるのだし、ラヴァルの城門を通れるでしょう? ラヴァルの娼館に行くのは構わないわ。でも、この町の娼館を利用するのはやめておきなさいな」
「理由を聞いてもいいかい?」
娼館の利用に関しては止めないらしいが、“場所”が悪いらしい。その点が気になってレウルスが尋ねると、ナタリアは僅かに考え込んでから周囲に視線を向けた。
「場所を変えましょうか。坊やさえ良ければわたしの家で話しましょう。そう……“二人きり”で、ね?」
ナタリアの言葉に、周囲がざわつく。しかし、レウルスとしては周囲と違うであろう部分が気になっていた。
(姐さんの家ってあったんだ……いや、そりゃあるか。ずっと組合にいるイメージがあったけど、姐さんだって自分の生活があるだろうしな)
思ったよりも重要な話なのかもしれない。そう考えたレウルスは頷きを返すのだった。
「狭いところだけど遠慮なく上がってちょうだいな」
「……お邪魔します」
既に夕刻ということもあり冒険者組合の業務を終わらせたナタリアに連れられ、レウルスはナタリアの家に足を運んでいた。
ナタリアのような女性が住む家がどんなものか、いまいち想像できないレウルスである。しかし、実際に到着したナタリアの家は周囲の一軒家と大差がなかった。
場所は冒険者組合の裏手であり、職場に近そうで良いことだとレウルスは思う。
冒険者組合は大通りに面しているためラヴァル廃棄街の中では“一等地”なのだが、そんな冒険者組合に近い場所に家を構えるナタリアは高い給料をもらっているのだろうか――などと無駄なことをレウルスは考えた。
ナタリアの家はレウルスの家と同様に、土壁と木材で作られているようだ。ただし、一晩で進化したレウルスの家と違って二階も地下室もない。ごく普通の平屋建てといった外見だった。
玄関を開けるとリビングらしき部屋につながっており、部屋の奥には二つの扉が見えた。寝室と倉庫だろうか、とレウルスは内心だけで首を傾げる。
女性一人で住むには少しばかり広いような気がしたが、かといって“他の人間”が住んでいる気配はない。むしろナタリア一人で住んでいるにしても生活感が乏しかった。
リビングは板張りの床に厚手の布の敷物が敷かれ、その上に木製のテーブルが置かれてある。天板の大きさは畳一枚分ほどで、来客用なのか椅子が二脚置かれていた。壁際には大きめの棚が一つあり、そこには何本かの瓶が見える。
一応台所らしきものも存在するが、目立つ家具はそれぐらいだった。あとは台所に皿などが置かれているぐらいである。
「ふむふむ……」
失礼だとレウルスも思ったが、我が家と見比べてしまう。足元の敷物はどこで売っていたのか尋ねて良いものだろうか。愛剣の手入れも大事だが、“我が家”を充実させることもレウルスにとっては大事なのだ。
「坊や、女性の部屋をじろじろと見るものではないわ」
「おっと、こりゃ失礼……」
それもそうだ、とレウルスはすぐに視線を外した。そしてナタリアに視線を向けてみると、ナタリアは何やら考え込んだ様子で台所を見ている。
「話をするのに何もないというのも寂しいわね……」
「ん? もしかして手料理でも振舞ってくれるのかい?」
さすがにそれはないか。そう思いながら冗談のようにレウルスが言うと、ナタリアは小さく微笑んだ。
「そうね……それも悪くないわ。坊やは椅子に座って待っててちょうだい」
(え? マジで?)
冗談で言ったつもりだったが、どうやら本当に料理を作るつもりらしい。レウルスは真紅の大剣を壁に立てかけると、言われた通り椅子に座る。
「一応聞いておくけど、苦手な食べ物はないわよね?」
「食べられるならなんでも食べるけど……」
「そう。それは良いことだわ」
何が楽しいのか、レウルスの返答を聞いたナタリアは微笑みを深めた。
続いて、艶のある紫色の髪を掻き上げると、どこからともなく取り出した白いリボンでひとまとめにする。料理の邪魔になると思ったのか、あるいは髪の毛が料理に入らないよう配慮したのか。
普段は見ることのない、ナタリアの後ろ姿。ドレスに似た黒い服は料理には向かないと思うが、ナタリアの均整の取れた体にはよく似合っている。更に踏み込んで言うならば、髪を掻き上げたその仕草と露になったうなじが妙に色っぽかった。
加えて、ナタリアは服が汚れないようにとエプロンらしき布を体の前面にかける。腰の裏で紐を結ぶ手際にも“慣れ”が見受けられた。
(……正直、グッとくるな)
その姿に、思わず小さくガッツポーズをするレウルス。自分がこの場にいる理由も忘れ、ナタリアの家庭的な一面を見れただけで満足な気持ちになった。
(いや、待て俺……これでメシマズだったら……)
しかし、すぐに“最悪の可能性”が脳裏を過ぎった。後ろから見る限りナタリアの手つきはよどみがなく、料理にも慣れているようだったが、味までは保証できない。
そうやってレウルスがじっと見つめていると、苦笑した様子でナタリアが振り返った。
「黙って見つめられるとさすがに困るわ。何か面白い物でもあったの?」
「面白い物はないけど、姐さんの後ろ姿があまりにも綺麗だから見惚れてた。姐さんに料理を作ってもらえるとは思わなかったから驚いたけど……料理するところも似合ってて新鮮だよ。あとうなじが色っぽい」
「あら、お上手ね……でも、今日誘ったのは“それ”が理由よ」
「……それ?」
何のことだろうか、とレウルスは首を傾げる。思ったままに褒めただけで嘘は言っていないのだ。お世辞ではなく本心である。
ナタリアはレウルスから視線を外すと、料理を再開した。トントン、と包丁で野菜を切る音が周囲に響く。
「坊やも若いのだし、娼館に行くことは止めないわ。ただ、さっきも言ったけど行くならラヴァルの方にしてちょうだいな」
「娼館に行くためだけに税金払ってラヴァルに入るってのはさすがにきついんだけど……理由を聞かせてもらってもいいかい? もしかして俺が“入れ込む”ことを心配してくれてる?」
さすがに何の理由もなくラヴァルに行けとは言わないだろう。むしろナタリアならばラヴァル廃棄街に金を落とすよう言いそうだ。
ただし、金を落とし過ぎるのは問題である。前世でも風俗通いに嵌り過ぎて給料の大半をつぎ込む同僚がいたな、と朧げに思い出した。
そういった意味ではナタリアが止めるのも納得できる。しかしながら、それだけならばわざわざ家に招く必要はないはずである。
「生活費を使い込むぐらい色に溺れるようには見えないけれど?」
「いやいや、俺は童貞だぞ? 一度抱いたらそのままずぶずぶと首まで浸かる勢いで金を貢ぐかもよ?」
前世はともかく、今世においては間違いなく“女性経験”がない。シェナ村にいた頃は農奴扱いで近寄ってくる女性もおらず、自分から近づこうとすれば村の上役に殴られるような有様だ。
(母親を除くと、シェナ村で触れたことがある異性は村の外れに埋めた女の子の死体だけだもんな……死体を異性にカウントするのは間違ってるだろうけど)
十人を超えた辺りから具体的な数は覚えていないが、自身と同じような境遇で命を落とした子どもならば男女問わずに埋葬“させられて”きた。
シェナ村で触れたことのある異性は母親だけで、他は死体だけという過去にレウルスは軽く泣きたくなる。
かといって、ナタリアの言う通り色に溺れるかと聞かれれば答えは否だ。
(前世で十五歳っていったら青春真っ盛りって感じで色々持て余してたけど、今はなぁ。感じるのは食欲ばっかりで性欲は……)
幸いと言って良いのか、男としては不幸と言うべきなのか、今のところレウルスは性欲が非常に薄い――むしろ食欲が強すぎるのである。
三大欲求で例えるならば食欲九割、睡眠欲九分、性欲一分といった有様だ。
ナタリアやエステルのような好みの女性を見ると『いいなぁ』とは思う。しかし、それが食欲より優先されるかと問われると――。
「身持ちを崩すほどお金を使うの? 本当に?」
「……そこまで金を使うぐらいなら、おやっさんのところで腹いっぱい飯を食うな、うん」
ナタリアに笑顔で問われ、レウルスは真顔で頷く。食欲が強すぎるだけで“抱こう”と思えば抱けるはずだが、食事より優先しようとは思えなかった。
「それじゃあなんで止めたんだ? 風俗……じゃない、娼館に行くのを止めるっていったら理由はそれぐらいじゃないのか?」
「わざわざ家に呼んでおいてなんだけど、そこまで深い理由はないわ。ただ、坊やの場合は娼館の子達を“本気”にさせそうだから釘を差しているだけ……身請けまで考えているのならわたしも止めないけどね」
「本気って姐さん……こう言っちゃ失礼かもしれないけど、相手も“商売”だろ? 客に入れ込み過ぎるってのはまずいだろうし、注意してるんじゃないか?」
娼館とはそういった場所だろう。そう思いながらレウルスは言うが、ナタリアはふりかえることなく料理を再開しながら切って捨てる。
「あら、相手も貴方も血と情が通った人間でしょう? 肌を重ねれば情が移ることもある……そうではなくて?」
「そりゃあ……まあ、ないとは言えないわな」
抱けば情が移る――そう言われてしまえばレウルスとしても反論はできない。
一晩限りの相手だと割り切っても、ラヴァル廃棄街にいる以上はどこかで顔を合わせる可能性もあるのだ。
「それに、坊やは町の独身女性からすれば“狙い目”でもあるわ。腕も立つし、お金があって家もある。お嬢ちゃん達をどう思うかは人それぞれだけど、安定した生活を送るためなら許容するでしょうしね」
そう言いつつ、ナタリアは火打石を使って竈に火を点ける。レウルスと違って非常に手慣れており、ほんの十秒ほどで火を点けてみせた。
「娼婦となればなおさらよ。坊やは身請けできるだけのお金を持っていて、女性を粗末に扱う性格でもない。敵なら容赦しないでしょうけど、ね」
「…………」
言葉だけで否定するのは簡単だが、ナタリアの話には納得できる部分も多い。そのためレウルスは沈黙し、野菜を炒め始めたナタリアをじっと見つめる。
「娼婦でも坊やにとってはこの町の仲間……坊やは娼婦ではなく一人の女性として接しそうだわ。それが相手の目にどんな風に映るのか……相手もお世辞には慣れてるけど、坊やの場合は本心で褒めるから性質が悪いのよ」
女性を褒めることに駄目出しをされるとは思わなかった。しかしながらナタリアの話も理解できるため、レウルスは黙って話の続きを聞く。
「相手を本気にさせて、それが原因で飛び火する……冒険者組合の受付として、“あの子達”を知っている者として、それは避けたいの。坊やが抱く相手を物のように扱って情を抱かせないのなら、わたしも止めないけどね」
ナタリアが口にしたのは、おそらく娼館にいるという娼婦達のことだろう。ニコラが言うにはナタリアが娼館に関して取り仕切っているらしく、色々と思うところがあるらしい。
――あるいは、エリザ達のことも含んでいるのか。
そして、ナタリアの言う通りである。会ったことすらない相手だろうが、この町の“仲間”だというのならレウルスも粗末に扱うことはない。
(金、安定した生活……身請けねぇ……)
今でこそ食べるものに困らない生活を送れているが、一年前の今頃はシェナ村で空腹を抱えながら日々を過ごしていた。
レウルスにとっての脅威は空腹だけでなく、村の外で魔物に怯えながら行う農作業、そして何かあれば殴ってくる村の上役など、思い出そうと思えばいくらでも思い出せる。
娼館勤めの娼婦とどちらが辛いかはわからないが、一年前の自分がシェナ村での生活から抜け出せると知れば何でもしただろう、とレウルスは思った。
同時に、そこまで口説くようなことを言っていただろうかと眉を寄せる。ナタリアが相手の時は、ナタリアも“わかっていて”応じてくれていた。そのため軽口で済んだのだが――。
「ほら、できたわよ。簡単なもので悪いけどね」
レウルスが考え込んでいると、ナタリアがテーブルの上に皿を並べ始めていた。匂いに釣られて視線を向けてみると、ハムらしき肉と野菜の炒め物、竈で温めた黒パン、コップと水差し、そしてフォークがテーブルに置かれている。
匂いを嗅いだ限り、とても美味しそうだ。さすがにドミニクには負けるのだろうが、匂いと見た目は美味しそうである。
「坊やも飲む?」
レウルスが目を輝かせていると、ナタリアが棚から瓶を一本持ってきた。中身がわからないが断るのも野暮だろうと頷くと、ナタリアが瓶を傾けてコップに中身を少しだけ注ぐ。
ほんのりと香る果実の甘い匂い。それと同時に僅かながら酒精の匂いが感じられた。おそらくは果実酒だろう。
「せっかくだしもらおうかな」
レウルスが頷くと、ナタリアが瓶を傾けてくる。レウルスは果実酒を注がれると、瓶を受け取ってナタリアがしてくれたように瓶を傾ける。
髪がかかるからか、ナタリアは髪の毛を後頭部でひとまとめにしたままだ。さすがにエプロンは外しているが、正面から向き合っていると普段との印象が違い過ぎる――が、これはこれでアリだと思える。
普段の薫るような色気が“若干”鳴りを潜め、清楚で瑞々しい印象が強まるのだ。
叶うならそのまま眺めていたいところだが、せっかく作ってくれた料理が冷めてしまう。そう思ったレウルスは無意識の内に両手を合わせ、フォークを手に取った。
「いただきます……ん? 姐さん、どうした?」
「……いえ、味はどうかと思っただけ。不味くはないと思うのだけど……どうかしら?」
そう言われてレウルスは野菜炒めを口に運ぶ。ハムなのか干し肉なのかわからないが、ぶつ切りにされた肉も一緒に噛むと程よい塩気と肉の旨味、そして野菜の美味しさが口の中に広がった。
「うん、うん……美味い」
味わうように何度も噛み、音を立てて飲み込む。続いて果実酒に口をつけてみるが、こちらもまた美味かった。酒精はそれほど強くないが、夕食のお供には最適と言える甘さである。
「こっちも美味い……姐さん、美人なだけじゃなく料理も美味いのか。最高だな」
「坊や?」
「本当のことなんだから許してくれよ。今後はまあ、注意するさ」
容姿の誉め言葉はともかく、料理が美味いことを褒めるなというのは無理だ。不味ければそれはそれで勝手に言葉が出てきそうだが、レウルスにとって美味い料理を褒めないというのは魂が拒否しそうなほどあり得ないことである。
レウルスは言葉少なく、それでいて料理を食べる手は止めずに平らげていく。ナタリアは簡単な料理だと言ったが、簡単だからこそ技量が問われるのではないか。調味料は塩を少し使っているだけだが、干し肉の旨味で十分である。
「ふぅ……ごちそうさま、美味しかったよ」
パンも全て平らげ、満足そうにレウルスは呟く。すると、ナタリアもどこか満足そうに微笑んだ。
「そういった誉め言葉なら大歓迎ね。気持ちの良い食べっぷりだったわ」
そう言われてレウルスも笑い返した。せめて食費だけでも渡すべきかと思ったが、ナタリアの笑顔を見ているとそれも野暮だろう。
「この礼は明日からの仕事で返すよ」
「ええ、そうしてちょうだいな」
どうやら間違っていなかったらしい。レウルスの言葉を聞くとナタリアは笑みを深めた。
普段はどこか冷たさを感じさせるナタリアだが、こうして“私生活”に触れてみると少しだけとはいえその素顔が伺えた。同時に、ナタリアの才色兼備振りがよくわかる。
わざわざ組合から連れ出してこのような場を設けたのも、冗談半分とはいえレウルスにかけられている噂を払拭するためなのだろう。そう判断したレウルスは、コップに残っていた果実酒を飲み干して口の端を吊り上げた。
「姐さんって良い女だな」
「ふふっ……今回だけは誉め言葉として受け取っておくわ。それで? “どうする”の?」
それは、先ほど話していた娼館に関する話か。レウルスは椅子から立ち上がると、壁に立てかけておいた真紅の大剣を背負う。
ナタリアが組合の中で“わざわざ”家に誘ってくれたことで、男色だなんだと噂されることもなくなるだろう。それならば、美味い料理の余韻に浸りながら退くだけである。
「俺としちゃあ、そっちよりも姐さんを口説きたいところなんだけど……腹が膨れたから素直に帰るさ。エリザ達がちゃんと晩飯食ってるか確認せにゃならん」
レウルスがそう言うと、一体何がおかしかったのかナタリアはコロコロと笑った。普段のナタリアからは想像もつかない、無邪気な笑顔だった。
「そうしてあげなさいな……おやすみなさい、レウルス」
『坊や』ではなく、名前を呼ぶナタリア。レウルスは僅かに瞠目したが、すぐにナタリアに倣うようにして笑った。
「ああ……おやすみ、ナタリア」
明日になれば“いつも通り”だろう。それでも、今この時ばかりは名前を呼んでもらえたことが無性に嬉しかった。
レウルスはナタリアの家から外に出ると、軽く伸びをする。
「さーて……おやっさんのところでエリザ達と飯でも食うかぁ」
エリザ達のことだ。まだ食事をせずに待っていそうである。
すっかり日が落ちて暗くなったラヴァル廃棄街の大通りを、レウルスは心なしか軽くなった足取りで歩き出すのだった。