第10話:冒険者 その2
――『冒険者』。
それは名前の響きとは裏腹に、様々な依頼に対応する何でも屋である。
名前の通りに国の各地を冒険する者もいるようだが、大抵は己が所属する町で依頼をこなしていくようだ。
ラヴァル廃棄街の場合は町の治安維持、町の外から訪れる“余所者”の監視、接近してくる魔物の警戒および討伐と、ラヴァル廃棄街の維持存続に注力している――らしい。
ナタリアから話を聞いたレウルスは『冒険者』という言葉とは裏腹に、自警団や警備員のような活動をしていると聞いて首を傾げた。
「でも、それって兵士の人の仕事なんじゃないんですか?」
自分達の住んでいる場所を守る。それはけっこうなことだろう。前世では警察などが治安維持を行っていたが、この世界でそのような組織があるとは聞いたことがない。代わりになるものがあるとすれば、それは国が管理する兵士などになる。
シェナ村にも兵士がいたためそのぐらいはレウルスとて知っており、自警団として活動するのは良いとしても本来は兵士の役割だと思ったのだ。
「坊や、この町の名前は?」
「ラヴァル廃棄街……ですよね?」
「そう。“それ”が答えよ」
そう言って意味ありげに微笑むナタリアだが、レウルスとしては腑に落ちない。その内心が表情に出たのだろうが、ナタリアは右手に持った煙管を数度指先で回転させるだけで取り合わなかった。
「必要だから存在する。坊やはそれだけ知っていれば良いわ」
「はぁ……」
煙に巻くような言葉に、レウルスは頷きを返すに留める。何やら理由があるらしいが、突っ込んで確認するには警戒心が先に立ってしまった。
(本来は兵士の役目なのにこの場所ではそうじゃない……廃棄街って言うぐらいだから兵士には守ってもらえないのか? でもそれならラヴァルの町のすぐ傍にこの町があるのはなんでだ?)
生まれてから今までシェナ村で農奴生活を送っていたが、実は自分が知らないだけで何か重要なルールでもあるのだろうか。レウルスはそんな風に考えるものの、ナタリアからじっと見つめられていることに気付いて内心を隠すように頭を掻く。
「それで、俺はこれから何をすればいいんですかね?」
「そうねぇ……少しばかりお待ちなさいな」
そう言って席を立ち、受付の奥に引っ込むナタリア。そして五分と経たずに戻ってくると、レウルスに何かを差し出した。
「……これは?」
ナタリアから渡されたのは名刺サイズの金属板である。鉱物に詳しくないため材質がわからないレウルスだったが、鈍色の金属板には穴が一つ開けられ、その表面には何かしらの文字が刻まれていた。
「『冒険者』としての登録証よ。この鎖で首にかけておきなさい」
金属板とは別に細い鎖を渡され、レウルスは言われたままに金属板の穴に鎖を通して首にかける。鎖を軽く引っ張ってみるが頑丈な造りらしく、千切れる様子はなかった。前世で言うところのドッグタグを少しばかり大きくしたような形である。
「これ、何が書いてあるんですか? というか、文字が少しおかしいような……」
登録証というからには自分の個人情報でも刻まれているのだろうか。そんなことを考えるレウルスだったが、登録証に書かれている文字が淡く光っているように見えたのが気になり尋ねる。
「あなたの名前と所属している町、それに『冒険者』としての立場が書かれているわ。文字は『魔法文字』で書いたのだけれど……知らないかしら?」
「初めて聞きましたし、むしろ普通の文字すら知りません」
『魔法文字』と聞いてもレウルスには理解できず、素直に答えた。特殊な文字らしいが、普通の文字すら知らない身としてはそう言うしかない。
(早くこの世界の文字も覚えないとなぁ……)
前世では識字率がほぼ100パーセントの国で生きていたレウルスである。言葉は理解できても文字がわからないというのは地味にストレスになっていた。
前世で過ごした日本と異なり、例え文字の読み書きができなくとも生きていくことはできる。だが、今のように他者から渡されたものの内容を読み取ることができないのは危険だろう。
「普通の文字とは違う……まあ、簡単には消えない文字だと思えば良いわ」
「へえ……便利な物があるんですね。それで、俺の名前とラヴァル廃棄街に所属していることが記載されているっていうのはわかりましたが、『冒険者』としての立場というのは?」
もしかすると『冒険者』にも役職でもあるのだろうか。さすがに係長や部長といった単語が出てくるとは思わないが、知っておかないとまずそうだとレウルスは考える。
「今の貴方は『冒険者』としては駆け出し……下の下の存在よ」
「それはまあ、そうですよね」
『冒険者』になった実感は微塵も湧かないが、レウルスは下の下という評価に納得した。むしろ何もしていないのに高く評価される方が不気味であり、その点では安堵できる。
「下級下位『冒険者』。これが今の貴方に与えられた立場」
「文字通り下の下なんですね……」
もしかするとナタリアなりの冗談なのだろうか。そんなことを考えるレウルスを見詰めるナタリアの視線は真剣であり、冗談でもなんでもないらしかった。
下級下位という言葉に、レウルスは小さく首を傾げる。
「下級……つまり中級や上級があると考えても? 下位ってわけるなら上位もあって全部で六段階ですかね? それとも間に何か挟まって九段階で?」
「十段階よ。各階級で下位、中位、上位に分けられていて、上級上位の上は最上級……ここまで到達するのは並大抵のことじゃないけれどね」
そう言われて己の認識票に視線を落とすレウルスだったが、相変わらずその文面を読むことはできない。下級下位という地位がどれほど意味を持つかわからなかったが、『冒険者』という職に就いたことで最低限の身分が保証されたと考えても良いだろう。
「もし町の内外でその登録証をつけている死体を見つけたら、可能な限り回収してちょうだいな。こちらとしても誰が死んだのか把握しておきたいのよ。些少だけどお礼も出すわ」
「……わかりました」
死体と聞いて思わずぎょっとするが、魔物と戦うのならば死ぬことも有り得る。この世界におけるレウルスの両親も魔物に殺されたのだ。少しばかり硬い声色で答えるレウルスに、ナタリアは意味ありげに微笑む。
「それと坊や、その口調も変えなさいな。このラヴァル廃棄街の『冒険者』になった貴方は我々の身内……そんな子に畏まった口調で喋られては、貴方は良くても周囲が気にするわ」
「それは……」
良いのかと思ったレウルスだったが、それがラヴァル廃棄街の流儀ならば従う必要があるだろう。前世も含めれば四十年近い時を生きているレウルスからすれば大抵の人間は年下であり、敬語を止めろと言われて躊躇する必要もない。
「わかった。でも、敬語を使うべき相手には使わせてもらうからな」
そう言ってちらりとドミニクに視線を向けるレウルス。敬語を使わなくて良いのは楽だが、命の恩人が相手ならば話は別だ。
敬意の伴わない敬語などただの慇懃無礼であり、それならば相手が求める口調にした方が軋轢も生まないだろうが、命を救われた相手にまで敬語を崩すのは良心が咎める。
(碌に教育も受けてないって自分で言ってるのに、敬語で話す元農民の奴隷……うん、そりゃおかしいわ)
敬語を控えろと言われ、これまでの自分を振り返るレウルス。客観的に見てみると、たしかにただの農民ではないと疑われるのも仕方がない。その“疑い”も完全に晴れたわけではないというのは、ナタリアの目を見れば一目瞭然だった。
「けっこうよ。貴方にはこれから『冒険者』として活動してもらうけど……」
そこまで言葉を進め、ドミニクをちらりと見やるナタリア。そんなナタリアに頷きを返したドミニクは周囲に視線を滑らせると、二人組の男性に目を向ける。
「ニコラ、シャロン。お前らに任せて良いか?」
「おやっさんの頼みなら断れないっすね」
「請け負った」
ドミニクが声をかけると、そんな返答をしつつ二人組の男性が歩を進めてくる。
片や、天然なのかセットしているのか、乱雑に切られた燃えるような赤髪を逆立たせた青年。髪の色もそうだが、人懐こさと凶暴性が同居したような笑顔が印象的である。
ところどころ小さな傷が目立つ革鎧を身に付け、腰元には使い込まれた様子の剣が吊るされていた。他にも短剣や硬質な音を響かせる物体――手ごろな大きさの石が入った革袋を腰のベルトから下げており、戦い慣れた雰囲気が漂っている。
片や、小柄な体躯と知性の色が見え隠れする瞳が印象深い中性的な少年。
隣に立つ青年とよく似た赤色のショートカットの髪と、ところどころ似ている顔立ち。それらを見比べると赤の他人とは思えず、もしかすると兄弟なのかもしれない。
こちらは急所を最低限守る部分的な革鎧に灰色の外套と軽装であり、その手には杖らしき物体が握られていた。ただし杖というには長く、身長と同程度の長さがある。穂先はないが槍か何かに使うのだろうか、とレウルスは思った。
(……ん?)
そこまで考えた時、レウルスは『おや?』と内心だけで首を傾げる。少年の顔立ちや装備以上に、気を引かれる点があったのだ。
(……この子、女の子じゃね?)
羽織った外套のせいでわかりにくいが、肩や腰の骨格を見る限り男性的というよりは女性的である。装備を確認する振りをして視線を飛ばした胸元は見事に起伏がなかったが、同時に、喉仏なども確認できなかった。
「ボクの顔に何か?」
「……いや、冒険者って割に軽装なんで、大丈夫なのかと思ってな」
訝しげに、というよりは無表情で声をかけられ、レウルスはとぼけるように肩を竦める。
聞こえた声も女性にしては低く、男性にしては高い気がしたが、まだ声変わりをしていないと考えれば十分にあり得る範疇だった。確認できなかった喉仏についても、そうであるなら納得ができる。
「話は聞いてたぜ。レウルスって言ったか? 俺はニコラ。こっちは“弟”のシャロン。しばらくの間は俺らが面倒見てやるよ」
レウルス達の会話を遮るようにそう言って赤髪の青年――ニコラが気さくに笑う。そこに嫌味な雰囲気はなく、純粋に“後輩”の面倒を見るつもりらしかった。
「ボクはシャロン。短い付き合いになるか長い付き合いになるかわからないけど、よろしく」
ニコラとは対照的に落ち着いた雰囲気の少年――シャロンもレウルスの面倒を見ることに賛成らしい。
(弟……弟かぁ……)
シャロンを弟だと紹介したニコラに頷きを返したレウルスだったが、“色々”と事情があるのだろうと判断してそれ以上は何も言わなかった。
「しっかし、トニーさんはともかくおやっさんの推薦たぁ珍しいっすよね」
「たしかに……でも、ドミニクさんの推薦を受けたボク達が言えた義理じゃない」
軽く自己紹介をしたニコラとシャロンは、親しげな雰囲気でドミニクに声をかける。ドミニクは厳つい顔に少しだけ笑みを浮かべると、親指でレウルスを示した。
「恩と義理を知っている。それだけあれば十分だろう」
「なるほど、そりゃごもっともで」
「それなら期待しておく」
そういって笑い合うニコラ達だが、レウルスは置いてけぼりにされた気分である。それでもすぐにニコラから視線を向けられると、親しげに背中を叩かれた。
「それじゃあ早速行こうかい」
「行くって……どこにです?」
なにが『それじゃあ』なのだろうか。そんな疑問を滲ませるレウルスだったが、ニコラは顔をしかめて強めに背中を叩いた。
「おいおい、ナタリアの姐さんからも言われただろ? まずはその口調をやめな。かたっくるしくて息が詰まるってもんだ。俺もお前もドミニクのおやっさんに推薦された、言わば兄弟みたいなもんなんだからよ」
「がふっ……うっす。了解っすニコラ先輩」
ひとまず体育会系に近いノリを心がけて先輩と呼ぶレウルス。すると、何故かニコラは目を閉じて肩を震わせた。
「先輩……良い響きじゃねえかオイ」
(いいんだ、それで……)
さん付けで呼ぶか、もっと砕けて話すか悩んだレウルスだったが、間違いではなかったらしい。
「おいおいニコラ、後輩に良いところ見せようとして失敗すんなよ?」
「面倒見た初日に魔物に食われでもしたら一生笑いもんだぞオメェ」
「うるっせぇな! んなこたぁわかってるよ!」
遠巻きに見ていた他の『冒険者』らしき者達からからかいの声が飛び、即座にニコラが言い返す。これまでの会話で薄々察していたレウルスだったが、どうやらニコラはお調子者とでも評すべき性格らしい。
「それじゃあシャロン、“任せた”わよ」
「……わかった」
反対に、シャロンは沈着冷静な性格のようだ。今もナタリアと言葉を交わしているが、そこに何かしらの意味が含まれているように思われてレウルスとしては気が気ではなかった。
できれば確認したいところだったが、藪を突いて蛇が出てきたら堪らない。そのため聞かなかったことにして話題を変える。
「それでニコラ先輩、一体どこに行くんだ?」
「決まってんだろ? 魔物退治だよ」
ひとまず会話の軌道修正を試みるレウルスに対し、ニコラはあっさりと行先を告げる。ただし、その内容はレウルスとしても予想外だったが。
「魔物退治……俺、素手なんだけど」
まさかまた石を拾って魔物を殴らなければならないのか。先日の兎はたまたま倒せただけで、同じことをやれと言われれば死ぬ可能性が高いと身を震わせるレウルスである。
「『冒険者組合』から武器も防具も貸与されるわよ?」
しかし、そんなレウルスの恐怖を振り払うようにナタリアが口を挟んだ。
「……聞いてないぞ」
「言おうとしたらどこかの誰かさんに遮られたのよねぇ」
どうやら水税の免除などの話を聞いた際、本来ならばその辺りの説明もあったらしい。それを遮ったのはレウルス自身のため、バツが悪くてそっと視線を逸らす。
「魔物や不審者と素手で戦わせるわけにはいかないでしょう? 質はそれほど良くないけれど、最低限武装を整えられるはずよ」
それとも貴方は素手で魔物を倒せるのかしら、と言われてレウルスは頭を掻く。
角兎を倒した時でさえ、拾った石とはいえ武器があったからこそ倒せたのだ。武器や防具を貸してもらえるのなら、ありがたく借りておこう。そう決断するレウルスに対し、ニコラが真面目な顔で声をかける。
「武器や防具は体に合った物を使うのが一番だからな。金が貯まったらちゃんとした物を作ってもらった方がいいぜ」
「そうなのか?」
「ああ。体格や筋力に合わせて色々となぁ……武器にしても重心が違えば扱いやすさも変わる。防具も体の大きさにきちんと合わせないとな」
前世の知識に照らし合わせて考えてみれば、服のサイズはきちんと合った物を選べということだろうとレウルスは納得した。安値の量産スーツよりもオーダーメイドで作られたスーツの方が体にフィットし、肉体的にも精神的にも負担が少ないようなものだろう。
「それに、組合で借りれるやつは本当に質が悪いからな。下手すりゃ一回の戦闘で駄目になる」
「あら、それはこの組合の管理が悪いということかしら?」
レウルスに注意を促すニコラだったが、ナタリアから少しばかり冷たい声をかけられて焦ったように首を横に振った。
「い、いやだなぁ姐さん。そんなわけないっすよ! 俺も駆け出しの頃にゃあ助けられましたって!」
冷や汗を掻きながら弁明するニコラ。ナタリアは浮き出た汗を拭うニコラの様子に満足したらしく、その口元に笑みを浮かべた。
「ふふふ……ま、いいわ。見逃してあげる。その代わり、その坊やの“面倒”はきちんと見てあげなさいな」
「うーっす、了解っすわ」
ほっと安堵の息を吐き、ニコラは肩を撫で下ろした。そしてレウルスへと向き直ると、受付の一角に造られた扉を親指で差す。
「それじゃあ俺らがお前さんの装備を見繕ってやるよ」
「はい、お願いします……じゃない、えーと、頼むよ先輩?」
ついつい敬語で答えてしまい、レウルスは首を傾げながら訂正する。前世も含めればニコラやシャロンは自分の半分程度しか生きていない若輩になるが、今世では年上で『冒険者』としては先輩だ。
そのため、なるべく敬語は使わないように意識してもどのように話せば良いか迷ってしまう。結果としてレウルスとしては少しばかり生意気で横柄な言葉になったのだが、ニコラは微塵も気にした様子を見せずに歩き出した。
慣れるまでに時間がかかりそうだ、などと考えながらニコラの後を追うレウルスだったが、ニコラは武器等が置かれている部屋の扉に手をかけた状態で振り返る。
「っと、武器とかを選ぶ前に先輩として一つ忠告しておくか」
その言葉にレウルスは何事かと思って身構えるが、ニコラはそんなレウルスの反応を見て苦笑した。
「そんなにビビんなよ。この町の『冒険者』として覚えておくべき最低限の規則を教えるだけだ」
「この町を魔物とかから守る……ってことじゃなくてか?」
『冒険者』の役割に関してはナタリアから話を聞いた。それ以外にも何かあるのかと疑問を言葉にしてみると、ニコラはそれまでの気さくな笑顔を引っ込めて視線を鋭いものへ変える。
「――堅気の奴らにゃ絶対に手を出すな。それさえ守れば大抵のことはどうにかなる」
真剣に、鬼気さえ滲ませながら告げるニコラに対し、レウルスは無言で首肯した。
(不良というかチンピラというか……ヤがつく自由業?)
それも古いタイプの。レウルスは『冒険者』の立ち位置についてそんなことを考えるが、『冒険者』に求められる役割としてはそれほど変わらないのかもしれない。
(やっぱり、少し早まったかも……)
他に生きる道が見当たらなかったとはいえ、『冒険者』としての特権に釣られて即断したのはまずかったのではないか。しかしながらやはり他に食っていける道がなく、レウルスは深々とため息を吐くのだった。