第105話:ドワーフの捜索 その2
昼過ぎに降り出した雨は、時間が経つにつれてその雨脚を強めていく。最初はほとんどの雨粒が頭上の枝葉に遮られていたものの、雨の勢いが増すと限界が訪れる。
枝葉に溜まった雨水が大粒の雨と混ざり合い、風に吹かれて森の中にいたレウルス達へと降り注ぐ。森の外で雨に打たれていれば、一分と経たずにずぶ濡れになっていただろう。
「あちゃー……雨が強くなってきたな」
雨避け用の布をリュックにかぶせ、更には頭からもかぶった姿のレウルスが呟く。
雨避け用の布は大きな布に魔物の油脂を塗り込んだ一品で、雨が当たっても油が水を弾いてくれるため濡れることを避けられるのだ。ただし、油脂が流れてしまうとただの布でしかなくなるため、一時しのぎでしかない。
旅の道具の中には布に塗るための油脂もあるのだが、雨の中で塗っても大きな効果はないだろう。油脂は乾燥した布に塗るべきであり、そもそも大雨が降る中で油脂を塗っていたら雨に濡れるに違いない。
「ねえどうするの? 頭の上に炎を出したら、このぐらいの雨なら触れる前に蒸発させられるわよ? やっちゃう? ばーっとやっちゃう? ついでに髪の毛と服が燃えるかもしれないけどね!」
「エリザ、そこの暴走娘が馬鹿なことをしないよう見張っててくれ」
「わかったのじゃ……でも、さすがにこの雨はきついのう。大きな木の下で雨がやむのを待つべきではないか?」
火の精霊だというのに雨が降ってもご機嫌な様子のサラに釘を差しつつ、レウルスは周囲を見回す。エリザの言う通り、そろそろ雨宿りができる場所を見つけたいところだ。
しかしながら森の中に生えている木はどれもが似通ったような大きさで、その枝葉で完全に雨を防ぐことはできそうにない。
いっそのこと木と木の間にロープを張り、雨避け用の布をかぶせて即席の屋根にした方が無難だと思えるほどだ。
油脂が流れ落ちれば雨漏りするだろうが、何枚か布を重ねて屋根にすれば当分持つだろう。最悪の場合、サラに炙らせて布地を乾燥させて油脂を塗り、屋根を取り換えても良い。
手ごろな木が見つからなければそうしよう。レウルスはそう考えながら周囲を見回すものの、悪天候に加えて森の中ということで視界が薄暗い。
街道がある方向だけは見失わないよう意識しているが、十メートル先も見通せないほど暗いため気付かぬ内に道に迷いそうだった。
「音が掻き消されるのも厄介だな……サラ、雨の中でも離れた位置にある熱源はわかるのか?」
「はー? わたしってば火の精霊なんですけど? そんなもの余裕に決まって……決まって……」
自慢げに胸を張っていたサラだが、徐々に顔色が悪くなっていく。
「……ち、近くの熱源なら余裕よ?」
「雨の中なんだからそんなに期待してねえよ。近い距離でもわかるのなら十分だ」
舌でも出しておどけそうなサラに対し、レウルスは気にしていないと首を横に振る。
「あ、あれ? レウルスが優しい……でも何か物足りないように感じるのはなんでっ!?」
レウルスに何かしら言われると思っていたのか、サラは不思議そうな顔をした。
「お前は俺を何だと思ってるんだ……」
眉を寄せるレウルスだが、エリザも何やら頷いているのが見える。そのためそれ以上は何も言わないことにした。
(これからはもう少しサラに優しくするとして……これじゃあ周囲の索敵も難しいな)
先ほどは妙な魔力を感じていたが、今は感じない。気のせいかと思うほど妙に希薄だったものの、それで油断していれば寝首を掻かれる可能性もある。
サラの熱源感知が普段よりも役に立たない以上、用心するに越したことはないだろう。大雨によって足音も消されるため、魔力がない野盗に待ち伏せされていれば非常に危険だ。
大剣は右手に握っているが、背中の荷物が大きいため森の中では動きも阻害されてしまう。雨と薄暗さによって遮られている十メートル程度の視認距離では、反応の遅れが死に直結しかねないのだ。
直接斬りかかってくるならば対応もできる。だが、弓などの遠距離武器で撃たれれば対応できるかわからない。
(今からでもアクラに引き返して……雨の日でも町の中に入れるのか? このまま雨宿りできる場所を探した方が無難な気も……っと?)
雨宿りできる巨木を探して小走りに森を駆けるレウルスだったが、ある程度進むと遠くに魔力を感じた。先ほど感じた曖昧な魔力ではなく、しっかりと存在する魔力である。
近づくにつれて感じ取れる魔力が大きくなり、その規模から判断する限り下級の魔物の中でも強いぐらいか、ギリギリ中級に届くぐらいか。エリザに気付けば逃げ出すかどうかの瀬戸際といった感触だった。
もしかすると魔力を持った人間の可能性もあるが、レウルス達のように魔力を持った旅人というのは希少だろう。
「あっちから魔力を感じる。多分魔物だ。強くても中級下位ぐらいだろうけど……全然動いてないな」
とりあえず魔力を感じる方向へ足を進めるレウルスだったが、相手はまったく動いていなかった。大雨の中を好き好んで移動する物好きでもないのだろう。
街道の方向だけは意識しておくが、魔力を感じるのは森の奥である。ドワーフの魔力ならば楽なのだが、などと思いながら進んだレウルスが見つけたのは、山の麓にぽっかりと開いた穴だった。
周囲には木や草が生い茂っており、穴の奥に魔力を感じ取れなければレウルスも見落としていただろう。穴の大きさは二メートルほどで、薄暗さのせいで穴の中はまったく見えない。
山の勾配はかなり急で、斜面を伝う雨水もそれほど穴に入り込まないようだ。穴のすぐ真上には木が生えており、雨が直接洞穴に降り注ぐこともなさそうである。
「……あの穴、雨宿りをするのに丁度良さそうだな」
「でも、中から魔力を感じるんじゃろ?」
「とりあえず声をかけてみる? ドワーフだったら返事をするでしょ」
魔力は相変わらず動いていない。洞穴の中で睡眠でも取っているのか、単純に雨宿りしているだけなのか。
「そうしよう……おーい! 聞こえたら何か返事してくれー!」
とりあえず洞穴に近づくと、中に向かって声をかけた。それでいて大剣をしっかりと握り締め、何かが襲ってきても迎撃できるよう警戒する。
『グルルルルルッ……』
返事はあった。ただし、明らかに魔物の声である。
「サラ!」
「はいはーい!」
レウルスの声を聞き、サラが洞穴に火球を撃ち込む。火球によって洞穴の中が明るく照らされ――中にいたのは四本の腕を持つ熊だった。
オルゾーと呼ばれ、中級下位に分類される熊の魔物である。その四本の腕と口から吐く火炎魔法が特徴的であり。
「おお……雨避けに丁度良い場所とメシが一緒になってやがる。やったぜ、今晩は焼き肉だ」
レウルスにとっては、美味しい獲物だ。近くに冒険者組合もないため素材を売るのは難しいだろうが、非常に食べ甲斐があるため満面の笑みを浮かべる。
「いつも焼き肉ばかりな気がするんじゃが……あと保存食?」
「そんでもって、焼くのはわたしでしょ? 別にいいんだけど、火の精霊が竈代わりってのはちょっと納得できないのよね……」
大喜びで大剣を構えるレウルスと異なり、エリザとサラは渋面を作っていた。
『ゴアアアァ……ァ? ッ!?』
だが、洞穴から姿を見せた化け熊はエリザの顔を見るなり足を止め、驚いたような雰囲気を発しながらその場から逃げ出す。
「――逃がさん」
雨でぬかるんだ足場を物ともせず、逃走に移った化け熊の背をレウルスが追う。そして後ろ脚を大剣で斬り飛ばすと、背負ったリュックごと跳躍した。
「ハッハアアアアァァッ!」
大剣を下に向け、荷物の重さごと落下して化け熊の首を切っ先で穿つ。肉と骨を断つ感触が両手に伝わるなり、レウルスは即座に大剣の柄を捻って傷口を大きく広げた。
『ゴッ……ガ……ァ……』
いくら魔物といえど、首の骨を断たれては生きていられない。化け熊は小さな鳴き声を漏らして絶命し、その体を地面に横たわらせた。
これまでレウルスが見たことある化け熊の中では一際小さく、その体長はレウルスと大差がない。
「成体にしちゃ小さいな……ま、それでも十分食いでがあるけどな」
おそらくは成長途中の化け熊だったのだろう。エリザを見て逃げたのも、実力的には下級の域にあったからかもしれない。
「よし、メシだメシ。肉を焼くついでに雨宿り……じゃない、雨宿りのついでに肉を焼くぞ」
思わぬところで食料が手に入った。化け熊の首から大剣を引き抜きながら、レウルスは満足そうに笑うのだった。
化け熊がいた洞穴は、中に入ってみると想像よりも広かった。
入口は二メートルほどだったが、少し進むと化け熊の寝床だったのか球状に抉り抜かれている。広さは直径三メートルほどで、レウルス達全員に加えて荷物を置くとなると少しばかり狭いが不便というほどでもない。
寝床の奥には穴が続いており、十メートルほど進むことができる。そこから先は非常に狭い穴になっており、エリザやサラでも匍匐前進しなければ進めないほどだった。
サラに火を灯させて確認してみるが、中にいたのは化け熊が一匹だけである。天井を確認してみると通気口らしき穴があり、そこから雨水が入ってきているが洞穴の中を水浸しにするほどではなかった。
安全を確保したレウルスはサラに焚火を熾させ、その間にリュックを漁って蝋燭を取り出す。
ここに来るまでで薪をいくつか拾えたが、野営した時のように潤沢に拾えたわけではない。薪の量は少なく、肉を焼くだけで限界だろう。
レウルスとしては肉が焼ければそれで満足だが、これから日が落ちるに当たって光源がないというのは非常に危険だ。
サラに火炎魔法を使わせれば問題は片付くが、火炎魔法を使うには魔力を消耗する。魔力を節約できるならば、節約するに越したことはない。
(えーっと……密室ってわけじゃないし、酸欠にはならないよな? 一応焚き火は入り口付近に置いとくか……)
大雑把に切り分けた化け熊の肉を焼くとしても、酸欠になって死ぬのはさすがに笑えない。洞穴の中に煙が充満するだろうが、通気口らしき穴もあるためそこまで酷いことにはならないだろう。
「よし、これ以上は移動も難しいし、今日は食って休むぞ。普段は素材として売るけど、今日は肝も食ってみるか」
現在は旅の途中のため、惜しいことではあるが化け熊の素材は売れない。夏の盛りは過ぎたとはいえ、暑さが残っているためすぐに肉などが傷むのだ。
そのため一晩で全部を食べる気になりながら、レウルスは肉を焼いていく。もちろん肉だけでなく固焼きパンや干した果物も一緒だ。レウルスはともかく、エリザとサラは肉が大好きというわけでもないのである。
火加減は火の精霊であるサラに任せ、レウルスは片っ端から肉を焼いていく。エリザを伴って旅をしているため、今回の旅でも中々魔物の肉にありつけなかったのだ。
血抜きをしていないため肉から血と脂が滴り、ジュウジュウと音を立てる。しかしレウルスはそれに構わず肉に噛みつき、どんどん平らげていく。
「うん……獣臭いし血塗れだけど、塩を振ればイケる。やっぱり料理って偉大だよなぁ……」
「へー、料理ってすごいのね! わたしには生肉を齧ってるようにしか見えないけど!」
「レウルス、お主は一度ドミニクさんに謝った方が良いと思うぞ? それを料理と言っては“本職”のドミニクさんが可哀想じゃ」
口周りが血で汚れるが、外は雨が降っているため後で手拭いを濡らして拭き取れば良いだろう。肉を焼いた際の煙の量はすごいものの、通気口に流れているのか思ったよりも煙たくはない。
「…………ぇ……」
「ん?」
そうやって化け熊の肉を齧っていると、遠くから何かが聞こえた気がした。そのためレウルスが周囲を見回すと、エリザとサラも不思議そうな顔をしている。
「今、何か聞こえんかったか?」
「エリザも? 聞き間違いかと思ったけど、わたしも何か聞こえた気がしたのよね」
レウルスの聞き間違いではなかったのか、エリザとサラも周囲を見回した。さすがのレウルスも肉を齧る手を止め、聴覚に意識を集中する。
「……っ……けむ……か……」
やはり、声が聞こえる。レウルスは立ち上がって大剣を握ると、洞穴の入口から外を窺った。
相変わらずの空模様で外は薄暗いが、何かが潜んでいる気配もない。ただし、ほんの僅かとはいえ聞こえていた声は聞こえなくなった。
「んん?」
レウルスは洞穴の中へと引き返す。そして再び耳を澄ませ――“その声”は届く。
「げほっ! ごほっ! おいこら! どこのどいつだ! 煙で燻すなんて良い度胸してるじゃ……ごほごほっ!」
洞穴の奥、レウルスでは到底通れないような狭い穴の奥から、そんな声が届いたのだった。