第101話:異国の旅人 その2
シンやスノウと出会った翌朝。
朝日が照らす河原で、レウルスは木の枝に刺した魚を焚き火で炙っていた。今世では海魚を見たことすらないが、川魚というのも滅多にお目にかかれないのである。
ラヴァル廃棄街の近くにも川はなく、一番近い川でさえ一時間近く歩く必要がある。生まれ育ったシェナ村には小川はあったものの食べられる大きさの魚はいなかった。そもそも、川で魚が獲れてもレウルスが食べる前に村の上層部に奪われただろうが。
パチパチと音を立てながら燃え盛る焚き火の傍にしゃがみ込み、魚が焦げないよう位置を調整する。調味料は塩だけだが、普段食べることができない川魚を食べられるというだけでレウルスはご機嫌だった。
「おはようございます。レウルスさん、朝から早いですね? って、もしかして寝てないんですか?」
「おはよう、スノウちゃん。野営で寝るわけにもいかないからな……エリザとサラは寝かせておきたいし、俺も数日なら寝なくてもなんとかなる。野盗が寄ってこないとも限らないんで起きてたよ」
レウルスが魚を焼いていると、少し離れた場所で野営していたスノウが近寄ってくる。
本当ならばエリザやサラと交代で眠るのだが、シンとスノウがいたため一晩中起きていたのだ。
話した限りでは悪人とは思えなかったが、出会ったばかりでは信用も信頼もできない。無害に見せかけてレウルス達が油断したところを――などという可能性も捨てきれなかった。
そうやって警戒するレウルスだったが、シンとスノウもレウルス達の素性がわからないということで荷物を隠していたらしい。
レウルス達と話し、ある程度の性格を掴んでからは大きなリュックを運んできた。野営の道具が詰まっているらしいが、その中でもレウルスの目を引くものが存在する。
“それ”はレウルスからすれば見覚えがある、野営のための道具だ。四角錘の形状でキャンプの時によく使うものである。
――見間違いでなければ、シンとスノウが夜を明かすために使ったのはテントだった。
(テントだよな……あれ? テントって名前だっけ? いやいや、テントだよ、うん)
折り畳み式のテント――そのはずだ、とレウルスは思う。
(この世界にもテントがあったんだな……って、単純な構造だし不思議じゃないか。でもなぁ……)
懐かしいものを見た、と言わんばかりに目を細めるレウルス。しかし身の回りで見たことがないだけで、テント程度ならば存在してもおかしくはない。骨組みを作って布を張るだけでテントになるのだ。
しかし、である。レウルスとしてはずっと気になっていたが、スノウの服装はさすがにおかしい。白いセーターにスカート、そしてスパッツに革靴という、前世の日本で歩いていてもおかしくない服装だった。
(そう思って見てみたら、日本人に見え……いやいや、『変化』で化けてるんだから人じゃないんだった。でもやっぱり服がなぁ……)
魚を焼きながらスノウの服装を観察していると、スノウが不思議そうに首を傾げる。
「何かおかしなところがあります? 寝ぐせとかは確認してきたんですけど……」
「いや、こっちじゃ見ない服装だったんでつい、な。質も良いみたいだし、可愛らしくてよく似合ってるよ」
「ありがとうっ! わたしの国ではこういう服がたくさんあるんだよ?」
観察するような視線を向けながら褒めてみると、スノウは嬉しそうに微笑んだ。黒い髪とその服装を見ていると、レウルスとしては前世の記憶が妙に刺激される。
シンもスノウも日本人に見えるが、世界は広いのだ。黒髪で黒目の人種がいてもおかしくはないだろう。
(そもそも、初対面の相手にいきなり手合わせを頼んでくるような日本人はいないよな)
昨晩、レウルスはシンに手合わせをしてほしいと言われたが、それは断らせてもらった。
戦いたいと言われても、レウルスには何のメリットもない。シンはカルデヴァ大陸の剣士の技量を見てみたいと言っていたが、レウルスは冒険者ではあっても剣士のつもりはないのだ。
レウルスとしてはシンとの手合わせに少しだけ興味もあるが、レウルスに“手合わせ”ができるかどうかという問題もある。
レウルスにできることといえば、手合わせではなく殺し合いになるだろう。魔物が相手だろうと人間が相手だろうと、手合わせや試合といった言葉で飾れるような戦いはしたことがないのだ。
唯一の例外があるとすればヴァーニルぐらいだが、ヴァーニルは手加減をしつつもその度合いが酷かった。下手すればレウルスが蒸散するような魔法を撃ち込んできた辺り、あの戦いも手合わせとは言い難い。
つらつらと考え事をしていたレウルスだが、ずっと気になっているよりはマシだろうとスノウに視線を向けた。
「あー……ところでスノウちゃん。君はニ……ニ……」
――日本という国を知っているか?
そう尋ねたようとしたレウルスだったが、言葉にならない。『日本』という単語を口にしようとしたものの、何故か発音できなかったのだ。
「ニ?」
「ニ……ニューフォン……」
「にゅ、ニューフォン? え? なんですかそれ……この地方の挨拶ですか?」
スノウは困惑したように目を瞬かせるが、困惑の度合いはレウルスの方が深い。
(あれ? なんだこれ……)
そこでふと、レウルスは思う。
――生まれ変わってから、自分は一度でも『日本語』を話したことがあったか?
心中で思い浮かべるだけならば問題はないが、いざ声に出そうとすると何かに“引っかかった”ように声が出ないのだ。
「……グッドモーニング、ハウアーユー?」
今度は適当に英語を喋ってみるが、こちらはすんなりと言えた。コモナ語は日本語と比べると英語に近い感じがあるため、口もスムーズに動く。
「ぐ、ぐもっ?」
(……グッドモーニングが通じないなら、日本人どころか地球人でもないか)
可愛らしく口ごもるスノウに少しだけほのぼのとしつつ、レウルスは小石を拾い上げる。そして近くにあった手のひらサイズの石に『日本』と刻み、スノウに見せた。
「……?」
左右に首を傾け、『これがなにか?』とでも言いたげに上目遣いで見てくるスノウ。そんなスノウの態度に演技の色はなく、レウルスは首を振って石を川に向かって放り投げた。
スノウの外見で『日本』という文字が読めないのならば、間違いなく日本人ではないのだろう。中国などの漢字を使う国の出身とも思えない。
もしかしたら異世界で元同国人と話せるかもしれない――そう思ったレウルスは少しだけ寂しく笑う。
「いや、ちょっとした疑問が晴れただけだ……気にしないでくれ」
『日本』と刻まれた石は、ぼちゃんという音と共に川に沈んだ。
「手合わせが無理なら、せめて武器を拝見させてくれないか?」
「……いいけどさ」
朝食を食べ終えるなり、シンが真面目な表情で言ってくる。手合わせを断ったため、それぐらいならばとレウルスは大剣を掲げて見せた。
「ほう、ずいぶんと大振りな……この大きさで片刃? 柄の長さを見る限り両手剣のようだが……ぬ? これは……『強化』の『魔法文字』か?」
「間に合わせの“代用品”でね。全力で振ると折れるかもしれないんで、『強化』で補強してもらってるんだよ」
「代用品? 全力で振ると折れる?」
レウルスの大剣を切っ先から柄頭まで眺めていたシンだが、レウルスの話が気になったのか興味を抱いたように目を輝かせる。
「シンさんは武器の目利きもできるクチか?」
「“特定の武器”ならある程度は、といったところだ」
「ふーん……これも縁だろうし、ちょっと待っててくれ」
レウルスはリュックを開けると、皮袋に入れておいたドミニクの大剣の破片を取り出す。シンは一言断ってから皮袋を覗き込み、盛大に眉を寄せた。
「これは……何をどうすればこんなことに?」
「火龍と一対一で喧嘩したらこうなった」
「……何故そんなことになったのかわからないが、火龍と一対一? よく無事だったな……」
レウルスの口調から冗談ではないと感じたのか、シンは困ったような顔をする。レウルスとしても、何故そんなことになったのかいまいちわからないため困惑が理解できた。
「しばらくは大丈夫だったんだけど、火炎魔法を斬ってたら限界がきてね……」
「『無効化』が使えたのか……それなら火龍と戦うというのも理解が――」
「いや、力任せに叩き切った」
シンの目が未知の生き物でも発見したように細められる。
「冗談……ではなさそうだな」
「冗談じゃないからなぁ……で、依頼ついでに剣を作ってくれるドワーフを探して旅をしてるってわけさ。いや、依頼の方がついでか」
この場所に来た目的の手作り温泉も堪能できた。朝食も済ませたため、そろそろ出発する必要があるだろう。
シンとスノウという予定外の“来客”もあったが、森の中に足を踏み入れるだけで正体もわからない強者に遭遇するのだ、と一つ学べたと思うことにする。
「ドワーフ……」
「おう、もし何か情報を持ってたら聞かせてほしい。ここから西……いや、北西か? その辺りでドワーフを見たって話を聞いたんだ」
特に期待もせずに問う。ティリエに住む精霊教徒でさえ知らなかったのだ。他の大陸から来たというシンが知っているとは思えない。
「ドワーフの知り合いはいるが、この辺りに来たのはつい最近なんだ。期待には沿えないが……」
「そうか……って、ドワーフの知り合い?」
「ああ。俺がいた国の王都で鍛冶師をしていた。腕の良い鍛冶師でな。こういった魔法具はあまり作らないが、良い武器を作っていたよ」
どうやらシンにはドワーフの知り合いがいるらしい。それだけでも大きな情報だとレウルスは前のめりになる。
「し、シンの国ってここからどれぐらいで行けるんだ?」
違う大陸とは聞いたが、もしかすると意外と近い可能性もある。もしも二ヶ月以内に帰ってこれるならば、どこにいるかわからないドワーフを探すよりも確実だろう。
出来の良い大剣を作ってもらい、あとはジルバに『魔法文字』を刻んでもらっても良いのだ。
「徒歩と船で……片道三ヶ月といったところか?」
「…………」
どう考えても無理だった。むしろ何故それほどの時間をかけてここまで来たのか、聞きたいぐらいである。
「……ドワーフ?」
そうやってレウルスとシンが話していると、エリザと何やら話していたスノウが声をかけてきた。
「シンさん、それってもしかして……ほら、“空から”明かりが見えた山があったじゃない?」
「……空から?」
どういうことだ、とレウルスはシンに視線を向ける。すると、シンは真顔で答えた。
「スノウは風魔法が得意でな……現在位置を確認するために高く飛んでもらったんだ」
「へぇ……すごいな風魔法。そんなことまでできるのか」
レウルスの身の回りにいる属性魔法の使い手と言えば、エリザとサラ、そしてシャロンぐらいである。その三人は全員が風魔法を使えないため、レウルスはお目にかかったことがないのだ。
「スノウちゃん、場所はわかるかい?」
「えーっと……太陽の位置があっちだから……うーん、と、北と西の間ぐらい?」
方向的には合っているらしい。ただし、明かりが見えたといってもレウルス達のように野営をしていただけという可能性もあった。
(それでも一歩前進だな……とりあえず予定通りアクラに行って、そこから周辺の山を回ってみるか)
少なくとも、明かりを使う“何か”がいたことは確実らしい。出会った直後はかなり警戒していたが、敵意も殺気も感じないシンとスノウにはレウルスも気が緩み始めていた。
だからこそ、というべきか。
「ほとんど情報がなくて困ってたんだ……助かる。俺にできることなら礼をするから――」
そこまで言って、レウルスは己の失言を悟る。シンの口元がゆっくりと吊り上がっていくのを見たからだ。
「レウルス、お主……」
「アンタって義理堅いけど、それが原因で失敗するんじゃないかって思ってたわ!」
手作りの竈を崩し、焚き火を消して出発の準備を進めていたエリザとサラからツッコミが入った。
レウルスは深々とため息を吐き、シンに視線を向ける。シンは笑顔で棒を握っていた。
シンが望むことは、一目瞭然である。そんなシンの隣では、スノウがため息を吐いていた。
「……自分で一度口に出したことだしな。やるか?」
「やろう」
今世において初めてとなる、殺し合いではない手合わせは、一つの失言から始まるのだった。
どうも、作者の池崎数也です。
新年あけましておめでとうございます。
昨年は拙作にお付き合いいただきありがとうございました。今年もよろしくお願いいたします。
前回の更新で多くのご感想をいただき、ありがとうございます。おそらく今作で過去最高の感想数でした。ただ、その中でもいくつかご指摘と言いますか、ご懸念を書き込んでいただけたので以下に返信をいたします。
Q.前作(異世界の王様)のキャラっぽいのが出たけど、主人公の影が薄くならない?(意訳)
A.今作はあくまでもレウルスの物語です。前作をお読みいただいた方への『おまけ』的な要素もありますが、シンとスノウがこれから物語に深く関わることはありません。気にされている方も多かったようなので、それだけは前もって記載しておきます。
ただ、シンとスノウが前作のキャラかどうか(何者か)は謎のままですが。
Q.でもシンとスノウは主人公のレウルスを超えるチートキャラなんでしょう?(意訳)
A.何をもってチートとするかは難しいですが、超えると言えば超えますし超えないと言えば超えません。レウルスはスノウに一撃も入れられないと感じましたが、実際に戦ったわけではないので……レウルスとシン達を比較した場合、レウルス側に非常に有利な要素もあったりします。
それでは、こんな拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。