第100話:異国の旅人 その1
「こんばんはー、もしよければ少し話を聞かせてもらってもいいですか?」
川を挟み、二十メートル近くの距離を開けたままでスノウが声をかけてくる。
スノウはにこやかに、人懐こい笑顔を向けてきており、その笑顔は見る者の警戒心を解きほぐす。レウルスがこの世界で初めて見る黒髪をセミロングに整え、明るく朗らかな空気を振り撒いていた。
外見から判断すれば十代前半といったところだろう。綺麗というよりは可愛らしい顔立ちをしており、身に付けた衣服もまた可愛らしいものだった。
汚れ一つない白のタートルネックセーターに、腰から股下にかけて広がる黒いミニのフレアスカート。更には太ももまで覆うスパッツを身に付けており、その全身は年齢相応の発育を思わせる緩やかな起伏を描いている。
そんなスノウとは対照的に、シンの服装は地味だった。
黒色で飾り気のない長袖のシャツとズボンを身に付け、動きやすそうな革靴を履いており、スノウの隣に立つとその地味さが目立つ。
しかしながら、180センチ近い身長に加えて服の上からでもわかるほど鍛えられた肉体が地味とは思わせない。
一見すると細身に見えるが、その実、徹底的に鍛え抜かれて余分な脂肪がないだけだろう。服越しではあるが、針金を束ねたような印象を受ける肉付きである。
スノウと同じく黒髪かつ顔立ちも整っており、冷静さと精悍さを混ぜ合わせた雰囲気はまるで高い地位にある騎士のようだ。
剣や槍といった目立つ武器は身に付けていないが、2メートル近い長さを持つ棒を握っている。それは一見すると先輩冒険者であるシャロンのような魔法使いが持つ杖に似ていたが、棒の中心部分が若干太くなっていた。
おそらくは武器なのだろう、と頭の片隅で思考するレウルスだったが、思考の大部分は“別のところ”に向けられている。
「あのー? もしもし、お兄さん? わたし達の顔に何かついてますか?」
「レウルス?」
一向に動こうとしないレウルスに対し、スノウとエリザが不思議そうな声をかけた。見ればシンも訝しそうな顔をしており、一体何事かとレウルスの挙動を注視している。
こんな夜更けに、人気がない森の中で出会った相手だ。レウルスが言えた義理ではないが、魔物が跳梁跋扈するこの世界において少数で旅をするというのは少しばかり不用心で――あるいは、用心する必要もないほど強いのか。
この二人は、サラの熱源感知を潜り抜けてきたのだ。レウルスの勘にも引っかかるのが遅かったが、それはシンとスノウの魔力が異質に感じられたからである。
レウルス達のように防具をつけることもなく、目に見える武器はシンが持つ長い棒だけだ。奇妙ではあるが魔力を感じる以上魔法使いなのだろうが、それにしても軽装すぎる。
「…………」
「…………」
エリザとスノウが不思議そうな顔をしている横で、レウルスとシンは無言で視線を交わし合う。互いに服装や立ち振る舞いから相手の素性を見抜こうとしているのだ。
失礼だ、などと思う余裕はない。ただその場に立っているだけだというのに、シンには一片の隙も見当たらないのである。もしもレウルスが突然斬りかかったとしても、瞬時に対応してきそうだ。
――直接斬り合ったわけではないが、ジルバと似たような隙の無さを感じる。
『ちょっとちょっと! 何なのアレ!? 滅茶苦茶やばいんですけど!?』
『……やばい? どっちがだ?』
レウルスがシンと視線をぶつけ合っていると、『思念通話』を使ってサラが悲鳴のような声を上げた。
『スノウって女の子よ! 正体はわからないけど何かが化けてる! 外見通りの人間じゃなくて、『変化』を使ってるわ!』
「――――」
サラの言葉を聞き、レウルスは絶句する。
ヴェオス火山に棲む火龍、ヴァーニルから以前聞いたことがあった。高位の魔物の中には『変化』と呼ばれる“上級”の補助魔法を使い、人間の姿に化ける者がいると。『変化』を使える者は手練れだと思え、と。
「もしもしー? あれー? コモナ語って外国でも通じるんじゃなかったの? ねえシンさん、わたしのコモナ語って変?」
「……いや、どうやら不躾に声をかけたのがまずかったらしい。警戒させてしまったようだ」
スノウは困ったように首を傾げ、シンは落ち着きのある声で答える。そしてシンは一歩前に出ると、小さく頭を下げた。
「こちらに敵対の意思はない。よければ話を聞きたかっただけなのだが……」
「……いや、こっちも過敏に反応しちまった。悪いな、気にしないでくれ」
いつの間にか大剣の柄を強く握りしめていたことに気付き、レウルスは右手から力を抜く。
相手の真意はどうであれ、敵対する気がないのならばレウルスとしては大歓迎だ。スノウどころか、シン一人が相手でも勝てる未来図が全く浮かばないのである。
「そちらに行っても構わないか?」
「……ああ」
敵対する意思がないことを示すために大剣の柄から手を離すと、シンとスノウが川を飛び越えてくる。川幅は十メートル近くあったのだが、シンもスノウも一度の跳躍で軽く飛び越えてきた。
スノウはともかく、シンは足場が悪いにも関わらず音も立てずに着地する。一体何をどうすればそのような芸当ができるのかわからなかったが、跳躍している間も、着地した瞬間も隙が見えないのはどういうことなのか。
「改めて……シンだ。野営の途中に邪魔をしてすまない」
「わたしはスノウ=リトル。スノウって呼んでね?」
そう言って右手を差し出してくるシンとスノウ。利き手を差し出してくるあたり、思ったよりも好意的かつ理性的な態度である。そのことに内心で安堵しつつ、レウルスは握手を交わし――。
「っ!?」
スノウの右手を握った瞬間、全身を貫くような悪寒が走った。
おそらくは隠していたのだろうが、スノウから感じたのは濃密かつ莫大な魔力である。火の精霊であるサラですら遠く及ばないその魔力量は、サラの言う通り眼前の少女が“人間”ではないことを示していた。
シンの方も大きな魔力を感じたが、驚くほどではない。エリザ以上サラ未満といったところで、スノウと比べれば可愛いものだ。
しかし、スノウは違う。レウルスがこれまで感じたことがある魔力の中で最も異常で異質で膨大で――その魔力量は、あるいは火龍であるヴァーニルさえ超えるかもしれない。
“それ”を認識した瞬間、レウルスは反射的にスノウの右手を振りほどいてこの場から逃げ出そうかと思った。
勝ち目がないどころの話ではない。エリザとサラの協力があっても、一撃を加えることすらできずに殺される。そう直感するほどに圧倒的な魔力だった。
「あれ? お兄さん、わたしの顔に何かついてます?」
戦慄するレウルスとは対照的に、スノウは可愛らしく小首を傾げている。その表情は無邪気なもので、敵意の類は微塵も見当たらない。
「……いや、黒い髪なんて初めて見たもんでな。気を悪くしたなら謝るよ」
ヴァーニルを超える“災害”が、少女の形を取って目の前にいる。レウルスは風呂に入って流したはずの汗が背中に大量に浮かぶのを感じた。
「えへへー、おとーさん譲りの黒髪だよ? 髪型はおかーさんの真似だけど、わたしも気に入ってるんだー」
(この子の両親……どんな恐ろしい化け物なんだ?)
失礼だろうが、そう思わずにはいられない。スノウの両親ということは、スノウを超える魔力や武力を持っているのではないか。まさか普通の人間から生まれたわけではあるまい、とレウルスは内心だけで呟いた。
「ふむ……失礼を重ねるようで恐縮だが、君たちは何故ここに? 荷物を見る限り、商人とその護衛か?」
「いや、俺達は冒険者だよ。一応俺が中級下位、後ろの……金髪の方が下級中位で、赤い方は見習いだ」
「……エリザじゃ」
「わたしはサラよ」
レウルスが答え、エリザとサラが己の名前を告げると、シンとスノウは何故か顔を見合わせる。
「中級下位の……何と?」
「冒険者だ。もしかしてシンさんの国にはいないのか?」
ほぼ間違いなく、シンとスノウはこの国の生まれではないはずだ。服装もそうだが、話すコモナ語に違和感があるのである。訛りが違うというよりも、まるで日本人が英語を覚えて話しているような引っ掛かりがあるのだ。
――服装がやけに“現代”的なのは、気のせいだろうか。
「『冒険者』……それはどんな職業なのか聞いても良いか?」
「ん? 言葉通り……ってわけじゃないけど、魔物を狩って報酬を得る仕事かな? あとは依頼を受けたり……俺達はその依頼の途中でね」
シンとスノウの反応がどこかおかしい。互いに目配せしつつ、何かしらの意思疎通を行っている。
『この二人、『思念通話』で話してるわよ』
『ああ……少しだけど魔力を感じる。外から見たらこんな感じなんだな』
どうやらシンとスノウは『思念通話』で意見を交わしているようだ。レウルスもサラと『思念通話』を使っているためお互い様だが、声に出さず意見を交わせるというのは地味に便利である。
「すまない、俺もスノウも聞いたことがない言葉でな……こちらの大陸ではそんな職業があるのか?」
「ああ……ん? こっちの大陸?」
聞き逃せない言葉に、レウルスはすかさず反応する。
「俺達は海を渡ってきたんだ。東の方にジパングという国があると聞いたんだが……」
「ジパング?」
妙に聞き覚えがある国名だ。今世で聞いたわけではなく、前世の記憶が刺激される名前である。
それは脇に置くとしても、どうやらシンとスノウは違う国どころか違う大陸から来たらしい。
「ここはマタロイって国だよ。大陸名は……あー、カルデヴァ大陸だったかな? エリザ、ジパングって国を知ってるか?」
そう言いつつエリザに視線を向けてみるレウルス。エリザは不思議そうな顔をしつつも、首を横に振った。
「ワシもジパングという国は知らんぞ? この国から東に進んだらラパリかベルリドじゃろ? そこからさらに東に行けるのかのう?」
どうやらエリザも知らないらしい。駄目で元々とサラにも視線を向けるレウルスだったが、サラも肩を竦めるだけである。
「そうか……特に目的もない旅でな。一応の目標としてジパングという国を目指していたんだ」
「目的がない?」
それは旅としてどうなのだろうか、とレウルスは思う。しかし会ったばかりの相手にそんな指摘をするのもどうかと考え、レウルスは口をつぐんだ。
「他に目的があるとすれば、世界各地を回って見聞を広めたいと思ったぐらいか……それと修行だな」
(……なんか嘘くさいな)
真面目に語っているように見えるが、この世界でそんな曖昧な動機だけで旅をする者がいるのだろうか。スノウと一緒にいれば大抵の困難は力技で解決できそうだが、それだけで片付くならば世の中はここまで複雑ではないだろう。
ただし、嘘くさいとは思うもののシンは善良な人間に見える。ただ者ではないと思うが、ジルバと比べると“棘”を感じないのだ。
レウルスがそうやってシンと話をしていると、スノウが興味津々といった様子でサラに近づいていく。スノウは外見に不釣り合いな、“幼子”のようなキラキラした瞳をサラに向けた。
「ところで……もしかしてだけど、サラさんって精霊さん?」
その問いかけに、レウルスは一度は離したはずの大剣の柄に右手を這わせる。レウルスだけでなくエリザとサラも警戒を露にしており、それぞれが戦闘態勢を取ろうとした。
「……わたしが精霊なら、なんだっていうのよ」
「わー、やっぱり! そうだと思った! わたしのお友達にも精霊さんがいるんだよ? 半人半霊って話だったけど、その人は風の精霊さんなの」
レウルス達の警戒に気付いていないのか、スノウは嬉しそうに両手を叩く。
「おとーさんのお手伝いをしてくれるし、戦いの時はすっごく強いの! おとーさんと一緒ならわたしも勝てないぐらい!」
(……スノウの父親って、やっぱり高位の魔物なのか? 上級? どんな化け物? もしかしてこの世界って魔王とかいるのか?)
レウルスの脳裏に浮かんだのは、ゲームに出てくるような魔王である。玉座に座ってふんぞり返っていそうだ。
「スノウ、それぐらいにしておけ。事情はわからんが、サラさんが精霊というのは隠していたようだ」
「えっ? そ、そうだったの? ごめんなさい……」
シンがたしなめると、スノウは素直に頭を下げる。そのやり取りだけを見れば親子か兄妹のようだが、シンとスノウは似ているわけではない。
「申し訳ない。この子はまだ子どもでな……興味を持つとこうなんだ」
頭を下げたスノウに続き、シンも頭を下げた。その振る舞いを見る限り、やはり悪人には見えなかった。
少なくとも、グレイゴ教徒というオチはなさそうである。
「気にしないでくれ。ただ、一つ忠告するけど、この大陸では気軽に精霊がどうとか言わない方が良いぞ?」
「む? もしや迫害でもされているのか?」
「いや、どこからともなく狂信者が襲ってくる」
善意で忠告するレウルスだったが、シンもスノウも理解できないようだった。レウルスとしても説明の仕方が悪かったのだろうが、それ以外に言いようもない。
「グレイゴ教……二人がいた国で聞いたことは?」
「ないな。俺がいた国では信仰の対象と言えば国王だった」
「なんだそれ……いや、それはいい。シンさんもスノウちゃんも悪人じゃないようだから教えておくけど、グレイゴ教徒を名乗る奴がいたら注意した方が良い。上級の魔物を率先して殺して回るような物騒な奴らだ」
他の大陸にはいなかったのだろうかと不思議に思うレウルスだが、シンとスノウがいた国では信仰の対象が国王らしい。それは一体どんな国だとツッコミを入れたかったが、おそらくは信仰されるほどに優秀な国王が治めているのだろう。
「なるほど……注意しておこう」
「ああ。それと精霊教って宗教もあるんだけど、こっちは大精霊や精霊を祀っている宗教でね。精霊教に関しては……まあ、信用してもいい」
グレイゴ教と比べた場合、信仰しても良いと思えるほどだ。
「精霊教だな? 覚えておこう。それはそうと……」
レウルスの助言を聞いたシンは何度も頷き――何故かレウルスが持つ大剣を見た。
「剣が使えるのか?」
「……一応」
シンの目つきと質問に、レウルスは若干嫌な予感を覚える。それでも頷きを返すと、シンは目を輝かせた。
「夜が明けたら手合わせをお願いできないだろうか? こちらの大陸の剣士の技量を見てみたいんだ」
――どうやら、修行を兼ねて旅をしているというのは本当らしい。
突然の申し出に対し、レウルスは頬を引きつらせるのだった。
どうも、作者の池崎数也です。
昨日のあとがきでも書きましたが、今日でプロローグを除いて100話に到達しました。
三ヶ月で100話……あっという間でした。感想数も800件を超えました。毎度ご感想やご指摘をいただきましてありがとうございます。
それでは、こんな拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。