銀髪の男
今日も天気は晴天だった。
19歳の榎木リラは、大学からの帰路の途中、高校のころから日課となっている近所の山への散歩へと向かっていた。
彼女が住んでいるのは大都会というわけではなく、かといってとてつもない辺境にある田舎というわけでもないが、地方の小さな都市だ。
ゆえに周りがビルで覆いつくされているなどということはなく、適度な自然が広がっている。
ただ、大学は都市部にあるため、毎日片道2時間の電車通学と30分のバス通学があるのだが、バス通学の時間を散歩に使っている。
今時の女子大生らしからぬ趣味を持っていた。
「うーん!今日も綺麗な夕焼け!」
小山の頂上にある草原に寝転がり、リラは橙色に染まった空を見上げていた。
「この時間はなんにも考えなくてすむのよねー。ほんと、幸せな時間。帰ったらレポートやらなきゃいけないと思うと、残念だけど…」
とはいえやはり大学生である以上、完全なる現実逃避はできないらしい。
しかしこの短い休息のために、彼女は毎日この山へと入ってくるのだ。
「今日はせっかくだし、星を見てから帰ろうかな。でもあんまり遅いとおじいちゃん達を心配させちゃうし…どうしようかなぁ」
この小山から見える星は有名だった。
たまには星空を眺めてから帰るのもアリかと思ったリラだが、家で待っているであろう祖父母を心配させまいと、悩んでいた。
「うーん、今日は帰って明日夜空を見よう!おじいちゃん達には事前に言っとけばいいし」
悩んだ果てに、夜空を見るのは明日にすることにしたリラは、早々と起き上がり、ついさっき来たばかりの道を引き返した。
「ぴよぴよぴよ」
中腹を過ぎた頃、リラの耳に小鳥の鳴き声が入ってきた。1羽や2羽ではない鳴き声に、リラは声が聞こえてくるほうに足を向ける。
道から少し森のほうへ入った所で、恐らく木の上から落ちただろう鳥の巣を見つけた。
「巣ごと落ちるなんて、一体何があったの?…みんな怪我をしているのね。」
答えないとわかっていたが、リラは思わず小鳥たちに聞いた。
巣の中にいた小鳥は全部で4羽いた。
全員がところどころを怪我している。
「わたしがお前たちを治してあげるわ。いい?誰にもいったらダメよ?」
小鳥たちに言い聞かせながら、周りに人がいないことを確認すると、リラは小鳥たちに手をかざした。
すると、突如淡い光が現れて小鳥たちに吸い込まれていく。
光が消えた頃には、小鳥たちの傷ついた部分が治っていた。
「明日また様子を見にくるから、それまでここでじっとしているのよ?」
リラは巣を木の根元に隠し、その場を後にした。
ーーーーー
翌日、リラは学校帰りにまた山へと入っていた。祖父母には、事前に帰りが遅くなるのを伝えてある。
星空を見るためだ。
しかし、その前に昨日の小鳥たちを隠した場所へと向かっていた。
「うん、だいぶ良くなったわね。よかった」
「ぴよぴよぴよ」
「ぴぴぴぴ」
「こら、くすぐったいよ」
リラのことを覚えていたのか、小鳥たちは彼女の指先を軽くつついていた。
昨日とは見違える程元気な様子に、リラは微笑んだ。
幼い頃から自分のもつこの奇妙な力を、リラはずっと周りに隠し続けている。ただ、自分の家族を除いて、だ。
リラの両親は彼女が幼い頃に他界したが、母親が同じ力を持っていた。またその父である祖父も、治癒の力を持っている。
代々受け継がれている力だと、でも誰にも見せてはならないと、リラはずっと言い聞かされてきた。
「さてと、じゃあわたしはそろそろ行くわね」
小鳥たちに別れを告げながら、リラはそっと立ち上がった。
目指すはもちろん、昨日の草原だ。
「今日はお弁当もあるから、のんびりしよーと」
「そうか、それは申し訳ないな。君の楽しみはどうやらなくなりそうだ。」
「え?」
今晩の楽しみを胸に踊らしていたリラの背後に忍び寄る者があった。
しかし、リラが振り向くより前に、彼女の視界は真っ白になった。
「あ、あれ…(体中が、いたい)?」
突如として爆発が起こり、リラは後方へ吹き飛ばされていた。
「安心するがいい。殺しはしない。折角ここまで人質を取りに来た意味がない。」
全身を黒い外套で覆っている謎の人物は、顔は見えないが、おそらく笑いながら倒れているリラへと迫っていた。
「(なに…一体どうなってるの?)」
痛む体から血が流れ出るのを感じ、リラは未知の恐怖に震えていた。
「恨むなら、その体に流れる“血”を恨むんだな。」
「…っ…」
「さて、仕上げだ」
「(だ、だれかっ)」
手を大きく振りかざした男を頭上に、リラは目を力強く瞑り、祈った。
人気のない山で助けなどくるわけないとわかっていたが、そうせざるを得なかった。
ー隙を見て走るんだ!
「えっ?」
もう終わりだと思った時、リラの脳内に声が響いた。
それと同時に、リラと謎の人物との間へ光の扉が現れた。複雑な紋様が描かれた、巨大な扉だった。
「何っ」
謎の人物はその扉を見るなり目を見開く。
信じられない、という様子だった。
ー早く走るんだ、リラ!
「…っ」
リラの脳内にまた声が響く。
リラは痛む体を奮い立たせ、訳の分からぬまま草原の方へ走った。
「くそがぁっ」
扉に行く手を阻まれた謎の人物は、怒りにまかせてそう吠えたのだった。
ーーーー
「はぁっ…はぁ…」
がむしゃらに走ったリラは、草原に着いた所で体の力が抜けその場に座り込んだ。
「…っ…」
体が恐怖に震え、自分を抱きしめるリラ。
涙が溢れるのも仕方がないことだった。
「どうか泣かないで、リラ。」
「……あ、…さっきの…?…」
「…ごめんね、直接助けに行けなくて。」
座り込んだリラの前に、銀髪の男がいた。
彼は腰を下ろしリラの背中をさする。
顔も知らない男なのに、何故かリラは安心感を覚えた。
「…一体、なにがどうなってるの?あの人は何?あなたは誰!?」
「落ち着くんだ、リラ。大丈夫、あの男はもう追ってこないよ。」
「どうしてわたしの名前を知ってるの…」
「それは、まだ教えることはできないけれど…貴女が、僕の大切な人だからだよ。」
顔を上げたその男の、前髪で隠れていた左目が露わになった。
困ったように微笑む彼の瞳は、左が碧く右が金色に輝いている。
「綺麗な瞳…」
リラがそう無意識に呟くと、男は微笑みながらリラの体を覆う光を両手から放った。
その光は、リラが治癒に使う光と同じだった。
「この光は…」
「これで傷は全部癒えるよ。…いいかいリラ、よく聞くんだ。近いうちに、貴女は不思議な体験をすると思う。あ、今日みたいに怖いことではないよ。」
「…あの男は何?」
「奴のことは、貴女は何も心配することない。アレは僕らの問題だから。」
「…でも…」
「大丈夫、僕を信じて。」
信じてと言われても、目の前の人をリラは知っているわけではない。だが彼が使った治癒の力は、リラのそれと同じものだ。ただそれしか共通点はなかったが、リラには少しだけ、彼を信じることにした。
「ねぇ、あなたの名前は?」
「いずれ知る時が来るよ。」
「でもっ、助けてくれたのに…」
「僕らはまた会える、必ずね」
「…あっ、あなた、体が透けてる!」
「そろそろ時間かな?…リラ、再会した時には笑っていてね。貴女には、やっぱり笑顔が一番だよ。」
「…待って!」
「貴女に、星々の導きがあらんことを。」
最後に男はそう言って、笑いながら姿を消した。
リラの手は届くことなく、空を掴んだのだった。




