感性流布
[6 感性流布]
薄っすらと開かれる目には一面の白を捉える。
鼻腔を刺激するのは、アルコールの清潔そうな香り。
呆然とする頭で考えを及ぼしながら、自分の状況を確認する。
別段、躰の何処かが故障している様子もなく、今すぐにも起きれそうだ。
少し腕に違和感を覚え、そっちに首を振る。
違和感がした場所には、針が差し込まれており、それは上の点滴へと繋がっていた。
それで此処が病院であることが判断できた。
腕を引き寄せようとすると、掌に温かい感触あった。
不思議とその温かな感触は、現状を把握できないで乱れていた心を落ち着け、委ねたくなるそんな温かみだった。
その元を探るように、そっと自分の掌を確認する。
自分の手の上に、手が重なり握りこまれている。
自分のより大きめで、それが男の物だとわかる。
誰が握っているのか、本当は知っていながら、腕を伝いあるであろう顔を捜す。
そしてあった。
無愛想で、無骨な顔立ち。
どこかやつれ、目の下に濃いくまが出来ており、今にも泣き出しそうな表情を浮かべた人間が、小さな寝息を立てていた。
「…ヨーミエ」
私は漏らしたような呟きは、浅い眠りに落ちていた人物の耳に届き、ゆったりとした様子で瞼が開いていく。
私は迎えるように、微笑みを浮かべながら愛しい人が目覚める様を眺める。
瞼を開いたヨーミエは、そのまま大きく眼を見開いていく。
恐らく現実と夢との区別が未だついていないのだろう。
「…ただいま、ヨーミエ」
私はヨーミエの手を胸に抱き、長い眠りから覚めた事を伝える。
「……御帰り、御帰り、ラヴィア」
私の言葉を噛み締めるように、ヨーミエは「御帰り」と返事をしてくれた。
「これは夢じゃないんだな」
私が向こうの世界に精神を飛ばされていた際、こっちにある躰は抜け殻になってしまっていたらしい。
あっちの世界で過ごした一ヶ月余りの時間。
やつれてしまったヨーミエを見れば、どんな想いで過ごしてきたかは想像に難くない。
「夢じゃないよ。
私は此処にいるよ」
ヨーミエは私の手を引き寄せ、上肢で包み込むと、堪える事のできなくなった感情を零し始める。
「…良かった。
本当、良かった」
ボタボタとシーツを濡らす雫。
俯き堪えようとしても、箍が外れた感情をせき止める術なく、ヨーミエは嗚咽を漏らし、泣いていた。
同じヨーミエ。
だが、そこにはあのヨーミエが持っていた翳はなく、それが別人だと知らしめるものとなった。
同一人物であり、別人。
そして改めてヨーミエと逢い、私は確信するように、包み込まれた手でギュッと握り返す。
(私が愛しみを育んだのは、こっちのヨーミエなんだ)
今なら、彼が、もう1人のヨーミエが言った事がわかる。
私が好きな、ヨーミエの本質は2人とも持っている。
だから、あっちの世界のヨーミエにも魅かれたのだ。
でも、それを私が好む形に育ったのは、こっちの、私の世界のヨーミエだと。
「ヨーミエ」
私は呼びかけ、そして半身を起こして、泣いているヨーミエの頭を抱き抱く。
「私が好きになったのが、貴方で良かった」
本心を吐露する私は、抱く温もりを噛み締める。
これからある道が、彼と供にあるようにと。
御誂え向きに、晴天。
冬という季節には、日差しがどれ程ありがたいかを痛感しながら、準備を終えた大型のワゴンの運転席に身を滑り込ませる。
…この状況はどう説明すれば良いのだろう。
コメカミがヒクヒクと痙攣するのを感じるのは、錯覚ではないだろう。
「ん、どうしたヨーミエ。
準備出来たなら、そろそろ出発しようではないか」
野太い声が後部席からしてくる。
「そやな。
あんま長いすると、門出としては不適切な状況に陥りそうやし」
などと、もう1つ少女らしい甲高い声もしてくる。
「…貴様ら、どうして乗っている?」
多目に考えて荷物を詰め込んだ筈が、半ば外へと打ち捨てられている私物に目を移す。
「そして、どうして俺の荷物が半ば捨てられている」
「ワシ達の私物が詰められんからだろう」
然も当然のように言ってくノーブルに、肩口を震わせて怒りを表現する。
目を走らせて確認すると、3つに分かれた座席の中央に陣取っている2人。
そして最後部にはこれでもかという程に荷物が敷き詰められていて、バックミラーでは後ろが確認できない状況になっていた。
余りの重さに前輪が持ち上げりそうなので、助手席にも荷物が大量に積まれていた。
「これでも選出したんだが、まぁ、気にするな」
「気にするなじゃない。
どうして、俺のワゴンに貴様らの荷物と本人が乗っているのかという疑問を解消しろ」
金に成りそうな私物を殆ど売っぱらい、用意したワゴン。
魔術師協会という大組織を敵に廻した今、この街で生活を送ることは叶わない。
そう考えたヨーミエは、この街を出る事を決めて、準備したものだ。
それなのに、何故かこの二人は何処で聞きつけたのか、ワゴンに荷物を運び込み、当然にように乗り込んでいた。
「なんだ、独りで行くつもりだったのか?」
不思議そうに尋ねられ、言葉が詰る。
「どうせ一蓮托生、今更仲間外れはいかんな」
「せや。
今回は、アンタが原因なんやで。
この街を追われる悲しき師弟を、アンタは置き去りにして逃げるつもりやったんか?」
「…済まない」
「たく、シグはもう少し言葉を選ぶ練習をした方が良いぞ。
ヨーミエ、別にワシらは責めている訳ではない。
元々それを考慮にいれて、手を貸した。
気に病む必要は更々ない。
それに逃亡生活も、道連れがいた方が楽しいぞ」
「師匠こそ、言葉選ぶべきや」
ホントに気に病むだけ無駄と想わすような、馬鹿げた会話をするノーブルとシグ。
「それに資金も然程残ってないんだろ。
ワシらを連れて行くと、左団扇だぞ」
「何が左団扇や。
元々は会社の金やんか。
これまでちょろまかしてきた」
悪態付くシグ。
確かその事で、ノーブルは顔面が変形するまでシグに殴られたのを思い出す。
左団扇と言うぐらいだから、相当溜め込んでいたのだろう。
「それに家族だろ、ワシらは。
なぁ、シグ」
「そやな。
確りとこの耳で聞いたしな」
2人の遣り取りに、赤面してしまう。
ラヴィアを送り出す際に、確かにその言葉を口にした。
別に方便ではなく、本心からだ。
だから余計に、恥ずかしい。
独り、逃亡の旅に出ようとしたのも、この2人に及ぶ脅威を軽減させたかったからだ。
(結局は、お主の考えは御見通しだったようだな)
「……」
ポケットに収められている銀の玉。
マクシミリアンから突っ込みに、無言でアクセルを踏み込む。
最早、何を言っても無駄ということはわかった。
これ以上駄々を捏ねても、言い負かされるのは目に見えている。
(ふんっ、口煩いのは、お前だけで十分だったのにな)
内心で悪態を付き、後ろにいる2人には見えないように顔を綻ばせる。
(これからどうするつもりだ?)
すっかりポケットの住人になったマクシミリアンから、予定を尋ねられる。
(ほとぼりが冷めるまで逃げ回るだけだ。
俺的には、穏やかに過ごしたいのだがな)
(ならば、お主の感性を詩にし、世界に散らべてみるのはどうだ)
想わぬ提案に、目を剥く。
どうやらあの一件以来詩というものを、この精霊は気に入ってしまったらしい。
正直、自分の詩が認められるのは悪くない。
(そうだな)
ワゴンを走らせながら、瞬間瞼を閉じる。
そこには焼きついて離れない、彼女の最後の笑顔があった。
彼女が教えてくれた音楽の楽しさ、それを伝えて行く、それはとても魅力的な提案に想えた。
(悪くない)
ふとメロディーが浮かび、口ずさむ。
未だ形のない、拙い音符の群を。
彼女の面影を想い奏でる曲。
思い出を音に変えて。
完成したら、きっとこう名付けるだろう。
Melody of memoryと。
これにて終幕となります。
「赤く染まりし地に稲穂凪ぐ」に比べ短いですが、一つの物語として終わりを見ましたので、良いのかなと思っています。
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