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不実衝動

[4 不実衝動(ふじつしょうどう)


それから何事もなく月日が流れていく。

ノーブルと取り決めた通り、いつも通りの生活をするということで日々を過ごす。

警戒心が薄れてしまいそうになりそうになる最中、いつも通りに出勤してきた時の事だった。

「お、出勤してきたな、ヨーミエ」

顎髭に撫でながら、ノーブルは神妙に臼で何かを砕きながら、出勤してきた俺に挨拶をする。

事務所の雰囲気がいつもと何処か違う。

その元は、沈痛な面持ちで事務所に備え付けてある簡易ベッドに座っているシグだった。

全身にただなら雰囲気を纏い、小刻みに震えている。

ジッと刻が来るのを待っているといった感じだった。

「どうしたんだ?」

「いや、門出というか、何と言うかな。

此処に一人の魔術師を誕生させる儀式、もとい、基盤を築こうとしているところだ」

「…魔術師の誕生?」

あまりに胡散臭い台詞に、ヨーミエは眉を顰める。

この世界では魔術という概念は当たり前に存在するのだが、それを受け入れられない輩もいる。

そのタイプの最たる人間であるヨーミエは、その儀式とやらに嫌悪に近い感情を抱いた。

「こいつは錬金術師になりたくて、ワシに弟子入りした物好きでな。

錬金術師ってやつがなんなのか、その根底すら知らないで弟子入り志願してきた馬鹿者でもある」

「言いたい放題やな、師匠」

「本当の事だからな。錬金(れんきん)術師とは魔術師の延長(えんちょう)上にあるもの。詰まり、{魔術(エー)回路(テル)}が認識(にんしき)できなければ、錬金(れんきん)術師にはなれない。そして魔術師になるということが、どれ程危険を(ともな)うことか( )」

「…そんなに危険なのか?」

危ない話の流れに、緊張が走る。

「本当なら止した方がいい。

…どうやって魔術師になるか教えてやろう。

此処に魔術師になる為の薬がある」

臼から砕いた粉を取り出し、キツイ碧色をした液体に加えガラスの棒で混ぜ合わせる。

「これは秘薬(ソーマ)と言ってな、呑むと仮死状態に人を導く効果がある。

脳のある部分以外を仮死化させ、生まれる前の状態に人を持っていく」

「ある部分?」

ノーブルは額を指差し、説明を続ける。

「前頭葉。

仮死化し、全てを受け入れれる状態へ、無垢なる状態へと移行する。

前頭葉には、あらゆる情報を受け取るアンテナとしての性能を持っている。

常識を知り、アンテナは次第にその幅を狭めていく。

だから、魔術師に成りたくば3才を越える前にこの儀式をすべきなのだ。

後、知識や記憶が増え、人の脳にこの認識を定着させるだけの容量が確保できなくなるのも要因の一つだ」

「つまり幼少を超えてこの儀式をすることは」

察し、表情が固まる。

戦慄が背筋を駆け巡り、最悪の結果を脳内に導き出す。

「勘のいい奴だな。

その通りだ。

成長してから行えば、拒絶反応が起こる。

お主が、魔術なんてものを容認できないのと同じようにな。

脳内の常識に弾かれる恐れがあるってことだ。

それだけなら兎も角、仮死というあやふやな状態になった脳は、その拒絶に抵抗することも出来ずに、自我が崩壊してしまうかもな」

「無謀過ぎる!」

他人の事で、俺は感情的になっていた。

それに面を食らったのは、引鉄となったシグだった。

壁を越えて以降でも、俺が感情を露にすることは無かった。

その為、他人の為に憤る俺に戸惑っているのだろう。

「解っていながら実行するなんて、シグを殺したいのかっ!」

激情に翻弄され、ノーブルの胸倉を絞り上げようとする。

だが、見事な体捌きで躱され、簡単に手首を捻りあげて組み伏せられてしまう。

これでもそれなりに腕に自信があったのだが、それを全く寄せ付けない能力をノーブルは持っていた。

「やれやれ、もう少し冷静な奴だと想っていたが…。

魔術師って言うのは因果な職業でな、裏家業を営んでる者と同じくらいに危険が伴う職だ。

特にモグリはな。

護身、又は武術っていうのは身につけて当たり前って訳だ」

ノーブルはのんびりした口調をしているが、修羅場を潜り抜けてきた者の剣呑なる匂いをさせていた。

「どうやらあの嬢ちゃんに当てられたようだな。

まぁ、ワシとしては前のヨーミエよりも、こっちの方が好みだがな」

「キサマの好みなんて知るかっ!

シグ強要するなっ!」

「本当にやれやれだな。

ワシが強要する訳なかろうが。

これはシグが望み、挑戦すると決めた事だ」

「そうや、ヨーミエ。

アンタ何を勘違いしとるか知らんけど、これはあたしの意志で行うことや。

邪魔せんといてや」

抑揚が無く、顔色を失っているシグ。

だが、その瞳には覚悟を決めた、強固な意志が宿っていた。

それを見てしまい、押し黙ってしまう。

暴れなくなった俺を解放すると、ノーブルは作りかけの薬を混ぜながら、未だ伏せている俺に視線を送ってくる。

「安心しろとまでは言わんが、それなりに手は打ってきたつもりだ。

シグが魔術回路(エーテル)を容認できるように見解を深めて来た。

シグには、もう14になる。

この機を逃せば魔術師となる機会はないだろう」

「……シグ、そこまで危険を冒してまで、成るべきものなのか?」

混迷した思考のまま、シグに視線を向ける。

それを正面から受け止め、シグは頷く。

「そうや。

成らなければ、あたしはこの世に絶望しか抱けなくなる。

心が死んでしまうんや。

同じ死ぬなら前のめりに死にたい。

それがシーグル メイヤロニーアである証やから」

本人から告げられる決心に、何も言えなくなる。

「そうか」

力なく呟くと、腕を伸ばし地から躰を引き剥がして立ち上がる。

「ヨーミエ、2、3日会社は休みだ。

どっちかに転んだら連絡する。

それとな」

ノーブルは俺に近づくと、耳打ちする。

「感謝する。

死の恐怖ですっかり竦んでいたシグ、その決意を固めてくれて。

あれなら、成功率も飛躍的に上がっただろう。

そして、シグの心汲んでくれて。

優しい奴だな、お前は」

「…」

「ホンと、アイツに似ていているな。

全てを背負い込むとこなんて。

世に絶望していたお前なら分かるだろうが、人一人が叶えられるものなんて高が知れてる。

その高がが、他の者にとってどれ程意味のあることか、お前は理解すべきだ。

でなければお前も、それに感化された者も救われない。

肩の力を抜け。

シグだって自殺志願をしてる訳じゃない。

リスクの上で成り立つものを手にしようとしてるだけだ。

たく、不器用な生き方をする奴だな、お前もシグも」

苦笑し、ノーブルは机の秘薬(ソーマ)を掴む。

「シグ、この秘薬(ソーマ)ってヤツは高価な代物だ。

お前の一年分の給料ぐらい簡単に飛ぶくらいにな。

死んだら、ワシは無駄金を叩いたことになる。

損失させるなよ」

髭面のおっかない顔が歪み、微笑を浮かべてみせる。

それを見たシグはウンザリし、「きしょ」と一言の下に斬り捨てた。

「言われなくても損失なんてさせへんわ。

これだけこき使われて、未だ肝心な部分、教えて貰ろうてへん。

こんなところで辞退して堪るかいな」

と強気に返してくる。

「ヨーミエ、あたしが錬金術師になったら、山積みになっとる仕事に追われる日々に転落や。

帰ってつかの間の休日でも満喫しとき」

いつもの憎まれ口が叩けるようになったシグ。

サッサと帰れと、犬でも払うようにシッシッと手首を返す。

それに促され、俺は事務所の出口を潜ろうとして、

「…またな」

とだけ告げてた。

「ふんっ、…またや」

照れくさそうに返答をしてくるシグの声を耳にしながら、俺は帰路へと付く。

これ以上ここに留まれば、シグの決意を侮辱し、砕くことになりかねない、そう直感的に感じていたからだ。

建物の外まで来た後、振り返り、これから試練に立ち向かう者の面影を想い返す。

(…まただぞ、シグ)

出合って一年。

悪態ばかり付く同僚は、心の深部に居ついている事を痛感させられた。

その事に内心脅えを覚え、それと同時に好ましく思える自分が居た。

それを失うかもしれない事態に、何の手助けもできない、自分の小ささに苛立ちを覚える。

どうやら本当に変えられてしまったらしい。




「どうしたんですか、ヨーミエ?

随分と御早い御帰りですけど?」

出迎えてくれたラヴィアに苦笑を零しつつ、休暇だとだけ告げてリビングに備え付けてあるソファーに腰を沈める。

「休暇ですか?

それじゃあ、ヨーミエと一緒に過ごせるんですね」

嬉々として尋ねてくるラヴィア。

それの様は、尻尾振ってじゃれ付いて来る犬そのものだった。

「と言われても、懐の(もの)も然程残って無い。

仕事が休みになるのは正直痛い」

本音を零してしまっている自分に、口元を塞ぐ。

こんな無防備な自分を他人に見せている現状に、驚いていた。

「そうですね。

私の所為で随分とお金を使わせてしまいましたし。

その、御免なさい」

「別に責めてる訳じゃない。

只、休日にすべきことが見つからない。

金でもあれば街に出て、楽しませることも出来たのにと考えてな」

「そ、そんな、わ、私はヨーミエと居れば、それだけで!!」

そこまで勢いで述べたラヴィアは、自分の発言に思い返し、頬を紅潮させて沈黙してしまう。

そんな愛らしい反応に、赤面が伝染してしまう。

真実が未だ明確になっていない以上、ラヴィアに好意を持つことはギルバートに対する裏切りに思えてしまうが、どうにも上手く自分を制御できていない。

最後の一線だけは確保しなければと肝に命じ、意識しないようにする。

それがかえって意識する羽目に成っていた。

「日頃は、どうやって暇を潰しているのですか?」

気を取り直したラヴィアは、未だ収まりを見ていない紅色の頬のまま質問してくる。

「暇なんて、ここのところ無かったからね。

強いて言うなら、こいつを吹いたり、作曲したりだな」

と、懐から所々へこんで、不恰好に変形しているハーモニカを取り出す。

「あっ」

「どうした?」

「あ、いえ。

…それって、ミの音が濁ってますか?」

「…そうだが。

それも、お前の記憶にある、俺がか」

「いえ。

私の記憶では、ミの音は直っているんです」

「直っている?」

「はい。

あの~、宜しかったら、直して良いでしょうか?」

「直せるのか?」

「もし私の考えが正しいなら、ドライバーの一つもあれば」

「まぁ、それぐらいはあるが」

ソファーから腰を上げ、キッチンへへと向かう。

そして冷蔵庫を開けると、横に備えつけられている棚から、ドライバーを手にする。

「…どうして、そんなところに?」

「この家には工具箱なんて気の利いたものはない。

だから小物はあそこに積めてる」

保管場に困った火薬の類も、冷蔵庫の中に眠っている。

冷蔵庫と呼ぶよりも、小物入れと称した方がシックリくる状態になってしまっていた。

「一通り揃ってるから、適当に使ってくれ」

プラスやマイナスの数本のドライバー渡し、そして一度逡巡をしながらも、ハーモニカも机の上へと置く。

それを見たラヴィアは、安心させるようにニッコリと微笑み、大切そうにハーモニカを手にする。

「唯一の品物なんですよね。

故郷から持ち出した」

重なる記憶部分。

互いに言葉を鵜呑みにしない形で保っている生活だが、それでも相手が持ち出す情報を気にしないのは無理があった。

ましてや、自分が辿ってきた記憶と重なる部分なら、尚更だった。

「大切な物ですものね。

私が確りとメンテナンスしますから、安心してください」

任せてくださいと、爛々とした瞳が訴えかけてくる。

「あ、あぁ、頼む」

正直、ラヴィアの記憶の中にあるハーモニカの事を尋ねてみたかったのだが、爛々とした瞳の前に断念せざる得なくなっていた。

彼女の中には、このハーモニカの記憶があり、それがとても愛しい想い出だということが、その表情から窺えた。

自分が持ちえていない記憶。

別人のように思える、彼女の中の自分。

どのように彼女に接し、彼女にどんな感情を抱いていたのか。

(いや、それは考えるまでもないか。

出会ったばかりの俺でさえ、彼女に魅かれてしまっている。

もし恋仲なら、持つ感情は…)

殺伐とした時間を生きてきた筈の自分にとって、彼女が放つ雰囲気は求めていたものそのもの。

安らぎと平穏。

それを体現しているような女。

真剣にメンテナンスを始めたラヴィア。

その横顔を眺めるだけの休日というのも、悪くないと思えてくる。

「ラヴィア」

「…、はい?」

その呼びかけにドライバーを放し、ラヴィアはこちらに振り向く。

「そう言えば、お前は音楽で生計を建ててたんだったな」

「そうですけど?」

いい機会かもしれない。

独学で学び、作曲をしてきたが、最近行き詰りを覚えていた。

「休日の間、良かったら俺に音楽の基本を教えてくれないか?」

「……っ、え!!

私がヨーミエに!」

「驚くことでもないだろう。

何度か口ずさむ旋律を聴いたが、確りと基本の出来た、澱みのないメロディーだった。

だから、手解きを受けたくてな」

「で、でも…。

ヨーミエにはそれを補って余りある感性の閃きがありますから。

型に嵌めてしまうのは」

「基本を忠実に再現しようって言うんじゃない。

見解の幅を広げたい。

それでも駄目か?」

ラヴィアはブンブンと音がしそうな程、首を横に振り否定してくる。

「私で良かったら、お教えします!」

これで、当面の時間の使い方は決まった。

ラヴィアの整備してくれたハーモニカは、音の濁りが消えていた。

新品とまではいかないが、大体の音が正確な音を出すまでになっていた。

この整備の仕方も休暇中に習おうと、楽しみの一つにしておく。




二日後。

連絡は未だない。

何度かシグの安否を気遣い、会社へ足を運ぼうとも考えたが、自分にはそっち方面の知識が無い為、何の役にも立てない。

只、隣で焦燥に駆られるのが落ちだとわかっていたので、責め喘ぐような想いと推し留めて日々を送る事にした。

紛らわすように、没頭して音楽の手解きを受ける。

音楽は、シグへ考えが過ぎるのを軽減させたくれた。

本格的に習ってみて知る色々な側面や応用。

これまで幾度となく諦めてきた表現が、可能なものだと知る。

そこから、未だ先があることを覚えてくると、自分の中に宿っていた好奇心を抑えきれなくなっていく。

こんなに充実した日々は過ごした覚えがない。

そう思わせる程に、ラヴィアと音楽に没頭する日々は楽しくて仕方ないものだった。

それが喩え仮初で、翻弄されたものであっても。




ハーモニカ独特のテイストが、メロディーと言う枠組みを得て、音楽へと昇格されていく。

広場に響き渡るメロディーは、起伏となり、人の感情の揺らぎを表す。

葛藤(コンクリフト)

そう名付けられた曲。

悩み苦しんだ過程を越え、そして人が歩むその一歩。

だが、それは又新たな葛藤を生む。

それでも人は生き、そして矛盾と接しながら、成長していく。

目を閉じ、耳を傾けてその音楽に身を委ねれば、その経過が自分に当て嵌められて脳裡に浮かぶ。

これは他でもない、自分への、そしてこれからの苦難に立ち向かう人へ勇気を送る曲だった。

メロディーが終焉を迎え、寂幕(じゃくまく)へと誘う。

空白、そしてそれに耳を傾けていた者達から拍手が零れ、溢れる。

昼下がりの広場に小さな輪があった。

喝采の渦。

呆然と自分に向けられている、拍手の群にどうしていいのか対処に困る。

気紛れで、稀に気晴らし広場で演奏をすることはこれまでもあったが、ここまで人が集まった覚えはない。

普段は然程人は興味を持たず、足を止める者も指で数えれる程度なのだが、自分を囲んでいる人は両手の指を足しても足りない程に膨れ上がっていた。

内心、戸惑いが占拠していた。

だがそれと同じくらいに、この曲に共感や好感を持って耳を傾けてくれた人達がこんなにいる事に対して、昂るモノがあった。

そんな隣でラヴィアは、どこか当然ですといった面持ちでニッコリと微笑んでいた。

事の発端は、衝突からだった。

ラヴィアは、俺自身の音楽に対する評価の低さに、不満をあげた事からだった。

そんな事はないと頑なに否定していたら、受動的なラヴィアが珍しく強気に出てきた。

引き摺られるように広場まで連れて来られ、渋々気晴らし程度に演奏を始めた次第。

この2日で学んだ事を自分の曲に組み込み、それを試せる場を得たぐらいに解釈し、演奏したのだが、結果は微笑んでいるラヴィアの思惑というか、想像通りだったらしい。

悪い気はしない。

寧ろ、自分の曲がこれだけの人の共感して貰えるという嬉しさの方が大きい。

チラホラとアンコールを求める声がしてくる。

だが、葛藤(コンクリフト)以外は学んだものを組み込んだ曲はなく、他の曲ではどうしても見劣りしてしまう。

かといって、この場で何も演奏しないで帰れるといった雰囲気ではない。

「ヨーミエ、子守り(ナニー)いきましょう」

「いや、だが、あれは」

「いいから、吹いてください」

子供の頃に創作した稚拙な曲。

この間完成させたばかりの葛藤(コンクリフト)に比べ、未熟で甘い、単調な曲。

創作を初めて間も無さが、ありあり含まれていて気恥ずかしい。

そんな俺を他所に、ラヴィアは子守り(ナニー)を要求してくる。

先生(コーチ)の言う事でもあり、諦める。

仕方なくハーモニカを口にし、懐かしき曲を奏で出す。

「お休みなさい  安らかに  木漏れ日舞い降りる

思い出の木に  身を委ねながら」

冬に満たされた空気のように、澄んだ声音が稚拙な音に乗って紡がれていく。

「貴方は愛しき人  この世に生まれしことを

喜びと感謝し  この歌を贈ろう」

歌は、未熟だった曲そのものをベースとし、ありのままを受け止めてくれる。

気がつけば、魅了されるように、俺は演奏を楽しんでいた。

観客の吐息すら歌の一部に取り込まれたように、一体感が広場全体に拡がって行く。

世界が呼応して歌っているかのように。

この広場にいる総てが演奏者であり、観客。

自分すら例外ではない。

この声を中心に連なる音の部品の一つ。

決して成り下がったというものではなく、互いを尊重し合い、高めて行く競り合い。

それは演奏者、広場に居るだけの者達に与えられ、世界が重なり一色に染めて行く。

「だから今は  お休みなさい

この胸の中で  貴方が羽ばたく  その日まで」

ハーモニカの音符と、ラヴィアの声が、同時に空間に溶け込む。

どこか心が同調したように一部の狂いもなく。

演奏を終え、二人は磁石が引き寄せられるように顔を見合わせた。

それと同時に盛大な拍手が舞う。

昼の、夢のような一時。

そこには、悲観に暮れる者のはなく、只、その場を生きて楽しんでいる者の笑顔に満ち溢れていた。




まさかこんなところに隠れているとは、予定外だった。

銀の宝物庫。

そんな異名で恐れられる、手出し無用な場所に一つだった。

そして、此処に住むということは、銀の術師の関係者ということになる。

(厄介な者に中りましたね)

銀の術師。

魔術士協会を追放されし、異端の天才。

保護構築システムNコードや、二段術式(ダブルパッチシステム)と術には欠かせない理論を創り上げた人物。

追放された後も、協会は絶えず監視を怠らせなかった程の男。

(あの宝物庫には、並の術師では歯が立ちませんわね。

でも、それは)

女は微笑む。

だが、顔の筋肉は一片も動かず、只、無表情のまま内心のみで行われる。

心を持ったマネキン。

そんな印象を受ける。

(それに時間がありません。

多少の犠牲はなんにでも付き物ですしね)

これから訪れるは、狂気の刻。

それを想うと、沸き立つ血潮が抑えられない。

それは惨劇の主と呼ばれた男より受け継いだ、唯一にして最悪なる情緒の表れだった。




ソファーに潜り込んでからも、目が冴えて眠れない。

昼にあった出来事がリピートされ、興奮が冷めないでいた。

そして、隣で微笑みながら歌を紡ぐ女性の事を。

(間違っているとした方が、正解だ…。

それでも)

裏切り。

それを実行するには弱く、それでいて無視するにはハッキリとした想いが、形と成りつつあった。

平凡で温かな生活。

その中で育まれるモノの大きさ。

こうして実感するようになって、明確になる。

求めていたものが、今ここにあるのだと。

それ故に、手元にある今を手放せなくなっていく。

どんなに感謝しても感謝しきれない、そんな借りがギルバートにはある。

この想いを肯定することは、恩を仇で返すということ。

上肢を天上に向け、仰ぐ。

そこには未だ、生活の温かさがあった。

一人で居た時には感じることの出来なかった温もりが、仰ぐ掌に確かにある。

それを握り込むように拳を造る。

(…手放したくない)

加速的に蓄積された感情が、心を掻き毟る。

彼女を手放してしまえば、全て失われてしまう。

そんな退廃的な考えが過ぎり、それを追いやるように頭振る。

「…ヨーミエ」

心音が跳ね上がる。

考えに没頭していて、隣の部屋からリビングに気配が移っていたことに気がつかなかった。

何よりも、思考の元が近場まで来ていたことに、見透かされたようで焦った。

「…どうした?」

勤めて、自然に振舞う。

「いえ、なんだか、興奮して眠れなくて」

「興奮?」

「あ、お昼の事です。

ヨーミエと音楽した事が、楽しくて。

あのまま、続けばいいなんて。

子供みたいですね、私。

それを思い出すと、目が冴えちゃって」

自分を責めるようにラヴィアは苦笑した。

「…これでも被って、ちょっと待ってろ」

ソファーから立ち上げると、毛布を渡す。

そしてキッチンに行くと、冷蔵庫から冷えたミルクを取り出し、鍋に入れて火にかける。

飲める程度の暑さまで熱してから、二つのコップに移して運ぶ。

「ほら」

ホットミルクをソファーに座っているラヴィアに渡し、「熱いから気をつけろ」とだけ注意を促しておく。

「ありがとうございます」

ラヴィアは受け取り、フウフウと冷ましながらコップに口をつける。

「ほっとしますね」

「寝れない時は酒が一番だが、ラヴィアの場合こっちの方がらしいしな」

「らしいってなんですか。

それって私がお子様っていう意味ですか」

憮然とした響きで、ラヴィアが反感を示してくる。

「ん、子供だって言ってたのは、お前だろ」

上げ足を取る。

それに対し、「うぅ~」と唸り声をあげるしか出来なくなるラヴィア。

そんなラヴィアを見ながら、自分のコップに口を付ける。

染み渡るように、温かな液体が身体に流れ込んでいく。

大きめのソファーに二人で腰を掛けて、ホットミルクを飲むことに浸る。

自然と話題が止まり、静寂で満たされる。

それは心地良い沈黙だった。

そっと隣でミルクを飲んでいるであろうラヴィア。

その横顔を盗み見ようと、。眼球だけ動かす。

そこには、こっちをジッと見ているラヴィアが居た。

盗み見ようとした自分が、堂々と見ているラヴィアに対して姑息なことをしているようで、バツが悪くなる。

朱に染まっていく顔を見られたくなくて、反対側に顔を逸らす。

「…ヨーミエ、ごめんなさい」

突然謝り出すラヴィア。

自分の行動が、彼女に誤解させたのかと心配になり、未だ紅潮しているままの頬を携え、ラヴィアに向かい合う。

そこには寂しさと申し訳なさを混在させたラヴィアがいた。

「私、又ヨーミエを困らせる話、しちゃいましたね」

ピントの合わない話に戸惑いを覚える。

「私はヨーミエの恋人じゃないのに。

それが当たり前のように振舞ってしまう。

気をつけてつもりでも、所詮つもりなんですね。

知らない内に、禁じていた話題をしそうになる。

又、貴方を追い込んでしまう」

ジッとコップを両手で覆い、その白い水面に自責を吐露する。

「ごめんなさい。

こんな話題すら、しちゃいけないんですよね。

もう、しませんから」

さっきから辛い表情をしていたのはこれが原因だったのかと、正直安心した。

それと同時に、改めて彼女を追い込んでいた自分がいる事に気がつく。

彼女には頼る者がいない。

それなのに自分の事で手が一杯で、彼女の彷徨っている手を引いてやることすらせず、拒絶してしまった自分が許せないでいた。

堪えているのがわかる。

彼女が吐き出しているは表面的なもので、本当はもっと深い部分での繋がりを求めていることを。

零れそうな涙と供に、堪えることでそれを塞き止めているのだということを。

コップを床に置き、そっとラヴィアが包んでいるコップごと、彼女の手を覆う。

「…俺は」

これは裏切り。

それでも止まらない感情が溢れてくる。

「君が、ラヴィアが好きだ」

奔り出す。

ここで躓けば、これ以上前へ進むことは叶わなくなる。

それがわかるからこそ、加速する想いのまま、心躍るままに、閉ざされて吐くことを禁止してしまった唇を奪う。

硬直し、全身から汗が吹き出る。

触れるだけの幼稚なキス。

それだけの事なのに全霊を掛けなければならないほどだった。

血が燃えるような感覚。

別に経験がないわけではない。

それ以上の経験もそれなりにある。

だが、これ程緊張したことはない。

唇を離し項垂れる。

「悪い。

勝手なことして」

ホントに勝手な事だと痛感する。

拒絶したのは自分で、破ったのも自分。

これでは我儘を武装した子供と同じだ。

水が滴る音。

それはミルクが満たされたコップの中で起き、波紋を呼びぶ。

それに釣られ顔をあげると、そこには潤んだ瞳があった。

止め処なく流れるものに身を任せ、微笑んでいるラヴィアがいた。

「…ごめんなさい。

本当は、喜んじゃいけないんですよね。

ギルの事を一番に考えている貴方に、こんな事させたなんて。

喜んじゃいけないんだけど、嬉しくて」

それは違う。

一番に考えているなら、こんな事は出来ない。

大切な者を失う、その恐怖よりも手にしてしまいたい感情の方が大きかった。

踏み込んでしまったのは自分の意思。

「謝るのは俺の方だ。

…それに、これが今の精一杯だ」

「…うん。

それでもありがとう、ヨーミエ」

これ以上先に進むに、不明瞭な事が多過ぎる。

そして決別すべき事がある。

許される事でなくても、伝えなければならない。

「わかっています。

…でも、もう一度だけ、お願い」




ラヴィアにそっと頬を挟まれ、ジッと見つめられる。

零れたコップの中身を気にする者はいない。

嬉し涙に濡れている表情は、とても綺麗だった。

本人はグシャグシャだと嫌がるかもしれないが、本心を彩っているその表情は何より美しかった。

そんな唇に誘われるように重ね合わせた。

「ジリリリリリッ!!」}

けたたましい音が鳴り響き、2人は弾き合うように離れる。

心音が跳ね上がり、思考が真っ白に掻き消されていく。

全身を紅く染めた2人は、ギギギと音がしそうなギコチない動きで、音源の方角へと首を向ける。

そこには黒い光沢をした、四角い物体があった。

それを確認すると、2人して胸に溜まった緊張を吐き出す。

硬直して、ほったらかしにしていても鳴り止まないそれに、渋々手を掛けて出ることにする。

「早よ出んか!

このボケが!」

けたたましかった着信音を遥かに凌駕する轟音、もとい声音が受話器から飛び出してくる。

耳に当ててなかったから良いものの、それでも鼓膜が有り余る振動に痛みを訴えていた。

「夜中に電話しておいて、第一声がそれか。

って、お前、シグなのか!」

声の主が、生死を彷徨(さまよ)っていた筈の人物からだと知り、興奮(こうふん)してしまう。

「誰でもええやろ!

そんなことより」

バッサリとこっちの問いを打ち切られた。

間違いなく相手は理不尽の女王様だった。

「会社の外に、得体の知れない者達がわんさかおんねん!

アンタに電話すれば分かるって、師匠が!」

「っ!」

迂闊だった。

平和な日々を送っていた所為で緊張感を失い、ラヴィアと外出をしてしまった。

あの目を引く外見だ。

場所の目測さえあれば、この場所を敵に発見されてもおかしくない。

「ノーブルは!」

「一蹴してくるって、外に跳びだしていったわ。

で、アンタに確認を取れって!」

「済まない!」

「なんや、その様子やと身に覚えがあるみたいやな。

兎に角、そっちも異変があるかもしれへん。

警戒しろと伝言や!

こっちが片付いたら、そっちに向かうわ!

気張(きば)りや!」

用件だけ伝えてくると、さっさと電話は切れてしまう。

それと同時に、こっちも行動に移る。

素早く窓際に身を寄せ、軽くカーテンを開く。

そこから外を覗くと、怪しい人影がチラホラと目視できた。

この様子だと完全に囲まれている。

(…決めたんだろうが、俺が守ると)

一度瞼を閉じ、覚悟を構築していく。

そして未だ失せていない感触を確かめるべく、唇に触れ、守るべき対象を瞳に収める。

(守ってやる)

最早ギルバートの願いは関係ない。

自分の意志で、自分の大切な者を守る。

その想いが突き動かすように、行動を開始する。

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