邂逅迷走
この作品だけでも読めますが、前作「赤く染まりし地に稲穂凪ぐ」の世界観で書いておりますので、そちらを読んだ方がよりわかり易く読めるかと思います(ダイレクトマーケティング)。
[1 邂逅迷走]
『おお、ケペルとして、神々の創造者たるケペルとして来り給える汝、今、汝を敬拝し、奉る。
汝は昇り、汝は輝く。
汝は、汝の母、女神ヌトの内にて光を創る。
汝は神々の王とせらる。
汝の母ヌトは両手を用いて汝に敬礼の動作を為す。
マヌの地は喜びを以って汝を迎え、女神マアトは朝にも夕にも汝を抱擁す。
願わくば、彼、即ちラーが、栄光と能力と勝利を得んことを、また願わくば、地平のホルスとして、生ける魂として出現せんことを』
{死者の書(ペレト エム ヘルゥ) 天の東にラーの昇る時、之に奉る賛美の歌より}
あなたには、愛しい人はいますか?
私にはいます。
日溜りのような優しさで包み込み、私を安らぎに満たしてくれる。
あなたには、愛しい人はいますか?
私にはいます。
厳しさの中に時より見せる優しさが、私に踏み出す勇気を与えてくれる。
どちらも私に大事な、そして掛け替えの無い、あの人。どうして私は同じ人に、違う恋をしてしまったのでしょう。
この身を裂くような想いは、どうすれば沈めることができるのでしょうか?
迷走することも許されぬ時に、私は自分の想いに殺されるのでしょうか?
私は、誰を愛したのでしょうか?
それは棺桶に似ていた。
人を仕舞うには十分な許容量があり、そしてなにより細長い外見と黒い文様が描かれたそれは、棺桶以外に想像しづらいものでもあった。
文様は文字らしく、英や仏と言ったものではなく、どこか古代語のように想われた。
この棺桶が運び込まれたのは、一刻前。
胡散臭い風体の男達が、箱を担いでこの部屋へと運び入れた。
自分らを運送会社の者と名乗り、伝票を差し出してきた。
そこに差出人の名が記載されていた。
差出人はギルバート ダーノス。
友人と呼べる唯一の存在。
そして、現実に繋ぎ止めて置いてくれた、綱。
生きていられるのは彼のお蔭と言っても過言ではない。
生を謳歌している以上、返しきれない大きな借りがある。
それが手紙の主だった。
ちっぽけな力しか持ち合わせていない自分だが、彼の頼みならあらゆることを省みない覚悟がある。
そんな心中を彼は知らない。
只、友人として対等の立場で接してくれる。
そんな価値すら自分では見出せないのに。
卑下が先行してしまうのを止め、添えられていた手紙に眼を通す。
{久しぶりに手紙を送るのに、こんな願いを押し付ける事を許して欲しい}
善からぬ予感を覚えながら、手紙の続きに目を奔らせる。
{我侭なのは承知している。
断罪しても已まない程に、この罪は重きものと。
それでも推し留める事が出来なかった。
狂っていると称されても返す言葉も無い。
心弱気者と侮蔑されても、私は止まれなかった。
そして、そんな汚れた責務に巻き込む事しか思いつかない、君しか頼る者が浮かばなかった自分を許してくれ。
否、許される事ではないのは承知している。
もう、私一人では匿う事も、守る事も叶わない。
何より、私の目的の為には君の協力が必要なのだと。
私は無力で、本当の力なんて何一つ備えていない事を思い知らされた。
再び巡り合う事が出来たら、私は君にどんな罪滅ぼしもしよう。
だから、彼女を、ラヴィアの事を守ってやってくれ。
こんな陳腐な言葉でしか表現できないが、生涯の頼みだ。
私には出来ない事を彼女に与えてやってくれ。
それを私に見せてくれ。
済まない。
何処までも我侭を尽くそうとしている私は、きっと狂ってしまっているのだろう。
ヨーミエ。
ラヴィアの事を頼む}
手紙を最後まで読み終えた。
吐露するような自責と、それでも尚已まない想いの声が書き連ねてあった。
それが何を示しているのかはこの文面からは不明だが、彼が生涯を棒に振ってでも成しえたものが切に感じ取れた。
…思考が微かながら停止する。
送られて来た荷物。
棺桶染みたそれに、掛かれた単語。
もう一度眼を通すが、確かにそこには彼女という、人を語意したものが書かれていた。
そしてラヴィア。
この名には覚えがあった。
ギルとは、月に一度のペースで文通をやり取りしていた仲。
五年前ほどから手紙に、その名が出てくるようになっていた。
それはギルバートの恋人の名。
誠実なギルにしては珍しく、惚気た感じの文を何度か眼にした事があるぐらいだ。
この切なる願いの元。
だが、送られて来た物は、棺桶に似た箱が一つ。
少し観察すれば見て取れるが、この箱は完全密封されており、空気穴というものすら存在しない。
そんな中に、もし者なんて入っていれば肉という物となってしまっていることは避けられない。
だが、そんな事は些細な事に過ぎない。
これを引き受ける事で、ギルバートの借りが少しでも返せるならば、死体遺棄でも構わない。
一般人と優先事項が違うのだ。
恐らく、どんなものよりもギルの願いは、自分の中で優先順位が高いのだ。
そんな怨念に近い想いが、脅迫のように自分を縛る。
これは生きるという行為に及ぶ限り付きまとう、自分の一部なのだろう。
手紙を読み終え、便箋から目線を下ろすと、バサバサと紙が揺れて、それが二枚重ねになっていることに気がつく。
乾いた指先に舌を這わせて湿らせ、そして手紙とは別の便箋を確認する。
そこには、箱の解放の仕方が記載されていた。
この箱は魔術によって封されていると書かれてある。
魔術。
それは普通に生活を送る者には縁も関わることもない、深淵の知識。
関わり合いの無い者にとって、それは正体不明の異質なもの。
だが、確かに存在するもの。
凡そ三百年前、表だって現われたそれは、今では科学と並ぶ、技術として確定している程に有名なものだ。
疎い者にとっては、虚空より生まれ出でる事象は不気味なものとしか映らない。
その疎い者の部類に含まれる自分にとって、いぶかしむしか態度に表せなかった。
だが、釘一つ使わずに密封されている箱を見ていると、信じられない技術でも、認識するしかなかった。
内容は、手紙と一緒に同封している木版を、箱の上部に彫り込まれている文字に合わせると開かれるとなっていた。
それに従い、封筒から木版を取り出す。
そこには箱の蓋と同じように、見たことも無い文字が彫り込まれており、それを合わせ、あるキーワードを口にする事で術式が開放され相殺し合うらしい。
本当に奇妙な文字だった。木版には{く}に似た文字、蓋には一筋の線が中心に彫り込まれていた。
この文字が魔術の媒体となり、それを維持しているものだと書かれていた。
開封を記載されているという事は、開ける事を前提としているのだろう。
そう解釈し、説明書通りに木版と蓋の文字を重ね合わせ、キーワードを紡ぐ。
「kenaz」
そうすると、木版の文字が発光を初め、バチッと反発する感触がしてくる。
反発が終わると、発光が失せていき、蓋が音を立てて少し浮き上がる。
先程まで密封されていた箱が、ズレていた。
中から冷気が漏れて、外気と混ざり合っていく。
蓋に手を掛け、床に落とすと、膨大な冷気が噴出してくる。
冬の部屋すら凍えさす冷気が、箱の内包されていた。
白い冷気が薄れ、中身が顕になっていく。
言葉の喉に詰ってしまう。
ある程度は覚悟していたとはいえ、本当に実物が出てくるとショックを隠せないでいた。
網膜に跳び込んで来たのは、血の気の通っていない白い肌。
死体だと想った。
空気穴のない箱に、人が詰め込まれていたのだ。
これは紛れも泣く棺桶だったのだと認識させられた。
戸惑いが全身を包み、ジッと目を離せないでいた。
そこで変化が起きる。
死体と想われていたものが、急激に肌に艶を取り戻していく。
そして数分も経たない内に、うめき声を漏らすまでに蘇生されていた。
まさに、死体から生物に転化したかのような劇変だった。
生きていた事に対する安堵が全身に広がるまで、暫く身動きが取れなかった。
その間に箱の人間はどんどん生きている証拠を顕にしてくる。
正気に戻った頃には、箱の人間は重そうな瞼を開き、定まらない視点でこちらを見上げていた。
白髪の美しい女性だった。
腰までありそうな髪が拡がっていて、温和な感じで垂れた目尻が目を引いた。
痩せ気味な華奢な体付き。
正常な判断が出来るまでに回復し、単純な思考がある事実を伝えてくる。
彼女の身体は何も覆われていなかった。
異様な現象の只中に居た所為で、まともに思考が働かない。
だが、正常に戻れば、この図は裸の女性を傍観している、変出者に近いものだった。
まともに戻った為、自分が俗な事をしているようで、それを当の本人に見られている事を知る。
紅潮するのを抑えれず、頭に血が昇っていく。
そんな自分を他所に、彼女は眼を瞬かせ、眼前に居る者を確認するように食い入るように見てくる。
この後に続くのは悲鳴、もしくは罵声の類だろうと覚悟し、それが派生するのをジッと待つ。
だが、彼女は何故か破顔すると、花が咲いたように笑顔を零す。
「逢いたかった、ヨーミエ」
女はそう言うと、上半身を起こし、私に抱きついてきた。
「なっ!」
マヌケな奇声が漏れる。
様子がおかしい。
彼女の声音、行動共に、親しい人間に対するものだった。
まるで恋人と再会に歓喜しているような。
これが、ラヴィア ローズマリーとの始めての出会いだった。
西暦1689年。
東洋の小さな島国から変革が起こる。
その島国を日本と呼ばれ、徳川家の江戸幕府が治めていた。
だが、変革は国を飲み込み大きく世界の在りようをも変えていくことに成った。
これまで世界の影となり、支え、されど異端として忌み嫌われていた術者が表舞台に出没を始める。
当初は三体の鬼を引き連れた、一人の術者が巷で暴れていると言うものだった。
誰もが陰陽師の一団が幕府から差し向けられた時、直ぐにでも記憶の底に沈むものと想っていた。
だが、事態はそんな簡単なものでは無かった。
伝令の早馬が幕府に恐怖を運んできた。
陰陽師一団の壊滅。
鬼は尚、幕府に向かい進撃中と。
幕府は兵をかき集め、これに対抗。
いや、最早抵抗と言ったほうが正しかった。
鬼達にとって万の兵も、肉の壁にしか成らなかった。
その絶大な力の差は、闇に生きてきた術者の心に復讐の火を灯らせた。
次第に鬼を使役する者の下に集い始めた術者。
唯でさえ戦力差の開きが決定的なものへなった。
幕府と、当時の天皇だった東山天皇はあえなく打たれたのだった。
この時より、年号は伍馬と名を変えた。
鬼を使役した者を中心とした術者の国家が誕生したのだった。
その噂は瞬く間に世界へと伝わり、魑魅魍魎、怪物、妖怪、魔術師、闇に住まうもの達が一斉に声を上げた。
互いを牽制し合い身動きの取れなかった者どもが、一致団結し世界の中核を牛耳るようになった。
世界は変革していく。
不確かな術や超能力、言霊が世界に当たり前に存在するようになった。
その中で世界のパワーバランスを担う、三大術士がいた。
八掛方陣をメインに仙術を行使する仙人、カイ セイラン。
四元元素を自在に操る大魔術師、マイセル リカラ。
最後に五行を極め、三体の鬼を操る者、新宮司 静。
西暦1988年、12月。
この年の春、三大勢力であった新宮司 静の崩御、それに相次ぎマイセル リカラが姿を隠し、世界のパワーバランスは崩れ去っていた。
世界は今、混迷を極めていく。
そこは熱の溜まり場。
溶かされた鉄から発せられる熱は、肌を焼き、室内温度は軽く六十度は上回っていた。
その中で全身反射する銀色の衣服の身を包んだ者が、マスク越しに荒い息を吹き撒きながら、作業に没頭していた。
溶かした鉄を型に流し込み、そして、冷却用の水へと型ごと漬け込む。
大量の水蒸気が蔓延し、又も部屋の温度を上昇させていく。
冷え、型を取り出して叩き出すと、鉄は型通りに固まっており、その出来具合を確認して、マスク越しに「OKっや」と声があがる。
床に散らばっている部品を掻き集め、部屋の中央にある罐の火を落し、退出する。
部屋を出ると、そこは小さな個室で更衣室となっていた。
「堪らんわ。
ダイエットなんてする気ないやけど、これやとまた体重が落ちるわ」
銀色の服を脱ぎながら愚痴る。
マスクを脱ぐと、そこには未だ幼さを残した少女の貌が現れる。
東洋系の顔立ち。
鼻の上にあるそばかすが印象的で、目付きの鋭さを覆い隠すように眼鏡をかけた十四、五の少女だった。
後ろに三つ編みした二房の髪が、尻尾のように揺れていた。
銀服を壁の突起に引っ掛けて、汗まみれな衣服を乱雑に脱ぎ捨て、タオルで念入りに躰を拭く。
着替えを済ませて、廊下へと出る。
狭い廊下の先には階段があり、その間に二つ扉があった。
片方はWCとデカデカと書かれた扉。
説明するまでもなくトイレと解る。
もう片方は、明かりが点いており、人の気配が漂っていた。
部品の詰った袋を携えて、少女はその扉を潜る。
「おぉ、ご苦労だったな、シグ。
完成したのか?」
扉を押し開けた途端、陽気な声が少女を出迎える。
髭面の大男が椅子に踏ん反り返り、自慢げに顎髭を撫でていた。
「ウチを誰やと想ってんねん。
パーペキや。
組み立てたら、今日の仕事は終いや」
と少女は得意満面で宣言する。
そして、ある人物を探して部屋全体に視線を奔らす。
だが、肝心の人物は見つからない。
「ん、あ、ヨーミエなら退勤したぞ、とっくの前にな」
「何や、それ!
ウチが熱気に煽られながら、必至こいて作業してる間に退勤したやて!」
髭男の前にあるパイプテーブルをバンッと叩き、少女は憤慨を顕にした。
「そっ、帰ったぞ。
まぁ、自分の仕事は終えてから帰宅したんだから、問題なかろう」
ガンを飛ばしてくる少女を軽くいなしながら、問題にされている人物のフォローをいれる。
それが気に食わないのか、シグと呼ばれた少女は髭オヤジに食って掛かる。
「同じ給料やのに、なんでウチが残業で、アイツがのうのうと帰宅やねん!」
「簡単な理屈だ。
アイツは社員で、お前は弟子だからだ。
シグ、給料が出てるだけマシだと思え」
「…とか言って、最近教授してくれへんくせに。
師匠やったら、師匠らしくしたらどうやねん」
怒りがなりを潜めだしたシグなる少女は、それでも収まらない文句を口にする。
おくびに出さないという性格ではなく、言いたい事を口にしないと気がすまない性質なのだろう。
「ったく、これは約束だっただろうが、シグ。
仕事優先、教えは二の次にすると。
最近仕事の注文が殺到していたから、仕方なかろう。
反故するつもりか?」
切り返され、「うっ!」と少女は呻きしか漏らせなくなる。
「それも今日で一旦幕引きだ。
明日からは、時間は取れるようになる。
再開するから、そんないじけた顔をするな」
「べっ、別にいじけてへんもん!」
年相応に反応を返してくるシグに、髭は苦笑を浮かべる。
シグはドカッとパイプ椅子に座り込むと、黙して持ってきた部品を組み立て始める。
(こいつが、こんなに表情豊かになったのも、アイツを拾ってからか)
髭こと、ノーブル ブルーガは過去に思いを奔らせながら、不貞腐れたシグに質問を投げかける。
「シグ、ヨーミエが嫌いか?」
どんな答えが返ってくるか知っているのだが、それでも本人の口から言葉にさせてみる。
「嫌いや。
あんな自分を放棄してるに近い人間。
自分を守る事を前提とした頑なな態度。
逃げや、あんなん!
ウチは人生の舞台にすら上がらん者はいけ好かんねん!」
声音が高まり、最後には叫びになっていた。
「逃げか。
戦い好きなシグらしい見解だな。
それにしても良く見てるな、ヨーミエの事」
「フンッ、気に食わない奴は徹底的に貶めてやるんが、ウチの遣り方やねん。
観察はその手口や」
「まぁ、そんなに苛めてやるな。
俺にはアイツの気持ちがお前よりは分かるつもりだ。
アイツは逃げているのではなく、欲しいものがわからない人間なんだ。
だから、欲が芽生えない。
強いて言うなら、生きる最小限の関係を保つことが、アイツの欲していることなんだろうな」
「そんなの生きるのを放棄したに等しいわ。
バカげた発想や」
「環境が、求める心を殺した。
求めた分だけ、いや、求めた以上に失うことを、怨嗟に溢れた時代に流されてきたんだろうな。
アイツは俺の知り合いに良く似ている」
「ウチは厭や。
そんな逃げの発想。
生きる事は闘争。
闘争は渇望や。
それを持たんアイツは人として失格や!」
シグの勇ましい意見に、ノーブルは微笑する。
「な、なに笑っとんねん!
気持ち悪いわ」
「いや、ワシの見立ては正しかったと思ってな」
「見立て?」
ノーブルが称えている微笑が、シグに厭な予感を覚えさせる。
「まぁ、ワシがアイツを雇ったのは、口煩い輩が隣にでもいれば、少しは前を見るんじゃないかと思ってな、拾ってきた」
「…まさか、ウチにあんな無愛想な男のお守りをさせるつもりやったんか?」
「つもりは無くても、お前はチョッカイを出す」
「か、確信犯っ!」
「どうせほっとけないだろう、お前の性格なら。
それとも、いつまでも篭っている奴を隣にいることにお前が耐えられるのか?」
シグはパクパクと口を開いて声を失っていた。
真逆、自分にそんな遣りたくない役割が課せられていたとは想いもしなかったのだろう。
(正反対の性格で同じ場所に立ってるからな、こいつらは。
それに影響を与えたいのは、アイツにだけではなく、コイツもだ。
反面教師としてな。
それに拾ったのは、それだけが理由じゃないのだが)
「まぁ、アイツの事は置いといてだ」
「…置いとかんといて。
ウチは納得しとらんで」
剣呑な声音。
爆発寸前を想わすものだが、別段気にした様子もなく、ノーブルはこの話を切る。
そして、シグが望んでいた話題へと移す。
「シグ、それを見せて見ろ」
これまでの陽気な雰囲気が失せ、ノーブルの雰囲気が厳格なものへと転じる。
それに勘付いたのか、シグは文句を飲み込み、組み立てかけのものを手渡す。
「ワシに弟子入りして、何年になる?」
「・・・二年と三ヶ月ぐらいやと想います」
「こういった物を手順で創らせている意味は解っているな」
「自ら創ることで、物の本質を知り、原理を知る」
「そうだ。
お前が学ぼうとしている錬金術と言うものは、今遣ってる工学とはアプローチの仕方が違うだけの、科学だ。
俺がお前にこうやって物造りをさせているのは、本質的な部分では同じことと認識させる為だ。
マッチで火を灯すのも、魔術を行使して火を灯すのも結果だけ見れば、同じ現象を行うことだ。
工学と錬金っていうのは、そういう差だ。
言ってしまえば、造る物は同じということだ。
だから、錬金術っていうのを学ぶには、物ってやつの本質と原理を知る必要がある」
ノーブルはレクチャーしながら、未完の物の側面に指を這わせていく。
(エーテルへ接続。
マスクウェル構築開始)
そうすると、指でなぞった部分に光の線が残りそれは消えることなく煌々と輝いていた。
「等価交換というヤツが前提とされているのが、錬金術だ。
だから、この学びも無駄ではない。
{世界よ、私の声に注意を向けてくれ、地よ、開けてくれ、大量の水が私に向かって開いてくれるように。
木よ、ふるえるな。
私は主とすべてと一を崇め讃えたい。
空が開いてくれるよう。
そして風がおさまり、すべての私の機能が、すべてと一を崇め讃えるように}」
「錬金術の基本、すべてと一の原理やね。
ヘルメスの書、ポイマンドレス記載の」
「まぁ、あれは驕り高ぶりというヤツだ。
等価交換という題目の元、これを実戦するのは愚行と言える。
だから、これは思想だと理解しておけ。
所詮は、我らは無から一は生み出せないし、一から全は生み出せない。
秩序的連鎖というやつだ」
「はぁ」
釈然としない返答がシグからしてくる。
金を精製する為に生み出された錬金術。
権力の象徴たる金を精製する技術は、万能さを夢みることだろう。
だが、それは絵空事で、それに未だ金を精製できたものはいないのだ。
この時代最高の錬金術師すら、それを夢と提示付けた。
今、その錬金術を習おうとしている者には酷な話だが、それが現実。
この世に万能などないのだと。
苦々しい思い出が蘇ってきて、ノーブルは苦笑してしまう。
若かりし頃の無謀なる挑戦の日々、それが脳裡を擡げる。
若かりし頃(この頃)はどんな言葉すら、受け入れるだけの器を持ち得ないもの。
理解するまで積み上げ、崩れるまで。
上だけを目指せば、必ず崩れることを覚えなければならない。
真っ直ぐに積み上げられたものは、どこかでバランスを崩す。
上を目指すなら、確りとした土台、足場が必要なのだと。
だが、それすらもいつかは足りなくなり、崩れ去る。
それが訪れるまでは、無謀を繰り返す事を止めないのが、人間の本能なのだろう。
ノーブルの掌にある部品が閃光に包まれる。
(移、回路、接続、構成、操作、場、構築完了、展開)
閃光が強まり、そして次の瞬間光が収縮し消滅する。
残ったのは、ノーブルの掌に残った小型の銃が一丁だけ。
「まぁ、錬金術っていうのは魔術の延長に位置するものだ。
先ずは、認識の覚醒だな。
そろそろ行うから覚悟はしておけよ」
錬金術を目の当たりにし、シグは羨望の眼差しを向けてくる。
だが、それは直ぐに失望へと変わる。
組み上げられた筈の銃が、鍍金がはがれていくかのように、ボロボロと崩れ始めたのだ。
「あ、あれ?
…組み間違えたかな、魔術回路を」
「・・・あれ、ちゃうわ。
それは明日納品の大事な商品なんやで」
殺意すら感じさせる重々しい声がシグからしてくる。
ノーブルは危機的状況に、体中から冷や汗が吹き出てくる。
「なにを屑にしとんのやっ!」
時は残酷で、一秒一秒が商品を崩していく。
最後は形を失い、粉に早代わりしていた。
最早、元の形がわからない程に。
「このクソがっ!」
「お、落ち着けシグ!」
テーブルを引っくり返し、暴れ狂うシグ。
そしてそれを取り押さえようとしたノーブルの鳩尾に、シグの鋭い拳がめり込むのはそれから二秒後の事だった。
事務所を出たのは夕暮れ前。
寄り道をしている内に、黄昏にドップリと浸かっていた世界は闇に染まっていた。
わりと大きな荷物を数点抱えながら、帰路を急ぎ足で進む。
ここらは治安が余り良くない為、こんな時間に大荷物を抱えている者は、格好の獲物、餌食にされてしまう。
腕に覚えが無い訳ではないが、折角仕入れた物が駄目になってしまう恐れもある。
それは懐具合を思惟すると辛い。
絡まれない事に越した事はない。
路地を抜け、街外れを暫し行くとレンガ状のアパートが見えてくる。
ボロボロな門構え。
二階へと続く階段は塗料が剥がれて、サビ色に侵食されていた。
一階に五部屋、二階に三部屋と、計八部屋備えていた。
寒々しさが蔓延ったアパートは、何処か人を近づけさせない雰囲気に包まれていた。
アパートの持ち主曰く、そう感じるように細工しているらしい。
なんでも人間の盲点と意識のあり方から、割りと簡単に細工できるらしい。
このアパートは本来、倉庫として扱われていた物件だった。
それを一年前から塒として、二階の一室を使わせて貰っていた。
その一室から光が漏れていた。
昨日までは自分一人しか住んでいなかったアパートに、人のいる証が灯っていた。
「夢でなかったのだなと」
独語し、錆付いてギシギシ音を立てる階段を上る。
扉を開くと、中から暖気が零れてくる。
そして、昨日までは決して有りはしなかった、迎えの言葉が掛けられる。
「あっ、御帰りなさい、ヨーミエ」
朗らかに微笑みを浮かべた白髪の女性が、振り返りながら出迎えてくれる。
迎えられるという経験が殆ど無い為、返す言葉が直ぐに浮かんでこない。
「どうしました?」
白髪の女性が訊ねてくるまで、呆然と扉を開いた状態のまま硬直していた。
「いや…」
後に続ける言葉を飲み込み、開いたままにしていた玄関を閉める。
玄関を抜けると、そこはリビングになっており、そこに備え付けてあるソファーに抱えていた荷物を降ろし、一息つく。
そして、もう一度現実と向き合う。
切れ長く、緩やかな目元。
細い眉は、そんな目元に似合っており、少し高めの鼻や形の良い輪郭にマッチしていた。
そして、サラサラと流れる白い髪は彼女を際立たせるアクセントになっていた。
一言で言うなら、美人だった。
ここまでの美人とは、この二十四の年月、出会った覚えが無い。
見惚れてしまっていた。
ギルバートが惚気た手紙を書いてしまうのも、無理からぬ事だなと納得してしまう。
そんな幻想的な美も、包んでいる物の不恰好さで、大分損なわれてしまっていた。
ダブダブのシャツにセーター。
下はジーパンで、ベルトでキッチリ絞めて裾を折り曲げて誤魔化しているが、着ていると言うよりも、被っていると言った方が的確な格好だった。
棺桶から目覚めた彼女は、一糸も纏っていなかった。
一人暮らしの男の部屋に、女物の洋服がある訳もなく、こうして自分の服を着て貰ったのだが、サイズが違いすぎて着せられた状態になっていた。
「沢山の荷物ですね」
どう切り出したものかと思案していた矢先に、彼女の方から話を振ってくる。
「あぁ、そのままだと、何かと不都合だろう。
何着か見繕ってきたから、試着してくれ」
と、ソファーに置いた荷物を拾い、紙袋を開けて見せる。
「えっ、もしかして、私にですか?」
まさか、そのままで過ごす気だったのだろうか?
意外そうに訪ねてくる彼女に、俺は首肯する。
「古着の類で悪い。
金に余裕が持てなくてな。
それで我慢してくれ」
受け取るように、差し出す。
彼女はそれを大事そうに受け取ると、
「ありがとう、ヨーミエ」
木漏れ日のような温かに微笑む。
正直、たかが古着でこんなに喜ばれるとは想ってもいなかったので、面食らってしまう。
「着替えてきて良いですか?」
古着の入った紙袋を渡すと、もう一度「ありがとう」と礼をしてから、彼女は隣の部屋へと着替えにいってしまう。
「…ラヴィア ローズマリーか」
名を呟いてみる。
ギルバートには悪いが、感じの良い女だと好感を持てた。
彼女に対する認識は多くない。
ギルバートの恋人。
文通中の手紙の内容を思い出すに、彼女はギルバートの勤める機関、魔術師協会の人間で、結構身分の高いところのお嬢様らしい。
お嬢様という認識があった為、高飛車なイメージがあったが、彼女はその反対を素で行っている人間だった。
謙虚で大人しい。
表情が豊かで、とても素直だった。
彼女の事は、精々これぐらいしか知らないのが現状。
(初めて会ったにしては、随分と馴れ馴れしい部分はあるが)
それも大したマイナスの印象にはならない。
彼女が醸し出す、温かな、家庭的とでも言うのか、そんな雰囲気がそれを補って余りあった。
暫しそんな事に思考しながら、不意に鼻に付く匂いに気が付く。
匂いに釣られ、キッチンへと足を運ぶと、そこには色とりどりの料理が並んでいた。
食欲をそそる調味料の効いた匂いがし、空腹のお腹を刺激する。
(…確か冷蔵庫の中身はからっぽだったはずだが)
冷蔵庫を占めているのは、ビールや家主から預かってくれと頼まれ、置く場所に困って占拠している火薬だけ。
普段から料理なんてしないこの家には、ほんのわずかな調味料はあるが、食材は非常食として置いてある、ビーフの缶詰ぐらいなものだった。
とてもではないが、ここに並んでいる料理を作れる程のものは、家捜しをしても出てこない。
ガチャと、リビングの方から扉が開けられる音がする。
どうやら、着替えが完了したらしい。
リビングに居ない俺を探して、彼女がこっちに顔を出す。
「あの~」
照れながら、彼女が全身を現す。
サイズは微妙に大きいが、俺の衣服を着るよりかはかなりマシになっていた。
色などは、適当に選出してきたのだが、女のコーディネートと言うものは侮れない。
ロゴの入った黒シャツに、ディープグリーンのセーター。
軽く袖を内に折って、黒いシャツの袖を出していた。
ちょっとした縞模様は、色合い的に悪くないものだった。
「どうですか?」
さっきの状態と比べれば、天と地の差だった。
「悪くない」
無難な答えを口にしておく。
褒めるのは、何処かギルバートに悪い気がして、どうにも素直に感想を述べられなかった。
「良かった」
別に褒めた訳ではないのに、彼女は嬉しそうだった。
「それよりも、これはどうした?」
大体の予想は付く。
と言うか、それしか方法がないからだが。
そして、ここには一人前の食事しかない。
「ヨーミエの為に作ったんですけど、…食べてきちゃいましたか?」
「いや、食べてないが、君は?」
「わ、私は摘みながら料理してたんで、お腹減ってないんです!」
馬脚を現したと言っていいだろう。
動揺しまくった態度が全てを物語っていた。
ここにある料理の材料費は、昼を食べるように渡した雀の涙程度のお金。
ザッと材料を見れば、その雀の涙を使ってギリギリの出資だろうか。
恐らく、昼を抜いて、その上で作られたのが、この料理達ということになる。
夕食どころか、昼すらお腹に何も入れていないだろう。
赤面しながら言い訳を探している彼女に、俺は頭を掻きながら嘆息する。
「俺は別に見返りなんか求めていない。
ここにいることを、忌憚したいでくれ。
用意して貰って悪いが、こういった気遣いは無用だ」
キツイ台詞を口にしていた。
それに気が付き、バツの悪く思い渋面になってしまう。
「悪い。
別に好意は嬉しく思う。
でも、先ずは自分を優先してくれ。
そうでなければ意味が分からなくなる。
こんな形で返却されても困る」
俺はリビングに置いてきた夕食用に買ってきたホットドッグを袋から取り出す。
「俺はこっちで良い。
君は、そっちを食べてくれ」
萎びたパンに挟まれた、ヘロヘロなソーセージ。
辺鄙な屋台で購入した、安いホットドッグ。
食欲をそそる数点の料理に比べれば、貧相で拙そうだ。
どっちを食いたいかと聞かれれば、即答で料理を選ぶが、あれは彼女の食費で作られたもので、彼女が食べるべきものなのだ。
食事に齧り付こうとして、視線を感じる。
そっと顔をあげると、ジッとこっちを見たまま、行動を起こさない彼女がいた。
ため息混じりに、訴えてくる視線に抗議する。
「…別に意地悪をしたい訳じゃない」
「分かってます。
…なら、交換しませんか?」
「…君は客だ。
何の気兼ねなくここに居て良い。
俺に気遣うことなんてない。
俺が言いたいのは、そこだ」
「なら、食べてください」
「人の話を訊いていたか?」
可憐で儚いイメージだった彼女。
だが、頑固な一面を持って、こちらの意見を聞き入れてくれない。
「私にとって、これが一番気を遣わない方法なんです。
だから、食べてください」
従順な性格だと想っていた為、この反撃には度肝を抜かれた。
だからと言って、彼女の意見を聞き入れようとは思わなかった。
(俺はこれまで、こうして生きてきたんだ。
匿うことには異論ないが、干渉されるいわれはない)
もう一度だけ、促そうと彼女の瞳を覗く。
(…何で、そんなに悲しそうな眼をするんだ)
頑なな態度を見せている彼女だったが、訴える視線は悲しみ一色に染まっていた。
それを見てしまうと、どうにも無視して食事に取り掛かろうとする行動が止まってしまう。
全く訳が分からない。
彼女が何を意固地になっているのか、検討もつかない。
昨日今日の関係。
特別な感情が行き交う間すら、自分達には無いのだ。
関係を築く暇など皆無に等しい。
(それなのに彼女の眼は、親しき者の拒絶を受けたような、辛さが籠もっている)
こと利用し、される関係には敏感だった。
これまでの人生、そんな中でしか生きてこなかった。
ギルバートだけが、そんな枠組みから外れた位置で、自分に接してくれた。
敏感故に、彼女が向けてくるモノが利己的なモノではないと分かる。
小さな子供が、恨めしそうな視線を延々と向けてくる状態だった。
針のムシロ。
「…分かった。
食べれば良いだな」
あれから二分の視線の猛攻に耐え切れず、俺は折れていた。
暫くは一緒に暮らすようになるのだから、剣悪に日々を過ごしたくはない。
これぐらいの譲歩で精神の安寧が得られるなら、安いと判断するべきだろう。
ホットドッグを片手にキッチンへと向かい、そこに包丁代わりにしているアーミーナイフを出す。
サッとホットドッグを何等分かにし、一口サイズにして二つの皿に盛る。
結構切り分けたので、二つの皿に山盛りになってしまった。
その皿たちと、彼女が用意した料理をリビングへと運び、テーブルに並べる。
「どうせ、水くらいしか口にしてないんだろ。
約束通り食べる。
代わりに君も食べろ。
分けて食べれば、問題ないだろ」
「摘んでいましたから、別にお腹は」
あくまで貫こうと反論しようとしてくる彼女に、俺は香料の強い料理を眼前に突き出す。
そうすると、その匂いに胃を刺激されたのだろう、可愛らしい音が腹部からしてくる。
「躰は正直だな。
強がりは良いから、一緒に食べるぞ」
赤面して、俯いてしまった彼女に食事を促す。
反論を一蹴した為、彼女は頷くしか選択権はなかった。
どうやら、想ったよりも厄介な相手を匿う羽目になってしまったと、内で大きなため息を零してしまう。