第5王子とピートの出会い
どうしてこう、お兄様は行く先々でトラブルの種を蒔いて歩かれるのでしょうか。
弟をぎゅっと抱きしめ、深い溜息を溢してしまいます。
外界の何もかもを拒絶してしまいたくてなりません。
わたくしの様子に気まずそうな面持ちの、『ピート』。
苦笑いの、『アルフレッド殿下』。
本来正しくは、どちらがどちらの立場なのかは存じませんけれど。
「兄は……」
「うん?」
「兄は、『第5王子殿下』に一体何をなさいましたの」
本当は、現実から逃避してしまいたくてなりません。
ですが、妹として。
生きた災厄アロイヒ・エルレイクの身内として。
責任を負いたくはありませんけれど、ここは聞かねばならないと思いましたの。
兄が何をやらかしたのかは、本当はあまり知りたくないのですけれど。
「「…………」」
わたくしの言葉に、無言で顔を見合わせる同じ顔の殿方御2人。
沈黙は、止めて下さいませんか……?
言外に言い含むモノを思うと、胃が痛くなってしまうかもしれません。
……いえ、今までに胃が痛くなったことはありませんけれど。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
世に『竜殺貴公子』と謳われる、エルレイク侯爵家のアロイヒ。
彼の実態を知る者は限られ、英名ばかりが天下に轟く。
だからだろう。
だからこそ。
『本当の姿』を知らぬ多くの者が、彼に憧れ、敬慕を向けた。
時に第5王子は7歳の頃。
アロイヒ・エルレイクは17歳。
丁度10の年の差がある両者の接触は、冬の到来を間近に控えたとある日に。
侯爵家の継嗣であるアロイヒへの、王妃の要請という形で実現を果たそうとしていた。
それというのも第5王子の生活態度に全ては起因する。
第5王子アルフレッド(7)……この時すでに、引籠り歴2年。
そろそろ引籠りにも年季が入ろうかという頃合い。
そんな息子のことを、彼の母は深く案じた。
どうにか幼い王子の気を引き、外に連れ出したい。
もっと解放されてほしい。
性格を変えろとは言わないが、せめて社会復帰の切欠になれば……
母としての切実な思いが、あの手この手で幼い王子への様々なアプローチとなって表れていた。
何とか前向きに、自分を追い詰めて笑わなくなった王子を立ち直らせようと。
そしてとうとう、思いついたのだ。
当世1の戦士であり、英雄。
男の子であれば、誰もが憧れる肩書きではないか?
既に、実際憧れている子供も多いと聞く。
本人の性格も悪くはないらしい。
素直で明るく、親切な好青年だと専らの噂だ。
――確かに、その評価は間違ってはいなかったのだけど。
それに、普段から部屋に籠りがちで物事に興味関心の薄い第5王子……問題のあの子が、『アロイヒ・エルレイクの話』には僅かに興味を示したと報告があった。
最早、藁にもすがる思いで……母親という生き物は先走ってしまう。
実際に顔を合わせることなく、実態を調査することなく、彼女達は決めてしまった。
未だ学生の身として、王立学校の学生寮で寝起きする日々ではあるが……時に例外的な外出があっても良いだろう。
末の王子と話してやってほしい。
どうか籠りがちな末の王子を励ましてやってほしい。
その一念で彼らは、第5王子に引き合わせるべくアロイヒ・エルレイクを王宮に召喚した。
このことが、第5王子の運命を大きく変えていくことになる。
第5王子自身、どんな苦難も障害も自身の力の身で跳ねのけ、乗り越え、偉業を達成したといわれる稀代の英雄に興味があった。
関心を持った。
そして憧れる部分がないでもなかった。
だが委縮し、閉じこもり、殻に覆われた幼子の心は素直になどなれない。
会いたいと思いながらも口には出来ず、態度には示さず。
むしろ頑なな天邪鬼さでより部屋の奥に閉じこもった。
対して、アロイヒ・エルレイクは王妃によってとても偏った説明をされていた。
曰く、
「――とっても恥ずかしがり屋さんで素直になれない子がいるのよ。貴方と本当はお話したいみたいですのに……。ここは年長者である貴方の方から歩み寄って、あの子の心をこじ開けてくれないかしら」
アロイヒは言われた通りに実行し、こじ開けた。
心ではなく、部屋の扉を。物理で。
締められていた筈の鍵。
どんな強固で複雑な鍵も、アロイヒに限れば白刃一閃。
抜剣して、ひと振りだった。
扉を壊さず、鍵だけスパーンと。
合わせに沿って扉の隙間を、刃が走る。
見事に、鍵だけを壊して。
部屋の扉は密閉性を失った。
そうして生きた天災が、すたすたと部屋に入り込む。
彼の背中を見送った衛兵達は、ぽかーんと口を開けていた。
王城の、王子の私室に対する大胆不敵なその態度。
繰り返すがアロイヒ・エルレイクは17歳。
彼の有名な、事実は闇に葬られた『竜鍋事件』から数か月後のことだった。
それから第5王子を目の前にした、アロイヒは……
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「――『人の悪意が矢の様に降り注ぎ、冷たい雨の止まない世界。いつ貫かれて死ぬとも限らない外の世界になんぞ出ていくつもりはない』」
「そう言った第5王子に、君の兄君は言ったものだ。『そりゃ君の気のせいだろう。今日はとっても気持ちの良い快晴だったし?』――と」
「い、意味が違いますわ愚兄……っ」
わたくしは、先程から割れるような頭痛と戦っています。
王宮での、過去の暴挙。
我が兄ながら……兄がどのような人物か、多少なりとも妹として存じておりますけれど。おります、けれど……あまりにも酷くはありませんかしら。
王宮の扉を破損……鍵の部分だけにしても叩き切った時点で、牢獄に繋がれていてもおかしくない事態ですわよ?
それを野放s……見過g……大目に見て下さった王家の方々には申し訳なくて仕方ありません。もう少し常識を弁えた行動が出来なかったものかと、兄の愚行に胸が痛みます。
お兄様……貴方様は、栄えある名門エルレイク侯爵家を負って立つ後継者ですのよ?
それを鍵を壊して無断で侵入するなどと……それではまるでいずこかの盗賊のようではありませんか。
あまりに情けなくて、涙が出ないのが不思議なくらいですわ。
同じ面立ちの御2人からわたくしに注がれる視線も、何やら生温かく……わたくしの眼から湿気が滲むのではないかと思ってしまいます。
「雨とか比喩だっての。実際の天気の話じゃねーって」
「でも、さも善意からの言葉ですって前面に押し出すような笑顔で言われたらね……」
「『ああ、うん、晴れてますね?』しか言えないのも仕方ねーよな?」
……一体どちらの殿方が実際に兄との邂逅を果たしたのかは存じませんけれど、御2方共にまるでご自分が実体験なさったかの様な口ぶりです。
ですが語られるのが兄のこととなると、わたくしは細かなことを気にする余裕もなく……ただただ、あの兄の妹であるという事実に羞恥を感じ、全力で恥入っているしかありません。
わたくしは、どうしてお兄様の妹に生まれてしまったのでしょう……
血の繋がりがなければ……いいえ、せめて従兄妹ほどの関わりであれば、まだ他人事として聞き流すことができたでしょうに。
「それで『こんなに晴れてるんだから、外に出ないと勿体ないぞ? 雨が気になるんならこれやるからさ。これがあれば、雨が降っても大丈夫だ』――と、そんな言葉と共に渡されたのが、」
「――こっちの傘、だな。『ピート』の獲物になってる」
「傘を武器になど珍しいと思いましたら……兄にゆかりの品でしたの」
非常識な存在である、兄。
兄から譲渡された存在だという、傘。
……先程、塔から飛び降りたピートの姿を思い起こします。
あの、傘を用いて落下の衝撃と速度を殺しての飛び降り好意を。
あの時はとんでもない非常識だと思いましたけれど。
………………間接的に兄が関わっていた、と思ってよろしいのかしら?
「なんだかんだ、それから3日くらいアロイヒ・エルレイクと第5王子は交流を重ねる羽目になるんだけど」
「……半日が過ぎる頃には、第5王子は大体のことがどうでもよくなってたな」
「あれ、凄いよね……」
「悩んでいた自分が馬鹿らしくなる、謎のアロイヒ・マジック……」
「し、染々と仰らないで下さいます……?」
「色々と厄介な目にゃ遭ったが、これでも感謝してんだぞ?」
「そうそう。それで第5王子も思いきれたってものでね。この王宮で窮屈な思いをして生きるより、広い世界に飛び出して裸一貫成りあがってみようかと……」
「無謀ですわよ? 兄に、駄目な方向で影響されていますわよ!? 思いなおして下さいませ……っ!」
「その忠告は、6年遅かったな。何しろ既に基本はやらかした後だ」
「な、なんということでしょう……! 未来に絶望していた少年が、兄に毒されて……っ!?」
「そうそう、毒されて」
「困ったことに第5王子は抜け道や隠し通路を見つけるのが得意でね? 最低限必要だと思える準備を整え終わると、意気揚揚王宮から飛び出しちゃったんだよ。隠されていた非常用脱出路から」
「本人が『最低限必要』だって判断した装備は、全然必要最低限なんぞじゃなかったがな。全然、本当に全然装備も準備も足りない無謀な状況で出奔敢行しちまった」
「……それで、行き倒れたんだよね」
「王都の、貧民街でな」
「お、王都脱出すらままならなかったのですわね……?」
当時、第5王子殿下は7つの齢でしたはず。
あまりにも、無謀が過ぎませんかしら……?
そもそも貴族らしい貴族の装いで、護衛もなく貧民街に立ち入れば……たちまち、貧民街の方々の餌食になってしまうと思うのですけれど。
……窺うように見上げれば、すっと逸らされる御2人の目線。
わたくしの想像以上に、切羽詰まった事態におちいったのでしょうね。この様子では。
本当に、無謀と申し上げる他にございません。
王宮の奥の豪華なお部屋にずっと引籠っていた幼子が、急に足を向けて無事でいられる場所ではないはずですけれど。
……こうして此処に、御2人が五体満足でいらっしゃることが不思議に思えて参りました。
「けど、まあ。そこで俺とこいつは出会った訳だ」
「全く違った境遇で育った赤の他人なのに、驚くほど同じ顔してるものだから驚いたよ」
「それはこっちも同じだっての。何の巡り会わせかと思ったぜ」
過去の悲運など気にもしていらっしゃらないのかしら?
あっさりとした口調で、同じ顔の殿方は2人顔を見合せて……
次いで、互いを指さしながら仰いました。
「俺とこいつ、顔が同じもんだから間違えられてな?」
「『第5王子』を『ピート』を間違えて、保護した人がいたんだよ」
「その言い様では、ピートの保護者が第5王子殿下を保護した……と聞こえるのですけれど、逆ではありませんのよね?」
「そりゃな。その頃『ピート』は……『青いランタン』の前身になる浮浪児集団に属してたんだよ。そこの頭目がなぁ……お人好しの若い女でな?」
「いえ、服装で不審に思われませんでしたの? 王宮を脱してきたばかりでしたら……王宮基準で粗末な身なりを装っていたとしても、市井では上等な部類の衣装でしたでしょうし。貧民街では人目に付いたのでは?」
「……ちょっと情けないけど、『ピート』が好き者の変態に攫われて着せ替え人形にされた挙句、自力で脱出してきたものと思われたんだ。あの貧民街、周期的にかなりの変態が出没するから……そう思うのも無理ないし」
「それは……色々な意味で不穏な場所ですわね、貧民街」
「そういった経緯で、俺とこいつは出会った訳だ。拠点で顔合わせて、あまりに同じ顔でマジにビビった記憶があるわ。周囲もめちゃくちゃビビってたしな」
「こっちだって同じだよ。趣味の悪い冗談かと思ったくらいだ」
御2人、互いに憎まれ口を叩き合うお姿は、とても親しげで。
6年越しの友情というものが、言下に透けて見えるようでした。
何故この御2人が出会い、今ではこうして互いの立場や役割を代わる代わる交換されているのか、わたくしには知り得ない事情が種々あられるのでしょうけれど。
説明を聞かずとも、絆のようなものが感じられます。
『ピート』はわたくしのことを『盟友』だと仰いましたけれど……
『盟友』というのは、目の前のこの御2人を指すのだろうと。
わたくしは、実例と共に言葉の意味を深く感じることとなりました。
アロイヒ
「これで雨が降っても大丈夫!」
第5王子
「いや、だから傘があるなしの問題じゃ……」




