耳栓がなければわたくしも危険でしたわ
びくびくおどおどとされたまま。
結局アルフレッド殿下とは打ち解けることもできませんでした。
あれほど怯えられては、手の施しようもありません。
挙句の果てには、
「お、お、おねが……っ かっかかか、かか、帰ってくくだ、さぃぃぃっ!」
本気で泣かれてしまったかと驚いてしまいました。
わたくしに帰ってほしいと、殿下が懇願なされるのです。
殿下の目は、今にも涙がこぼれ落ちそうになっておりました。
扉から出入りすれば、第4王子殿下にこじ開けられるかもしれない。
第5王子殿下がそう泣きつかれるで、わたくし達は庭に面した窓から脱出せねばならなくなりました。
こんなはしたない姿……どなたにも見られていないとよろしいのですけれど。
天の両親にはとても顔向けできない、はしたなさです。
無事にアルフレッド殿下のお部屋を抜け出た後には全身が重く感じるほど疲弊してしまい、わたくしはやむなくクレイを連れて与えられた部屋へと戻ることに致しました。
最早できることも見つけられない状況ですもの。
第4王子殿下に振り回されて疲れたことを言葉にすれば、使用人の方々も同情の素振りを見せます。
……あの王子殿下は、日頃何をなさっておいでなのでしょうね?
いつの間にか、周囲は暗く。
どうやらわたくしも弟も、心身ともに疲れ果てていたようです。
知らず知らずの内に寝入っていたのでしょう。
星の輝きを目にとめて、わたくしは寝台の上に身を起こしました。
ふと、起きあがったわたくしの顔にかかる……不自然な影。
「あら……?」
寝台の脇を見上げますと、そこにピートが佇んでおいででした。
上半身は微かに俯きがちで、この様子を見るにわたくし達の顔を覗きこむ形で屈んでいらしたのではないかしら。
ですが、何故に……?
「……ピート? 貴方……婦女子の寝所で何をなさっていますの?」
どのような理由でもって、わたくし達の顔を覗きこんでいらしたのか。
返答如何によっては、婦女子としてあるまじきことですが暴力も辞しませんわよ?
わたくしはそっと、懐に忍ばせた扇に手を伸ばしました。
同時に問い質す意味も含め、疑惑の眼差しで見上げます。
疑いを隠しもしないわたくしに返って来たのは、ピートの呆れが多分に含まれた溜息でした。
「お前達を起こそうとしてたんだっての。今夜決行だって言ってただろうが。それを平和そうにぐーすか寝やがって」
「まあ、もうそのようなお時間ですのね」
「いいからさっさと弟起こしな。昨晩渡した耳栓はちゃんと持ってんだろうな?」
「ええ、こちらに」
重々の念の押しようで、わたくしが耳栓を所持していることを確認しようと余念がありません。
こんなに慎重に確認されるなんて……
耳栓が、本当に必要になりますの?
わたくしの疑惑は、深まるばかり。
まさかこの後。
かねてより少々気になっておりました……『青いランタン』の音響兵器、セルカとセルマーの双子がどれほどに強力な威力をお持ちなのか……それを我が目でもって確認し、覚えることになろうとは。
ええ、露ほどにしか思っていませんでしたの。
――歌が、聞こえました。
以前、聞いたことがあるはずですのに……
新鮮な気持ちで、初めて聞いたと思わせる。
清涼感に満ちた、繊細な少年の声。
それは……
「はい、ストップ」
「あ……」
身動ぎも出来ないほどに、惹きつけられ。
全身で聞き惚れていましたら、ピートに耳を塞がれてしまいました。
思わず、抗議を込めた眼差しで見上げてしまいます。
もっと聞いていたかったと、体が訴えてくるようです。
ピートは不満を隠しもしないわたくしを見下ろし、へらりと笑ってみせました。
「まあ、確かに聞き惚れんのはわかっけどよ」
「でしたら、もう少し聞かせて下さっても……」
「けどな、あのまま聞いてたらお前、 確 実 に 寝 て た ぞ 」
「……え?」
困惑するわたくしに、ピートが掲げてみせたもの。
昨晩渡して下さった、耳栓と同じもの。
ピートは問答無用の強引さで、わたくしと弟に耳栓を装着させました。
弟は未だ夢の世界をさまよっておりましたけれど……
音に変化があったのは、すぐのことでした。
ピートが窓辺から、何方かに合図を送った直後。
タイミングから見て、どう考えてもピートの合図を待っていたのでしょう。
耳栓越しの不完全な音の世界は、それでも肌で感じるほどの違いをもたらします。
「こ、これは……」
「間違っても、耳栓外すなよ?
今、双子の『子守唄メドレー』が王宮内を蹂躙してんだから 」
……天上の音色を奏で、奇跡の歌声で歌う双子。
彼らの全力を込めた『子守唄メドレー』はループし、エンドレス化しておりました。
実際に曲の数は言うほど多くありません。
ですが繰り返し、繰り返し歌うことで繋いだ1時間の後――……
城内に、わたくし達の他に動くモノは1人も残されておりませんでした。
あまりの異常、あまりの事態。
思ってもみなかった事態に、鳥肌が立つ思いが致しました。
わたくしは辛うじて、耳栓のお陰で意識を保っていますけれど……。
王宮内は、とても静か。
人の気配どころか、鳥の声、虫の音すらも凍りついたように静まり返っております。
こ、これは一体……
問いかけを込めてピートを見上げます。
すると、さり気無く目線を逸らされてしまいました。
「……あいつらが本気で『子守唄』演奏すっと、耳を傾けてたヤツは問答無用で寝落ちしちまうんだよな………………人間以外も含めて」
「セルカとセルマーのお2人が……鳥や獣まで眠りに落としたのだと。そう仰いますの?」
「それ以外に理由がつくか? この静けさ」
廊下に出てみますと、巡回の衛兵も壁に寄りかかって眠りに落とされておいででした。
あまりの威力に、やはり鳥肌が立ちそうで立ちません。
あまりにも、あんまりです。
反則めいた状況の変化に、わたくしはついていくのも精一杯。
困惑しておろおろとしてしまいそうになります。
ピートはわたくしの困惑に気付いているでしょうに、気にした素振りも見せません。
未だ寝台で眠っていたクレイを抱き上げ、わたくしに手を差し出しました。
「そんじゃ、お姫さん? 行くとしようぜ」
「……どちらに連れて行かれますのか、説明はありませんの?」
「それは行きゃわかる」
悪戯めいた、悪巧みを思わせる笑顔で。
わたくしを悠々と見下ろし、そう仰る姿には危険なものを感じましたけれど……
結局は他に、わたくしに有効と言える選択肢があるはずも無く。
わたくしは、ピートの手を取り……
直後、後悔致しました。
思いもよらなかったのですもの。
まさか、ここまでしておいて。
廊下に起きている人の気配は感じませんのに――
何を思ってか、ピートが窓から飛び降りるとは思わなかったのです。
わたくしと弟を抱き上げたまま。
咄嗟に口を押さえ、悲鳴を飲み込んだ自身を褒めたい思いです。
「むっ無理心中に巻き込まれるのは不本意ですわよ……!」
「あ? 誰が自殺志願者だ」
むっと、不機嫌そうに笑って。
塔から飛び降りるという無茶の最中。
ピートはそっと携えた赤い……大きな唐傘に手を伸ばされました。
ふわり。
体が浮き上がるような、感覚が致しました。
見ればピートはこのような事態ですのに唐傘を大きく広げ……
有得ないことですけれど、その傘がわたくし達の落下速度を緩めておりました。
……こんなことが出来る、唐傘。
とてもただの傘だとは思えません。
やがて地上へと到達しましたが……どうにも腑に落ちません。
今の事象は、納得してよろしいの……?
ですが、わたくし達には疑惑に沈む時間も許されてはおりませんでした。
子守唄によって眠りに落とされているとはいえ……誰かが起きださないとも限りません。
それをピートも重々わかっておいでなのでしょう。
ピートは傘をたたむと、わたくし達の手を引いたまま走り出したのでした。




