そんなに怯えないで下さいませ
初めてお会いする、引籠りの第5王子殿下アルフレッド様。
恐らく、第4王子殿下の被害を最も頻繁に受けておられる方。
突然の、問答無用の事態。
引籠り殿下の部屋に放り込まれたわたくし達と、第5王子殿下は膝を突き付け合わせて向かい合う姿になっておりました。
ちなみにクレイはわたくしのお膝です。
わたくしが放り込まれた、通気用の小窓。
小窓の真下が丁度、クッションの敷き詰められたカウチだったのですけれど……煙玉に視界を塞がれて右往左往している時に脛を盛大に打ちつけたという第5王子殿下は、丁度そのカウチの上で痛みに悶えているところだったそうです。
そこにわたくし(8歳)とクレイ(3歳)がひとつ塊となって落下してきたのですから、御年13歳とまだ幼さの残る第5王子殿下には災難としか言いようがありませんわね。
案の定、わたくし達に押し潰され……一通り藻掻き苦しむ羽目になられたのですから。
幸い、と申しましょうか……
アルフレッド様は頭から分厚い毛布を纏っていらっしゃったので、直接的な打撃は緩和されたようですけれど……
…………このような昼間から、何故に毛布を被っていらっしゃるの?
初めてお会いする第5王子殿下も、どうやら謎めいた方(悪い意味で)のようです。
ただでさえカーテンの引かれて暗くなりがちな室内ですのに。
そのように毛布で顔を陰にされては……どのような表情をされているのかも判別しかねます。
「き、お、き、き君は、誰……? どうやって、こここここに……」
「落ち着いて下さいませ。わたくしのような幼い女児が、殿下に危害など及ぼす筈もありませんわ」
第5王子殿下は、突如ご自身の絶対領域であった私室に突如闖入する事態となったわたくし達に、凄まじい警戒ぶりを示しておられました。
あのようにどもられて……
わたくしはまだまだ幼い、第5王子殿下よりも5つも年下のか弱い女児ですのよ?
体格でも身体能力でも劣っているのは確実です。
第5王子殿下よりも弱いわたくしが、どうやって危害を及ぼすというのでしょう?
ですのに、第5王子殿下はいっそ滑稽なほどに怯えていらっしゃる。
終始俯きがちで、未だ1度も目が合わないのが証拠ですわ。
幼い女児にも怯え、おどおどと躊躇う様子しか見せて下さらない、第5王子殿下。
このままでは埒が明きませんわね。
殿下よりも身分の低い、それも女である卑小の身ではありますけれど、ここはわたくしが場の流れを操s……仕切らせていただかねば話が進みそうにありません。
わたくしは不躾な態度を取らねばならないことに心を痛めながら、心情に反してはっきりとした声音を心がけました。
「お初にお目もじつかまつります、殿下。このような不躾な訪問、どうぞお許し下さいませ」
座ったままの身では様になりませんけれど、わたくしは深く殿下に謝罪する意思を示すため、クレイともども頭を下げさせていただきました。
すると、
びくっ
……殿下の肩が大きく跳ね、ますます俯いてしまわれました。
ですがわたくしから声をかけさせていただいたことで、決心をつけられたのでしょうか。
第5王子殿下は意を決したように、僅かばかり視線を上げられました。
……わたくしのお膝にいるクレイと目が合って、即座に横に逸らされましたけれど。
「きっききぃ君ぃ!」
「はい、殿下」
「ど、どこどどど、ど、どうやってこ、こ、この部屋に!?」
「あちらの小さな窓から、ですわ。第5王子殿下のご様子を案じられた第4王子殿下によって突き落……失礼致しました。放りn……入らせられましたの。きっと第5王子殿下のご様子を少しでもお知りになりたかったのでしょう」
「ひ……ひぃっ!? だ、だ、4! せどっせっどどどどどどりっく!?」
……凄まじく動揺されてますわね。
何故か怯えようが酷くなってしまわれたのですけれど……
第4王子殿下は……実の兄君の筈ですわよね?
第5王子殿下はまるで外界から我が身を守ろうとするかのように、毛布を更にぐるぐると全身に巻き付けて震えていらっしゃいます。
このご様子では……余程、第4王子殿下が御負担……いえ、心労の元になっていらっしゃるようですわね。
このように怯えられるほど……一体何をなさったのですか、極楽鳥殿下。
先程の暴挙で察するものはありましたけれど、実の弟君にここまで怯えられる第4王子殿下の人格が大変心配になりました。
「え、ええと……兄君様に何か思うところがおありのようですけれど……わたくしは兄君様とは無関係の者ですわよ? 偶然通りかかったところを捕獲されただけの関係ですもの」
「え……セドリックの刺客じゃ、ない……?」
「刺客ではありません。栄えあるエルレイク侯爵家の者が、そのような捨て駒の如き任に甘んじるなど有り得ませんわ」
「え、える……れ、い、く……? 君は、もしや?」
「名乗りが遅くなりまして、申し訳ございません。不敬をお許し下さいませね? わたくしはミレーゼ・エルレイク。そしてこちらはクレイ・エルレイク。お察しの通り、エルレイク侯爵家の者です。さ、クレイ? ご挨拶なさい」
「あい! くりぇ……くれぃ・えるりぇいくでしゅ! よりょしぃーくねぎゃーましゅ!」
相変わらず、クレイは微妙に言えていませんでしたけれど……及第点でしょう。
わたくしとクレイは2人揃えて、アルフレッド王子殿下にぺこりと頭を下げました。
依然として座ったままですけれど、これで立ちあがろうものならアルフレッド殿下を完全に見下ろす形になってしまいます。
非公式の場ですし、堅苦しい礼儀作法を忠実にこなせば第5王子殿下は更に委縮してしまいそうですもの。
このような不完全な礼でも構いませんわよね?
自己の判断で、そう考えたのですけれど……
「え、え、える、れいく……つ、つまりエルレイク侯爵夫妻の、」
「はい、娘と息子に当たります。両親は既に亡くなっていますので、先代当主の子……ということになりますけれど」
「ひ……っ」
――あら?
第5王子殿下のご様子が、何やら更におかしく……?
何が殿下の琴線に触れられたのかは、存じませんけれど。
気が付いた時には、殿下は硬直しておいで。
次いで、先程までよりも更に激しく震え……震動され始めたのです。
これは一体、何事で……?
第5王子殿下は『エルレイク侯爵家』の名に、何か思うところがおありなのでしょうか……?
現在、王太子位は暫定的に王室のご長子である第1王子殿下にあります。
しかし王位は実力を示してこそ得られるものとして、一定期間の間に最も実力を発揮した方に与えられると家庭教師に教わったことがあるのですけれど……
つまりは、第4王子殿下や第5王子殿下にも王位の可能性があるということ。
ですが……今日この日、遭遇した王子様方には……とてもではありませんけれど、王位を継いでほしいとは思えません。
未だお目にかかったことのない、第1から第3王子様方がまともな方でしたら、是非ともその何方かに王位を継いで頂きたいものです。
わたくしは毛布に包まって顔を出そうとしない第5王子殿下を見下ろしながら、つらつらとそのようなことを考えておりました。
「殿下、臣民の前でそのようなお姿を曝さないで下さいませ。わたくしのような幼い者に、何を怯えられるのです」
「だ、だだだだって君、え、え、えるレイクの……!」
「……殿下が当家の何に過剰反応されていらっしゃるのかは存じませんけれど。今の当家は僅かな力も持たない、取るに足らない家ですのよ。歯牙にかける必要すらないといいますのに、何を恐れておいでなのです」
「そうやって淡々と論理的な話し方をする、幼女が怖い……!」
「かつての権威、権勢を失った家の娘に何を仰います。わたくしは何も出来ないただの幼女ですのよ? 後ろ盾も頼る寄る辺もない、殿下にとってみれば無力な小娘ですのに」
「そういう割に君、妙な迫力があるんだよ……!」
毛不の塊の中から、えぐえぐとしゃくり上げる様な音が聞こえて参ります。
いつの間にか、どもりはしないようになっておりましたけれど……
「もしや殿下、泣いておいでですの?」
「お願いだから放っておいて……っ」
「まあ、大変……! 王子殿下をお泣かせしたとあっては、お叱りを受けてしまいます。どうか殿下、泣きやんで下さいませ」
「ほ、保身まじりに止めろなんて言われても……!」
わたくしは、慌ててしまいました。
相手は末子とはいえ紛れもなく王室に名を連ねられる、正真正銘の王子殿下です。
そのような尊い方を涙させてしまうなんて……
他の方々に知られては、下手をすると身の破滅です。
わたくしは証拠隠m……せめてもの御慰めにと、殿下の涙を拭って差し上げることに致しました。
「クレイ、そちらを押さえてもらえて?」
「あい、ねぇしゃま。こりぇでいー?」
「ええ、上出来ですわ。それでは、一斉に参りますわよ」
「あい! がんびゃ、ましゅ」
わたくしの指示に従い、クレイは動きました。
これも遊びの一環と思っているのか、とても素直です。
クレイは今日も良い子ですわね。
「え、と、ちょ、ま…………っ?!」
殿下の狼狽えた声が聞こえましたけれど、耳には入りません。
ええ、全然聞こえませんわー?
相手は13歳の少年とはいえ、軽く数年は室内に引き籠り、適度な運動すらしていなかった相手。
いくら年長者で、殿方とはいえどもそれでは運動性能も十分な発達は見込めないでしょう。
そうして、わたくしとクレイは。
第5王子殿下の抵抗を虚しく封じ込め、彼の御方を外界から隔絶させる事態に一役を買っているだろう毛布を、見事に剥ぎ取ることに成功したのです。
――お父様、お母様、わたくし……やりましたわ!
……あまりにも意固地なご様子で、毛布を身に巻き付けておいでだったからでしょうか。
綺麗に奪い取った瞬間は、妙な達成感がありました。
「………………あら?」
清々しい達成感とともに、剥ぎ取った毛布。
再び殿下に籠られては手間ですので、クレイの身体を包んだ上で、わたくしのお膝に据えたのですけれど。
まあ、涙目……いえ、既に泣いていらっしゃいますわね。
何やら、わたくしが虐げてしまったような気がしてしまうのですけれど。
未練がましく毛布を、そして悲壮な顔でわたくしを、第5王子殿下が情けなく歪んだ眼差しで見上げられて……
初めてお会いする方、ですのに。
その眼差し……いえ、面ざしに、何やら既視感がありました。
この御方を、以前にどこかで見たような……?
ああ、いえ、でも。
このように情けないお顔をされている方の記憶を、わたくしは脳裏に留めておけるでしょうか。
気にも留めず、記憶すらしないような気も致します。
それに……既視感を得ましたけれど、脳裏を過った印象に違和感がありました。
以前、確かに見た面差しですのに……脳内に掲げられる朧な覚えと、異なる印象。
知っているけれど、知らない。
筆舌に尽し難く、もどかしい。
わたくしの知っている顔は、同じ顔でも、もっと……っ!
何が違うのか、何をもって違和感としているのか。
冷静に考えた結果、わたくしは第5王子殿下に思わず声をかけてしまっていました。
「殿下、そのように情けなく眉を垂らされるのではなく……もっと勝気そうで、賢いお顔をなさって下さいませんか?」
………………思わず口に出した後で気付きました、けれど。
泣かせてしまう以上に、大層な不敬を働いてしまいましたわー!!
あまりに無礼な、分を弁えぬ言葉。
まさかの失態です。




