これしきの苦境で血迷うなど、一生の恥ですわ
これは王妃様が王家の権力を用いてわたくしの責務を奪うと仰っているのか……それとも、生家由来の個人的な権力を用いてわたくしの責務を奪うと仰っているのか……どちらなのでしょうか。
王家からの通達か、個人的な要請か。
いいえ、どちらでもさして変わりは致しませんわね。
わたくしは毅然と前を向けているでしょうか?
負けたと言いながらも、その実では己の敗北など言葉だけで済ませようとする王妃様。
彼女を本心から屈服させることが、わたくしに出来るのでしょうか。
「王妃様、『今回の件』……とは?」
「もういい加減にまどろっこしいですわね。とぼけるのも、情報を出し渋るのもお止めなさい、ミレーゼ」
「王妃様……」
「わたくしは全てではなくとも、近しいところまでは既に掴んでいるつもりです。その上で言いましょう……王家は、わたくしは、幼い貴方達姉弟を囮として使うつもりはありませんの」
「それはつまり、わたくし達の身を危険にさらすつもりは少しもない。だから大人しく控えているように……と、そういうことですの?」
「ええ。貴女の動きに関しては、全て報告を受けていてよ。それを踏まえて言いますけれど、これ以上は危険だと判断しましたの」
「報告……つまり、監視の目があったということですわね」
「ええ。本当に貴女は賢い子……お従姉様の子ですわね、わたくしも貴女が賢い子で嬉しいですわ」
「賢いと大人の方は仰いますけれど……わたくしは、懸命な判断に基づいて振舞えるほど大人ではありませんわ。だってまだ、8歳と幼いのですもの」
「分別の付かない発言はおよしなさい。貴女は、そういう子ではないでしょう?」
「かい被るのはお止しになって。王妃様の判断されるほど、大人でもありませんわ」
「聞き分けのないように振舞っても、状況は覆りませんわよ」
「聞き分けが良ければ、とうの昔に大人に言い包められて売り飛ばされていますわ」
あの日、全てを失った日。
早々に屋敷に見切りをつけ、弟と2人で離れていなければどうなっていたか……わたくしは今頃、ショーケースに飾られて『売り物』とされていてもおかしくなかったことでしょう。
ああ、いえ、わたくしを欲しているという何某かの手に落ちていたでしょうか。
どちらも、冗談ではありません。
回避に成功した、有り得たかもしれない運命に背筋が泡立ってしまいます。
わたくしは何より、己の信念に従うことを由としておりますもの。
他者の思惑に操られて生きるなど……
王妃様が、わたくしに余裕を感じさせる艶然たる笑みを浮かべます。
わたくしは覚悟を決めて、はっきりと口を開きました。
「――王妃様のご提案に否と申せば……どうなりますの?」
そして。
「……こう、なりますのね」
わたくしは高い塔の中、王宮の一室に招かれておりました。
招かれると申しますか……ここが、仮の居室としてわたくしの滞在場所に決まったとのことです。
ええ、態の良い軟禁ですわよね。隔離されていますわよね。
つまりは、事態が解決を見せるまで、わたくし達を此処に留め置くおつもりなのでしょう。
安全性の確立された王宮からは出るなということですわね。
いえ、むしろ部屋から出していただけるのかどうかすらも判然と致しません。
唯一の救いは……
「ねえしゃま、まちゃ、おひっきょし?」
「わたくし達、立派な根無し草ですわね……いつになったら、在所が安定するのでしょうね」
「あう? あたあしぃおへや、おっきぃねえ!」
「王宮の客間ですものね……囚人としては最上級の扱いですわよ」
「めゆーどー?」
「ふふふ……囚われ人のことですわよ。現在のわたくし達のことですわね」
「ねぇしゃま、めゆーど?」
「ええ」
「ぼきゅは? ぼきゅも、ねえしゃまとおしょろいがいーの」
「心配しなくても、お姉様とクレイの命運は一蓮托生……貴方も立派な囚人でしてよ」
「きゃぁあい♪ おしょろーい!」
「喜ぶようなことではありませんのよ、クレイ?」
「あう?」
わたくしにとっての、唯一の救い。
それは弟が変わらず側にいること。
この一事につきますわね。
互いをよりどころとする幼子同士を引き離すのは流石に忍びないと思われたのでしょうか。
わたくしと致しましては、クレイさえ側にいればどうとでもやりようはあるのですけれど。
ですが閉じ込められてしまえば……どうするべきか、悩まずにはいられません。
わたくしに取れる手段は少なく、やれること1つ見当たりません。
こうなると、本当に我が身の無力さが身に染みますわ……
わたくしには何一つ、動く術は残されていないのでしょうか。
わたくし達姉弟は、王妃様の賓客として遇されました。
極上の居心地と、快適。
それ以外の何物をも感じさせまいとするかのような丁重な扱いです。
わたくしも生家を失って以来、縁遠かった『侯爵家に見合った贅沢』を強制的に味合わせられている気分です。
また、近いうちに『わたくしが退屈しないよう』、『遊び相手として』アレン様やオスカー様も王宮に招いて下さると……
さしずめ、行動を共にするクレイはわたくしの行動範囲を狭める為の『足枷』。
アレン様やオスカー様はわたくしが無茶を働かないように抑制する為の『人質』といったところでしょうか。
わたくしの中の比重は、明らかにアレン様やオスカー様よりもクレイの方が重いのですけれど。
閉じ込められていては、何も出来ない。
時間を置けば囲い込みが完成する。
だからといって、即座に行動できるほどの情報もなければ指針もない。
せめて方針を決められるだけの、決定的な何かがあれば……
現状を打破できずとも、己の取るべき行動や一貫性を定めることは出来ますのに。
何も出来ない、それはどんなに辛いことでしょう。
……ですが、わたくし自身に何ができるのか。
そうして、何をするべきなのか。
改めて考えてみますと、深く思い悩みそうになります。
……どちらにせよ、わたくし如きが何をしても当分は篭の鳥であらねばならないのは確定、ですわね。
何もすることがないなどということにならねば良いのですが……これも改めて我が身を振り返り、考える機会とせよ……という御先祖様の思し召しでしょうか。
考えれば考えるほど、正解は見えてきそうにありません。
ですが、考える以外にやるべきことも見当たりません。
「ねえしゃま?」
「……クレイ、どうかして?」
「こわぃかお、してゆの。ねえしゃま」
「まあ……」
「どこか、いたぃたぃ? ねぇしゃま、たい?」
「いいえ、わたくしなら大丈夫です。どこも痛くなどありませんわ」
「んー……ん? ほんとー?」
「本当ですわ。クレイ、お姉様が貴方に嘘を吐いたことがあって?」
「んーん! にゃいの! ねえしゃま、げんき?」
「ええ、元気よ。クレイ」
「あい! ねえしゃま、げんきにゃの」
「わたくしったら。クレイに心配させてしまうなんて、悪い姉様ですわね。ごめんなさい、クレイ」
「んーん、いーの。ねえしゃま、ねぇしゃま、ぃたいのや!」
にっこりと、満面の笑みで。
小さな手を精一杯に伸ばし、ぎゅぅと抱きついてくる弟。
…………いっそ全てを放棄して、この軟禁期間中は弟とゆったり団欒を深めるのに使っても良いような気がしてきました。 ←悪魔の誘惑
あ、ああ……ですが御先祖様から受け継ぎ、両親が残したエルレイクの名誉を放棄する訳には!
家名を守るは、遺されたわたくし達の義務ですわよ、ミレーゼ!
同じく義務を負う筈のお兄様が消息不明で全く頼りにならない今、その使命は全てわたくしの肩にかかっているのですわよ!?
エルレイクの名を守るのは、わたくしに遺された権利と義務。
それを他人任せにしてしまって、良ろしいと思っていますの……!
「ね、ねえしゃま? どぅしちゃの?」
「は……っ わたくしは、何を……」
「ねえしゃま?」
「クレイ……お姉様は今、どうやら血迷っていたようです。わたくしの心をこんなに揺さぶるなんて……いけない子ね、クレイ」
「あ、あぅ……? ぼ、ぼきゅ?」
「いいえ、何でもありませんわ。心惑ったのはわたくし自身が未熟な証し……貴方は何も悪くなどありませんのよ、クレイ」
「うー?」
「わたくしも、修行が足りませんわ……心の修行が。このような軟弱な甘い精神で、どうして苦難を乗り越えられましょう」
「ねえしゃま、ちゅよいよ? どうしちゃの、ねえしゃま」
「いえ、むしろ……今ここで己の甘さを自覚できて良かったのかもしれません。己を見直し、もっと精進しなくては」
「ねえしゃまー?」
「姉様が悪いの、クレイ」
「! ね、ねえしゃまは、わりゅいこじゃにゃいもん!!」
「まあ、ありがとう……クレイ、貴方は姉様を信じてくれるのね」
「あい! ねえしゃまは、ねえしゃまはよいこだもん!」
恐ろしいことに、予想外の方向から入った誘惑によって、心がぐらぐら揺れてしまっていました。
未だかつて、こんなに葛藤したことがあったでしょうか。
もうここで弟と花でも愛でながら暮らした方がよろしいのではないかしら……と、情けなくも一瞬考えてしまいましたの。
御先祖様に、亡きお父様やお母様に顔向けができません。
このような不甲斐無い醜態を曝して、死後の世界でどう申し開きするというのでしょう。
一瞬でも心が揺らいだのは事実。
では、その恥は己が行動を持って雪がねばなりません……!
「クレイ、どうか貴方は貴方のまま、わたくしの決意を聞いて?」
「うゆ?」
「わたくしは、決めました」
「ねえしゃま、にゃにを? にゃん?」
そう、わたくしは改めて決意を固め、今後の方針の一助となる言葉を胸に灯したのです。
何もわかっていないクレイは、ただ不思議そうな顔をしています。
ですがこの弟に、何もわかっていなくとも唯一残されたわたくしの家族に、わたくしの決意を聞いてもらいたい。
理解など、難しいと放棄しても構いませんから。
「わたくしは――わたくしの道を阻む全ての方に、きっと目に物見せて差し上げますわ……!」
遠い空の上で、きっとわたくし達を見守って下さっているお父様、お母様。
そして我らがエルレイク家の礎となり、代々繋いで下さった御先祖様方。
どうか……わたくしのこの覚悟、決意をお見守り下さいませ。
今は何の手段も見つからずとも、わたくしは決して諦めません。
きっと、きっと全ての人脈を駆使してでも何とかしてみせましょう……!
心を決めると、胸の内が何やらすっきりしたような気が致しました。
心安くはありませんけれど、とても爽やかな心地です。
根拠もなく晴れ晴れとした気持ちになり……わたくしは意識せず、作ったものではない微笑みを浮かべていました。
――その意気だ。
遠い、どこか。
窓の外に見える夜空の彼方から、そんな声が聞こえた気が……
ええ、そんな気が、確かに致しましたの。
次回、最近めっきり出番のないあの人が再登場!
名前だけは時々出てきていましたが……。
 




