王妃様がどう足掻かれても無駄ですわ
このふたり…編に話が弾んじゃって長々と予定以上の間をとりましたが。
一応、腹の探りあいは今回でひと段落です。
王子様との、縁談。
ありきたりな乙女であれば、きっと胸をときめかせる単語なのでしょう。
わたくしは乙女というには、少々幼すぎますけれど。
ですがわたくしと同年齢の方でも、憧れに目を輝かせる単語ではあります。
面倒でややこしい貴族の利権云々の重たい現実を直視したことがあれば、それが喜ばしいばかりのお話とはとても思えないのですけれど。
そもそも今回のお話でしたら、裏にわたくしへの足止め工作という意味合いが透けて見えておりますし。
そもそも、わたくしは未だ8歳。
貴族の娘としては婚約者がいてもおかしくはありません。
おかしくはありませんが…今現在、わたくしに婚約者はいません。
それというのも丁度良い年回りの、身分の釣り合う殿方が限られていたからなのですが…第1候補は確かオスカー様だったような気が致します。
政略結婚という前提が敷かれた貴族家の娘が、簡単に結婚への夢を抱けるはずがありませんわよね…?
わたくしの両親は、恋愛結婚でしたけれど。
お母様は将来がわからないからこそ、無駄な希望を持たせないようにと気を使ってわたくしを育てて下さいました。
経済的にも身分的にも困窮とは程遠い大身貴族家でしたので、政略的に必要に迫られた結婚話とは無縁でしたけれど。
両親が亡き後は、好事家に売られる未来を危惧して緊張感に晒されることもありました。家が没落し、逃亡に迫られた時点で、まともな結婚など1度ならず諦めています。
最大の後ろ盾である両親を亡くし、同年代で同じ身分の子供達にはとても乗り切れないような危難と苦労を味わったのではないかと思うこともあるくらいですのよ?
今更、王子様を相手に夢を抱けるほどの純情はございません。
男性は身分や顔ではないのです。
「ねえしゃまぁ、およめにいっちゃうのー? やあ…!!」
「クレイ、落ち着いて…そんなことにはなりませんわ」
話が理解できないなりに、空気を読んで大人しくしていた弟が暴れ始めました。
わたくしの膝の上で、ばたばたと手足を振り乱します。
それは、きっと抗議の為の行動。
わたくしが遠くに行くのではないかという恐れに駆られての行動。
姉が遠くに行き、1人ぼっちになるかもしれない。
その恐怖から、わたくしを引き留めようと無我夢中に手足を振り乱す。
ばたばたと暴れながら、クレイの弟はいつしかわたくしから離れるまいとぎゅうぎゅう力を込めてしがみつくようになっておりました。
手加減のない、痛いくらいの力。
クレイも突然の話に混乱しているのでしょう。
気の立った猫のように、ふうふうと荒い吐息が聞こえました。
わたくしは弟が膝から滑り落ちないよう、ぎゅっと抱きしめて耳元に囁きかけます。
宥める為に、わたくしは遠くにはいかないと何度も、何度も。
それは弟を宥めると同時に、わたくしの決意でもありました。
「クレイ、お姉様は貴方を置いてどこにも行きません。お嫁に行くのはずっとずっと先ですわ。それも、王家にではありません」
「あら? はっきりと言いますわね…そんなことを言っても良いのかしら? 子供の言うことと大目に見るに、我が子のことではわたくしも怒ってしまうかもしれませんわよ」
「王妃様、お人が悪いです…。弟を刺激するような無体はお止め下さい」
「あらあら…イジメすぎちゃったかしら?」
「忍び笑いが隠し切れていませんわ…」
王妃様の人の悪さに、本気で苛立ちが湧きあがりました。
ですがそれを表に出せるほど、『王妃様』は気安い相手ではありません。
慎重に気を付けていても逃れられない、災害の様な相手。
それが王族という方々ですもの。
そんな相手との縁談など、はっきり申しまして厄介事以外のなにものでもございません。
ここではっきりとお断りしては、不敬極まりない態度だと難癖を付けられても致し方ありません。
ですが…やはり、はっきりさせておくべきでしょう。
王妃様という強権をお持ちの方からの、破格のお申し出の数々。
先程から困惑し、混迷し、追い詰められ。
わたくしは猫から逃げ惑う鼠のように、頼りない思いをしておりましたけれど…
………とても良いことを思い出すことが出来ました、から。
「王妃様、わたくしを世間の目から遠ざけ、隠し、わたくしにも目隠しをしようという…その口実に縁談を口にするのはお止め下さい」
「あら。口実? 何のことかしら」
「恍けたふり、ですわよね…王妃様、わたくしはまだ齢8つの子供ですけれど、理解しているつもりです」
「まあ。怖い勢いね、ミレーゼ。そんなに息巻いて、何を聞かせてくれるのかしら」
「…そもそも、わたくしを養女にするのも縁談を進めるのも不可能ですわよね。口約束だけならばともかく、正式にとなると足りないモノがございますわ」
「……………お従姉様ったら。まだ8歳の子に何を教育していたのかしら。教育課程が早すぎません?」
わたくしが何について語っているのか、王妃様は悟られたのでしょう。
微かに、その口元に一瞬だけ過ったモノ。
苦々しさとしか表現しようのない、動揺が垣間見られました。
確かに王家の方であれば、明文化されていない慣習など歯牙にもかけないことでしょう。
蹴散らして、強引にことを進める。
それだけの特権を有しているからこそ、王家は恐ろしい。
貴族に、それを阻むことはできない。
王に連なる血族は貴族よりも上の地位にあり…人間の定めた何もかもは、彼らを止める力を持たない。
王妃様がこれと望まれたことを、誰も止められない。
王と、法律の他には、誰も。
王族を阻むことができるのは、王。
もしくは…王が承認して正式に制定された、法律のみ。
法の厳守を求める側に立つ、政治の世界。
政治の中枢に立つ王族とて、法律だけは破ることが出来ない。
何故なら王家をも拘束する力を有していることを示さねば、法の順守など求めることはできないのですから。
「貴族に関するあらゆる取り決めを定めた、貴族法。王妃様はわたくしがそれを存じないと思われたのですね?」
実際に、わたくしも全てを網羅している訳ではありません。
この年になったら本格的に習いましょうね、と家庭教師が告げた年はまだ2年も先です。
ですが実際に関わりそうなモノだけ先に概要を聞いていて、良かった貴族法…! 話し聞かせて下さって感謝致します、先生!
激動に揉まれる昨今、細かく知っている訳ではなかったので普段は忘れてしまいがちでしたが…加えて、王妃様に盛大に動揺させられてしまった為か、脳裏から飛んでしまっていましたが。
先ほど、兄のことを思い出しました。
家名を負って立つ存在として、当主としての兄(無自覚)を。
その時、連鎖反応を起こして思い出した法律があったのです。
この世に無駄なモノはないと遙か遠くの偉人は口にしたそうですけれど、確かにその通りですわね。
普段は何の役にも立たない兄ですけれど…今回ばかりは、遠方に消えうせて行方不明であること含め、最大限の感謝を贈っても構いません。
我が国の定める法律上、兄の不在がこの場を切り抜ける何よりの助けとなりました…!
「わたくしは未だ8歳。つまりは、 未 成 年 です」
つまり。
どういうことかと申しますと。
「わたくしが成人し、自己に責任を持てる年齢となるまで…わたくしの存在は兄に帰属致します。つまり、わたくしに持ち寄られる縁談は養子縁組であろうと婚姻申し込みであろうと全て兄の判断無くして受諾は不可能。例えエルレイクの名が滅ぼうとも、兄の死亡確認がされるまでは兄の許諾なくしてわたくしの籍を動かしようがありません。これは国王陛下ですら破ることのできない、建国から続く法律に明文化された事実ですわ…!」
わたくしは、きっぱりと言って差し上げました。
王妃様をお相手にこの物言い…ですが、不敬と取られても言を翻す気はありませんし、わたくしが口にしたのは純然たる事実です。
王妃様ほどの方であれば、法を曲げずとも幾らでもやりようを知っていらっしゃるか…法の抜け道くらい、御存知かもしれませんけれど。
ですが当事者であるわたくし本人が協力的とはとても言えない状況で、相手に意思を押し付け押し通すようなやり方でどれほどの自由が利くでしょうか。
政治的にも、身分や地位から見ても王妃様はわたくしの上位に位置する方ですけれど…この身、わたくし自身のことに関しては、唯々諾々と従う気はありません。
弱味を曝して、付け込まれる気もありませんわ。
わたくしは一歩も引かない覚悟を既に決めております。
わたくし自身の中からどうしても消しようのない、情けない怯えや尻ごみする感情をなかったものと押し隠すようにして。
どうだ、と。
今は淑女の恥じらいも何も忘れ、不躾な視線のはしたなさも忘れ。
挑む気持ちを隠しもせず、王妃様を見つめていました。
そうして、王妃様はそんなわたくしに対し、疲れ果てたように深い溜息をおつきになられたのです。
浅く腰かけていた椅子に、深く身を沈め。
王妃様は困り果てたような、拗ねたような声を出されました。
「………困りましたわ。何とも将来が楽しみなことですけれど、やはりエルレイク家。末恐ろしく、何とも扱い辛い子供に育ったこと。これで本当にまだ8歳なのだというのですから、将来を思うと溜息をつく以外にどうしろというのです」
「まあ、王妃様。王国を担う後進の成長を喜んでは下さいませんの? わたくしは一淑女に過ぎぬ卑小な身ですけれど、きっとわたくし以上に優れた人材が今後沢山王妃様の周囲を賑やかに彩られていくことでしょう」
「ミレーゼ? ソレは一体どういう意味なのかしら…? わたくし、貴女を超える令嬢は他にいないと確信していてよ?」
「わたくしはつまらぬ女の身。殿方にはやはり勝てませんわ」
「あらあら…空々しいという言葉はこの為にあるのねぇ」
「うふふふふふ…」
「ほほほ…」
含むモノがどれだけ滲みだそうと気にすることもなく、わたくしと王妃様は微笑みを交わしました。
そんなわたくし達を交互に見上げ、クレイが無邪気に口にしたことは…
「う? ねえしゃま、なかよししゃん! そっきゅり、ねー」
「「……………」」
幼いからこそ、感性の鋭さは馬鹿に出来ませんけれど。
今クレイの発した言葉は、文字通り鋭くわたくしの胸を貫きました。
はっきりと、王妃様とわたくしが同類だと付き付けられた気が、したのですもの………薄々そうではないかと、何となく思ってはいたのですけれども。
「――何だか馬鹿らしくなってしまいましたわ」
ぐったりと、先程以上の疲労を滲ませて王妃様が溢されます。
「クレイ、でしたわよね………ミレーゼにばかり気をやっていましたけれど…予想以上に空気を壊す子でしたのね」
「不作法をお許し下さい、王妃様。弟はまだ3歳、幼子なのです」
「そしてそれを、8歳の貴女がいうのですね…見事な保護者ぶりですこと」
「! ほ、本当にそう思っていただけていますの、王妃様!?」
「あ、あら? 予想外の食い付きが………今までで1番良い反応が」
「ええ、王妃様! わたくし、クレイのたった1人残された家族として、年長者である姉として、クレイの保護者たらねばなりませんの。今後クレイが立派に育つよう、これからも尽力して参りますわ…!」
「あら…? 今さりげなく、弟が成人するまで意地でも離れないと宣言されたような………」
「気のせいではありませんわ」
にっこり、と。
わたくしは我ながら今日1番だと自信を持って断言できる笑顔を浮かべたことでしょう。
王妃様は呆気に取られたように、わたくしとクレイを茫然と見返し…
「――負けましたわ」
そうして、そう呟かれたのです。
一体何に負けられたのか…わたくしにはわかりかねますけれど。
今回、これは駄目だと思って没った箇所↓
そう、殿方に求めるもの…それは絶対的危機的状況でもくじけることなく、どのような障害も乗り越えるだけの頼り甲斐としぶとさ、甲斐性ではないでしょうか。サバイバル能力もあれば尚良し、ですわよね…?
そこまで書いて、「これってアロイヒのことじゃん!?」と我に返りました。




