これは足止め工作ですの?
「――わたくし、本当に心の底から貴女のことを義娘にしたいと思っていますのよ。ミレーゼ?」
「…つまり、王妃様が、そう思っておいでなのですね」
堂々巡りのお話合いの末、今、はっきりと認識いたしました。
朗報です。
どうやら今回の養女のお話は、王妃様の独断専行。
個人的な要望からの、周囲の兼ね合いを飛ばしてのお話だったようです。
王妃様の真意は未だわかりかねますが…
養女のご提案に関しては、国王陛下の承認をいただいた正式な話ではないということが発覚しただけで、随分と胸を撫で下ろしました。
それでしたら、まだわたくしにも回避する余地があります。
………ですが、王妃様は一体どういったおつもりでこのお話をされたのでしょう?
まだ僅かばかりの接触をさせていただいただけですけれど…わたくしが受けた印象では、王妃様はもっと用意周到な方の様にお見受け致しますのに。
印象が確かであればもっと話を詰め、こちらに拒むことなど許されない段階まで話を進めてからご提案されそうなものですけれど。
王妃様の真意を窺うことが出来ず、わたくしは困惑しておりました。
勿論、そんなことは表面上におくびも出しませんけれど。
わたくしは何食わぬ顔で、平然と見えるよう愛らしく何も知らないかのように微笑むことに徹しておりました。
ああ、流石は王宮…お茶が美味しいですわ。
どうやら国王陛下よりの正式なお話ではないと知り、わたくしの心には若干の余裕が芽生えておりました。
目の前に立ちはだかる難てk………王妃様をお相手に、余裕を感じるなど烏滸がましいのですけれど。
余裕が油断に転じた時、わたくしの喉元にはきっと王妃様の鋭い剣が付き付けられていることでしょう。
現実には未だなっていない幻影が、脳裏を掠めました。
わたくしも、より一層気を引き締めなくては…
「王妃様、今回のお話は大変ありがたくも勿体ないお話なのですけれど…」
「そう思うのなら…」
「いいえ、それでもお断りさせていただきます。王妃様でしたら、その理由もおわかりになりますでしょう?」
おわかりにならないはずが、ございません。
家名断絶の瀬戸際、当主は行方知れずにして、全貌の見えない陰謀に巻き込まれたとしか思えない現状。
貴族としてこれ以上にない程の危機的状況にあるエルレイク侯爵家。
我が家の惨状と、その名を背負うべきわたくし達に求められる役割。
家を存続させる為にも、今わたくしがどこか別の家に入る訳には参りません。
そんなことをしてしまえば、物理的には頼りになっても権謀術数に絡め取られずに泳ぎきることの求められる貴族社会的には全く頼りにならないお兄様と、この幼いクレイに全てを押し付けることになってしまいます。
現状行方不明の兄と、未だ3歳の幼い弟。
義務も責任も遂行する能力を持たない彼らに全てを任せては…考えるまでもなく、エルレイク家は本当に、僅かばかりの再起の可能性も残さず、跡形もなく滅びます。
今ですら没落を余儀なくされ、半ば滅んだようなものですのに。
辛うじて家名を支えているのは、両親亡き後にも子供であるわたくし達が生き残っていたから。
エルレイクの名を継ぐ、後継者の存在が明らかになっていたからです。
これは自惚れでも何でもなく、エルレイク家を今現在背負っているのはわたくし。
わたくしと、クレイこそが、今この状況下においては『エルレイク侯爵家』そのものといえます。
つまりわたくし達が存命の限り、エルレイク家が本当に滅んだことにはなりません。わたくし達が生きて、将来に賭けることが出来る限りエルレイク侯爵家には再起の目があると言えるのです。
実際に侯爵なのは、兄ですが。
その兄にも子供はいないのですから、わたくしとクレイが後継者という解釈で間違いはありません。
事実上、実務を兄が放り出しているのですから家名を支えているのは間違いなくわたくしの存在です。
直系の子供であり、名を負って立つことの求められているわたくし達がいなくなっては…本当に、兄に任せることになってしまいます。
それだけは、何がどうあっても回避したい。
これで遺されたのが齢3歳のクレイ1人であれば、とうの昔に野心を滾らせた何者かに呑みこまれ、我が家は併呑されるか跡形もなく潰されていた筈です。
我が家の後釜という形で、占有していた数々の利権、義務、責任を奪われる形で。
………きっと兄の帰る場所は失われ、弟は殺されていたはずです。
そのような状況を、わたくしが許せるはずありません。
兄は放っておいても死にそうにないので、どうでも良いですけれど。
むしろ今帰ってこられてもややこしい事態になるだけのような気が致しますので、20年くらい帰ってこなくとも問題はありません。
…クレイが立派な大人になり、爵位と家名を継承させることのできる下地が整った頃であれば、継承の儀式の為にも帰って来ていただきたいとは思いますけれど。
そう、兄の意思をはっきりさせないことには、わたくしやクレイの将来は…
……………あら?
あら? あら………そうですわよね。
現状、エルレイクの当主は兄。
ヴィヴィアンさんの化けた偽物だったとはいえ、王家からも当主と承認を受けております。
わたくしにも「あれは偽物だった」と訴え出てヴィヴィアンさんの余罪を重くするつもりはありませんので、承忍が取り消されることはないでしょう。
当然、未成年のわたくしとクレイは、兄に帰属します。
将来クレイがどのような道を歩むにも、当主を継ぐことになったとしても兄の意思確認が大きな意味を持ちます。
後継ぎの指名がないままに兄の死亡確認がなされれば、その時は自動的に弟が暫定の当主になりますけれど。
弟の進路に、兄の意思が及ぼす影響は大きい。
ですけれど、それは弟に限った話ではありませんのよね…。
わたくしはずっと王妃様のお話をどう断ったものかと、思案しておりましたけれど。
とても良いことを、たったいま、思い出しました。
………思うところは多々あります。
ありますけれど、多々の事情含めて、政治の世界に近く身を置き、貴族社会を巧みに捌いて裏で糸を引いていると噂の王妃様に、それらの実情が把握出来ていないという訳はございませんわよね?
「王妃様はお噂の通りの賢妃様ですもの。母も生前、王妃様の聡明さをよく讃えておりました」
ですのに、王妃様はエルレイク家を潰すおつもりですか?
今度こそ本当に、貴族社会は大荒れに荒れて余波による煽りで王国が混沌に陥りますわよ…?
それともクレイの身柄を適当な貴族に後見させ、傀儡とするおつもりですの………?
それでクレイの心身が害されるようなことになれば…わたくし、何をするかわかりませんわ。
頼れる人脈全てを用いて、国家への復讐に走るかもしれません。
『青いランタン』とか、ルッコラとか、ピートとか、ルッコラとか、ルッコラとか。そしてルッコラとか。
わたくしとクレイを引き離したその日が、わたくしの忠誠の命日です。
わたくしはにっこりと微笑みながら、眼差しに気持ちを込めました。
「………エルレイクの家名を負うのは厄介な人達ばかりですこと。貴女も、幼くともエルレイク家の者ですわね」
「わたくしの能力を認めて下さるのでしたら、それはきっと先祖より代々続く薫陶による賜物ですわ」
「ミレーゼのような子が、本当に欲しかったのに。お従姉様もどうしてエルレイク家なんて曲者一族に嫁いでしまわれたのかしら」
「お母様はお亡くなりになるその日まで、ずっとお幸せそうでしたわ。子供の目から見て、ですけれど」
ちなみにわたくしの両親は恋愛結婚だったそうです。
仲睦まじい鴛鴦夫婦、と領民にも評判でした。
「あと我が家は曲者ではありませんわよ? 王家に忠勤を誓い、身の程を弁えた臣下ですもの」
先祖からの申し送りには、「ただし信条を踏み躙られない場合に限る」と書かれていましたけれど。
わたくしの信条は何でしょうか…?
エルレイクの娘であること、クレイの保護者であること、かもしれません。
わたくしの笑みに込めた、譲らぬ意思。
それを読み取られたのでしょうか。
王妃様が困ったように眉をひそめられました。
先ほど兄に関連して思い出したのは、このお話をお断りするに当たって大きな自信となる根拠。
譲らない気持ちとともに、先程までの狼狽えていたわたくしとは違う様子も伝わることでしょう。
先程までの翻弄される、幼い子供はおりません。
今のわたくしは、絶対の自信を持って王妃様に拒絶の意思をお伝えできます。
拒絶しても構わないのだ、と。
首を横に振っても大丈夫なだけの論拠を思い出せましたから。
王妃様は聡い方ですから、それも余すところなく感じ取っていらっしゃる筈です。
わたくしから、大人の付け込む隙が消えうせた…と。
もう攻め口を与えるつもりは、わたくしにはございません。
攻めあぐねた王妃様がどのような手段に出ようと、わたくしは己の矜持を守ってみせます。
「こうなると、貴女のその聡明さが恨めしいわ…王家に取り入れることができれば、これほど心強い娘もいないでしょうに。こうなれば養女でなくとも構いません。ミレーゼ、貴女わたくしの息子に嫁ぐ気はなくて?」
「……………殿下方と縁談を調えて、どうなさるおつもりですの?」
「勿論、未来の妃教育と銘打って王家に引き取り、これからわたくしの培ってきた能力の粋を凝らして世界一の淑女に育て上げますわ。わたくしの能力も人脈も、持てる手段も全て伝授しますわよ?」
「謹んで辞退申し上げます。養女として引き取ることも、妃教育との名目も、同じことではないですか」
「あら? わたくしの息子は気に入らない? 5人もいるのだからよりどりみどりですわよ。我ながら粒ぞろいの美男子ばかりだと思うのだけれど…よもや、わたくし自慢の息子達に会いもせずにお断り、なんて言いませんわよね………?」
………これは、王子様全員に会わない内は結論を出させないという足止め工作でしょうか。
わたくしの記憶が確かであれば、殿下のお1人は国境まで視察に、お2人は辺境の領地に行かれて王宮を離れていらっしゃると…。
やはり足止めですわよね、これ。
前話の、訂正前のあとがきは本来ここに書く予定でした。
混乱させてしまい、皆様申し訳ありません。




