彼の御方は、わたくしの親戚だそうですけれど…
自分の手には負えない。
そんな事態に陥った時、わたくしは一体どうするべきなのかしら。
a.見なかったことにする
b.他人に丸投げする
c.関係各所を脅迫する
d.正式な後ろ盾を作って巻き込む
e.難解なことには目を瞑って元凶を闇討ちする
――さて、一体どうすることがわたくしにとって1番よろしいのでしょうか。
「まあ❤ 貴女がエルレイク家のミレーゼ嬢、そしてそちらがクレイね❤❤❤」
暫定的な後見人であるブランシェイド伯爵に促され、わたくしと弟が入室した先には…煌びやかな衣装を纏った麗しきお方。
予想以上の歓待を示す弾んだお声に、恐れ多い気持ちが込み上げてしまうのも致し方ありませんわよね…?
「ブランシェイド伯爵、御苦労でした。後は良いので暫し下がっておいでなさい。わたくしは、親戚としてこの子達と積る話があります」
「は…では何かありましたら別室におりますのでお声掛け下さい」
「ええ。何かありましたら、その時に」
伯爵様が退室の挨拶を述べられている間にも、尊き御方はうきうきと楽しそうにしていらして、伯爵様のお声が耳を素通りしていらっしゃるのは一目瞭然。
ですがそれに対して何かを言える者はおりませんでしたし、伯爵様も気にしたところなく恭しい振舞いでお辞儀をなさると、そのままあっさり退室されてしまいました。
残されたのは、わたくしと、クレイと。
そして伯爵に退室を促した御方のみ。
伯爵の退室と同時に人払いをされたので、室内には他にどなたもいらっしゃいません。
目上の方に声をかけられることなく、目下の者がご挨拶を申し上げるのは無礼に当たるのですけれど…
先程の、わたくし達を確認しようとして上げられた声を、その中に計上してしまって良いのでしょうか…?
何分このような…正式な場というものは、初めての経験です。
今までは社交界に出てもいない子供が紛れ込んでも大目に見て許していただけるような、緩い集まりにしか顔を出していませんでしたし。
それこそ、少々目立ち過ぎても笑顔をふりまけば見て見ぬふりをして下さるような場所ばかり。
ですが今回の、これは…
相手は公に生きる御方。
いついかなる時、どのような場所であれ、彼の御方がいらっしゃるだけでその場は公の場となってしまうのですから。
そのような尊き方と、この室内で誰憚ることなく対面している…。
緊張を強いられる状況に、今更ながら不安が湧きだします。
8歳の女児として、どのような言動が正解なのでしょうか。
年相応の振る舞いというモノすら、わからなくなってしまいそうです…。
「ねぇしゃまー?」
わたくしの不安を感じ取ったのでしょうか。
クレイは、聡い子ですもの。
クレイ自身も不安そうな顔で、わたくしを見上げてきます。
きゅっと力を込めて握られた指は、幼さを反映して頼りない程に微々たる力しか感じられなくて。
わたくしは万が一にも弟の手が離れてしまわないよう、強く握り返したく思ってしまいました。
ですが。
今は、公の場。
そして目の前には、わたくし達よりも遥かに目上の方がいらっしゃる。
失礼があってはならないし、何より無様を曝して弱味を見せる訳には参りません。
不作法を示し、亡き両親の躾を疑われるのも駄目です。
そうして、未だ挨拶すら満足に出来ていない状況で、礼すら取らずに手を握り合ったままでいるなど………
心苦しく身を切られるような思いが致しますが、ここは涙を呑んで弟の手を振り払わねばなりません。
わたくしはしっかりと両の足を踏みしめ、心を痛めながらもクレイの手を…
「きゃーあー❤❤❤❤❤ やっぱり間近で見るとますます似ていますわね❤ 2人とも、お従姉様にそっくりですわー❤❤❤」
いざやろうとして、阻まれました。
………いえ、そもそも何方ですの、これ。
先程までは確かに、ええ、確かに。
確かに…威厳溢れるオーラを身に纏った、得難き至高の貴婦人がいらっしゃいましたのに。
ええ、いらっしゃったはずですのに。
気が付いてしまえば、麗しきいと高き貴婦人のお姿はどこにもありませんでした。
引き換えるが如く、代わりに小娘の如く目の前できゃあきゃあと騒ぐご婦人がいらっしゃいます。
わたくしは年齢の割に言動の若々しい、そのご婦人によっていつの間にかぎゅうぎゅうと抱きしめられておりました。
…弟ごと、諸共に。
色白の繊手は見るからにしとやかな細さで、抱きしめられても痛くはありませんでしたけれど………息が詰まって苦しい思いをしてしまいます。
流行最先端の、大胆に大きく開いた胸元は惜しげもなく晒されていて。
尊き御方はこのような場所まで偉大なのでしょうか…?
豊満な胸部が、わたくしの顔を圧迫して息の根を止めようと………
「ね、ねえしゃまぁ…っ」
「あ、あら…? ミレーゼ? ミレーゼちゃん!?」
「ねえしゃま、ねえしゃまーっ!」
後少しで闇に意識が呑まれようとしたところで、急な解放感を感じました。
ああ、息が出来る…!
呼吸が自由に出来るということは、こんなにも素晴らしいことでしたのね…!
わたくし、陸に引き上げられたお魚の気持ちを痛いほどに理解してしまった気が致します。
息が出来ず、危うく本当に窒息するところでしたわ。
わたくしは白い肉の拘束から解放され、大きく深く息を吐きました。
なんだか、今のことで緊張が解れたような気も致しますけれど。
こんな形での解れ方は、あまり歓迎できませんわね…。
「ごめんなさいね、ミレーゼ…わたくし、嬉しさの余りに我を忘れてしまいましたの」
「いえ、大丈夫です…」
わたくしの腰に縋りつき、涙目で見上げてくるクレイ。
どうやらわたくしを案じてくれているだけでなく、いきなりわたくしを窒息させ掛けた女性の存在に驚いたのでしょう。
わたくしの背後に隠れるようにしてびくびくしているクレイを、わたくしは宥める意味を込めて撫でました。
目の前には、至高なる御方(笑)
わたくしを開放して下さった時そのままに、膝をついた姿勢で私に案じる眼差しを注いでいらっしゃいます。
臣下の子女に過ぎぬわたくしに対し、身長差があるからとは申しましても、膝をつかれるなんて…わたくしには勿体ないことです。
身分差を気にされる方がいらしたら、きっと抗議の声を上げていらっしゃったでしょう。
「見苦しいところをお見せして申し訳ありません、王妃様。
エルレイク家のミレーゼ及びクレイ、お招きにより参上いたしました」
王妃。
そう、王妃様………ですのよね、このお美しい御方は。
清く賢く、お美しいと名を馳せる我が国王の唯一の妻女。
お姿はそう、王妃という称号に相応しい方なのですけれど。
いくらわたくしが幼子とは申しましても、やはり臣下の子女を前に床に膝をつかれるのはいかがかと…。
「まあ❤ まだ幼くともしっかりと作法は身についていますのね。流石はお従姉様の自慢のお子ですわね」
お、おねえさま…?
先程から、少々気になってはいたのですが。
おねえさま、とは…その、文脈からして?
「お褒めいただき光栄ですわ、王妃様。先日は両親の葬儀の際にも丁寧なお言葉を賜りました………王妃様は、我が両親と親しくされておいでだったのでしょうか?」
「あら? あらあら…不思議そうな顔をしていますわね。もしかして知らないのかしら?」
「なにを、でしょうか…」
あ、あら…?
わたくし、何かを忘れて?
「ああ、そういえばお従姉様が王族と縁続きだからと増長しないよう、年頃になるまでは教えずに育てると………お従姉様譲りの賢い子らに、そのような心配は無用だと思うのですけれど」
「え、縁続き…」
――あ、思い出しましたわ…!
恐れ多く、またわたくし達の現状からして縁遠いお話の様な気がして、意識の彼方に追いやっていた為かすっかり忘れ果てていましたけれど。
以前、エラル様がわたくしの母が王妃様とは従姉妹の間柄だと…!
……………つまり、親戚ですわよね?
先ほどもブランシェイド伯爵に『親戚』と仰っていましたわね、そういえば。
気を抜けばすぐに危うい状況へと貶められる、現状。
周囲へは深く広く神経を伸ばしておくべきですのに…。
どうやら初めての登城とあって、緊張の余り気が緩み、注意力が鈍っていたようです。
どのような状況下であろうとも、それは許されることではありませんのに!
思わぬところからわたくし自身の甘さ、未熟さを見せつけられたようなもの。
わたくしも、まだまだ精進が足りません…。
この上はより高みを目指すべく、己が意識を鍛え直さねばならないでしょう。
………まあそれも、今回を無事に切り抜けることが出来たら、の話ですけれど。
わたくし、ミレーゼ・エルレイク。
並びにわたくしの弟、クレイ・エルレイク。
両名ともに、生まれて初めて…今回、何故かお城にいます。
我が王国の国王陛下がおわす、重要な政治の中心地。
王宮、『白き蕾の硝子城』。
わたくし達姉弟は、国王様のお妃…王妃様にお招きいただき、急遽登城することとなりました。
正式な社交界デビューもまだの身で、親に連れられた訳でもなく。
両親の死からは、少々間が空いています。
今回のお招きがどういった意図によるものか…
わたくしはそれを量り切ることが出来ず、どうしても戸惑ってしまっておりました。
ですが、わたくしの戸惑いを知ってか知らずか…王妃様は。
「やっぱり可愛いわねぇ、ミレーゼもクレイも。わたくし、子は男児しかいなくて…1人で良いから、女の子もほしいのですけれど。やはり陛下にもう1人、おねだりするべきかしら?」
「え、えーと、あの?」
「ああ、ミレーゼ? 今度は此方のリボンをつけて下さる? そうそう、可愛らしいわ! わたくしの子は最近、全然可愛らしくも何ともないのですよ。最近、妙に世をひねちゃって…比べると、クレイの可愛さに驚くくらいでしてよ」
「まあ………」
「さあ、ミレーゼ。今度はこちらのドレスにお着替えしましょうね。デザイナーとお針子に無理を言って、ミレーゼの為に張り切って用意しましたのよ」
「………身にあまる光栄ですわ、王妃様」
「クレイも、とっても愛らしくて素敵よ。惜しいのは新調した衣装じゃなくってわたくしの息子達のお下がりという点かしらね。今度クレイに合わせて何か作りましょう、そうしましょう!」
「王妃様? 大変光栄なのですけれど…一家臣の子女の身として過分な恩恵をお授かりする訳には、」
「もう、幼い子が何を言っているの? 親戚なのだもの、遠慮は無用よ❤ どうかわたくしのことも親しみを込めて『おば様』と呼んでちょうだい❤❤❤」
「………いえ、流石にそれは臣下の身分としては」
……………わたくし、あれこれと悩んでいたのですけれど。
何だか、それも全ては考えすぎだったような気がしてしまいます。
もしや、王妃様は女児で着せ替え人形遊びがしたかっただけなのでしょうか?
………そう、一時は思ったのですけれど。
どうやら、それはわたくしの油断だったようで。
訝しく思いながらも、気が緩んだ一瞬。
その隙を突くようにして、王妃様は突如口調を変えて問いを突きつけていらしたのです。
「ところで、ミレーゼ? 貴女…最近、とても面白いことをしているようね」
「王妃、さま…?」
「ふふ…貴女の子飼の、面白い子達と一緒に………一体何に顔を突っ込んでいるのかしら?」
――我が王国第1の身分に位置する、女性。
国王唯一の妻女…王妃、シゼリア・ウェズライン。
先程まで笑み崩れていた彼女の顔は、今は鋭い程に真っ直ぐで。
王妃としての彼女の厳しさが、内に秘められているかのよう。
だからこそ、はぐらかすのを許さないだけの強さがわたくしに迫ります。
王妃様の、精神の強さが…
思えば、わたくしの母とは従姉妹の間柄だと仰っていました。
それはつまり…才女と名高かったお母様と、近しい血をお持ちだということですわよね………?
賢妃と名高い、王妃様。
彼女の虚言を許さない眼差しに、曝されながら。
わたくしは一体どうすることが正しいのか…
短い時間で、思案に暮れてしまいましたの。




