殿下って…どちらの殿下ですの?
エラル様必殺「私を助けると思って…!」
「ミレーゼちゃん…君は、どうあってもただでは世話にならないと言うんだね…」
「いや、普通逆じゃない?」
悲しそうな顔の、エラル様。
呆れたような顔の、レナお姉様。
退屈しきったクレイは、わたくしの膝で寝に入る体勢です。
しかしわたくしは掃除をすることも逃げることも出来ず。
お二方に捕まってしまったまま、説得という不毛な話合いを続けておりました。
「この、頑固者」
「まあ、失礼ですわ。わたくし、誠心誠意を持ってお断りしているだけですのに」
「いや、普通は断らないんだよ、こんなとき」
「そうとも限りませんでしょう?」
「少なくとも、8歳の女の子だったら断らないのが普通だと思うよ…」
「わたくしは侯爵家の娘ですもの。普通とは言えませぬ」
「あああああ…なんなのこの子、ほんっとうに厄介!」
それにしても、何故でしょう?
いつの間にか立場の全く違うはずの、エラル様とレナお姉様。
そんなお二人が結託なさっているのですが。
本来は理解し得ない同士が、1つの目的を前に一致団結する。
素敵なお話ですわね。
……その目的が、わたくしでなければ、ですけれど。
わたくしとしましては、無償の好意を平然といただける余裕が今はありません。
よくいうではありませんか。
旨い話には裏がある。
裏のない旨い話などそうそう転がっている筈がありませぬ。
エラル様のことは信用していますが、それとこれとは話が別でありましょう。
それでもやはり没落した貴族の子女を二人、こんな風にあっさりと引き取ろうとする行動に何かしらの裏を勘繰ってしまいます。
わたくしも、もうかつての幼いわたくしには戻れませぬ。
人の善意を信じられない、浅ましい娘と思われても仕方ありませんね…。
頑として頷かないわたくし。
そんなわたくしに、深く重い溜息を吐いたのは、やはりエラル様でした。
……人に溜息をつかれるような娘に、わたくしはなってしまったのですね。
天のお父様、お母様、申し訳ありません…。
そう、しみじみと自分の浅ましさを噛締めるわたくしの、小さな肩。
両肩をエラル様は掴み、鋭い目で仰いました。
「それでも、私は引き下がる訳にはいかないよ。どうか助けると思って私について来てもらえないだろうか」
「一気に胡散臭さが上がりましたわ、エラル様」
「何故だ…!?」
「どうしても援助したいと仰います、その理由はなんですの? 他称親友の妹だからという回答は受け付けませんわよ。お兄様はエラル様に迷惑しかかけていませんでしたもの。妹のように思っているという理由も、生活の面倒を見ようとする理由としては薄いと断じずにいられませんわ」
「ミレーゼちゃん、君を慎重になったと言うべきか、疑い深くなったと言うべきか、言葉が見つからないよ」
「そのお言葉、表裏一体でしょう? どちらでもよろしいではありませんか」
「それは…そうだね。大した違いじゃない。だけどね?」
「それよりも、理由を説明していただけますの? 何の理由もない提案でしたら、受け入れかねますのでお帰り頂いてもよろしいでしょうか。わたくし、お掃除せねばなりませんので」
「せ、性急ね、アンタ…こんな状況でまだ掃除する気だったの!?」
「それでお給金をいただく約束ですもの。しっかり働かねば減給されてしまうかもしれませぬ」
「アンタ、間違った方向に前向きだわ…」
あら、わたくし、何か間違えましたでしょうか?
レナお姉様は愛らしいお顔を引き攣らせておいでです。
あらあら…得体の知れぬものを見るような目をしておられます。
レナお姉様以外の方も、こんな目でわたくしを見るのでしょうか。
クレイは既にわたくしのお膝で夢の中。
ふふ、寝言を呟いていますわね。
では、エラル様はわたくしを今、どんな目で見ておられ…
………エラル様は、難しいお顔で何事か考え込んでおられました。
そのお顔をあげて、変わらぬ真剣な目はまっすぐわたくしに。
わたくしは強い眼差しを前に、改めて拝聴の体勢を整えました。
「それじゃあ、理由を言うけれど」
「はい」
「君をこのまま放っていては、私が殿下にお叱りを受けてしまう。いいや、お怒りを買って罰を受けるかもしれない。だから助けると思って我が家に来ないか」
「……………はい?」
あら? いまエラル様は何と仰いましたの?
空耳かしらと首を傾げるわたくしです。
レナお姉様も、同じく言葉の意味が理解できなかったのでしょう。
わたくしと同じ動きで、測らずしも首を傾げる動作が重なりました。
「あれ? 私は何かおかしなことを言ったかな…」
「仰いましたわ。わたくしを放置すれば、殿下のお怒りがどうとか…」
あら? あらあらあら?
エラル様は本当に、そう仰いましたかしら…
現在、我が国で『殿下』と呼ばれる資格を持たれる方は、そう多くは………
…………………?
……どちらの殿下ですの?
「え、なんでミレーゼちゃんが知らないんだい!?」
「その知っていて当然という口ぶりは、一体…?」
「いや、知っていて当然だろう。ミレーゼちゃんの話なんだから」
「え?」
「………本当に、知らないのかい?」
「それ以前に、エラル様が何を仰っているのかも、よく…」
わたくしが本格的に疑問符交じりに考え込んでしまうと、エラル様は「なんてこったい」と呟かれ、頭を抱えてしまわれました。
ほ、本当に何なのです…?
え、と…何か、わたくしが知っていなければならないようなこと、が?
「ミレーゼちゃん、君みたいな高位の貴族子女が身寄り…保護者を失くした時の身のふりって、誰が決めるかわかるかい?」
「え、ええ…所属する派閥や、本家筋の意向が強い干渉力を持ちますわね」
貴族というものは、皆どこかで血を繋いでいる物。
遠い近いと違いはあれども、どこかで縁を結んでおります。
そうして出来上がっていった繋がりがいつしか派閥となり、大身貴族を頂点とした組織図を生成していきます。分家などは当然ながら、本家の意向に沿うので本家の所属する派閥へと加わっていき、そうして組織の巨大化が進むのですが…
家が家長を失った場合、その家を配下する派閥の上位貴族、場合によっては頂点に位置する貴族がその家に行く末を決めるというのは、わたくし達にとっては常識ともいえます。
当然、わたくしのように親を亡くした幼い子の処遇などから、家の存続にかかわる話から後見を誰にするかという話まで。
時に国王陛下が直々に裁可を下す場合もありますが…
基本は派閥の責任者に任されますわね。
ですが。
「エラル様、我が家は侯爵家…没落させてしまいましたが、派閥の上位貴族はおりませぬ。何しろ我が家がエルレイク侯爵派の派閥を築く頂点だったのですから」
そう、我が家は大身貴族、侯爵家。
かつて(4日前)は一大派閥を築いてぶいぶい言わせたものです。
その家が、何の前触れもなく3日で没落。
今後、周囲にどのような影響を及ぼすのか…考えたくもありませぬ。
本来であればわたくしや弟は、兄の後見の下すくすくと育つはずでしたのに。
我が家の上位と言えるのは、王家と3つの公爵家のみ。
そして方々に影響力の強い我が家が滅んでしまえば、当然国王陛下の裁量下となりますが………それを待っていられるほどの時間は、ありませんでしたものね。
わたくしも、思わず遠い目をしてしまうというものです。
本当は、国王陛下に直談判しても良い事態だと思います。
しかし父を亡くし、兄に逃げられた未成年のわたくしに、直に談判する手段はありませんでした。まだ、登城を許される年齢ではありませぬし、身内がいなければ身分を証明もできないのですもの。
家紋の入った証となるような宝物の類は、既に失われた後でしたし。
「この上で誰かの裁量を仰ごうにも、何方に縋るべきか…本来は、国王陛下なのでしょうけれど。ですが兄の愚行の余波が来ぬとも限りませぬ。兄の妹がいては、付け入る隙となりますわ」
「いや、ミレーゼちゃん。割り切るのが早すぎるからね? 陛下の裁量を大人しく待つのがやっぱり正しい判断だったんじゃないかなぁ」
「それを待っている間に、きっとわたくしは売り飛ばされてしまっていましたわよ? それこそ闇に消えていたことでしょう」
「………そんなに切羽詰った状況に突き落としてったのか、あの阿呆は」
「今日の夕方まで待っていれば、危険でしたわね。ちなみにお兄様が消えたのは本日未明、夜明け頃かと思われます」
「本当に紙一重じゃないか…っ」
わたくしもまさか我が家が没落…しかも3日で没落するとは思っていませんでしたから、何の準備もしておりませんでしたし。
それに状況が、ただ待つのを良しとはして下さいませんでした。
あのままうかうかとしていては、確実にどこかに売り飛ばされていましたから。
あの時は夜逃げするのが、わたくしの打てる最良の手。
責任追及から逃げるという意味でも最良の道であったと疑いようはありませぬ。
阿呆兄が己の裁量で家屋敷、財産、領地と手放したとあっては…。
王家の方々に合わせる顔など、ありませぬ…。
………分家の方も、兄の一存でどうなっているのか。
恐ろし過ぎて、その辺りの確認はしておりませぬし、それをするだけの時間もありませんでしたが…
兄がまた災禍を振りまいていないことを、天に祈るばかりです。
本家たる我が家だけでなく、一門全てに滅びをもたらしてでもいれば…その時は、わたくしも兄を道連れに死んで詫びる道を真剣に検討しなければなりません。
お兄様がどこまで、何をやらかしているのか考えたくはありませんが。
裁可を待つにも、お咎めの可能性の方が濃厚ではありませんかしら……。
それこそまさに、兄が咎人となった事実を見れば明らかでしょう。
故にわたくしは、頼る家もなく飛びだしたのですが…
「…ミレーゼちゃん? 何か難しく考え込んでいるみたいだけど、流石に国王陛下も8つの幼子に責任を押し付けたりはしないからね?」
「ですが…」
「そうだね。派閥の崩壊阻止や家の存続の為、誰か適当な者と婚姻させて家督を継承させる可能性くらいはあるけれど…ミレーゼちゃんは8歳だからなぁ」
「あ、それも不可能ですわよ?」
「え?」
「家督の証である紅玉の指環、お兄様が持ったままですわよ。家宝の指環を持たぬ者は、エルレイクの家督は継げぬ決まりですもの」
「あ、阿呆イヒが…っ! その指輪って王家から侯爵位の証として、建国時に下賜されたものだろう!?」
ちなみに紛失したらお家断絶もやむなしという、国宝級の指輪です。
「…お兄様のことです。どこかの質屋か何かに流していないとも限らないので、網を張っておいた方がよろしいですわよ?」
わたくしはとことん兄を信用しておりませぬ。
ですので、その可能性を本気で疑っております。
「そうだね…ああ、そちらも早急に手配しないと。阿呆が肌身離さず持っていれば良い………あ、駄目だ。農民とサンドウィッチ一つで交換する未来が見える…!」
「あ、お兄様ならやりそうですわね」
「……さっきから聞いていてアレだけど、アンタの兄ってそんなヤバいの?」
「ええ、真性の阿呆なので。何しろわたくしが今ここにいる全ての元凶ですもの」
「そ、そう…大変ね。それしか言えないわ」
「ミレーゼちゃん、阿呆兄の影響は心配しなくても良い。国家の乱れに繋がる大事ではあるけれど、この話に関しては、絶対に君とクレイ君は守られる」
「どうして、そう言い切れますの?」
「王家の庇護する幼子を、国王陛下はきっと威信をかけて守られる。それに君達に何かあったら、王妃殿下と王太子殿下が黙っていない」
「??? 何故、わたくし達のことで妃殿下や王太子殿下が出てきますの?」
「だって、こうなっては君達の身柄は王妃殿下の預かりになるだろう」
「……………は?」
訝しく思い、困惑するわたくし。
話が理解できないという顔の、レナお姉様。
わたくしの膝で寝息を立てる弟。
そんなわたくし達を見下ろして、エラル様は困ったようなお顔。
そうして、わたくし自身にも寝耳に水でございましたが。
「な、なにゆえ…?」
「先程の派閥云々の話の、派生だけど。貴族の子が後見を必要とする事態に陥った時、正式な裁定が下るまでの間は十親等内の親戚で最も位の高い方が一時的な後見人に指名されるんだけど。
ミレーゼちゃんのお母君は、王妃殿下と従姉妹同士の間柄だろう? 」
………その言葉を聞いた時。
わたくしは、完全に時が止まったような気が。
ええ、そんな気が、致しました………。
完全に初耳なのですが、どういうことですか。
本当にどういうことですか、天国のお母様?
次回、主人公が腹をくくります。