必要な時にいらっしゃらないお兄様
今回はなんと連載開始以来、初めてお兄様が本編に登場致します。
今までのように客観的な回想ではなく、初台詞までついての出演(笑)です。
どうやら現状の打開という意味では、大きな役割を担いそうな気配のお兄様。
争乱の気配と、無差別に世を荒らす恐怖の気配。
このような状況で、あれほど頼もしい殿方も珍しいのではないかしら。
まあ…それも、近くにいればの話なのですけれど。
「精霊に直接危害を加えられるのは、伝承が確かなら滅びた前王朝…古王国の王族だけだったと思うのですけれど」
「いついかなる時だって、例外はあるものなんじゃないの? アロイヒ様の逸話を思うに、突然変異かも」
「ですが…。わたくしどもは、貴族です。複雑に絡み合って流れる血脈が、どこかで前王国の王家と繋がりがあってもおかしくない………の、かしら?」
「さあ、平民の僕にはわからないけれど」
「お兄様は特別な方、ですものね………よくも、悪くも」
ですが。
ああ、お兄様はここにおられない…。
無用な時に騒動を起こし、必要な時にいらっしゃらないなんて。
本当に、兄だけは思い通りになりません。
あの兄がいないことをこんなに口惜しく思ったのも初めてのような気が致します。
陰謀を巡らせているだろう誰かは、そのことも踏まえた上でお兄様をエルレイク家から引き離しましたの?
「こんな物を放置しておけば、国家間の勢力図とて容易く傾きますわ…あまりにも危険です」
何より、この危険がどこに向けられるのかもわからないことが、より一層の恐怖を煽り、人々を疑心暗鬼に巻き込みかねない。
互いに疑い合う人々を前にすれば、謀略も通し放題でしょう。
あまりにも、危うい。
誰がいつ殺されるとも知れない状況。
人々に広く知らしめれば混乱が起きるのは必至。
黙っておけば、秘密を知ってしまったわたくし達の身も危険です。
取り返しのつかない事態が起きる前に、王家に現物を添えて危険性と打開策を奏上しなくては――
お兄様が使えないとなると、有効な打開策が見つかりません。
ルッコラやアダに何かしら予防策がないのか考えていただきませんと。
それこそ皆で協力して事態に当たらねば、身の破滅を招きます。
それも、王国全体を巻き込んで………
兄が1人いれば、勘任せに殲滅させてくるだけでも多くが助かるのでしょうに。
あの方は一体、今はどちらにいらっしゃるのかしら…。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
~その頃~
海を渡った南海の孤島にて。
「へくちっ」
「₣∑∲☂☡☰✢✡☓ℑℒ…?」
「あー…いや、これは誰か噂してるな」
「℔℔℔ἢ☄☵☵!」
「風邪じゃないから心配すんなって」
20分に及ぶ死闘の末、仕留めた獲物。
額に666と書かれた獣の姿焼きを豪快に捌きながら。
それを人間の乱獲で疲弊した人魚達に振舞う、剣士の青年が思わずとくしゃみをしたのだが…
遠い内陸にある青年の故郷で、それを知る者は皆無だった。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「とにかく、事が大きくなりました。流石に、こうなっては王家に上奏しない訳にはまいりませんわ」
「いつもみたいに隠匿しないんだ?」
「話の規模からして露見した時のリスクが高すぎます。今までは家の外聞に関わること故、わたくしだけでは報告すべきか判断がつかなかった…という言い訳が通用したのですけれど」
「そりゃ国家規模の危険性を孕むとなったらね」
「ええ………物質を透過できる精霊を暗殺の駒に出来るとなっては、どんな厳重な警備も意味を成しません。それこそ国王暗殺ですら可能ですわ」
「うわ、本当に話が大きい…」
「なので、申し訳ないのですけれど、アダ…?」
「え? あ、はい…っ!?」
「貴方を証拠の現物として、王家に提出しても良いかしら」
「う、売られる…!? しかも決定事項っぽい!」
「本当に、申し訳ないのですけれど…せめて提出先の王家で更なる悪用をされないよう対策が必要ですわね」
「うああっ しかもこっちの意見無視で話を進めようとしてる!」
「アダ…安心なさい。その手を血に染めることだけは回避出来るよう、わたくしも努力しますから」
「それって血に染まる以外の可能性は考慮されないってことでしゅか!? 努力って、保証はないんでしゅね!?」
「落ち着きなよ、アダ。噛んでるから」
「心配してる風に振舞いながらも、止める手はないんですね………うわぁん! 人間さんの世は無常でしゅ…!!」
どうやらアダは焦ると滑舌が悪くなってしまうようです。
ですがアダの為にも、ここは王家へ献上した方が良いと思うのですけれど。
「アダ、今の貴方が王国を覆しかねない脅威となる可能性を有していることはわかりますね?」
「…うぅ僕のせいじゃないのに」
「………わたくしは貴方の慕う兄ほど寛容でもいい加減でもないのではっきりと申しますが、今の貴方をわたくしが有していては、後々王家に二心を疑われかねません」
「えっとー…? なんでです?」
「いつでも相手を殺害できる危険物を有していて、それを差し出さない相手を王家が信用すると思いますか?」
「しないの? でもアロイヒ様のおうちはとっても信頼されてるって」
「例えどれほどの功績を立てようと、心底家臣を信頼する王などいません」
「凄い、きっぱり言い切るね。流石ミレーゼ様」
「ええ、だからこそ言わせていただきます。アダを差し出さねば王家への忠誠を疑われ、わたくし達の身が危なくなると」
「うぅー…ううぅぅー……アロイヒ様の妹様って、意地悪だ」
「意地悪で言っているのではありませんよ? 保身です」
「保身を気にする8歳児なんてヤだー!! 人の世っていつからこんな世知辛くなったの!?」
「貴方もわかっているでしょう? 精霊すらも利用し暗躍しようとする魑魅魍魎の跳梁跋扈する世界で、幼子が無邪気なままでいられるはずなどありませんのよ?」
「違う! 絶対違うー! このお嬢ちゃん、絶対に素だよ! だって躊躇いないもん!」
「そのように成長したのです。この世の大人は全て、何方も信用できません。本当にアダの言う通り、世知辛い世の中ですこと」
「しかも同族なのに大人が利用できないとか! アロイヒ様の妹様っていったいどんな生き方してきたの!?」
「至って一般的な大貴族の令嬢として生を受け、蝶よ花よと育てられて参りましたけれど」
「それでこんな風に育つの!? キゾクって怖い…っ!!」
「そして最近、陰謀渦巻く貴族社会の習いとして手酷い謀略によって井戸に落される釣瓶の如き転落人生を経験致しました。本当に急転直下でしたわ」
「真顔でさらっと恐ろしいこと言いだした!? この子、本当に大丈夫なの!?」
「お陰様で弟以外の全てを失うという貴重な体験をさせていただきました。本当に大人は頼りになりませんわね………アレは子供を容易く食い物にする 敵 です」
「こわいこわいこわいこわいこわい…! この子の目が怖い!!」
「大丈夫だから落ち着きなよ、アダ。ミレーゼ様って基本的に敵対しない限り、責任を果たさない大人以外には寛容だから」
「それって子供としてあっちゃいけない姿勢な気がするよぅ…」
「本当に大丈夫ですよ、アダさん。ミレーゼお嬢様は1度完全に軍門に下って従順でさえいれば、とてもお優しいご主人様ですから」
「半ば以上足を突っ込んでても、まだ軍門に下ろうとしないオジサンなんかへの対応も、子供の無邪気ないたずらの範疇で抑えてるよね。うん、ミレーゼ様って忍耐強い」
「キミ達の結束ってなに!? キズナとかってある!?」
こわいよぅ、と呻いて。
あら…? アダが蹲って泣き出してしまいましたわ。
まあ、どうしてこんなに怖がっていらっしゃるのかしら。
「どうしましたの、アダ。何か怖いことがありますの? 大丈夫ですわよ、王家の方々もきっと鬼ではありませんわ…ただ、公私の別なく王国の為とあらば感情を排して動かれるでしょうけれど」
「そっちも怖いけど、僕は何より世知辛い現実の方が怖いよぅ………う、うぅ…鉱脈に帰りたい………」
「いつかきっと帰れますとも。ええ、きっと帰して下さいますわ。それがいつかはわたくしにはわかりかねますけれど………」
「正直さは美徳って誰が言ったのー!? 安心する要素がどこにもないよ!」
「過剰な期待を持たせ過ぎて後々精神を摩耗させまいと思ったのですが」
「後々じゃなくって、いま、このとき、現実に摩耗されてる僕がいるよぉ…」
アロイヒ様のお身内ならきっと助けてくれると思ったのに、と。
精霊の口からそう聞こえたのですけれど…失礼ですわね?
その物言いでは、まるでわたくしが救いの手を差し伸べていないように聞こえます。
王家の庇護下に入り、窮地を訴えて現状を打破するというのは、立派な救済策だと思ったのですけれど…そんなに王家に収められたくないのでしょうか。
確かに、下手すると物品扱いをされて死蔵されるか、便利な手駒として乱用される可能性もありますけれど。
ですがこれはもう、決定事項です。
中々お屋敷に戻っていらっしゃらないエラル様にお話する機会を待つ訳には参りませんから、ブランシェイド伯爵の方からお口添えいただいて、奏上する機会を何とか確保しなくてはなりませんわ。
王族の方にわたくしのような幼子が直接訴えられるはずはありませんけれど、何とか政治の上層部に近い何方かに渡りをつけねばなりません。
そこまでやれば、後はそこで情報が握り潰されようと留め置かれようと、わたくしの責任ではありません。
一応訴えたという事実が残れば、わたくしはそれで構いません。
アダの身に換えは効きませんから、もしも献上するということになれば王族の方が直接いらっしゃる席を設けていただけない限りお渡しするつもりはありませんけれど。
王家に身柄を譲ったつもりで、アダを欲する何方かに横取りされる訳には参りませんもの。
この、小さな体で。
幼子にしか見えない姿で。
アダは何よりも危険な、殺戮兵器にも出来るのですもの。
………わたくしの責任は、重大ですわ。
「ブランシェイド邸に戻りましたら、早速伯爵にお話を通しましょう」
「どこまで話すのかな」
「…全ては申せませんわね。そう、こちらの倶楽部でアダを見つけたとだけ。後は精霊から盗掘、密売、精霊傀儡についての詳しい話を聞いたことにしますわ。お兄様とアダマンタイトの精霊の関係は恐らく王家も把握していらっしゃるでしょうから、後は向こうで納得のいくように理解して下さるでしょう」
「アロイヒ様の気配と誤認してミレーゼ様に精霊が接触してきたことは事実だからね」
「ええ、事実に基づいているのであれば、不審な点はどこにもありませんわ。ですがわたくしが何の為に此方に足を運んだのか…何を調査していたのかまでは、口を噤んでおくことに致しましょう」
「…ミレーゼお嬢様のような小さな子が危ない橋を渡っていただなんて、如何にも大人が眉を顰めそうな事態ですからね」
「アンリ、わたくしは弟の趣味の為に遊興の場に招いていただいただけ。それでよろしいわね?」
「はい、お嬢様。お嬢様とお坊ちゃまは本日、チェスの才能を見込まれて招待されただけ。含むところは何もございません」
「ええ、その通りですわ」
アンリのお利口な答えに、わたくしはにっこりと微笑みます。
口裏を合わせるわたくし達は、同時にいくつもの案件への対処法についても考えることと致しました。何が起こるか分かりませんもの。情報の共有は大事と、ルッコラとアンリも熱心な姿勢を見せて下さいます。
ですが、何故かアダだけが頭を抱えていらっしゃいました。
「ぼく、はやまったのかな…」
小さな呟きは耳に届いたのですけれど、アダのことは触れずにそっとしておいて差し上げることにしました。
どうせ近辺が騒がしくなってしまうのです。
特にアダの周辺が静まることは当分ないでしょう。
今しばし、僅かな間の安息と、わたくし達はアダから視線を逸らすのでした。
アダ → 無情にもドナドナ決定。
今更ながらにミレーゼ様がただの8歳児ではないと悟る。
西に向かったかと思いきや、何故か南方にいるお兄様。
もしかすると、これがお兄様の最初にして最後の登場かも知れない。
ちなみに再登場の予定は未定です。




