考えることを止めるのは危険すぎますわね
最近、ルッコラと犬(?)が活躍しすぎな気がしますが…
使い勝手が良すぎて、つい。
わたくしも知らなかった、当家の秘密を垣間見てしまいました…。
まさか、目の前の無力な幼子にしか見えない精霊が、我がエルレイク家秘中の秘ともいえる重要機密とは思いもよりませんでしたわ。
…ですが、こうなると黙って見殺しにも出来ませんわね。
我がエルレイク家に害成そうという輩を放っておくことなど出来ませんもの。
今はもうエルレイク領とは申せない土地なのかも知れませんが…それでもエルレイクの名において治められていた土地の財産であり、民であるともいえる存在として、わたくしは目の前の小さな精霊を見なすようになっておりました。
既に違おうとも、頼ってきた領民を無碍になど、どうして出来ましょう。
その権限が、今のわたくしにはないとしても。
生まれた時から教え込まれてきた、領主家の義務と責任感。
未だに熱くこの胸の内に、それが燃えていたのだと…わたくしは救いを求める領民を前に、初めて認識することとなりました。
義務と責任を放棄してしまえば、その瞬間にわたくしは己を『貴族』だとは申せなくなりましょう。
ですから、わたくしは自身に今出来得る最大限の真摯さを。
「ルッコラ、精霊とは、簡単に連れ去ることが出来ますの?」
「普通は無理だね」
………さも当然の如く、普通に疑問に答えが返ってきましたわね。
わたくしの知らない知識を多数有しているらしく、ルッコラは何でもないことのように教えてくださいました。
「そもそも精霊は、人間には不可視にして不可侵。向こうがその気になってくれないと触るどころか接触も出来ないのに、どうやって人間が攫うのか…真っ当な手段じゃなければ幾つか思いつくけど、碌なものじゃないよ。その道の知識がないと不可能じゃないかな」
「幾つか思いつきますの…」
一瞬、ルッコラが盗掘の犯人なのではないかと疑いそうになってしまいました。
そんな訳、ありませんわよね?
「偶然は万一にも有り得ないと思うけど…まあ、偶然という可能性は僅かでもあるよ。不幸な要因が幾つも積み重なって、運命の悪戯が起きた…ってね。でもそう何度も続くものじゃないし。回数が続いている時点でおかしい」
「つまり、故意の仕業である可能性が強いということですわね。わたくしの祖先が代々受け継ぎ守り、治めてきた土地を荒らすなど不届きにも程がありますわ!」
「凄い、ミレーゼ様がやる気だ…」
精霊に司る物質、アダマンタイトをそのまま持ち出したとしても、精霊自身がその気にならねば共に連れ出すということは不可能。
ルッコラはそう仰います。
精霊にも自由意思があり、逃亡の手段を有しているのだから、と。
確かにこうして見ると生物にしか見えない精霊は、肉体に縛られる人間よりも高次の精神生命体だとお聞きします。
そのような存在を、容易く誘拐出来るものでしょうか。
古来より、『論より証拠』と申します。
ここは先人の言葉通り、実際にこの目で見て事実を確かめることこそ肝要。
そう判断したわたくしは、アダに案内をさせることに致しました。
本人が申しましたから。
攫われた場所の近くに気配を感じ、出て来たのだと。
それはつまり、わたくしやクレイの気配を察知できる近さに、アダの存在を強制的に留める何かがあるということですわよね?
精霊であるアダの気配察知に、どの程度の範囲が有効なのかは存じませんが…アダ自身がとても近いというのですもの。
一先ず案内させてみて、短時間の内に辿り着けそうになければ出直すなり、ルッコラだけを先行させるなりすればよろしいでしょう。
そろそろ席を外して随分と時が経ちます。
クレイのことが心配で、自然とそわそわとしてしまうわたくしがいました。
ここは素直にルッコラにアダのことを任せ、わたくしは戻るべきでしょうか。
逡巡しながらも足を進めていたわたくしの悩み。
ですがその悩みは、次の瞬間には霧散することとなりました。
「あ! ねえしゃまぁー! いたー!」
だって元気の良いお声が、わたくしの背中に突き刺さったのですもの。
毎日、毎日聞いてきた、可愛いわたくしの弟の声が。
足を止め、わたくしは思わず振り返りました。
すると目に映ったものは、紛れもなくわたくしの弟。
クレイと、クレイに手を引かれるレナお姉様に、アンリ。
「クレイ…!? 貴方、どうして此処に…」
「ねぇしゃまー」
とてとてとて、ぽふん!
きっと擬音にすれば、そのように表現されるでしょうね。
クレイは満面の笑顔で、わたくしに駆け寄ります。
そうして勢いを殺さずに、わたくしに抱きついてきたのです。
柔らかなわたくしの衣装に、気持ちよさそうな顔でクレイが頬を埋めました。
「ねぇしゃま、かえりおしょいんだも」
「まあ…もしかして、心配して探しに来てくれたのかしら?」
「あい!」
元気もよろしくお返事をくれるクレイは、とても愛らしいのですけれど。
手持無沙汰にしていたわたくしはともかく、クレイ…貴方が抜け出して来て、大丈夫でしたの………?
まさかそれをクレイに問い質してもわからないでしょう。
わたくしの問いかける目は、自然とレナお姉様へと向けられました。
「どの様になさったんです?」
「クレイはまだ幼いから、休息の時間が重要だって言って中座してきただけよ。あのチェスマニアから客間の使用許可分捕ってきたわ。ついでに、クレイが安心して休める様にミレーゼも連れていくって言ってね」
「まあ、随分と手回しがよろしいのですわね?」
「いつまでも戻ってこないし、どうせ何かやってるんでしょ。わかるわよ」
「わたくし、読まれ易い隙でもありまして…?」
「女の勘よ」
「………全ての説明がその一言で付いてしまいそうですわね」
「代理にぼっちゃま方とフィニアを置いてきたわ。記憶力凄いとか自分で言うだけあって、フィニアの奴ヤバいわよ? ある程度ならクレイのパターン覚えたとか言って、端から挑戦者負かしまくってたから」
「パターンで片付けられるほど、クレイの技量は温くないと思うのですけれど…」
「だから、ある程度ならって言ったんじゃない? 記憶力だけじゃなくて頭の回転も凄そうよ、アイツ。その上で完全に模倣するのは無理って自分で言ってたし。何にしろ、フィニアが時間稼ぐって言ってたから、暫くは任せて平気よ」
「重ね重ね、ありがとうございます。レナお姉様に後を任せて正解でしたわね。様々な配慮に手配、わたくしの望みに沿っていますもの」
「まあ、褒め言葉は素直に受け取っとくわ。ああ、それと何か事態が急変したら「ストラップが伝令に来る」ってフィニアの奴が言ってたけど…ミレーゼ、何のことかわかる?」
「ストラップ…? いいえ、わたくしには何のことやら…」
「そう。何かルッコラが近くにいるからこそ取れる手段…とか言ってたから、深くは追求するべきじゃないかもね」
「ルッコラですか………」
「…って、なんでルッコラ本人が此処にいんのよ」
「それはわたくしにも、何とも言えませんわ…」
存在感の強い『犬(?)』達を、従えて。
ひっそりとたたずむルッコラは、得体の知れない空気を放っておいででした。
名目上、客間で休息をいただいている…ということになっている、わたくし達。
そちらの辻褄合わせやアリバイ工作はアンリにお任せすることとして。
わたくしとクレイ、レナお姉様、ルッコラ、そしてロンバトル・サディア(肉盾)の5名はアダの案内に従い進んでおりました。
…ですが、バスローマ伯爵の所有するこの建物から出る気配はありません。
………同じ建物内に、秘密が隠されているのでしょうか。
「ここです!」
「ここ、ですの…?」
「間違いありませんです!」
やがてアダがそう言って示したのは、小さなお部屋。
皆様、貴族ですもの。
必ず何人かの付き添いや、使用人、護衛を連れております。
そういった方々の待機場所………の隣室。
どうやら紳士倶楽部に加盟した方々が荷物を預ける為に準備されている、クロークの様な場所らしいのですけれど…
「………下手に騒ぐと、隣室の使用人方に勘付かれますわね」
「むしろ侵入する人がいないか、気を張るくらいしてるんじゃない?」
「異変があった時、一早く気付けるようにこんな間取りになってるんだろうしね」
「困りましたわね…部屋に突入するにしても、ドアの開閉音まで気にされているようですとすぐに見つかってしまいますし。わたくし、屋探しは初心者ですし」
「むしろ熟練者だったら問題大ありよ」
「ここは気配を悟られないよう、手練れ小数を送り込んで…その間、使用人待合室の方に注意を逸らすための囮を投入………が無難だと思うけど」
「………その、手練れがどこにいますの?」
「必要とあらば僕が入るけど。要は、精霊の気配が濃厚で、曰くありげな妖しい物体を探せば良いんだよね? 精霊本人に案内させても良いし」
「…気配だの、妖しいだの、その領域になってしまうとルッコラ以上の適任者も思い浮かびませんわね」
「ちょっと待ってよ。囮ってどうすんの」
「それは…使用人の待機場所ですもの。突入できる方は限られるのではなくて?」
「「……………」」
該当者、この場に2名。
こうして即席ながら、レナお姉様とロンバトル・サディアの異色タッグが結成されることとなりました。
使用人の方々の注意を引きつつ、後引くような騒ぎとせずに時間を稼ぐ。
こうして字面だけを見てもかなりの難関だとは思いますが…
お2人の活躍と、成果をお祈り致しましょう。
「レナお姉様、ロンバトル・サディアの手綱はお任せ致しますわ」
「押し付けられても、あたしだって困るのよね」
「ここってろんろんが任せられる場面じゃねーの!? 逆じゃね!?」
「ご武運をお祈り致しますわ、レナお姉様!」
「武運なんて物騒なこと言わないでよね。精々上手くやるわ」
「えー…おーい。おい、おいー? ろんろんのこと無視すんなよ…」
とてもいい年齢の男性とは思えないロンバトル・サディア。
その存在を如何に巧みに操作するのか………
レナお姉様に任せられた仕事は、かなりの難易度ですわね…。
「それじゃ、行くわよ。おっさん」
「………レナ嬢ちゃんまでおっさん呼ばわりかよ」
ぶつくさと無駄事を口にする中年騎士を引きずって、レナお姉様は使用人の方々の待機場所へと姿を消し…
………た、その瞬間。
レナお姉様が入室した部屋のドアが閉じるのと、同時に。
わたくし達が潜入を狙う、問題の部屋のドアが開きました。
「!?」
もしや、既に先客が…!?
鉢合わせてしまう、と。
クレイの小さな体を引きよせ、わたくしは身を強張らせたのですけれど…
「ただいま」
「…え?」
「問題のブツは取ってきたよ。急いでここを離れよう」
――出て来たのは、ルッコラと『犬(?)』と、アダで。
見慣れぬ袋を大事そうに抱えているのは、どう見ても『犬(?)』使いの少年で。
今しがたレナお姉様は隣の部屋に突入したというのに、既に目的は果たしたとルッコラが言うのです。
前科を疑ってしまいそうな、手慣れた様子なのは何故でしょう…?
「………え?」
果たして、レナお姉様達が行く必要はあったのでしょうか。
あまりのことに思考が空転するわたくしの手を引いて、ルッコラはわたくし達の為に用意されたという客間まで足を急がせるのでした。
……………はっ
レナお姉様達を、置いて来ていますわよ…!?
思考が止まってしまったばかりに、まさかの置き去り状態。
うっかりしているにも程があります。
それもそこれも…思考が止まってしまっていたせいです。
今後いかなることがあろうとも、もう決して思考を止めることはするまいと。
凍り付きそうになっても、何が何であろうとも考えることは止めるまいと。
このことは、わたくしに固い決意を促すのでした。




