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没落メルトダウン  作者: 小林晴幸
紳士倶楽部攻略編
72/210

緊急警報とは、生き物が発せられるものでしたでしょうか…?

 好奇心に突き動かされたふりをしながら、建物の中を歩き回ること10分足らず……わたくしは、あからさまとも言える怪しい事態に直面しておりました。


「しくしくしくしく………」

「……………」


 この、廊下の片隅で見るからに『号泣中』の方は何をなされたいのでしょう?

 柱の陰に蹲り、声も殺せずに泣いているのはわたくしと同じ年頃の幼児。

 ですがこのような場所に、このように幼い方がいらっしゃるものでしょうか。

 わたくしにはよくわかりません。

 わたくしの脳裏に、本能が『君子危うきに近寄らず』という言葉を警告に変えてひっきりなしに主張してきます。

 ですが…

 ………囮という役割上、怪しきに敢えて己から立ち入ってこそ、わたくしは己の面目を保つことが出来るでしょう。

 それが出来ないのであれば、わたくしは何の為に敢えて手薄な警護での散策を敢行したのか、という話になってしまいます。

 ――仕方ありませんわね。

 このようにあからさまな変事に敢えて関わるも、また一興。

 わたくしは無邪気な子供の如く素知らぬ顔で、一歩を踏み出しかけたのですが…


「ミレーゼ様」


 ………後ろから腕を掴まれ、引き留められる感触。

 聞き覚えのある声は、薄く警戒をにじませたもの。

 振り返った先に居たのは、黒い髪に蒼い瞳の少年。

 ……………ルッコラ、貴方がどうして此方にいますの?


「ミレーゼ様、こんなところに子供がいるのはおかしい」

「それを貴方が仰いますの…?」

「貴女の気概は尊敬に値すると思います。だけど無謀な行動に出る前に、貴女の代わりに動かせる者がいるでしょう?」

「あの、わたくしの疑問には答えて下さいませんの?」

「疑問?」

「ルッコラ、貴方が何故、ここにいますの…? わたくし、連れてきた覚えはないのですけれど」


 わたくしが当然の疑問を…ええ、当然ですわよね? 当然の疑問を呈すると、何故かルッコラはふっと笑いました。

 思わず零れたというような、小さく、軽い笑み。

 その笑みはなんですの?

 首を傾げるわたくしに、ルッコラは噛んで含めるような口調で語りかけます。


「ミレーゼ様、僕のことをピートは何て言っていたかな」

「………確か、『犬使い』と」

「うん。僕はそれ以上でもそれ以下でもない。それで全部だ」

「…………………何故でしょう。疑問には何も答えていただいていない筈ですのに、その言葉で全てを納得しそうになってしまいますのは」


 にこっと微笑むルッコラ。

 わたくしの首元をふかふかと温めていたエキノが、わたくしの肩から飛び降り、ルッコラの足下に擦り寄ります。


「みゃあぁん」


 それは今まで聞いたこともない、エキノの甘え声でした。

 …ですが、やはり猫の鳴き真似にしか聞こえません。


「………ルッコラのことがわかるのでしょうね。とてもよく懐いていますもの」

「エキノをこの世に生み出したのは僕だし、ミレーゼ様達に献上するまで育てて仕込んだのは僕だからね」

「………取り返しのつかないことを」

「え?」

「いえ、何でもありませんわ」


 今までもあまりの才能に恐ろしさすら感じるほどでしたけれど…

 改めて考えますと、この方、才能などと言い現わすのも足りないほどの才をお持ちなのでは…

 ルッコラが貧民街の中に埋没し、世に出ていなかったことは、もしかするとそれこそ僥倖だったのかも知れません。

 彼が不世出であった事実に、そっと胸の奥で感謝してしまいます。


「今日は遠くから護衛に徹しようと思っていたから、連れて来た犬はそう多くないんだけど…」

「それでも幾らかは連れてきていますのね…」

「取り敢えず、あの不審人物に何か行動を起こすにも、まずは様子を見てみましょう。『偵察犬ハッケン』、GO!」

「は、ハッケン………」

「みー」


 ルッコラが少し広めの、自身の袖から取りだしたもの。

 それは両掌に収まりそうな、ちいさな。


   子 狐 。


 ……………ルッコラはきっと、『犬』だと仰るでしょう。

 ですがわたくしにはどう見ても、『狐』にしか見えません…!

 それも巣穴から出てくることはなさそうな、小さく幼い狐にしか!


「………ルッコラ、いくらなんでも『子犬(?)』を表に出すのは…」

「ミレーゼ様、こいつはこれで成犬ですよ?」

「貴方の『犬(???)』はどうなっていますの…!?」

()りました」

「ルッコラ? いま、『つくった』という言葉のニュアンスがおかしく聞こえたのは気のせいかしら…」

「それよりほら、うちの犬が不審人物に接触するよ」

「は…っ 新たな被害者が!」


 あら、ロンバトル・サディアが正気に戻りましたわ?

 わたくしよりも先に反応し、食い入るように角の先…号泣する子供のいる場所へ眼差しを注いでおります。

 …先に反応されてしまい、反応するタイミングを見失ってしまいました。

 ですが、気になるのは確かです。

 あのように幼く(いとけな)い相手に、犬(???)を(けしか)けるなんて…!

 貴族以前に婦女子として…いいえ、人間としてあるまじき行為ですわ!

 わたくしは凄まじい非道に手を貸してしまったような気がしてなりません。

 実際にわたくしは何もしていないような気がするのですが、黙って見送ってしまっただけでも罪悪感が込み上げます。

 これで相手がわたくしの敵方だというのであれば、何の痛みも感じませんけれど…もしこれで不審なあの方が万が一、億が一にでも何の縁もゆかりもない、無関係の方でしたら………。

 わたくしはその時、己を許せるでしょうか。



「きゅぅん…きゅぅぅ…」



 ………胸を痛めながら、様子を窺っていたのですが。

 看過出来ぬ要素に気を取られ、思わず悠長に首を傾げてしまいます。


「おかしいですわね………」

「ミレーゼ様? 何か気になる?」

「ええ、どうしても気にかかってしまって…


  あの獣、鳴き声が 犬 そのものなのですけれど………!? 」


 驚愕の眼差しで、わたくしが見つめる先。 

 そこには小さな、小さな『犬(???)』がいて…


「わうぅぅ…わおぉぉん……」


 わんと、鳴いたのです。


 どうしたことでしょう…!

 おかしいことです、普通ではありませんわ…!

 あの『犬(異常)』に何がありましたの!?

 緊張に息を呑み、偵察犬(奇妙)を見つめる、わたくし。

 ですがわたくしにルッコラから向けられた眼差しは、呆れを含んだもの。


「ミレーゼ様………犬が犬の鳴き声で鳴くのは当然のことでしょう」

「それは確かに常識なのですけれど、貴方にそれを言われるとどうしようもなく納得いきませんわ…っ」


 ルッコラ…貴方にそれを言われるのは、おかしいと思うのです。

 納得のいかないわたくしは、きっと不服と顔に書いたような表情を浮かべていたことでしょうね。

 ロンバトル・サディアも、何故か壁にそっと寄り添っておいでで…


「俺…ろんろん、まだ正常だよな? 俺の頭はまともだよね? ね…!?」


 何やら己の中の大いなる疑問と戦っていらっしゃるようですが…

 それを口に出し、ましてや壁に語りかける姿は、その………その、どう贔屓目に見ても異常としか言い様がないのですけれど。

 ロンバトル・サディアは自問への答えを、己が姿ではっきりと示しているようにしか見えません。

 即ち、「手遅れ」と………。


 わたくしは哀れでならなくて、胸が切なくなりました。

 見るに忍びない、その姿。

 せめてもの情けです。

 ロンバトル・サディアの姿を直視するのは控えて差し上げようと、わたくしはそっと目線を逸らしました。


「…ミレーゼ様、そろそろうちの犬があの不審な子に接触するよ」

「まあ、それは見逃してはなりませんわね」


 ルッコラの言葉をこれ幸いと、余計な物を見ることのないよう視線の先を固定致します。

 そこには、やはり小さな『犬(???)』。


「わふっ」


「!? え、なに、狐っ?」


 いきなり至近距離から聞こえた犬の声に、驚き狼狽えて顔を上げる幼児。

 『彼』か『彼女』かはわかりませんが、涙でべしょべしょに濡れた顔に驚愕を貼り付け、『犬(???)』を凝視しておいでです。

 …そうですわよね。やはり、犬ではなく『狐』に見えますわよね! 総合的に!


 ですがあの獣はあくまで『狐のように』見えるというだけ。

 やはり初見の方には得体の知れない、異常生物と言う他ありません。

 そのような獣に至近距離から見上げられ、幼児の身体が引き攣りました。

 わたくしであれば、警戒から距離を取ることを選ぶ場面でしょう。

 気持はわかるという風に、近くでロンバトル・サディアが頷きます。

 ですが。

 本当の騒動が、ここから始まりました。


「わ………あったかぁい」

「わん」

「……………狐って、犬みたいな声で鳴くんだ」


 ………素晴らしい順応力ですわね。

 いえ、そうではなく…っあの生物に疑問は抱きませんの!?


 わたくし達が物陰に潜み、目にした光景は受け入れがたいものでした。

 子供のいないはずの場所で泣き伏し、不審さを顕わにしていた幼児。

 怪しき獣を嗾けられた子供が取った行動は…謎の獣を、躊躇いもなく胸に抱き上げるというもので。

 あまりの度胸と警戒心の無さに、わたくしも思わず固まってしまいます。

 わたくしの思考回路が凍結しなかったのは、ひとえにあの『犬(???)』ゆえ。

 あの獣の巻き起こした異常に、更に意識を持っていかれたからです。



  カンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカン…ッ


 

 人気の無い廊下に、どこからとも無く半鐘の音が響き渡りました。

 …いいえ、訂正致します。


「えっ なに!? なんなの!?」

「わんっ」


 混乱に狼狽し、腕の中の獣を掲げて右往左往する子供。

 物陰で顔を引き攣らせるロンバトル・サディア。

 わたくしは、ルッコラの袖をそっと引きました。


「ルッコラ………あの音は、なんですの?」

「緊急アラート?」

「何故そのようなものが、あの『犬(???)』からするのです…!」


 突如響き渡った、半鐘の音。

 それは音源を探るまでも無く、どこからどう聞いても、あの『犬(???)』………偵察犬だとかいう、あの獣から高らかに鳴り響いておりました。

 声帯を震わせる声とは、別種類の音が。

 記憶から該当するものを他に探しても…半鐘の音としか言い様がありません。

 あのような音を身体から発生させる、犬………。

 やはりルッコラの犬(?)は、謎の不思議生物なのではないでしょうか…。


「にしても、やっぱり思った通りだね…」

「………ルッコラ? 何が思った通り、ですの?」

「ミレーゼ様。だから、あれは緊急アラートなんだよ」

「……………緊急、事態?」



「あのアラート、人間じゃないモノに反応して響くんだ」



「……………………………………………え?」


 予想外の言葉に、ロンバトル・サディアが大きく口を開いて硬直致しました。

 わたくしも、少々動転して…思考を止めたい気分に一瞬なってしまいました。

 その、ルッコラ…?

 人間じゃないって、どういうことですの………?



 今まで触れたことも無いような、不思議生物。

 『犬(?)』だけでも充分ですのに、この上さらに何かが増えますの…!?


 



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