洗脳の被害者が増えたようです
わたくしの細い首に纏わりつく、エキノの小さな体。
獣は生き物特有の温かさと柔らかさを直接伝えてきて…
………何故か、温かいことと柔らかいことに逆に違和感があります。
生物、この獣はしっかりと息をして生きている生物ですわよ、わたくし。
そんな当たり前の事実が、何故か不思議に思えます。
そっと尻尾の辺りに手を添えると、確かな感触。
ああ、わたくしを守ろうとして下さるのですね。
不思議な謎生物ですが、この生き物がわたくしを守ってくれる。
そのことに何故だが頼もしさと安らぎを感じ…
我に返りました。
犬(?)の護衛という状況に安心した己が信じられません。
確かに何故か頼もしさを感じますが、身を任せきってよろしいの…!?
自身に問いかけ、帰ってくる返答は『否』。
己を強く持ち、気をしっかりと持ちませんと…
わたくしは、己に強く言い聞かせました。
それからも、わたくしと弟の身の安全について少々揉めてしまいましたが…
わたくしが献身を求めたことで難を示したロンバトル・サディア。
この騎士を前にした時…
「にゃーん」
わたくしの首元で襟巻を装うエキノが、一鳴き致しましたところ………
「…駄々こねて悪かったにゃ☆ これからろんろんが命がけで守っちゃう☆」
何故か、問題が解決致しました。
あれほど、ごねておりましたのに…
気のせいでしょうか、それにどこかしらロンバトル・サディアの様子がおかしいような………目が、何やらぐるぐるしておいでですわよ?
ですが、わたくしにとって都合が良いことも確かです。
………深く気にしないことに致しましょう。
わたくしは、何も見ませんでした。
わたくしと同じく、そっとレナお姉様も目を逸らしておいでです。
やはり、レナお姉様は賢明な方ですわ…。
目を逸らす、わたくし達。
目を見張る、オスカー様やアレン様。
顔を引き攣らせる、アンリとティルゼル・カープ。
特にティルゼル・カープはこの不可解な生き物と近く接することが初めてだったのでしょう。以前はすぐにどこかへ引きずられて行った末、廃人同然になって帰ってきましたし。
信じられないと驚愕に染まった顔は、ロンバトル・サディアを食い入るように見つめて動きません。
動揺を現わす、わたくし達を余所に。
不思議な謎生物とこの中では1番付き合いの長いフィニア・フィニーは全く気にした様子を見せることもなく。
むしろ利用出来る限りしてやろうと悪意の滴る顔を隠しもせず。
晴れやかな笑顔です。
「これで要注意なミレーゼ様にエキノの徹底ガード! それにろんろんっていう人身御供も出来たし、いざと言う時の楯の確保はバッチリじゃない?」
「ですがまだ、クレイの身が心配ですわ…。この子に何かったら、誘拐でもされては………わたくし、何をするかわかりません」
「それは怖いね…」
「にゃーん」
わたくしが不安に顔を染めていると、エキノが再度一鳴き。
しかし今度は…
「にゃーん」
それに呼応するように、もう1つの声が…
ぎょっとして、アレン様が振り返ります。
素晴らしい反応速度で以て、彼の少年は声の発信源を指さしました。
「増えた!?」
「オスカー様、お気を確かに」
「え、エキノがもう1匹…!?」
「いえ、アレン様。アレはエキノではありませんわ…毛色が赤茶色です」
「わんわん! わんわー!」
「クレイ、わたくしはアレを『わんわん』とは認めませんわよ」
「なんでミレーゼ、意外に冷静なの!?」
「わたくしも内心では動揺していますわよ」
「そんな風には見えないよ…!」
果たしてそこにいたのは、エキノによく似た獣の姿。
いつの間にわたくし達の傍に控えていたのでしょう。
長い鼻、大きく三角の耳、鋭い野生を宿した力強い瞳…
わたくし(8歳児)の膝にも乗れてしまうような、小さな体。
………そして2つの尻尾。
同類です。
これは、確実にエキノの同類です。
「にゃー」
赤茶色の犬(?)は、まるで人が声真似で出しているような声を上げ…するするとクレイの身体をよじ登りました。
これは、止めるべきでしょうか…
ここにいるからには、ルッコラの意を受けての行動でしょう。
止めるべきか否かの判断が難しく、結果としてわたくしは見守ってしまいます。
やがて赤茶色の犬(?)はクレイの首に体を回して蹲り、わたくしと揃いの襟巻を付けているようにしか見えなくなりました。
………これは、この犬(?)の同行を促しているのでしょうか。
「ああ、これは…どっかその辺にルッコラが潜伏してるね。遠巻きに私達を護衛しようってことでしょ。ミレーゼ様が不安がるから、クレイにも護衛を派遣したってとこじゃない?」
「まあ、ではこれはルッコラの好意ですのね…」
「エキノと同じ護衛犬『ベルクーダ』だから、しっかり守るよ」
無碍にするつもりはありませんが、複雑な心地が致します。
「わんしゃん、わんしゃーん♪」
ただ、クレイには好評なようで大喜びで跳ねまわっております。
短時間の接触ですが、犬(?)の得体の知れなさが伝わったのでしょう。
オスカー様が顔を引き攣らせ、青褪めさせながらクレイを見ております。
まあ、見事な驚愕の眼差し…怯えておいでなのでしょうか?
同種の眼差しを送るモノが、ブランシェイドからの供にもおりました。
アレン様の護衛、ティルゼル・カープ。
以前、笑わせられ過ぎて廃人になりかけた、融通の利かない騎士です。
一連の遣り取りを見て、犬(?)を放置してはおれないイキモノと認識したのでしょうか。わたくしでも、そう判断はしますけれど。
ティルゼル・カープは剣の柄に手をかけ、険しい顔をしておいでです。
「さ、さっきから見ていれば…っこの危険生物は何なんですか!」
「犬(仮)ですわ」
「こんな犬がいる訳ないでしょう!!」
わたくしは、言い返す言葉が見つかりませんでした。
ティルゼル・カープは危険生物と認識した犬(?)を、排除したいのでしょう。
いま、わたくしとクレイの首にいるのですけれど。
そこは些細な問題と捉えてしまったのでしょうか、それとも未知の生物への得体のしれない恐怖が勝り、理性を押し込めてしまっているのでしょうか。
仮にも貴族たるわたくし達に剣を向けては、ただ事にはならないでしょうに。
ですが、ティルゼル・カープの剣は抜かれる機会を得られませんでした。
「にゃーん」
………エキノの声が、響きます。
何が起きたのか、わかりませんでしたが。
排除しようとしていたティルゼル・カープは、しっかりと見ていたのでしょう。
わたくしにとっては首元のことなので、直接目にすることは出来ませんが…
エキノの声と共に、ティルゼル・カープの動きが止まったのです。
静止という言葉に相応しく、ぴたりと一瞬で。
「にゃーん」
再び、エキノの声。
吸い寄せられるように固まった騎士の目が、何やらぐるぐるし始めて…
ティルゼル・カープは膝を折りました。
消耗して倒れた訳でも、怪我をした訳でもありません。
剣を置いて、何故かわたくしの前に膝まづいて………?
膝をつき、真正面から向かい合った目。
ティルゼル・カープの目は、やはり何やらぐるぐるしておりました。
「み、み、れーぜ、様。ワタシ、ガ、非礼、オ許し、下、サイ。コレよリ全力deお守り、致シままま、ま、ま、マス」
……………なにがありましたの。
本当に一体、ティルゼル・カープの中で何がありましたの…!?
ティルゼル・カープらしくない行動、という枠を超えておりましてよ!?
噛みあわない、どこを見ているともしれない虚ろな眼差し。
聞いたこともない程に片言でぎこちない、感情のこもらない言葉。
ですのに、表情は空々しいまでの笑みで支配されております。
明らかに、不審です。
わたくしも、これほど不審な方を目にしたことがありません。
「て、ティルゼル!? 何があったの!?」
ぎょっと目を向いたアレン様が肩を揺さぶっても、
ティルゼル・カープには一切の変化が見られません。
つまり、不審なまま。
本当に、何がありましたの…?
これは医者に運んだ方が良いんじゃないか。
誰もが騎士の様子に、そう思わざるを得ませんでした。
ですが騎士本人がそれを拒みます。
怪しい言語能力と目のぐるぐる具合を除けば、立ち居振る舞いは日頃と変わりありません。変わりありませんが…変わらないことが、不安を煽り立てるのです。
しっかりとした足取りに伸びた背筋。
これで怪しく思うことなど、常であればないはずですのに…。
この不審な行動に至る元凶は、考えられるところ1つしかありません。
「………エキノ。貴方が何かなさいましたの?」
声をかけても、返ってくるのは「にゃー」という声だけ。
………獣に問いかけるなど、わたくしもどうかしてしまったようです。
獣は話しかけても、同じ言葉を返しては下さいませんのに。
「そんなわけ、ありませんわね………」
わたくしは苦笑と共に呟き、そっと横に逸れた思考を正しました。
今は埒も明かない謎を追っている場合ではありません。
ティルゼル・カープは本当に大丈夫なのでしょうか…。
「にゃーん」
溜息を溢すわたくしに、エキノは常と同じ鳴き声を返すのみでした。
「おお、よくいらっしゃいました。お待ちしていましたよ、小さなお客様方!」
扉を開けたわたくし達を迎え入れて下さったのは、バスローマ伯爵の満面の笑み。こちらに勤めている使用人ではなく、伯爵ご本人自らのお出迎えです。
待たれていたというのは本当でしょう。
満面の笑みは、わたくし達の到着を心待ちにしていたという証でもあります。
「遅くなったこと申し訳ない、バスローマ伯爵。この歓迎、有難くいただきます」
わたくし達の中で1番身分が高い方は、公爵家の後継ぎであるオスカー様です。
代表と言う形でバスローマ伯爵の歓待に謝辞を述べていらっしゃいます。
……いらっしゃいます、が…その肩に乗せていただいているクレイの姿がしっかりと対応する姿に水を差している気が致します。
クレイ…人前ではちゃんとしなくてはなりませんよ、と。
あれだけ口を酸っぱくして言っておりましたのに、いつの間に…
わたくしの知らない間で肩車をしていただけるほどオスカー様との交流を得ていたらしい弟の姿に、誇らしくなると同時に情けなくなってしまいます。
甘やかして育てたつもりはありませんが…他人の好意を傘に着るような真似だけは我慢なりません。
「クレイ、オスカー様の肩から降りなさい。挨拶をする時はどうするのでした?」
「あぅ…ねえしゃま、おこってりゅ?」
「ええ、怒っています。しっかり挨拶も出来ない子に育ててしまったのかと、お姉様は自分のことが情けなくて仕方ありません」
「あ、あう…ごめんなしゃい……」
「わたくしが怒っているのは何故かしら? 貴方は何をしなくてはならないの?」
「あう」
「ミレーゼ嬢…こちらがクレイの肩車をしていたんだ。弟君は悪くな…」
「オスカー様、これは当家の教育方針の問題です」
「………は、い」
「さ、クレイ? お姉様を笑顔にしたいのなら、わかりますわね?」
「あい!」
ぴしっと手を上げて、しっかりとしたお返事。
クレイは今日も素直でよい子です。
そうしてクレイはわたくしの促しに従い、そっとバスローマ伯爵を見上げます。
少々心配になりましたが、元よりよい子のクレイですもの。
思った以上にしっかりと、バスローマ伯爵にご挨拶をしておりました。
わたくしやアレン様も挨拶を口にして、伯爵から改めて歓迎を伝えられます。
こうして、わたくし達による潜入作戦が幕を開けたのです。
………作戦と申しましても、わたくしには特にやることなどないのですけれど。
ティルゼル・カープ
状態異常:【???憑き+】




