容易く他人を信用するような甘さを残していては、生き残れません
吟味に吟味を重ねた結果、3名の枠の中で2名はアレン様とオスカー様をお誘いすることに致しました。
お2人とも、あの年代の方に致しましてはそれなりにチェスの腕を誇る方々ですもの。お連れしても不自然にはなりませんでしょう?
………全くチェスの出来ない方を、3名もお連れするよりは。
本来であれば、これは潜入任務といっても差し支えありません。
とあれば、何かと有能な『青いランタン』の幹部勢の何方かをお連れするのが最適なのでしょうけれど………あの方々、チェスがお出来にならないのですもの。
そんな方を3名もお連れしては、不自然この上ありませんわよね?
そこで目眩しの意味も込め、当たり障りのない方としてお2人を選びましたの。
そうなりますと、当然残りの1名は…
「――わたくしには最適な方を選びようがありませんので、『青いランタン』の方々でご相談の上、1名を選出して下さいませんか?」
「わーお☆ 情報収集任務ならこの私! フィニア・フィニーがお薦めだよ」
「僕だって情報収集得意なんだけど?」
「ミモザの場合は、得意分野が聞き込みに偏るじゃない。ルッコラは犬しか使えないし、双子は意欲に欠けるでしょ。だからここは私しかないよ」
………というような経緯を経まして。
敵の手がかりを求めて潜入を決めたチェス愛好家の紳士倶楽部。
そちらへ同行する最後の1名は、フィニア・フィニーに決まりましたの。
ミモザやルッコラも優秀ですけれど…
不満そうなミモザを押し退け、短い言葉で納得させたからには、それなりの理由があるのだと思われます。
恐らく、それは…以前仰っていた、フィニア・フィニーの驚くべき記憶力。
それがどのような形で発揮されるのでしょうか…
「取り敢えず相手に不信感を与えないように、大急ぎでチェス覚えないとね♪」
…そのように、チェスは急に覚えられるものではないのではないかしら。
わたくしの懸念が杞憂に済めばよろしいのですけれど…
若干の不安を残しつつも、予定の日はやって参りました。
幼い弟の手を引いて、わたくしは出陣でもするかのような心持で臨みます。
常であれば女性の装いを好むフィニア・フィニーも、向かう先が紳士倶楽部の交流の場だという点を考慮したのでしょう。
今日は、珍しく殿方の…それも落ち着きを優先した装いをしておいでです。
場の空気に合わせた衣装選びは貴族にとっても重要な能力ですけれど…わたくしも、男装を心がけた方がよろしかったかしら?
己の見慣れたドレス姿…女児用の、訪問着を見下ろして思案に暮れます。
使用人であるレナお姉様を除けば…わたくしだけが、女装ですわね?
「ミレーゼ………アンタが何考えてるのかよくわかんないけど、フィニアと自分の服装を見比べるの止めなさいよ。アンタが男の格好しても似合わなくって悪目立ちするだけよ」
「…そうですわよね。わたくしもそう思いますわ」
人には向き不向きがありますもの。
殿方の服を纏うなど…身に、纏うなど………
そのようなはしたない真似、わたくしには出来そうにもありません。
本来貴族の子女は、そうそう出歩いたりはしないもの。
家の中ですごすことが本来の姿です。
わたくしのような低年齢層のものとて、それは同じ。
むしろこのような幼い内から方々を出歩いているわたくしは、貴族子女の在り方からすれば変わり者も良いところですけれど…
今回もアレン様と頭を捻って上手に言い訳を提言し、オスカー様と遊興に赴くという点だけを前面に押し出して外出許可を勝ち得ることに成功致しました。
皆は子供ということで、ブランシェイド伯爵家からはわたくし達付きの使用人に重々と注意事項が申し送られます。
ですが、その使用人は殆どが『こちら側』の人間。
アンリなど、その筆頭ですもの。
危ないことをしてはならないという注意は無かったもの同然です。
1人、護衛としてつけられたロンバトル・サディアは顔色も優れない様子でしたけれど…問題はありませんわね。
以前、『青いランタン』を尋ねた際に前後不覚に陥ってしまい、状況を理解していないティルゼル・カープのお相手はアレン様にお任せ致しましょう。
「ここが、チェスの聖地…」
「オスカー様、聖地って………なにそれ?」
お招き頂いた紳士倶楽部の本拠地を前に、オスカー様が感嘆したご様子で。
零れ出た言葉は、『チェスの聖地』…
アレン様が、即座に怪訝なお顔で問いかけられました。
「ちょっとチェスが好きな者なら皆そう呼ぶし場所だ。貴族社会でも有名な場所だよ。厳しい入会審査を通ったチェスの腕に自信のある剛の者が揃い、夜な夜な集って研鑽を積んでいると…」
「それ、夜である必要あるの?」
「実際には昼も暇があれば集まっているらしい」
「それでは、夜な夜なではありませんわね」
「そうだな、日夜と言った方が正しいな」
「夜な夜なって言うと、何かの秘密結社みたいだしね」
目の前にあるのは、赤レンガ造りの瀟洒な建物。
中流社会出身者向けのアパルトマンと、古美術商が趣味で営んでいるという画廊に挟まれた場所です。
見た目は、普通の建物ですわね…
少し、拍子抜けてしまいました。
もう少し、こう…地下組織的な場所を連想していたのですけれど。
「意外に普通の建物みたいに見えるね?」
「なんでそう、疑問たっぷりに首を傾げてるんだ…えーと、」
「フィニア・フィニーだよ。フィーって呼んで♪」
「………ミレーゼ嬢、このテンション高い微妙な生物は一体何なんだ?」
「わたくしの手駒ですわ」
「は? 手駒!?」
「あら、オスカー様も日々操っていらっしゃるではありませんの」
「操ってない! そんな意味深な存在、操ったりなんてしてないからな!?」
「白黒に塗り分けられた盤の上で」
「それチェス盤と、チェス駒のことだな? 本当の意味での駒だよな?」
「ミレーゼ…生きた駒と生きてない駒は大分違うと思うんだ」
「そんなに変わりませんわよ?」
「いや、大分違うと思う…! 生きた駒は、あんなチェス駒のように意のまま自在に動きはしない!」
「オスカー様もそこ!?」
「そうですわよね…不測の事態が起きた時、独自の判断での動きにお任せしなくてはいけない点は、確かに歯痒いものがありますわね」
「ミレーゼも乗っちゃうの!? え、なに? 僕って何かおかしい…?」
「安心しなよ、アレン坊ちゃん…アンタは人として外れちゃいないから」
「それだと、この2人が外道みたいに聞こえるんだけど…」
「私はそこまで言ってないけど、そう聞こえたんならそうなのかもね」
「あ、あはははは…レナさん、相手は雇い主ですよ。流石に、目の前でそれは…」
「そうね、聞こえるように言う事じゃなかったわ」
「この子、全然悪びれてない…!」
アレン様が焦って、レナお姉様が毅然とご自分の意見を述べられて。
これから敵に繋がる手がかりを得る為、潜入しようという前ですのに…
そこには、常と変らぬ日常がそのままありました。
オスカー様が、わたくしの肩に触れていらっしゃいます。
「なあ、ミレーゼ嬢。あの使用人のあの態度は、叱責しなくて良いのか…?」
「問題ありませんわ、オスカー様。レナお姉様の態度はアレが常ですもの。わたくしはレナお姉様のああいう、歯に衣を着せない辛辣にして正直な部分も気に入っておりますのよ?」
「主人である君がそう言うのであれば、俺も言うことはないが………貴族社会には他人の持ち物、使用人でも気に障れば容赦なく振舞う者もいる。大事になる前に時と場を弁えるように教育した方が良いと思う」
「大丈夫です。レナお姉様は聡い方ですから、あれでちゃんと場も時も弁えていらっしゃいますわ。きっとオスカー様の人となりを見て、オスカー様の前でなら大丈夫だと思われたに違いありません」
「それは舐められてるんじゃないか…?」
「人となりを信頼されているのでしょう、きっと」
「ふ、腑に落ちない…」
「オスカー様は、使用人が礼を失したからと一々気に咎めるような器の小さい方ではありませんでしょう? 大貴族に相応しい鷹揚さと寛容さをその歳で身につけている方はそうそういらっしゃいませんわ」
「………都合の良いことを言って、言い包めようとしてないか」
「まあ、オスカー様はわたくしの言をお疑いになりますの…?」
「いや、そんな訳じゃ…っ」
オスカー様は、わたくしが否定しなかったことには気付かれませんでした。
わたくしの顔は幼げと言いましょうか…ただでさえ幼いのですが、顔の造作も垂れ気味の大きい目や頼りない眉と、童顔の部類に入ります。
顔の似た兄や弟を見れば、自分が傍目にどう見えるかも分るというものです。
わたくしは、恐らく姿だけを見れば大人しそうに見えることでしょう。
そんな子供が気弱げに眉を下げ、不安そうな顔をすれば…
結果は、罪悪感を堪えている様子のオスカー様を見れば一目瞭然。
特に、同情を引きたい時の効果は覿面です。
………時として自身の顔の幼さを恨めしく思うこともあります。
ですが使い勝手の良い顔に産んで下さった天の母に、わたくしは無上の感謝を捧げさせていただいております。
この上は幼い内に、「愛くるしい子供」の立場を最大限、活用致しましょう。
「ミレーゼ様、なんだか物凄く張り切ってるね?」
「まあ、お分かりになりますの? 流石、鋭い感性をお持ちですわね」
「他人の顔色を窺うスキルが高くないと、浮浪児なんてやってられないからね♪」
「それを明るく言い切ることのできる、強かさは称賛致しますわ」
「そう………ところでさ、此処まで来といて、こんなことを言うのもなんだけど」
「あら? どうなさいましたの?」
「あのさぁ、此処って、『黒幕』に繋がってると目されてる訳じゃない?」
「ええ、そうですわね…」
「じゃあさ、中に入ったらそこに『黒幕』が普通にいるとか、有り得る訳でしょ」
「……………」
「もしかしたら、紳士倶楽部の全員がグルとかいう事態も起こりうるわけで…ううん、それこそ、中に入ったが最後、罠だったり………とか。それでなくとも隙を見て、ミレーゼ様が攫われちゃったり、だとか」
「………………………」
「そんな事態も有り得る訳だけど、ミレーゼ様、その辺りの対策はちゃんと立ててる…? というか、ミレーゼ様は行くの止めた方がよくない?」
………迂闊、でした。
わたくしとしたことが……思考に隙があったと認めるしかありませんわね。
失念でした。
その可能性、その危惧………全く考えていませんでしたわ…!!
「どうする? 行くの止めとく?」
「く…っ ですが、残された家族としてクレイを1人にする訳には…!」
「信頼して任せられる他人がいないんだねぇ、ミレーゼ様…」
「世の中には、利害の不一致を見ればいつ敵に回るとも知れない方ばかりですもの…っ どれほど信頼していようとも、弟を自分以外の方に委ねるなど……!」
「………前からちょっと思ってたけど、ミレーゼ様って軽く人間不信だよね」
例え最も信頼するレナお姉様であろうと。
無二の盟友たる、ピートの意を受けた『青いランタン』の方々であろうと。
わたくしの目の届かない場所にクレイを預けるなど出来ません。
特に今は、わたくし自身が狙われている時。
いつ何時、何が起こるとも知れないのです。
このような状況下で、一体どうして弟を傍から離すことが出来ましょう。
そうして目を離した隙に攫われ、質にでも取られたらどうするのです…!
まして、わたくしが辛うじて信頼できるかと思える方々は、皆一様に幼さの残る子供達ばかり…
大人を信頼したくないという訳ではありませんが、やはり大人と子供の立場の違いから、警戒心が先に立ちます。
大人は、その思惑でわたくしたち子供の運命をすぐに左右するのですもの。
特に貴族社会となれば、信頼できない方ばかりです。
打算で動く彼らの実態を知っているだけに、わたくしの警戒心は自分でも容易く解くことは出来ません。
わたくしの信頼する少年少女の方々とて、相手が大人となればいざという時に抵抗しきれるかどうか…っ
最悪の未来を思えば、本来わたくしに巻き込まれただけの方々にどうして責任を押し付けることが出来ましょう。
ましてや、わたくしや弟の身命に関わる命運を。
………既に手伝っていただいている時点で巻き込んでいるのは確かですし、わたくしの命運だけでしたら信頼の証として委ねるのも否やはありません。
動き、流れを任せるからには命も預ける。
それが、信頼と言うものですもの。
です、けれど…ただしそれは、我が身のことに関してのみ。
わたくし自身の命に限り、です。
わたくしは弟の保護者として、弟のことだけは譲れない。
わたくしが危険な目に遭うのはまだしも…弟は、弟だけは。
弟に関する保護、監督責任を、わたくしはわたくし以外のどなたにもお譲りするつもりはありませんわ。
だって、それが保護者というものでしょう。
いざという時は我が身を呈し、命に代えても弟だけは守り抜きましょう。
ですが、離れてしまってはそれすらも不可能になってしまう。
わたくし以上に弟の為に我が身をなげうって下さる方が、この世のどこにいると言いますの?
クレイの為に命を捨てて下さる方でなくては…わたくし以上の挺身を見せて下さる方でもなくては、わたくしは弟の身を委ねることなど出来ないでしょう。
弟の為に、誰かが襲われ、命を捨てるか弟を差し出すかの選択を迫られる時。
そんなことは起こり得ないかもしれません。
それはわたくしの考え過ぎで、弟に危険はないかもしれません。
まだ起きてもいない未来への予想に怯えるのは、愚かかもしれません。
ですが、いざそれが実現した時を思えば…わたくしは、考えずにはいられない。
考えずには、いられないのです。
目の前に立ちはだかる、チェスの聖地。
立ち向かうのは頼りない貴族の子息を中心とした、即席の一行。
そうしてわたくしに迫るかもしれない、幾らかの危惧。
わたくしと弟の距離を離そうとする(物理)状況が、何より忌々しい。
わたくしは我が身を危険に曝すべきか、弟の身を危険に曝すべきか、それとも他人に信頼を預けるべきかという究極の選択に迫られ………
……………そうして、わたくしの選んだ選択は。
…………………そんなもの、考えるまでもありませんわよね?
クレイちゃまを預けるに足りると思える相手は、ミレーゼ様にはいないらしい。




