わたくしの知らない場所でも、事態は様々に動きを見せているのですね
更新に少々間が空いてしまいましたね。申し訳ありません。
しかし年末年始。帰省してきた姉の子達が大暴れで目が離せない…。
次回の更新にも、少々間が空きそうです…。
そこは、どうしようもなく薄暗かった。
まるで、女の後ろ暗い過去を象徴するように。
誰からも忘れ去られ、打ち捨てられた聖堂の奥。
かつては礼拝する者が絶えず訪れた場所で、少年は1人待っていた。
呼び出した相手が、自分の招きに応じることを疑いもせず。
きぃ…
やがて、狂った蝶番の音が響く。
長い間放置され、歪んだ扉は立て付けが悪い。
耳障りな音は、だけど密かに接近する者の存在を浮き彫りにするので少年は疎んじたりしない。
たった1つの入り口へと向き直れば、そこには赤毛の美女。
自分の存在を隠そうとするように、黒いヴェールを羽織っている。
しかしそんなもので、磨きぬかれた美貌を隠し切ることは出来ない。
既に40に近い年齢も、彼女の魅力を損ねるものにはならない。
ただ、ミモザの存在だけが彼女の相貌を青褪めさせ、損ねさせる。
「み、みも、ざ………?」
恐る恐る。
年端もいかぬ少年にかけられた声には、隠し切れない恐怖がある。
後ろめたさ、罪悪感。怯え。
親子程も年の違う女から向けられる目に、おかしさを感じて少年は含み笑った。
「ふふ…流石に、かつて自分が見捨てた同郷の幼馴染は覚えてたんだ?」
「あんた………?」
「ねえ、クレマチスのおばさん?」
「あ………あんた、ミモザじゃないねっ」
「へえ? クレマチスのおばさんは、そう思うんだ?」
「私をこんなところに呼び出して、どうしようって言うの? 脅して小金でも毟り取るつもり? どこでミモザの名前を聞いてきたのか知らないけど…」
女の言葉は、不意に途切れた。
少年が意図して、1歩を踏み出す。
そこには作為があったのだろう。
それまでは倒壊しかかり、上手く採光の働かぬ旧聖堂の中。
影が差して明らかになっていなかった少年の顔が、横合いから差す光の下で明らかとなる。
女の前に曝された顔は―――
「み、ミモザ…っ!」
「――母さんの顔、覚えてたんだ?」
「あ、あんた、まさかミモザの…!?」
「…僕、瓜二つというほどそっくりじゃないのにね。同じ顔じゃないのに、どうしようもなく印象が重なるって、貴女もそう思う?」
絶句して立ち尽くす女を前に、少年…ミモザは声をあげて笑った。
聞くものに明らかと告げる………嘲笑を。
「笑っちゃうね、その青褪めた顔。僕が『ミモザ』じゃないって気付いた時には、強気を取り戻して勝気に見下す目をして見せた癖にさ。『僕』に気付いた途端、死人みたいな顔をするなんて」
「………っ」
「…死人なのは、『ミモザ』だよ。貴女もわかってるんでしょ」
「ミモザは、やっぱり死んでいるんだね…」
「そう、20年もあの『劇団』にいる貴女なら察してるんじゃないの。いや、深く関わっているでしょう。『支配人』がどんな悪事に手を染めているのか」
「……………遠回しに言うのは止めたらどう?」
「それじゃあ言うけれど。貴女、『支配人』の裏の仕事に関与してるんでしょう? かつて『ミモザ』を貶めてから、ずっと。15年以上も」
「………あんた、私に何をさせたいの」
「ミモザに負い目のある貴女は、僕を無碍にはできない。そして、自分を真っ暗な場所に引きずり込んだ『支配人』に一矢報いたいと思ってる。そうでしょう?」
「……………」
自分の言葉に疑いを欠片も感じさせない、少年の言葉。
それに返された、女の顔は………
打ち捨てられた、聖堂の。
子供にしか通れない、潜り穴。
聖堂跡をねぐらにする浮浪児の作った隠し出入り口から出てきた少年。
荒んだ目をした彼を、待っている者がいた。
茜色の番傘を差して目立つはずなのに、その存在はひっそりと誰よりも静かだ。
「――よぅ、収穫はあったか?」
「ピート、こんなところで待ってたの」
「まーな。万一にもあの女が逆上したら、人手がないと大変だろ?」
「それはそうかもしれないけど、そんなことはないって確信してたよ?」
「いくら確固たる自信があっても用心しとけ。それが生き残る賢い術ってやつだ」
「まあ、それはそうかな」
実際に、ミモザは『クレマチス』が『ミモザ』の害になるようなことをするとは思えなかったが。
だけど、ミモザは『ミモザの子』であって『ミモザ』本人ではないから。
保険と用心が足りなかったと言われれば、そうかもしれないと頷く。
「それで収穫は?」
「大当たり。女優『クレマチス』は、『ミモザ』の幼馴染だった」
「そりゃ良かった。俺も苦労してあの『劇団』の幹部リストを手に入れた甲斐があるってもんだ」
「20年以上籍を置いてる奴の中に、口を割りそうな人が残ってて良かったよ。痕跡と、かつての繋がりってやっぱり大事だね」
からりと笑う、少年の顔。
そこに先程までの仄暗く他者を嘲るものはなかったけれど。
目の奥に燃える熾き火は、執念深い蛇のような印象があった。
「それで? 復讐の目処は立ちそうかよ」
「ふふ…やっぱり相手が『個人』に限らずとなると、時間がかかりそうだよ。でもそれも、やり方次第かな」
自分が頭目と立てる番傘の少年に、紙の束を放る。
今回の接触で得た、僅かな情報。
それを元により大きな情報を引きずり出せるのは、自分だけじゃない。
わかっているからこそ、情報の共有の重要さが理解できる。
「他の奴らにも見せてやってよ、それ」
「これはまた、結構な収穫じゃねーか…」
「次の新月の晩には、もっと良い物が手に入るよ」
「それは?」
「――ここ15年、『劇団』を介して人身売買に関わった『顧客リスト』。あのアンリもそのルートで売られてるはずだし、仲買人通した取引だろうけど、尻尾くらいは辿れるんじゃない? お嬢様が『紳士倶楽部』の名簿を手に入れられたら、それと照合するのも楽しそうだよね」
「それは、おいおい…明らかに『裏』じゃねぇか。また危ねぇ橋渡る気か?」
「大丈夫だよ。『クレマチス』に持ち出してもらうだけだし」
「全然、大丈夫じゃねぇよ。…ったく、勝手に周囲は固めとくからな?」
「当然、期待してるよ。護衛はピート基準に用心を重ねて、必要数そろえといて」
「本当に、てめぇら俺の仕事を増やすことしかしねぇな、おい…」
「面倒見の良いリーダーが小まめに働いてくれて、僕は助かってるよ」
「感謝だけじゃなくって、負担を減らす協力もしてくれねぇもんか…お前は無節操に方々に顔を売り歩くから、後ろ暗いことをする度に証拠隠滅やら情報の隠蔽やらで俺が走り回る羽目になんだけど」
「これから忙しくなるのに文句は言わないでよ。あのお嬢様に協力するって、ピートが決めたんだろ」
「それでも自分に利があると思わなきゃ、お前は動かない。違うかよ?」
「ふっふっふ…完膚なきまでに貶めて、『支配人』に地獄を見せるって僕の目的を果たすには、お嬢様に協力した方が早道っぽいからね。アンリ…ヴィヴィアンが貴重な証言をくれなかったら、こうまで協力したか我ながら謎だよ」
「…お前、黒幕と一蓮托生で『支配人』が滅ばねぇかって考え練ってたもんな」
「『黒幕』には人間を売買したって明らかな罪科があるし、それに間違いはないし。取引相手が『支配人』だったってのは本当に天の配剤ってやつかな。お嬢様に引き合わせてくれた天と、ピートには本当に感謝してるよ」
「怖ぇ奴…」
「思ってもないこと言わないでよね」
そう言って、笑う少年の顔は。
獲物に襲い掛かる一歩手前の、猫のように見えた。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「………………………………………参り、ました」
ながい、長い沈黙を残して。
殿方が深々と頭を垂れる様は、何と言いましょうか…
土下座なる体勢に、とてもよく酷似しておいででした。
麗らかな、穏やかな日光の降り注ぐ午後。
わたくしの目の前には、穏やかな日光にそぐわない光景。
3歳という年端もいかぬ幼い弟に、とうの昔に成人を果たされた立派な殿方が、恥も外聞もなく敗北宣言を出しておられます。
「きゃあい! ねえしゃま、ぼくまたかっちゃー!」
「クレイ…貴方は本当に、チェスの名手ですわね。見事な腕前ですわ」
弟のチェスの才能が見事すぎて、並み居る敗者が哀れになる程です。
内心で哀れむだけで、わたくしは特にこれといって何も致しませんが。
敢えて申しますと、クレイを褒め称えることくらいでしょうか。
「凄いわ、クレイ。貴方はお姉様の誇りよ。どんな名手より、クレイが1番よ」
「あい! ぼく、がんばりゅのー!」
両手を伸ばして抱擁を求めてきた弟を、わたくしはそっと優しく抱き締めます。
ふふ…興奮しているのかしら、頬が林檎のようですわ。
「………ミレーゼさーん、クレイさん、そろそろ勘弁してあげてください。伯爵様の誇りがずたずたじゃないか」
「しっ…アレン坊ちゃま、そこに言及しちゃダメよ。トドメになるわ」
「あ…っ は、伯爵様、申し訳…!」
「いや、いい………私が、クレイ君に勝てて、いない、ことは…じじつ、だから」
「………相当重症ね」
「それは………5連戦、連敗ですから当然では」
「あ、アンリ! しぃっ! しぃっよ!?」
「あ………」
「ふ、ふふふ………1回であれば、まぐれということも有得た。しかしこれで6回目の、敗北………ははは、名人と歌われた私の看板も、今日限り、か…」
「は、伯爵? バスローマ伯爵ー!? 目が、目が死んでるよ!?」
「あら、見事な死んだ魚の目…」
「れ、レナさん、そんな感想を口にしている場合では…っ」
………姉と弟の絆を確認しあっていますのに、背後が少々騒がしいですわね。
振り返ると、そこには先程とあまり変わりのない様相で頭を垂れるバスローマ伯爵様と…彼の方を取り囲んで必死に励ましのお言葉を探す、アレン様やレナお姉様、アンリの姿。
1歩離れた場所では、ロンバトル・サディアが頬を引き攣らせて遠方へ視線を投げておいででした。
…皆様、落ち着きがありませんわね。
「くっ………仕方、ない。約束は約束だ」
やがて膝を屈した伯爵は、己の敗北という事実をようよう飲み込まれて。
そうして、わたくしの方から勝負の前に提示させていただいていた『お約束』を飲み込んで下さいました。
即ち、
「私は、君達を歓迎します………武者修行を兼ねた、君達のチェス修行行脚の為の、我が会への見学申請…主催者の権限において、受理致します」
クレイの勝負強さのお陰で、わたくし達はこうして手に入れたのです。
――例の紳士倶楽部への、立ち入り許可を。
「申し訳ありませんが、伯爵様。先祖からの申し送りですので………約定は書面にて正式なものとさせていただいても構いませんでしょうか」
「………さすが、エルレイク侯爵家。しっかりした御先祖様ですね」
定員は、クレイの勝数に応じて5名(使用人は除く)。
さて、2人はわたくしとクレイとして。
あと3名、どなたをお連れ致しましょう…?




