代々秘されてきた才能の目覚めを目撃した気分ですわね…
わたくしの一族…エルレイク家は、建国の頃からある古き名家。
建国王に従い、古き先の王国を打破した戦争にも供をした忠臣の起こした家。
数々の英雄叙事詩の生まれた時代でありながら、我が祖先に関する逸話はほとんどありません。王国古参の方々には口を揃えて功績を讃えられ、重要視されていますのに、何をなさったのかに関する伝承は驚くほどに少ない。
それはわたくしの祖先が『吟遊詩人』…話として残される側ではなく、話を『作る』側の立場だったからなのかもしれません。
祖先の残した口伝には、こうあります。
――自分の仕事は伝説の主人公になることじゃない。
伝説を『作り、語り聞かせる』ことだ…と。
実際に建国時の活躍を元とする数多くの英雄譚や叙事詩の数々…
その中でも建国の英雄達について語ったものの多く…ほぼ9割は、エルレイク家始祖の作だと伝わっております。
始祖の口伝を教えられた時、脳裏を直感の如く駆け巡った言葉がありました。
――捏造、及び隠蔽。この2つの言葉がそれです。
実際に功績を讃えられていながら、内容が伝わっていないのは明らかに不審です。讃える際には、どのような功績を讃えているのかセットで語られるはず。
ただ「凄い」じゃ、何が凄いのかわかりませんもの。
しかしそれがないとすれば、考えられることは1つ。
口止めです。
自分の功績を後に残さないよう、徹底的に隠蔽、口止めしたに違いありません。
それが何故かは、不明ですけれど。
また、祖先の口伝は行動すれば己が伝説の主人公にもなれた、と考えているように聞こえます。そのように裏側の何かが透けて見える気がするのです。
祖先の自負が、どこから来るのかは不明なのですが。
そうして我が家は、建国王の姫に妻として降嫁いただいた程の名家ということで、建国の際から様々な注目や関心を受けます。
多くの家から縁戚関係の構築を願って縁談が降り注ぐ程に。
結果として、我が家は王国中の名高い家々と婚姻を結び、優れた血を代々取り入れることを可能としてきました。
何しろ建国後は功績のあった者から順に高い地位を与えられたのですもの。
我が家は侯爵家ですが、身分の近しい婚姻に適したお家の方々も戦時下には華々しい活躍を遂げた方や、その縁者ばかり。
身分の釣り合ったお家の方と縁を結ぶだけでも、高い才能や素養を知らしめた方々のお血筋には間違いありません。
我が家はそういった血とより強く深く結び付きながら代を重ねてきたのです。
それらのことを踏まえ、我が家には代々1つの疑惑がありました。
もしや自分達の一族は敢えてやらないだけで、本当は多くの可能性と才能を秘めているのではないか…と。
それが発揮されていない現状、悩むだけで意味のない疑惑ではありましたが、家の歴史を学ぶ過程で必ず誰もが1度は考える疑惑です。
貴族家の人間として、冒険なく平穏に生きていれば開花もせず、知ることもないからこそ、疑惑は疑惑のままであったのですけれど。
それを疑惑のままで放っておけず、己を試す為に家を飛び出せるほど…侯爵家というものは軽々しく責任を放棄できる家ではありません。自由に自分を試せる程しがらみを無視できないからこその大身貴族といえるでしょう。
そんな我が家の、血筋の末に位置するわたくし達。
長々と血と、それに秘められた可能性について語らせてはいただきましたけれど…何を言いたいのかと、申しますれば。
………秘めたモノは秘められたままに放置し、発露を見ずにいた数々の才能。
その一端が開花する様。
それを、わたくしは弟に見出してしまったような気が致します。
アウグスト・バスローマ伯爵を犠牲にして。
「そ、そんな…私が、負けた………?」
己の能力に疑問を抱いたのか、アウグスト様は虚ろな眼差しで自問自答。
自分というものの揺らぎに眼差しまで揺らすアウグスト様を遠巻きに取り囲んだ観衆――いつの間にか集まっていたご様子――は唖然と大きく口を開けて遠巻きにしたまま何やらざわめいておいでです。
「まさか『五強』の1人、バスローマ伯爵が……」
「なんてことだ。これはチェス界が荒れるぞ」
「まだお若いのに腕が落ちたか?」
「いや、私は見ていたが…バスローマ伯爵は手を抜いてなどいなかったようだ。いつも通りの冴えを感じたよ」
「では、実力で…?」
「なんと…」
………ええ、と…『五強』とは何なのでしょうか。
そして『チェス界』とはどこの世界なのでしょうか。
バスローマ伯爵は、一体何処に轟く名をお持ちなのでしょう。
わたくしには決してわからない、謎の用語が出てきたような気が致します。
何だというのでしょうか…変な世界に巻き込まれつつあるような…
「ねえしゃまー! ぼく、かっちゃよー!」
「クレイ…お姉様、今は貴方の無邪気さが痛いわ…」
「あう?」
「いえ、どのような謎の展開が待ち受けていようと、弟が何かを成し遂げたのであれば存分に労うのはお姉様の義務ですわね。ごめんなさいね、クレイ。おめでとう、よくやりましたわね」
「??? あい!」
こっくりと笑顔で頷くクレイの無邪気さが、とても目に眩しい…。
ゆっくりとクレイの柔らかな髪を撫でながら、頬笑みとともに問いかけました。
「クレイ、チェスの対戦は30%までの力で戦うようにと言っていた筈ですが…」
「あい! さんじゅっぱーしぇっと!」
「………そう。30%で、この事態なのですね」
そっと窺うように見やれば、視線の先では。
項垂れていたアウグスト様が、こちらを驚愕の眼差しで凝視しておいででした。
「なに…!? 手加減、だと…!」
「……………聞かれてしまいましたわね」
嫌な予感が致しますわ…っ
伯爵の声を聞きつけたのでしょう。
周囲の観衆からも、クレイへのより一層強く鋭い眼差しを感じます。
余計な好奇の注目は、想定以上の威力を有しております。
それほど、この敗者バスローマ伯爵が大物だったということでしょうか…
これがわたくし自身への注目であれば、笑顔で受け流しも致しました。
ですが今回、注目を受けているのは…矢面に立たされようとしているのは、わたくしの可愛い弟クレイ。
…衆人環視など、いつだって残酷なもの。
弟への好奇心が、過剰な注目が毒にならないとなぜ言えましょう。
今回、弟を餌にしたのはわたくし達ですが…それでもこの土壇場になり、弟への注目の強さに心臓が震えます。
わたくしの心は確かに怯んでしまいました。
弟へ寄せられる関心の強さに、わたくしは、わたくしは…
このまま弟が食い物にされるのではないかという、恐怖心。
僅かな懸念が脳裏に閃いた瞬間、わたくしは衝動的に弟を抱き上げ、はしたなくも走って逃走してしまっておりました。
退出の挨拶も何もなく、無言で去るなど恥知らずのする礼を失した行為。
わかっておりましたが、己を抑えることなど出来ず。
有事でもありませんのに、淑女が己の足で走るなど有るまじきことですが。
覚悟以上の視線の多さに、わたくしはすっかり動転していたのです。
本当に、これがわたくしへの注目であればどうということもありませんのに…
………どうやら弟は、わたくしの最大の急所であるようです。
もう今後、二度とクレイを囮のような危険な役目になど負わせますまい。
釣りあげた魚…アウグスト・バスローマ伯爵に渡を付ける必要性を忘れ果て。
わたくしはレナお姉様やアンリといった供の者が追いつくのを待たず、可能な限りの速さで走り去ってしまったのです。
「あ、あぅ…ねえしゃまっ?」
「ちょっ……待ちなさいよ!」
「お嬢様!? お待ちください…!」
クレイ、レナお姉様、アンリの戸惑いの声はわたくしの耳まで届かず。
わたくしの衝動に負けて駆ける足を止めることは適いません。
クレイはわたくしの腕の中で身動ぎし、心配そうに見上げてきます。
レナお姉様やアンリは、わたくしを追ってきている気配を感じます。
取り残されたのは、茫然とするバスローマ伯爵。
唖然と突如走りだしたわたくしの背を見送るアレン様やオスカー様。三つ子。
そして、敢えてその場に残って役目を拾った、ミモザとルッコラ。
「あ、あの子達はいったい…」
ぼんやりと呟くバスローマ伯爵。
その背後にさりげなく回り込み、ミモザが伯爵の肩に手をかけた。
「っ!?」
突然のことに肩を跳ねさせ、バスローマ伯爵が振り向くと…
そこには伯爵の子と言っても通用しそうな年周りの離れた少年達。
にっこりと微笑むミモザと、じっと見据えてくるルッコラ。
気安く目上の者に触れるのは、貴族であればタブー行為だが…
少年達は勿論、そのようなことを気にしない。
必要があれば貴族の流儀に従って振舞うが、目の前の茫然とする男を相手にお行儀の良さを披露する必要性が感じられなかった。
「な、なんだね…?」
「僕等は先程貴方とチェス勝負に興じたお坊ちゃまの姉上様にお仕えする者です」
「どうやら動揺されているらしい貴方様に、朗報をお持ちしました」
「………朗報?」
――食い付いた。
腹の底ではにまりと性悪に笑いながら、ミモザはお行儀の良い笑みを浮かべる。
従順に、主思いの部下といった慇懃な態度で。
「――もしも当家のお坊ちゃまと再戦を希望されるのでしたら、後日こちらまで」
「よくよくご検討の上、どうなさるのかお決めください。再戦を望んで挑戦を申し込まれるのでしたら、コレが優先的にご案内する為の証明の品となります」
そう言って、2人の少年はバスローマ伯爵に封筒を渡す。
その中には『青いランタン』に渡りを付けたいと望む相手の為に設定した方法の一つが記されている。
本来、貴族のミレーゼやクレイは正確には『青いランタン』の一員ではないし、わざわざ『青いランタン』が仲立ちとなって仲介してやる必要はない。
だがそこで敢えて間に『青いランタン』が立とうとするのは勿論、直接ミレーゼやクレイに問い合わせをして、ミレーゼがやろうとしている諸々が露見することを防ぐ為の措置だ。
そうして、都合を整える為にルッコラが渡したモノ。
優先的に取り次ぐ証明の品。
そう言って少年が渡したのは、ストラップの付いた手のひらサイズの…
………狐のような、犬のようなナニかの人形(?)だった。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「取り敢えず、情報を洗わないとな」
「関係者でミレーゼ様に接触してきた最初の1人だから当然。背後関係を洗う時は注意しないと。貴族社会での立ち位置も新しい『お友達』に聞いてみるとするか」
「それは良いけど…貴族のご令嬢方でしょう。変に関わり方を間違えて、泥沼にはまらないように気をつけようね」
「………僕ってそんなへましそうに見える?」
「念のため、です。こちらも上手いこと言って『犬』をお渡し出来たし、内部情報は3日くらいで大体わかると思うけど」
「あー………あれって新種?」
「4日前に新しく改良したばかり。タイプ的には前に造った護衛犬と同種になるかと。まあ情報収集特化型ですね。更なる小型・軽量化に成功しました」
「護衛犬。それって、ミレーゼ様達にあげたのと同じヤツ?」
「エキノと同じ血筋に当たる『犬』です。有能さは保証しましょう」
「……………いぬ。いや、僕は何も言わないよ? 使えるなら、それが全てだ」
「ご理解いただけてるようで感謝、感謝ですね」
「……………理解は必要かな?」
………釈然としない面持ちで、帰途に就く某伯爵。
そのベルトにくくりつけられたストラップの先で揺れる、小さな人形(?)。
帰りの馬車の中。
伯爵は、どこからか「ぶもー」という牛の鳴き声を聞いたような気がした。




