世には恐ろしい怪人が出没すると申します
わたくし達に声をかけてきた紳士…
その方はバスローマ伯爵家の当主、アウグスト様と名乗りました。
異国から渡ってきたお家の方だからでしょうか。
不思議な家名の響きが印象に残りますわね。
「いきなり声をかけてしまって驚かせてしまっただろうか。このあたりに噂に聞く『チェス無双』の少年がいると耳にしてね? チェスを愛する者の1人として、将来有望な指し手がいると聞いては矢も盾も堪らずに、ね…こうして不躾ながら声をかけてしまったというわけなのだが」
もう成人済みの子供がいても不思議ではない年頃とは思えない、少年のようなうっとりとした瞳。アウグスト様は勝敗の付いたままに放置されていたチェス盤を眺めると一際目を輝かせました。
「これは見事…どちらの指し手も迸る才気が感じられるようだ」
自分から話しかけていらしたにも関わらず、我を忘れてチェス盤に見入る伯爵。
わたくし達の存在までも、一時忘れて。
その姿を見て、わたくしは確信致しました。
この伯爵様は、紛れもない『チェス馬鹿』だ…と。
「『黒』の駒運びも素晴らしいが…何より、『白』側は私などには解説も烏滸がましい。これを年端もいかぬ少年が成し遂げたとは………この指し手ならば世界の新境地すらも切り開くのではないかと、無限の可能性が押し寄せてくるようだ!」
「……………」
まあ、オスカー様がどんどん沈んで…憂鬱と絵に描いたような空気を醸し出され始めましたわ。お気の毒に。
アウグスト様が讃えれば讃えるほどに、まるで石化していかんばかり。
一言申し上げておくとしますと、先程のチェス勝負で『黒』い駒を使用されていたのはオスカー様ですとだけ、申しておきます。
そうしてアウグスト様の『白』への絶賛は途切れるということがないのでは…と思わずにはいられない勢いです。
「素晴らしい! 是非、この指し手と一戦交えてみたい………っと、失礼。私から話しかけたというのに、随分と自分の世界に入っていたみたいだ。本当に失礼をして申し訳なかった…」
「いえ、それは良いのですけれど」
「私はどうもチェスが好きで…時として我を忘れて没頭してしまってね。大人の私が君達の様な未来の紳士淑女の前で礼を失するなどあってはならないことだ…どうか父君達には黙っていてくれるかい?」
「…アウグスト伯爵様は茶目っ気のある方のようですね」
「このように興奮せずにいられない一戦の名残を目にしてしまったんだ。それだけ指し手の技量が尋常ではなかったということで大目に見てはくれないかな」
気まずそうに米神を掻かれる姿は、本当に年端もいかぬ少年のよう。
伯爵はご自分の興味の向かれるところに関しては、驚くほど無邪気になってしまわれる方のようですわね………伯爵の様な方でしたら、上手く興味や関心を刺激することが可能でしたら、気前よく融通して下さる関係を築けますわね。このような方は嫌いではありません。上手に操作出来るか、させていただけるかは此方が提示する見返り次第なので、わたくし側の準備能力が問われますけれど。
わたくしの視線は、きっと値踏みするようなものになっていたのでしょうね。
レナお姉様が、背後からわたくしの袖を引いて注意を促して下さいました。
ですが伯爵様の方はわたくしの打算に満ちた評価など気付くこともなく、総合を崩してチェス盤に期待を高鳴らせているのです。
「それでこの場には少年が何人もいるようだけど…噂のチェス少年は誰なのかな」
そう言って伯爵様が目を止めたのは、この場で最も立派な身なりの、利発そうな少年…オスカー様。
貴族の教養の一環としてこういった盤面遊戯を覚える方が多いことを思えば、目に留まるのも当然ではあります。
ほくほくとした顔で、アウグスト様はオスカー様に問いかけました。
「君かい?」
「私は…『黒』の指し手だ」
「君が! ああ、『黒』も将来有望であのクイーンの威厳が…!」
「伯爵は『白』の指し手をお探しでは?」
「…はっ そうだった!」
「私ではありませんので」
「そうか…ええと、それじゃあそちらの君かい?」
「えっ!? 違います!」
「違うのか…それじゃ、そちらの………三つ子のご兄弟かな?」
「いえいえ全然違いますよー!」
「そうそう、僕らなんかオスカー様の足下にも及びませんっ」
「そもそもチェスより、オスカー様の方が遊び甲斐があるってもので!」
「おいこらちょっとは本音隠せ、三馬鹿!」
「えっと…それじゃあ、そっちの君達は?」
「僕はそもそもチェスのルールを知らない」
「僕は室内遊びより犬を連れて狩りに行く方が得意」
「ええっと………」
順ぐりに居合わせる『少年』へと、チェスが得意そうに見える方から順番に声をかけていかれるアウグスト様。
ですが相次ぐ否定に、そのお顔は困惑の色に染まっていかれます。
「それじゃあ…?」
ちらりと、わたくしに向けられる目。
………そもそもわたくしは『少年』ではありませんわよ。
それとも、いくら未発達で男女の差など欠片もない体つきをしているからとは言え……わたくしのことを、ドレスを着た『殿方』だとでも主張なさるおつもり?
にぃっっっこり、と。
気合いをこめて微笑みかけましたら、アウグスト様がさっと稲光のような素早さで視線を逸らしておしまいになりました。
あら? わたくしのことを見たいのでしたら、遠慮はいりませんのよ…?
「ミレーゼ、あんた怖いわよ」
「まあ! レナお姉様ったら…っ わたくし、無力で無害な淑女の卵ですのに。レディを相手に、失礼ですわ」
「あんたが無力で無害なのは、物質面だけじゃない。腕力以外の方向で、無力と言い切るのは随分と抵抗あるわ。あの精神的圧迫を無害なんていっちゃダメでしょ」
「わたくし、こんなに何にも出来ませんのに…レナお姉様、酷いですわ」
「あんた、本当………外見だけなら、マニア垂涎の可愛い幼女なのにね…」
………レナお姉様の方から、「中身は虎」という呟きが聞こえてきたような気が致しますが…気のせいですわよね?
「マニア?」
「ロリコン、ペド野郎とも言うわね。幼女の敵よ」
「ろりこん…? ぺど、ろ…?」
「貧民街時代、あたしも何度追い回されたか…あいつ等、たまにぷっつん切れた危ないのが貧民街にくんのよね。捕まったら酷い目に遭うし、下手したら誘拐よ」
「まあ…! つまり、危険人物の犯罪者ですわね!?」
「いいわね。その認識で間違いないわよ、ミレーゼ!」
「恐ろしい…幼い女の子を誘拐して、どうするつもりだと言うのでしょう……」
「そこはあんた、知らない方がいいわ。まだ全然早過ぎるでしょ」
「??? レナお姉様は御存知ですの…?」
「ご飯が美味しくなくなるから、絶対に知らない方が良いわよ」
「そこまで断言されますと、逆に気になってしまいますわ…」
「……………これ以上は、あたしの口からは何とも」
「それにしても『ろ・り・こーん』に『ペドロ』………この世には恐ろしい危険人物がいますのね。今後、貧民街に赴く時は気を付けると致しましょう」
「何か間違えて覚えてるっぽいけど、あたしは訂正しないからね…?」
「オスカー様、アレン様、御存知です?」
「??? いや、僕は知らない…」
「聞いたこともないな…」
「あ、はいはいはいはーい!」
「僕ら知ってる知ってる!」
「オスカー様、教えてほしい!?」
「絶対に聞かない」
「「「なんでっ!?」」」
「お前ら碌なこと教えないし、時々嘘混ぜるだろ」
「そんな失敬な(笑)! 御懸念いただかなくても今回はきっちりしっかり、嘘偽りなく全部正直にお教えするよ!」
「そっちの方が絶対に面白そうだからね!」
「なんだったら過去の犯罪事例の資料付きでレポート纏めてきても良いんだよ! 他ならぬ、オスカー様の為(笑)に!」
「『面白い』が絡まない限り絶対に面倒を請け負ったりしないお前達がそんなこと言いだす時点で、絶対に碌な事じゃないだろう!? 良いか、絶対に教えを請うたりしないからな!?」
「「「チッ…」」」
「ユニゾンで舌打ちなんて器用なことを…!」
いつの間にか、三ばk………三つ子はオスカー様を怒らせるのに夢中で。
わたくしはそちらに気を取られ、レナお姉様の呟きを聞き逃してしまいました。
「………本当に裕福で身分の高いお家の子への情報隔離政策はきっと正解でしょうね。あの三つ子は余計なことを言わない内に、後でシメておくとしますか」
レナお姉様の呟きを耳にしたアレン様は、本気で震えあがったとか、何とか。
後日、気が付いたら三つ子がレナお姉様のことを「姐御」と呼ぶようになっておりました。加えてレナお姉様には絶対に逆らわなくなっていることに気付いた時、三つ子の扱いに振り回されていたオスカー様の驚きは筆舌に尽くし難いものがございました。
ですがわたくしも驚きましたの。
レナお姉様、あの三つ子に一体何をなさいましたの…?
【レナは舎弟(×3)を手に入れた!】
「うぅん…結局、誰がこの『白』の指し手なんだ…」
そして思い悩むアウグスト様のことを、衝撃的な犯罪者の情報を知って思わずわたくし達は放置しておりました。
ですが伯爵様は己の考えに没頭しているご様子でしたし、先程はわたくし達の方が放置されていましたから、これでお互い様ということにして大丈夫ですわよね。
案の定、思い悩むわたくし達をそっちのけに、アウグスト様は勝負の名残を残したチェス盤に夢中でしたもの。
「うん、それにしても見れば見るほど素晴らしい…」
「おじしゃん、おじしゃん」
「………ん?」
「おじしゃんも、ぼくとあしょぶー?」
「やあ、これは可愛らしい紳士だね! お誘い、有難くお受けしようか」
「じゃあじゃあ! チェスでいっしょにあしょんで!」
「ふふ…光栄だ。それでは勝負といこうか」
謎の怪人『ろ・り・こーん』と『ペドロ』の恐ろしさと対処法をわたくしやアレン様、オスカー様がレナお姉様とアンリからご教授いただいている間に、いつの間にかクレイとアウグスト様のチェス勝負が始まっておりました。
そして気付いた時には終わっておりました。
勝敗は、言うまでもなく。
彼らの勝負が始まってより、15分後。
勝敗は、クレイの勝利で決していて。
わたくし達の目の前には、明暗を分けた2人の指し手。
3歳児に本気の勝負で敗北し、真っ白に燃え尽きて項垂れるアウグスト様のお姿がございました。
新たなる伯爵の名の由来
いつもその場のフィーリングで名前を決めるのですが…
なぜか今回、頭に浮かんだのが某入浴剤。
そこから連想してこうなりました。
 




