わたくしと弟の絆は何よりも強固なものですの
その日もブランシェイド伯爵夫人の御供という名目で、わたくしは弟を連れて園遊会に参加させていただいておりました。
勿論わたくしと弟の世話役として、付添い人を兼ねるレナお姉様やアンリ、それに今のわたくしが貴族社会において有する唯一のアドバンテージである噂の有能少年…ミモザを筆頭に『青いランタン』の少年達を数人連れております。
人数が膨らんでしまったので、少々大人数になってしまいましたが…本来のわたくしの身分や家格を思えば、この人数はまだ許容範囲です。
仮にも侯爵令嬢ですもの。
例外的に多くの使用人を引き連れていても、ある種当然と言えます。
ただし『青いランタン』の少年達は、園遊会の会場にて主催者に御挨拶をさせていただいた後は、己の才能の売り込みと情報の収集を図るべく、ミモザとセルカを残して園遊会の会場へと散らばって行ったのですけれど。
まるで生まれながらに人の波を掻い潜る魚のように、見事に会場を泳ぎ回っている様、離れていても見事と思います。
そうして少年達という耳目を会場へ解き放った後、わたくし達は先に立てた計画通り、クレイのチェスに対する才能を際立たせる為、持参したチェス盤を前に並べて強者狩りを敢行しておりました。
ともすればシビアな勝負の世界。
殺伐としそうな雰囲気の緩和及び注目を集める為、セルカにはずっと楽器の演奏をしていただいております。当然ながら園遊会の会場には雰囲気作りに主催者が家で抱える楽団が控えめな演奏を行っておりましたが…
ここは子供の我儘として、主催者に演奏を許可いただいた上でのことです。
一応、楽団の音色にあまり支障がないよう、会場の中で出来るだけ楽団の位置から離れた場所にわたくし達は陣取りました。
双子の弟セルマーの歌声と並び讃えられる、セルカの演奏。
わたくしも彼女の演奏を聴くのは、実はこれが初めてでしたが…
『青いランタン』の方々が絶賛する言葉に、偽りはありませんでした。
侯爵令嬢として生まれた時から教養の類は自然と身に付ける生活を送り、始祖が吟遊詩人であったという逸話から音曲の類には殊更造詣を深める様に教育されてきた自覚があります。
しかしそのわたくしをして、これは見事と唸るどころか呼吸すらままならない状態に陥らせられてしまいました。
セルマーの歌声も美しく、時を忘れたものですが…
セルカの演奏は、己の呼吸音すらも耳触りに思えてしまうほど。
これほどの演奏があるのかと、しかもその演者が野に埋もれていて良いのかと。
冷静になれば頭に巡ってくる思考も、仕事を放棄状態です。
お陰で足を止める人は数多く、注目を集めるという意味では効果的でしたが…
………いかんせん、効果が強すぎて演奏に耳を傾ける以外の何も出来ない状態に陥ってしまっています。
セルカは複数の楽器を演奏できるらしく、今日は様々な楽器を演奏しようと複数種類を持ち込んでいました。彼女達の亡くなったお父様は楽器工房に席を置く職人だったそうですが、それにしても手入れの良くされた良い楽器ばかりです。
ヴァイオリンからフルートに持ち替えようとしたタイミングで、演奏の切れ目により正気を取り戻したわたくしは少々慌てながらセルカの袖を引きます。
「せ、セルカ…貴女の演奏はとても素晴らしいのだけれど…素晴らし過ぎて、他に手が付きませんわ。もう少し加減は出来ませんの?」
「……………ミレーゼ様、出来る?」
「え、ええと、何をでしょうか」
「………楽器」
楽器の扱いは本当に素晴らしいセルカですが、対人能力は比例するように低いのが彼女の欠点かもしれません。
弟のセルマーも口数が多い方ではありませんが…そんな彼でも、姉に比べれば格段によく喋るという印象になってしまいます。
言葉を最低限まで少なくしようとしてか、セルカの口上は率直でブツ切り状態。
………彼女を世に送り出そうと思うのであれば、全てを演奏で黙らせるだけの実力はお持ちですが…コミュニケーション能力を向上させるように鍛えるか、通訳を付けるかした方が良いのかも知れません。
「え、ええ。わたくしとてエルレイク家の娘ですもの。最低限の嗜みですわ」
「………………………わざと下手、出来る?」
「……………無理ですわね」
体に染みついた技能というものは、1度習得すると手を抜くというのが難しくなる…出来なくはないのでしょうが、敢えて下手な演奏など矜持が許しません。
セルカの方は本気で下手な演奏の仕方がわからないようですが…天才に下手な演奏など、お願いする方が愚かでしたわ。
「それでは…セルカは今日、沢山の楽器を持ち込んでおいでのようですけれど……比較的習熟度の低い楽器はありませんの? 例えば、現在練習中の楽器などは」
「……………これ」
そう言ってセルカが差しだしたのは、タンバリンとマラカスでした。
「…………………」
「…ミレーゼ、あんたどうするの」
「レナお姉様、お願いですから急かさないで下さいませ…」
結局、セルカにはマラカスを演奏していただくことになりました。
これはこれで目立ちますが、その目立ち方が『悪い方』に傾かないのはセルカの天賦の才を発揮した演奏能力のお陰です。
下手と言いつつ、一般的にそれは控えめな言い方になってしまいますわね…。
セルカのマラカス捌きは、まるで本職の様に見事なものでした。
ただし先程のように意識も行動も全て刈り取る程のものではなく、聞き入りながらも別のことに意識を向けられるレベルでの『見事』です。
…選択肢がなかったとはいえ、楽器の変更をさせて良かったのか悪かったのか。
園遊会なのに…これはこれで良いのでしょうか。
自分で指示しておいて懐疑的になってしまいましたが、幸いにしてセルカの卓越なマラカス演奏によって苦情は一切持ち込まれませんでした。
「くそ、3連敗か…っ!」
盤面を前に、歯噛みして悔しがられておいでなのはオスカー様(12)。
国内に数少ない、我が家よりも高位の貴族…グゼネレイド公爵家の継嗣にして、わたくしの昔馴染みの方でもあります。
「きゃぁい♪ ねえしゃま、ぼくのかちー!」
「そうね、クレイ。凄いわ! オスカー様はチェスの名手と名高いグゼネレイド公爵の手解きを直々に受けておいでなのですから」
「くくく…っ だけど負けちゃったんだよね! オスカー様!」
「そうそう、9歳も年下の子にね! オスカー様!」
「9年分も経験の差があるのに、何やってたんだろうね!」
「形無しだね、オスカー様!」
「凄いね、オスカー様!」
「オスカー様、お疲れ様!」
「だっ、黙れ三羽烏…!」
今日もオスカー様に付き従っ………
付いて、いらしたアルベルテ子爵家の3人もいつも通りのようです。
一応、彼らの間には主従関係がある筈ですが…
相も変わらず、忠誠心が見当たりません。
クレイへの贔屓目を除いても、オスカー様は大人相手であろうと充分に勝負に出られる腕前をしていらっしゃると思いますが…それを遊び感覚で制するわたくしの弟が素晴らし過ぎて可愛過ぎます。
クレイによるチェスの100人斬り(50人は既に達成済み)計画を初めてより、連勝記録が続いております。その記録が1つ、また1つと増える毎にクレイの腕前を再認識することとなり、わたくしは弟が自慢に思えてなりません。
そろそろ標的を成人貴族に移し、勝負へと引きずりこ…
……失礼、そろそろ大人の方にお相手をお願い致しまして、実績と評価を得ても良い頃合かもしれません。
「クレイ、もう子供の中では敵なしなのではなくて? …お姉様は誇らしいわ」
「えへへ…ほめられた!」
「クレイは遊んでいるだけで褒められているように思うかも知れませんが…お姉様は、貴方を本当に凄いと思っていますのよ」
「ぼく、しゅごいの?」
「ええ。わたくしの自慢です」
「っ ねえしゃま、だいしゅきー!」
「クレイ、お姉様も貴方が大好きよ!」
こんなに可愛い弟が、大好きじゃないなんてある筈がありませんわ…!
前々から思っておりましたが、わたくしの弟は可愛過ぎます。
両手を広げて抱擁を求める弟を、わたくしは公式の場ではしたないとは思いましたが、諌めることも出来ずにぎゅっと抱きしめてしまいました。
「………オスカー様、元気出して! ミレーゼ達も感動の姉弟劇を披露しているだけで、悪気はないと思うから!」
「く…っアレン、俺は、もう駄目だ……!」
「そんな、誰もオスカー様が弱いとか情けないとか思っていませんから! ただクレイが強すぎるだけですから!」
「ぐっ…」
「………あれ?」
「ふっく、ふはははは…っ 見てよ、アレン様がトドメ刺しちゃった!」
「ご愁傷様だね、オスカー様!」
「御臨終だね、オスカー様!」
「――誰が臨終だ、この三羽烏が…っ!」
「あ、お早い復活で! 流石オスカー様!」
「打たれ弱い演出なんて似合いませんよ、オスカー様!」
「そうそう、オスカー様は常に怒って憤慨して短気なオスカー様でなくちゃ!」
「き、貴様ら…誰のせいで怒ってると思っているんだ!」
「僕らのせいかな、やったね!」
「「いえーい☆」」
「………この三つ子、オスカー様をおちょくるのに貴族生命賭けてるよ!」
何やら殿方達が少々騒いでおられるようでしたが…
わたくしはそちらを一切気にすることなく。
弟の可愛さを存分に堪能しようと、柔らかな髪に頬を擦り寄せておりました。
そうやって、わたくし達がある意味で和気藹々と交流を楽しんでいた時。
「――失礼、小さなお嬢様に紳士方」
チェス戦の趨勢を見ようと近くに寄る方はおいででも、世間話以上に話しかけてくる方がいない中。
わたくし達に意図を持って話しかけてきたのは、1人の紳士…
…いえ、離れた所に2人ほど連れておいでですわね。
代表らしき、紳士はわたくしの父と同じくらいの年頃に見えます。
瀟洒な小道具が華やかな個性を演出する、『伊達男』という呼称を思い起こさせるような殿方です。あまり、見ず知らずの子供に構いそうな外見には見えません。
敢えてわざわざ声をかけてくるような方にも見えませんけれど…
「ミレーゼ」
そっと、背後からレナお姉様が囁き声で耳打ちして下さいました。
「あのオジサンの胸…ブローチ、見て」
「ブローチ…」
レナお姉様が仰ったのはおそらくこれかしら、と。
紳士のタイを飾るカメオが目に留ります。
どこかで見た図案…いえ、考えるまでもありません。
それは近頃、飽きるほどに何度も何度も紙面で確認した図案。
さりげなく目線を移動させ、紳士の指に視線を流します。
………あった。
蛇の尾を生やした狼。
打ち伏せるそれを、踏みつけにした雄々しい角の雄山羊。
後光を現わす光環が三重に重ねられ、三本の剣が交差する。
紳士の胸元と、指。
双方に同じ紋章が刻まれております。
アンリが見たという、『敵』のものと同じ紋章。
チェスを活動目的に掲げた、紳士倶楽部のもの。
本来であれば他国から帰化した貴族家の紋章であったと、ミモザは報告して下さいました。
今は使われていないと申しておりましたが…
チェスの大会で、優勝者に与えられるのは指輪。
ですが目の前の紳士が有するのは、指輪だけではありません。
紳士倶楽部を運営する、他国から帰化した貴族家の当主。
目の前の紳士こそ、その当主…紳士倶楽部の主催者。
わたくしは目の前の紳士が胸にする紋章を見て、確かにそう確信したのです。
ちなみにミレーゼ様の家、エルレイクの紋章は↓
二つの首を持つ蛇が絡み付いた竪琴を足で掴んだ黒歌鳥。
黒歌鳥→遥か大昔に絶滅したとされる鳥型の魔物。エルレイク家初代侯爵の吟遊詩人としての号でもある。
吟遊詩人→一般的に名前ではなく、独立した時に号として与えられる鳥の名前で呼ばれる。エルレイク家初代様が与えられた号は正確には鳥ではなく、何故か魔物の名前だった(笑)




