『天才少年』という名称の釣り餌だと申します
頭を抱えるとは、このような事態を指すのですね…。
見果てぬ現実を突きつける、無情な数字68人。
いささか、その人数は多すぎませんかしら…。
「だから、最大68人だって」
「はい…?」
「つまり、さ? 例の指輪はチェス大会優勝者に与えられる景品。でも毎回違う人ばっかり勝ち上がるとは限らないんじゃない? 特に実力を認められる何人かとか、実力ランキング上位者が重複して持っている可能性も高いと見てるよ」
「………つまり、実際には68人を下回る?」
「そう、でも正確に何人になるのかは…やっぱり紳士倶楽部で保管しているだろう優勝記録を見ないことには、ね?」
そう言って笑うのは、結構なのですが…
「ですが、その記録をどうやって確認したものでしょうか」
「あー…その辺は、ねぇ。流石に紳士倶楽部なんて超限定された領域に潜入するのは難しいし、そもそも『青いランタン』に潜入に適した人材がいないから。何しろ最低条件が『貴族』『成人男性』『チェス愛好家』だし」
改まって聞きますと、わたくし達には相性の悪い条件のように思えます。
『青いランタン』の方々など、条件の対極に位置するのではないでしょうか。
何しろわたくし自身も含め、打てる手、使える人材、動かせる駒…全て女子供に分類される上に、ほとんどが貴族社会とは本来何の縁も持たない下層域ご出身の方々ばかりですもの。
どうにか1つでも条件をクリアしていれば、どうにかなるでしょうか?
………いえ、最大の難関たる身分偽装は容易く行えるものではありません。
貴族というものは自分達だけで形成する独特の社会で育つ故に、育ちで形成される空気を身に纏っております。
それを完璧に模倣し、他者に貴族ではないと悟られずに行動できる方は……
………某演劇馬鹿数名か、もしくは本職の密偵の方でしょう。
そも身分偽装に関しても、前提知識や家柄の系譜、貴族社会独特の風習を完璧にマスターするには途方のない時間を要することでしょう。
それに身分を保証するような証拠を偽装する伝手がありません。
なので、身分偽装など急には不可能だと思うのですけれど…
「敢えて尋ねますけれど、『青いランタン』にチェスを嗜まれる方は…」
「いるわけないじゃん。ピートならルールも知ってるかもだけど、少なくとも僕は知らないね。そして僕が知らないってことは、潜入に適した演技者に該当者がいないってことだよ」
「………そのお言葉、ミモザの配下も知らないという意味でよろしいのかしら」
「それ以外に何かあった?」
「ちなみに今から覚える気は…」
「急ごしらえの付け焼刃でどうにかなるの? 紳士倶楽部まで運営するようなチェス好き相手に?」
「……………」
はあ………本当に、どう致しましょう…。
流石にわたくしだけの力で身分の偽装はできないでしょうし。
「――アンリ? 貴方、まだ子爵の……いえ、何でもありませんわ」
一瞬、ほんの少し前まで完璧に子爵に扮していたアンリ…ヴィヴィアンさんならばどうかと、ほんの少しだけ考えました。
ですがその考えも、すぐに自ら払ってしまいます。
ヴィヴィアンさんは顔も身元も『敵』に割れてしまっています。
彼女が騙っていた『子爵』の名前も身分も、元々は『敵』がお膳立てしたもの。
そんなものを再び素知らぬ顔で使用して、彼女の身の安全は保障できません。
潜入させた先で何かよからぬことが起きても、離れてしまえば庇い立てすることは不可能ですもの。
そもそも庇護する為に近くに置いている方ですし、女性です。
危ない橋を渡っていただくには、この上なく不適切。
「そもそも私、チェスのルール知らないです」
「………そうですか」
そして思いつき自体が、この瞬間に完膚なきまで破壊されました。
先ほどミモザも申しておりましたが、急場しのぎでどうにかなるような技能ではありませんもの。
「伯爵様は…ブランシェイド伯爵は、そのクラブのことを御存知かしら」
「さあ? 知ってはいるかもしれないけど………あの腕、だからなぁ」
「そうですわね…尋ねても、あまり収穫はないかもしれません」
幼子にも負ける、チェスの逆名手ブランシェイド伯爵様。
ミモザの話では当の紳士倶楽部に入会するには一定以上のチェスの腕が必要だとのことですし。
「アンリ、ロンバトル・サディアに尋ねていただいてもよろしいかしら」
「あ、はい。なんですか?」
「『アナタもよいお年なのですし、こう言った俗世間の知識をお持ちじゃありませんか。俗っぽいことお好きでしょう?』――と」
「ろんろんさん泣いちゃいますよ」
「これしきのことで泣くような成人男性って騎士としてどーよ?」
「そもそもあのおじさんは騎士であって、貴族じゃないんじゃない?」
「あら、レナお姉様? 騎士は準貴族の扱いになりますのよ?」
「準貴族はあくまで準貴族であって、貴族じゃないでしょーが」
「貴族と準貴族の間には深く果てしなく、決して飛び越えることのない境がありますものね………わたくしの家の始祖は吟遊詩人から侯爵に一足飛びで成りあがったそうですが」
「初代エルレイク侯爵、ですか…凄いですね」
「今になって聞くと、流石ミレーゼの先祖としか感想が浮かばないわ」
「我が家の家系は『常人には理解不能』といわれる天才が時として生まれることがあるのですが…当代の天才は、戦闘特化ですし。そもそもこの場にいないので頼りようもありませんわ………目の前に居ても実際に頼ったかどうかはわたくし自身、疑わしいですけれど」
「じゃ、クレイ坊ちゃんは?」
「…え?」
思いがけぬ名前を挙げられ、私は目を瞬かせました。
「クレイ、ですか…?」
わたくしの大事な、小さな弟(3)。
『貴族』『男性』『チェスが好き』は条件として満たしてはいますが………
成人とは、とても呼べない幼さですわよ?
ミモザがわたくしの弟を指名して、何をさせるつもりなのか…
わたくしは皆目見当がつかず、ただ不思議な思いで首を傾げておりました。
理解の及んでいないわたくしに対して、ミモザはにっこりとほほ笑みました。
それはそれは、咲き染める薔薇の様に華やかな笑みを。
「天才少年って、いつの世も人の興味関心を引くものだよね? それが自分にとって幾らか自負のある分野なら…尚更に」
全体的にとても美しい少年の、綺麗な笑み。
ですが気のせいでしょうか?
わたくしには極悪商人のあくどい笑みに見えました。
「………類は友を呼ぶ。アンタ達、よく似てるわ」
レナお姉様、それは一体どういう意味ですの?
よくよく検討を重ねた、後。
充分に練った上で、わたくしの弟を中心とした計画は始動いたしました。
そうは言いましても、大したことをする訳ではありません。
両親を亡くしたばかりで傷心の子供達――その無聊を慰める。
………そういう名目で、わたくし達は動き定めました。
折しも季節は社交が活発になる時期を迎えようとしています。
貴族として、交流…社交は大事な責務の1つ。
これを満足にこなせずして、本物の貴族だと胸を張っては申せません。
王都に小さからず居を構える立場であれば、より一層社交こそを使命と燃えても過剰ではない程、大事なものです。
つまり、何を申したいのかと言いますと。
社交を行う為、催し物が頻度を増す時期に差し掛かっております。
ブランシェイド伯爵夫妻もまた、王都に居を構え、王宮にて役職を拝する身。
社交に手を抜ける筈もなく、様々な場所に顔を出し、そして家に多くのお客様を招いては賑やかに場を盛り上げようと労しておいでです。
そのような状況下。
わたくし達の様な成人もせず、幼さ以外に何も持たない子供は邪魔としかならない立場なのですが…
本来であれば子供部屋に追いやられ、留守番を厳命される身。
ですがわたくし達、『エルレイク家の幼い姉弟』は折しも社交界で時の話題をさらっている存在です。
わたくし達の身の上…この身に降りかかった悲運もそうです。
それ以上に、ここ数週間はわたくし達があのお茶会でお披露目した…『青いランタン』の少年少女が注目を集め、相乗効果として彼らの身柄を預かるわたくしへの注目が更に高まっております。
正直を申しますと、これ以上に目立つような振る舞いは身柄を狙われる身としては慎まねばならないところだと、重々承知してはおりますが…
今はこれを好機と捉え、活用すべき時と思い切ることが必要です。
注目を既に受けている身であれば、より注目を集めるとっかかりに困ることはありません。
噂を広めようとした時、これほどの助けは他にありませんもの。
注目を受けている分、より一層、振る舞いには気をつけねばなりませんけれど。
「ねーしゃま、ぼくとあしょぶ?」
「ふふふ…クレイ、今日は沢山の方がきっと遊んで下さいますわよ」
「あい!」
計画の始動に踏み切って以来、わたくしはクレイを連れてほぼ毎日のようにブランシェイド夫人のお伴を重ねております。
園遊会や絵画鑑賞会、お茶会に、乗馬…
…華やかにして陰惨たる思惑の渦巻く、魔窟。
好奇心旺盛にして退屈と暇を持て余した貴族の方々がまるで魚のように泳ぐ美しい水槽の世界。
子供の身なので夜の会にはお供させていただけませんが。
行く先々、それでもわたくし達程に幼い子供の姿は少々珍しく、それだけで目を集める中。
わたくし達と同じように保護者に連れられて足を運んだ、子供達を相手にしながら…やがて大人の方へと、狙いを向けて。
「ま、まいった…」
「きゃあい! ねえしゃま、かったー!」
「さ、3歳児に負けた…っ」
チェスの駒を動かし、対面に座る年かさの少年を追い詰めていく、クレイ。
やがてがっくりと肩を落としたのは、わたくしよりも年長の少年で。
そんな少年の本気で悔しがる様子が大人達の気を引いたのか、1人、2人と足を止めて盤面に視線を落とし…
「っ!?」
勝負の付いたチェス盤を目にした方は、1人の例外もなく驚愕に息を呑まれて立ちつくされます。
食い入るような視線を盤面に、そして盤面と勝負を終えた少年達の様子を交互に、何度も何度も視線を走らせて。
「わたくしの弟と勝負をして下さって有難うございます。弟も喜んでいますわ」
「……………っ」
何も含むところのない笑みを浮かべてお礼を述べると、弟の相手をして下さっていた少年は涙目で唇を噛み締め、席を立って走り去ってしまわれました。
………走り去るほど、ですのね。
本来であれば言葉に何の返礼もせず、無言で退席するなど見咎められてしかるべきですが…今回は仕方のないことと、わたくしは少年の背を同情の視線で以って見送らせていただきました。
わたくし達は実績として輝かしい噂を流すことにしたのです。
わたくしの弟という、『天才少年』の噂を。
きっと、わたくし達が何をしなくとも噂は社交界に忍び広まっていくでしょう。
実際に『光景』を目にした方々が、噂として流して下さるはず。
驚きと、少々の興奮を伴って。
それがチェスを愛する方々の耳に入ればまずまず。
興味関心を引き、向こうから接触を願うようになれば…
その時は、この計画に対して成功とわたくしは言うことでしょう。
クレイのチェス無双。
100人斬りチャレンジ中。
心をべっきぼきにへし折られる被害者、続出。
という訳で正解は「クレイ」でした~!
ちなみにエラル様はお忙しくされて(見当違いの方向でアロイヒ捜索中)いる上に、頼ったが最後、バレたらまずいあれやこれやが露見しそうなのでミレーゼ様は最初から頼る気ゼロのようです。




