自慢の演目は、『アンドロメダの悲劇』というそうです
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なんとも微妙な空気の漂う、そんな中。
わたくしとレナお姉様はフィニア・フィニーを跪かせ、冷めきった眼差しで見下ろしておりました。
本人も何故そんな扱いを受けるのか、自覚があるのでしょう。
気まずそうなフィニア・フィニーに、レナお姉様がお説教をしようとした瞬間。
場の空気を一変しなければならない事態となりました。
「――あ、やっぱり此処にいたんだな。ミレーゼもクレイも」
唐突に、アレン様は足をお運びになられたからです。
ヴィヴィアンさん扮する、アンリをつれて。
わたくしは、少し慌ててしまいました。
「………フィニア・フィニーの件。このことはヴィヴィアンさんには内密に」
「もちろんよ。アンタ達も良いわね!?」
この残念な事実…ご本人に告げても、無用な心の傷となるだけですもの。
ここは、沈黙こそが最良の選択と信じましょう。
わたくしとレナお姉様で口早に少年達へと申し伝えると、気まずい空気を取りつくろって何事もなかったかのような顔を作りました。
「アレン様! いかがなさいましたの?」
「いかが、じゃありませんよ。ミレーゼお嬢様も、クレイお坊ちゃまも! どうして私を置いてすたすた行かれるんですか? 私の仕事はお2人の側仕えなのに、仕事にならないでしょう?」
「――ということらしいよ? ミレーゼ」
「まあ、つまりアレン様は、道に迷っていたアンリをわたくし達のところまで連れて来て下さったのですね?」
「………っ」
「アンリ、諦めた方が良い。君が屋敷内で道に迷っていたこと、とっくにバレてるみたいだから」
「アレン坊ちゃま! 黙っていて下さるって約束してくれたじゃないですか…」
「どうやらミレーゼの目を誤魔化すのは、無理そうだから。ついて得にならない嘘は、後々わだかまりになるし止めた方が良いよ」
「アレン坊ちゃま、それ10歳児の言葉と考えるととっても切ないです…」
小用をお願いしたところ、わたくし達の側を離れてから一向に戻ってきては下さらなかったアンリ。
一応、ご自分の立場は理解されているようで、必要がない限りはわたくし達の側を離れない彼女。
ですがいくら待っても、中々帰ってきては下さいませんでした…。
状況を鑑みるに、慣れないお屋敷の中で迷いましたわね、と。
もうアンリがこのお屋敷に来てから…47回目の事態ですもの。
最初の方はわたくしもちゃんと探して回収していましたけれど、その為にいつまで経っても屋敷の間取りを覚えられないのかも知れないと思い至りました。
ですので、最近はアンリが戻ってこなくても放置しているのですが…
今回は、どうやら通りすがりか何かで遭遇したアレン様を頼られたようです。
「アレン様、わたくしの側仕えがご迷惑をおかけしましたわ。従者の失態は、わたくしやクレイの失態。アンリに代わりお礼を申し上げます」
「ミレーゼも、そんな気に病まなくって良いよ。どちらにせよ僕だって此処に来るつもりだったし、それにアンリは一応『ブランシェイド家の雇用』という扱いで受け入れてるんだから。ミレーゼとクレイの2人付きではあるけれど、僕にとっても当家の使用人だし」
「考えてみれば、そうですわね。対外的にはブランシェイド家の使用人という形で雇い入れていただいていますもの」
ですので、厳密的にはわたくしは彼女の『主』ではないのですよね…。
わたくしとクレイ、2人付きの従者ではありますけれど、その形式はいわばブランシェイド家から使用人を借り受けているものになります。
わたくし自身に使用人を抱えるだけの器も給金の支払い能力も利権もないので、致し方ありませんけれど。
家の名前だけで付いてきてくれるような、奇特な忠義者はエルレイク家の領地であった故郷に戻らねば見つからないのではないかしら…。
わたくし個人の使用人ということにしても、雇用契約を結べるだけの下地がないのは辛いところです。今後の為に、その辺りだけでもどうにか融通の付けられるよう体裁を整えられないでしょうか…。
わたくし個人との繋がりを強く密なものにして、仇に目をつけられても困りますけれど………今後『青いランタン』にある程度の自由を保証しなくてはならなくなった時、わたくしの様な卑小な身であっても後ろ盾に名を連ねることで幾らかは影響を及ぼすことが出来ますもの。
その影響にも良し悪しがありますから、その辺りの見極めと名前の使いどころは選ばなくてはなりませんけれど。
後ろ盾としていつもブランシェイド家のお名前をお借りしていては、借りが大きくなりすぎてしまいますし。良好な関係は築いておいて損はありませんけれど、癒着し過ぎて傀儡にされることや名前を利用されるような事態になってしまうことはわたくしの望むところではありませんもの。
暫定的なものですが後見を務めていただいている時点で、少々手遅れの様な、仕方のないような気も致しますけれど。今のまま、利用しつつ利用されの此方にもある程度の利がある状況を維持出来ればまだよろしいのですが。
………やはりわたくし個人の名前である程度の人員を動かせるよう、何とか手を打っておいた方が良いのかもしれません。それも至急で。
「ねえしゃま、どうしちゃの?」
深く考えに没頭していると、急に動きを止めた姉を心配したのでしょう。
大人しく手を引かれるままになっていたクレイが、わたくしの顔に手を伸ばしてきます。ぎゅっとわたくしの手を握る小さな手にも、痛いくらいの力。
「いいえ、なんでもありませんわよ。クレイ」
「でも、だって、でも…?」
わたくしへの気持ちを、何と言い現わしていいのかわからないのでしょう。
まだまだ語彙力の低いクレイは、言い淀んで困った顔をしています。
本格的に困り出すと半泣きになってしまうのですが、今はそこまでではないようですわね。
ただ、心配だと。
ただ、気になると。
そう言葉にできない弟が、あどけない顔をしょんぼりさせて見上げてきました。
わたくしはクレイの身体を抱き上げ、ぎゅっと力を込めます。
わたくしの首裏に両手を回してくるクレイの、背中をぽんぽんと叩いて案じるなと態度に匂わせます。
「中々、事態はわたくし達にとって厳しいものですわね。立場のある大人にも太刀打ちできるだけの力が欲しいものですわ」
「ねえしゃま、ねえしゃまは強いもん! らいじょーぶ!」
「わたくしが強いなどと…どのような根拠があって、それを言うのかしら」
「ねえしゃまは強いもん!」
「ふふ…クレイ、貴方の気持ちは嬉しいわ。でもね?」
「うゆ?」
「クレイ、淑女に『強い』などと言うものではありませんよ。その言葉に女性が喜ぶことは、余程相手が特殊な感性を有しているか、状況が特殊な場合を除くと殆どありませんからね?」
「みゅー? ねえしゃまは強いのに…」
「わたくし等よりも、この場にいるお兄様方のほうが余程お強いですわよ?」
「みゅぅぅ? しょーなのー…?」
「ええ、そうですわ」
わたくしは、きっぱりと断言致しました。
何故か納得いきかねるというように、弟は首を傾げていましたけれど。
………この子の頭の中では、わたくしはどんな猛者なのでしょうか。
わたくしはか弱い8歳の女児であり、淑女の卵ですのに。
失礼な妄想をしているようであれば、懇々と言い諭す必要がありそうですわね。
「ねえしゃまは、強くてきゃっこいぃのに…」
一度、弟とじっくり話し合う必要がある様に感じられました。
「それで今日は、『青いランタン』の皆はお祖母様のお茶会で余興を演じてくれるんだよね?」
貴族の目から見てもセンス良く纏められた、それぞれの姿。
それでも男性の目線から幾らか気になるところがあったのでしょうか。
アレン様と、以前は青年貴族を演じていたアンリの2人が、少年達の細々とした小物やタイの結び方に手を加えていかれます。
その、最中に。
世間話の一環としてか、好奇心の賜物か。
アレン様が、わたくしも気になっていた話題に手を伸ばされました。
「さりげなくそれぞれの特技を織り交ぜて、才能のある優秀な人材だってお披露目できるような余興にするつもりだって聞いたけど。一体何をするつもりなのかな」
「ん? ミレーゼお嬢にもアレン坊ちゃんにも言ってなかったかな」
「そういえば言ってないね」
一瞬、きょとんと目を丸くされましたが。
何も言っていなかったことに思い至られたのでしょう。
ミモザとフィニア・フィニーの2人が納得したように頷きを交わしています。
「一応、お祖母様の主催でおっとりとした穏やかなご婦人方の集まりだし…過激な出し物は控えてもらいたいところなんだけど」
「あ、大丈夫。血が出たりとか、心臓に悪そうなことはやらないから。こっちも、ご婦人やご婦人に連れられた女の子の集まりだって聞いてたからね。ちゃんと相応の演目を用意してるよ」
「そうだね。今までミモザが街角小劇で稼いできたのは知ってるよね? その知識と経験則から、一番女の子ウケする演目を私とミモザで選んだんだ」
「………何を選んだの?」
悪い予感がする、と。
レナお姉様のお顔にはっきりと書かれています。
わたくしも、ピートと友誼を結んだ関係にはありますが、その配下にあたるミモザやフィニア・フィニーのことをそこまで深く知っている訳ではありません………ありません、が。
何故でしょうか……?
この2人が思案を重ねて選んだ、と思うと…
その、何故かわたくしも悪い予感がするのですけれど。
果たして、演技派のお2人は仰いました。
彼ら曰く、とびきり『女ウケ』するという余興の出し物を。
「劇をするんだ。演じるだけじゃなくって、個々の特技の特性を織り込んでね?」
そう、ミモザが仰いました。
演技者を自任しているという、ミモザですもの。
劇というのは面目躍如。
彼の得意とする分野でしょう。
ですので、こう自信に満ち溢れているのも理解できるのですが…。
「総合演出&監督&主役はミモザ。助手兼女主人公が私、フィニア・フィニー。
臨場感を出すため、盛り上げるのに一躍買ってくれるのはBGM担当のセルマー」
「深く考えず、場の流れに応じて、好きに歌って良いってミモザが言ったから…」
「劇なのに、BGMは歌ですの…? この方、歌がお上手だとは聞きますが…そちらに聴衆の気を取られて、劇の進行に差し障るんじゃありません?」
「そこは演者の腕の見せ所! それにセルマーもBGM役に甘んじて、威力は加減してくれる約束だし」
「………歌声の評価で、『威力』なんて初めて聞きましたわ…」
「それで特殊効果が、ルッコラ」
「犬に芸をさせて、演出を盛り上げるのが僕の役目だそうだ。だから僕よりも、犬が頑張るのかな?」
「る、ルッコラの特能をご婦人方に披露するおつもりですの…!?」
………老婦人の何方かが、心臓麻痺を起して倒れたりしませんかしら。
わたくしの懸念を余所に、アレン様は瞳を輝かせておいでです。
ルッコラという人物及び彼の保有する犬(仮)の内包する得体の知れなさをあまり認識していないらしい、アレン様。
アレン様は素直さを灯した瞳で、何の危惧もない様子で続きを促されました。
「皆でわいわい、なんだか楽しそうだね。それで劇の演目は?」
「演目は、『アンドロメダの悲劇』」
「アンドロメダの悲劇? 初めて耳にする演目ですわね…?」
「僕率いる『青いランタン』演技部オリジナルシナリオの劇だからね」
「へえ、オリジナル! つまり脚本から書いたってこと?」
「そう………僕の配下の、13歳の女の子が書いてくれたんだ。力作を……」
驚き、感心しきりという様子のアレン様。
オリジナル、ですか…。
確かに目新しい演目であれば、観衆も素直に観覧を楽しめます。
その演目が本当に素晴らしければ、自然と印象に残るでしょう。
演者が10代前半の少年達という、見た目にも健気で可愛らしい劇であれば、それだけで老婦人達は喜ぶでしょうけれど…
「劇なら女性も連れてきた方が良かったんじゃない? ヒロインを男がやるのも切ないけど、女性は恋愛劇が一番好きだって聞くよ…?」
「この劇は1人を除いて男役だから問題ないね。その1人も男装設定だし」
「……どんな劇なのかな? 御婦人には退屈な劇なんじゃないのか?」
「ああ、大丈夫。今までの客の反応を見るに、女性には滅茶苦茶ウケるから。何しろ『禁断』『青春』『友情』『恋愛』『葛藤』と様々な要素を取り入れた劇だし」
「??? え、と…本当にどんな劇?」
アレン様の問いかける言葉に、ミモザが重々しく頷きました。
それから、劇の概要を説明し始めたのですが…
説明を聞いてもよくわからず、わたくしとアレン様は首を傾げました。
………ですが、レナお姉様のお顔がとっても引き攣ったのです。
――青春群像劇『アンドロメダの悲劇』
家の存続を賭け、後継ぎだった亡き兄に成り替わることを誓った少女。
全寮制の男子校に兄の代わりとなって入学するが…。
彼女の登場で級友達に変化が訪れる!
そうして男同士の禁断の感情は愛憎渦巻く事件へと発展してしまう。
主人公はそれに巻き込まれ…っ?
「ミレーゼ、アレン様、アンタ達は見ない方がいいわ。それからミモザ、アンタ……世間知らずで純粋培養の奥様令嬢方を腐った空気で侵食するつもり!? まっさらな分、染まりやすそうで怖いんだけど」
「でもなんだかんだ、実際に女性には一番ウケるんだよね。それに妖しい雰囲気を漂わせた美少年って前評判なら、ご令嬢方の人気も飛び切り集まりそうだし?」
「アンタ、相変わらず目的のためなら形振り構わないわね! 一回死んできて!」
何故だかとても、レナお姉様が憤慨している様子だったのですけれど…
心の平穏と、我が身の安全のため。
そして精神衛生上の教育に差し障りそうな予感が非常にしたため。
ミモザとレナお姉様の会話やあらすじの意味が理解できませんでしたけれど…
わたくしとアレン様は、レナお姉様と同じくらいに顔を引き攣らせていたアンリの忠言を聞きいれ、気にはなりますがその劇が始まる段になったらクレイを連れて遠くに退避することと致しました。
………見ない方が身のためだと、それだけは理解できましたもの。
ミモザ君よぅ………それやったら、とんでもないことになるぞよ。
強いていうなれば、腐臭漂う森が出来ることでしょう。
手遅れになる前に、レナお姉様、説得がんばって…。




