「俺、つかれてんのかね…」
クレイの『犬(?)』のお名前決定!
エキノコックスくん、略して「エキノ」 です。
ルッコラにいただいてきた犬(?)は、特に賢い個体だと聞いております。
既に名もつけられていたそうで、その名「エキノ」をわたくし達も継続して使わせていただくことにしました。
正直に申しまして、クレイに任せるとどのような名をつけるのかわかりません。
わたくしも呼ぶことがあるでしょうし、奇怪な名は少々控えてほしいものです。
「おじいちゃま、この個は『エキノ』と申しますの」
「そ、そうか……」
「とても賢い個だと聞いておりますのよ。今日わたくしが訪問した貧民街の子が改良した犬種(?)だそうです」
「ほ、ほほう………」
「毛並みもとってもふさふさで…おじいちゃまにも触らせて差し上げますわ。
………っえい! 」
「ぎゃあっ!?」
エキノは自我など欠片もないかのように、とても大人しい…。
個性のあまり感じられない…まるで置物のような大人しさ。
されるがままのエキノを伯爵様の肩に乗せてみれば、まるでぴたりとはまってしまったかのようなフィット感…。
伯爵様は何故か悲鳴を上げていらしたけれど。
………ああ、ですが。
これは少々失敗だったやも知れません。
伯爵様の肩に乗せてしまった為に、伯爵様のお顔を見るとし、視線が…。
……………深く気にしないように、気をつけましょう。
ちなみに伯爵様は、身を震わせながらガチガチに硬直していらっしゃいます。
「……と、このように新たな犬種(?)を生み出すなど、子供とは思えない有能な子が貧民街にはたくさんいらっしゃいますの」
「こ、こんな状況で平然と売り込みを開始した!? ミレーゼ、きみ、平常心が強固過ぎない…?」
「寄る辺ない孤児という身の上というだけで注目を得られず、才能を埋もれさせている子がたくさん貧民街には存在致します。正当な評価も得ること叶わず、このままでは才能が腐ってしまいますわ」
「そ、そして僕の言葉は流された…」
「そ、そ、それよりミレーゼちゃま…こここの獣を何とかしてくれんかのう」
「まあ、伯爵様! どうしてですの?」
「いや、どうしてって――」
「そんなに大人しいのですもの。伯爵様のことをきっと気に入ったのですね。
とても見所のあるキツ………犬(?)、ですわよね」
「……………」
一つ申しておきましょう。
伯爵様の肩からエキノを下ろそうという積極的な意思はありません。
交渉ごとは相手の冷静な判断を奪うことで有利に進めることが出来ますもの。
さあ、何としても『青いランタン』への支援政策、その基礎部分だけでも概要を形にしますわよ…!
わたくしは、燃えていました。
当座の目的が、そして大きな目標が出来たことが張り合いとなったのでしょう。
生きる理由に、新たな目的を手に入れることが出来たのですもの。
わたくしがこのように張り切ってしまうのは、もしかすると両親を失って以来のことかもしれません。
両親を失ってから、わたくしも悔恨と諦念の日々でしたが…
その月日と、両親の命。
決して小さくはないそれを元凶ともいえる何方かに贖わせる為にも、わたくしはここで負ける訳には参りません…!!
その後、「報告」という名の話し合いは終始わたくしが主導権を握ったまま進めることができました。
そしてそれは、アレン様に「お祖父様が可哀想だから、もう勘弁してあげてくれ。お祖父様が禿げる…!」と泣きつかれるまで続いたのでした。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「「失礼致しました」」
幼子…うん? 幼子?………子供達が声をそろえて、退室する。
それを見送りながら、ロンバトル・サディアは顔を引き攣らせていた。
既に場所は、ブランシェイドの屋敷内。
万全な警備の中、敢えて護衛の騎士は必要ない。
それでもティルゼル・カープは付いて行ったのだが。
しかしロンバトル・サディアはブランシェイド伯爵家当主の前に残った。
それは、子供達の監督を任せられた最年長の者として、子供とは別の視点での報告を求められることを理解しているからだ。
顔は引き攣り、若干気まずげではあったが。
それでも、騎士は職務を裏切らない。
彼の主はミレーゼではなくブランシェイド伯爵。
その時点で、もう彼の振る舞いは決まったも同然だ。
「――さて、騎士サディアよ。お前もそちらにかけなさい」
「は、失礼します。それでは報告を………」
主の促しを受け、伯爵の対面ソファに腰かける。
いざそれでは報告を、と。
伯爵と目を合わせる為に顔をあげたロンバトル・サディアは、見てしまった。
「にゃーあ」
伯爵の肩に、アレがいる。
未だにいる。
だが、おかしい。
先程まであれほどに嫌がっていたというのに。
まるで今の伯爵は、肩の上に何もいないかのような…
「にゃーん」
騎士の耳に、再びアレの声が響いた。
まるで騎士の逸れる思考を叱るようなタイミングで。
己に注目しろと、目を逸らすのは許さないと。
そう、主張するように…
声に気を取られ、視線を向ける。
その瞬間、騎士の意識は絡め取られた。
野生の鋭さを思わせる目の奥に、視線が吸い込まれる。
そこはまるで渦のように、ぐるぐると何かが回って…
騎士の目も、頭も、意識も………
「――それでは、失礼致しました」
いつもの勤務姿勢を改める様な、きりりとした声。
聞いた瞬間に、脳みそを違和感が揺さぶった。
どこかで聞いた声だ。
だけど、その声の調子は耳馴染んだものよりもずっと生真面目で…
考えこんだ瞬間、はっと我に返ったような気がした。
「………あれ?」
気がついたら、ロンバトル・サディアは何故か廊下にいた。
今まさに、主君に報告を始めようとしていたはずなのに……
「……………あれ?」
なのに何故、廊下?
あれ、報告はしてないのに退室したのか?
いやまて、だが思い出そうとすれば確かに報告はしたような…
……ん? した? いやでも、したか?
報告したのか、していないのか…?
「……………………………………………あれー?」
考えれば考えるほど、わからなくなった。
報告したような、していないような…
した覚えはない気がするのに、確かに報告したという記憶がある。
そう、実感はないが確かに報告は終わった…はずだ。
「なにこれ、気持ち悪…っ」
意味不明の事態。
だが自分は既に伯爵の執務室から平和に退室しており、そして退室を許されたということは報告が終わったということだろう。
慎重に記憶をたどり、冷静に考えてみれば確かに報告はした。
した………はずだ。
自分が確かにしたことなのに、本当にそうなのかと疑問が回る。
何故かロンバトル・サディアは己の行動に確信が持てなかった。
しかし一度終わったものを、その直後に同じ内容を繰り返す為だけに報告に行くわけにもいかない。記憶を辿ってみたが、伝え忘れも特になかったのでこれ以上報告する情報も意味もない。
――そう、そうだ。
報告は終わったのだ。
自分の頭の中の自分が、「報告は終わった」とはっきり断言する。
だけど何故か…
………騎士は己の内なる声にすら騙されているような気がしてならなかった。
『にゃー』
暗く冷たい、夜の廊下で。
どこからともなく、子猫のモノに似た鳴き声が小さく響いたような気がした。
何故か全身の疲労感が増した気がして、もうやる気はゼロ。
だるだるな気分で体を引きずり、ロンバトル・サディアが向かった先は…
「あ、お帰りなさい。お先してます…」
「はおっ!?」
開いた次の瞬間、叩きつける勢いでろんろんは扉を閉めていた。
顔は驚愕で固まり、いつものゆるゆるだるだるなろんろんとは思えないほどだ。
一言で言うなら、目をかっぴろげて固まっていた。
『――あ、あれぇ? ろんろんさん、ろんろんさーん?』
扉の向こうから、くぐもった声が聞こえる…。
ついでにトントントンと、扉を叩く音も。
その扉を背で押さえ、決して開かないようにしながら…
ロンバトル・サディアは、ぶわっと額から冷や汗が噴き出るのを感じる。
「なにこれ、なにこれ!? どういうことなのチェッチー!」
ろんろんは混乱していた。
「幻覚!? ねえ、幻覚なの!? それに幻聴!?」
「――あれ、ロンバトルの坊やどうし…」
「メイド長―っ!! お、俺の部屋に女の子がぁー!」
「し…っ 大声を出すんじゃないよ!」
「もがふっ!?」
錯乱ぎりぎりの混乱に悶えていたところに通りかかった美熟女が、騒ぎ立てるロンバトル・サディアに音速かと思うような速度で急接近すると、長年の家事で硬くなった逞しい拳がろんろんの口に突っ込まれた。
強制的に口を封じられ、黙らせられてろんろんが目を白黒させる。
「アンリが女の子だってことは、このお屋敷でも一部の者しか知らないんだよ! 守ってやるべき旦那のアンタが騒ぎ立ててどうするんだい!」
「も、もがむぐっ(だ、だんなぁっ)!?」
想像もしない言葉をかけられ、ろんろんの頭がスパーク寸前!
このままでは破裂する!
そんなろんろんを救出したのは、彼の混乱を掻き立て燃え上がらせた当の現況…ヴィヴィアンが、音を立てないようにそっと扉を開けた。
ロンバトル・サディアの部屋の扉を、内側から。
「め、メイド長様、その辺で…ロンバトルさんにはこちらからよく言って聞かせます。ちょっと、情報の行き違いがあったみたいで…」
「あら、そうかい? でも無理して張り切りすぎるんじゃないよ。言い聞かせるって言っても強く言えないんじゃないかい? なんなら私が拳にモノを言わせて…」
「い、いえ! その、本当に、大丈夫ですから…っ」
「それなら良いけど…どんな行き違いがあったのかは知らないけど、よく話し合うんだよ? これからずっと、同じ部屋で暮らすんだからね。互いにすり合わせはちゃんとやっとかないと保たないよ」
「は、はい! ご心配おかけしました…!」
「それじゃ、私は行くけど…ロンバトル! アンタ、アンリに心配かけるんじゃないよ。泣かせたらとっちめてやるからね!」
「もが…っって、いい加減に手を離そうね、メイド長! そして俺には何のことかわからない!!」
「ろ、ろんろんさん…っ 説明はこちらでしますから、部屋の中に………メイド長、ありがとうございました」
「ちゃんと話すんだよ!?」
「あ…っ 待って、メイド長! ろんろんを置いて行かないで!?」
「へたれになってる場合かい? 全く、いい年して情けないったら…」
「メイド長ーっ!」
ろんろんの叫びも、虚しく。
メイド長は廊下の奥へと姿を消して、その場には2人だけが取り残された。
部屋の中に入るヴィヴィアンと、扉を挟んで廊下にいるロンバトル。
「ろんろんさん、それじゃ部屋の中に…その、お話しましょう」
そう言って、ヴィヴィアンは再び部屋の中へと姿を消した。
その、後姿とメイド長の去っていった方角を何度も見比べて。
途方に暮れたロンバトル・サディアは、天を仰いだ。
「俺、つかれてんのかね…」
しかし呟いてみても、状況は変わることなく。
騎士は仕方なく、ヴィヴィアンのいる部屋の中へと踏み込むのだった。
憑かれてるよ!




