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没落メルトダウン  作者: 小林晴幸
漂浪編
5/210

他称親友のおにいさま

 没落すれども、元高位貴族という生まれ。

 そして身についた教養。

 誰もが敬遠する身の上でも、それでも良いと言って下さいましたのに。

 むしろ優位性に立てる付加価値として、認めて下さったと思っていたのですが…

 どうやらとんだブラックなお店だったらしい、置屋『しろがね屋』。

 そうと知れては、なるべく早くここを離れた方がいいのかも知れません…


「ちょっと、考えこんじゃうのはわかるけど、掃除」

「あ、申し訳ありませぬ…」

「もう、仕事はしっかりやらないと、それこそ目を付けられるわよ」

「あ………」

「…ん? なに?」


「ところで、お掃除とはどのようにやればよろしいのでしょう?」


 目を剥いて「はあ!?」と驚く、レナお姉様。

 …掃除など一度もしたことがありません。

 使用人の仕事の中でも、表だってする類の物ではありませんでした。

 ……それを行う風景すら、見たことがありません。

 ですから単純に、やり方がわからなかったのですが。

 レナお姉さまは馬鹿にされたと思ったのでしょう。


「自分で考えれば!?」

 

 恐ろしい剣幕でそう言って、そっぽを向いてしまわれました。

 …仕方がありませぬ。

 この上は、渡された掃除道具とレナお姉様の行いを観察する上で自分なりに推測を立てることといたしましょう。


「え、えぇと…」

「ねえしゃま、ぼくもてちゅだぁ」

「あらクレイ、手伝ってくれるのですか?」

「あい」

「まあ…それではこの手拭いで……あら? どうすれば良ろしいのでしょう」

「………」

「あ、わかりましたわ。この壷を使えば……どう使うのでしょう?」

「あうー?」

「………~」

「ねえしゃま、こりぇ」

「これは……羽ペンに似ていますわね」

「……~~~~~っ」

「あ、わかりましたわ。これが『箒』というものでしょう」

「~~~だあぁっ!」

「「!」」

 

 あ、あら…?

 レナお姉様、どうなさったのでしょう?

 いきなり声をあげられて…


「なんでそうなるのよ! それは、『ハタキ』! 箒はこっちよ、こっちぃ!

それからそっちのソレは『バケツ』と『雑巾』だからね!?」

「は、はい…」

「あと雑巾がけは一番最後よ、さ・い・ご!

最初にハタキ、次に箒、それから雑巾! わかった!?」

「はい…!」

「あい!」

「もう、全くもう! もう!」

「あ、ありがとうございます、レナお姉様…」

「ね・え・さ・ん!」

「はい、レナお姉様」

「~~~ったく!」


 ………なんだかんだと、口では言いつつも。

 レナお姉さまは言う割にとても面倒見の良い方のようです。

 有難いことですね。


 今日は色々ありました。

 とりあえず今晩のところは、考えることを休めましょう。

 頭の中が、ごちゃごちゃしてきてしまったのですから。

 それに、どうしたって考えてしまうことが多すぎて…。

 一晩で良いのです。

 頭を冷却する時間が欲しい…。


 その為にも、単純作業に従事するのはとても良い時間でした。

 それに一応、雇っていただけた初日ですもの。

 今後はともかく、今日はしっかり働きましょう。


 そう考えて、クレイと二人で人生初の掃除に取り掛かりました。

 途中から見ていられないと、レナお姉様の的確な指導をして下さって。

 レナお姉様もまだ幼いのに、こんなにしっかりと物を知っているのですね。

 …わたくしも、頑張らなくては。

 お姉様より4つ年下ではありますが、あまりに物を知らなくて恥ずかしいですわ。


 道具の形、用途から効果的に使うにはどう動かせば良いのか。

 それだけをひたすら考えながら、手を動かします。

 単純労働だと思っていましたが…実際にやってみると、中々どうして難しい。

 意外にも弟が奇麗に柱を磨きます。

 この子、もしかしたら腕力が強いのかしら…?


 そうやって、掃除に没頭して時間も忘れつつあった頃です。


「………ミレーゼ・エルレイク嬢?」


 背後から、声。

 あら、この声は………?

 見知った方に声をかけられました。


 振り返ったそこにいたのは、藍色の髪の青年。

 吃驚と、丸く見開かれた瞳。

 やはり知った顔です。


「エラル様…?」

「ああ、やはりミレーゼちゃんか。それに、クレイ君まで…」


 わたくしを見下ろして、ただただ驚きを露にする方。

 エラル・ブランシェイド様、御年18歳。

 わたくしの阿呆の兄と、同僚という立場にあられた方です。

 いえ、もっと酷いですわね。

 わたくしの兄の被害者の一人と言った方が正しいかもしれません。

 

 彼は、兄の他称(・・)親友という、可哀想な立場にいる方です。


 元々、エラル様はお兄様の同級生に当たる方でした。

 二人の出会いは、貴族の子弟が通う王立学校で。

 …才能のある方で、エラル様は5年ほど飛び級した果てに運悪く兄と出合いました。

 同じ教室の、隣の席。

 誰の策略か、寮の部屋まで同室で。

 結果、兄に懐かれてしまったのです。


 そうして空気を読まない兄が方々に彼のことを「親友」だと言って回り…

 いつしか、周囲にそう認識されてしまわれました。

 お陰で兄の世話係のような役回りになってしまい、今に至ります。

 「飛び級なんてしなければ良かった…」と、心の底からだとわかる声音で言っていた時の、あの疲れた様子が忘れられません。

 本当に兄が申し訳ありませんと、わたくしも深く頭を下げたものです。


「えりゃりゅー!」

「ああ、駄目よ、クレイ。いきなり抱きつくのは失礼だわ」

「あう…」

「ははっ 構わないよ。おいで、クレイ君」

「きゃーい!」


 わたくしやクレイに取ってエラル様はよく知っている方になります。

 エラル様は本当に、良い方で…

 あの阿呆兄に振り回されながらも、呆れはしても最後は付き合う面倒見のよさ。

 …まあ、そのあたりに付け込まれていた気も致しますが。

 エラル様は兄を通してわたくしや弟を見ずに接してくださいました。

 兄に引きずられるようにして、何度も我が屋敷に連行されていましたが。

 その度に優しくしていただいたので、わたくしの持つ印象は好印象です。



「どうして、ミレーゼちゃん達が此処に…?

此処がどういう場所か知って、此処にいるのかい?」

「置屋ですわね。エラル様こそ、どうしてこのような場所に…?

此方は芸娼妓を囲ってはいますが、派遣専門でお客様は取っていない筈ですわよ?」

「………意味をわかってるのかなぁ、この子は」


 頭を抱える、エラル様。

 相変わらず、良識的な方のようです。

 激動の3日間…目まぐるしく、わたくしを取り巻く環境は変わって。

 周囲の人達も、存在する人すら変わって、代わって…

 そんな何もかもが変動していく世界で3日を過ごした後です。

 そうして、変わり果てた末に。

 こうして以前と変わらない方に、会う。

 その『変わらない』ということ。

 そのことに、わたくしの心はどうしようもなくほっとしてしまって。

 ああ、やはりわたくしの心はとても疲れ、草臥れていたのでしょうね。

 こうして変わらずにいる方に出会って、それと深く実感いたしました。


 まあ、3日でここまで状況が変動する事態の方が、明らかに異常なのですが。


 3日前に両親の葬儀で言葉を交わしたばかりです。

 エラル様は、わたくしの状況をどこまで御存知なのでしょうか…


「それでエラル様、どうしてこちらに?

『しろがね屋』はお客様を受入れてはいない筈ですが」

「なに、アンタ。このお兄さん知り合い? このお兄さん、ここ何カ月か熱心に通ってきてんのよ。4階に個室持ってる、売れっ子娼妓の金羊姉さんのとこに贈り物持ってさ」

「まあ、そうなのですか?」

「ご、誤解だ…!」


 4階は、『しろがね屋』の最上階に当たります。

 そこに個室を持っているとなると…稼ぎ頭の1人ということですわね。

 『しろがね屋』の個室にはそれぞれ部屋の名前が付いていて、部屋の住人はその名前で呼ばれているそうです。良い部屋に住んでいる方は必然的に、売れっ子の芸娼妓となります。

 つまり呼び名でどの程度の格に位置するかが分かるということで…

 金羊お姉様は、上から5番目くらい…でしたかしら?

 そんな方に貢いでいるのですか…

 エラル様は、生真面目な方に見えましたのに。

 そういう方こそ、のめり込む…ということでしょうか?


「……だから、誤解だ。そんな目で見ないでくれ」

「そんな目とは、どういう目でしょう?」

「珍獣を見るような目をしているよ…」

「まあ、失礼いたしましたわ」


 根気強く誤解だと繰り返す、その姿は真面目そのもの。

 むきになっている様子もありませんし、至って冷静ですが…

 実際のところはどうなのでしょうか。


「娼妓に入れ込んでいるのは、私の上司だよ。私は上司の使いで来ているだけだ」

「あら、普通は部下ではなく使用人を使いに致しません…?」

「上司は部下も使用人の一種みたいに思っているんだ。

確実に返事をもらってくるよう、いつも頼まれて使いに出されている」

「それは、ご苦労様です…」


 良い方とは、総じてそのような役回りになるのでしょうか?

 学生時代からずっと兄に振り回されているエラル様。

 どうやら職場では、上司の方に振り回されているようです。


「…それで?」

「はい?」

「それでミレーゼちゃんは、どうして此処にいるんだい?

小さなクレイ君まで連れて。今は大変な時だろう? アロイヒは知っているのかい?」

「それは知らないと思いますわ」


 ええ、それは知りませんわね。絶対に。

 だって兄は、わたくしよりも先に野に放たれていますし…


「ミレーゼちゃん? 一体どういうことだい」

「あ、そんな怖い顔をしないで下さいませ。クレイが怯えますわ」

「…済まない。でも今は大変な時だろう? アロイヒは何をしているんだ。

幼い弟妹を、こんなところに置いて…また、何の気まぐれなんだか」

「お兄様は失踪なさいました」

「……………」


 大事なことなので、もう一度繰り返しましょう。


「お兄様は、失踪なさいました」

「………は?」


 まあ、エラル様のお顔が、苦々しく歪んで…。


「……………ミレーゼちゃん、どういうこと?」

「どういうことも、そう言うことも。わたくしが此処にいる理由は単純な話です。

我が家が没落して、屋敷にいられなくなりました」

「は?」

「より正確に申しますと、屋敷も領地も財産も失いましたの」

「はあ!?」

「わたくしと弟二人、食べて行く為に働く必要があるのです…そういうことですわ」

「ま、待て…アロイヒ、いやあのアホイヒは何をやって…っ」


 阿呆(アホ)イヒ。

 今となっては、何故かそれも懐かしく感じる呼び名ですわね…。

 わたくしと同じく兄を阿呆だと断じていらっしゃるのでしょう。

 エラル様は、度々兄をそう呼んで罵倒なさったものでした。

 わたくしも、本名よりそちらの方が本人をよく表していると思います。

 そんな共感持てるエラル様に、わたくしはもう一度繰り返しました。

 そう、念を含めるように。


「ですので、お兄様は失踪なさいました。我が家が没落してしまいましたので」

「……………は」


 愕然。

 そう言い表わすに相応しい、エラル様のお顔。

 びくびくと、顔を引き攣らせ、言葉を失われて…

 ………話を理解するのに、エラル様が必要とした所要時間は3分。

 なまじ我が家の大身貴族ぶりを御存知だけに、信じられないのもわかります。

 事情を理解するのに時間が必要だったのでしょう。

 わたくしとクレイ、それから何事かと黙して成り行きを見守るレナお姉様。

 根気強くエラル様の反応を待つ、わたくし達。

 このまま固まったままかしら、と。

 少々不安に思い始めた頃…ようやくエラル様が再起動なさいました。


「3日で最終局面まで転落って………あの阿呆は何やってんだぁぁあああっ!!」


 万感の思いの籠められた、素敵な叫びでした。

 そんな素敵な叫びに、わたくしもお答えしましょう。


「おそらく、ですが…考えられる理由は4つあります。

1つ、財産を狙う親戚(ハイエナ)に騙された。

2つ、財産を狙う女性(めぎつね)に騙された。

3つ、財産を狙う商人の、投資(うまい)話しに騙された。

4つ、兄の阿呆に付け込んだ、その他の何かに騙された。

もしくはその全部です」

「騙される一択だな…!」


 もしくは、ただ訳もなく散財したか、兄が何か阿呆な理由で失敗したか…

 ですが大身貴族たる我が家が、その程度で没落するとは思えませぬ。

 やはり誰かに騙された。

 もしくはうまい話を信用して失敗した。

 たった3日という記録は、恐ろしすぎますが…

 精々そんなところだろうと、わたくしは予想しております。




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