わたくしはアレを「わんわん」だとは認めません
貴族に関する情報を集めるならば、貴族から情報を集めるのが手っ取り早い。
蛇の道は蛇、と申しますもの。
その意見には頷けるものがありました。
「あー………こっちは別ルートからも情報探ってみっけど、やっぱ貴族に伝手作んねーと埒があかねぇな」
「手間をかけますわね、ピート」
「ああ、いや。こっちにも得るものはあんだし、気にしやしねーんだ」
そうは言っても、大分無理をさせてしまっているのではないかしら?
わたくしは自由に情報収集もままならぬ身。
現実的な実働は、全てピート達『青いランタン』にお任せしきりなのですもの。
わたくしも彼らの為に役に立てねば、ピート達の労力に対する対等な取引とは申せません。
それこそ「割に合わない」と思われてしまえば、わたくしの方が切り捨てられてしまう可能性もあるのですから…
一度懐に入れたモノに対して情の深いピート達であれば、裏切るということはない様にも思えますけれど…
用心しておいて、し過ぎるということはないはずです。
逆に情報を売られるような進退極まる状況に追い詰められぬよう、わたくしも忙しくなりそうです。
…という、決意の果てに。
わたくしはブランシェイド伯爵家のお屋敷へと戻って参りました。
目の前にあるのは重厚な樫材の扉。
………ブランシェイド伯爵の、書斎兼執務室に通じる扉です。
まずは無事に帰りつけたことを、わたくしの身柄引き受け人であるブランシェイド伯爵に報告しなくてはなりません。
その場で、こちらから色々とご提案させていただくつもりです。
「ミレーゼ、大丈夫か…?」
「え、ええ…大丈夫ですわ、アレン様」
「そう? 僕も君の後押しや支援は惜しまないから、頑張って乗り切ろう」
「心強いお言葉ですわ、アレン様」
『青いランタン』と交流を持ったことで、すっかりアレン様は心情的に此方側…わたくし達の味方側に転んでいました。
アレン様も情に厚いところがあるので、狙ってはいましたが…
思惑通り、『青いランタン』と友誼を結んでいただけたようです。
いっぱいお友達ができたのでしょうね。
同年代の少年少女がたくさんいましたもの。
そしてアレン様は、今のところは『お友達』を見捨てることのできない方だとお見受け致します。
困っているのであれば、力になろうと思える方です。
心の底から、本心でそう思える方は貴重だと思います。
貴族の子弟と、身寄りのない浮浪児童。
身分の隔たりや生活水準の圧倒的な格差はありますが…
その辺りを弱者側が感情に引きずられることなく割り切ってしまえば、存外何とでもなるものです。
幸い、アレン様はご家族が賢明な方々ばかりだったこともあってか、貴族らしい無意味な差別意識に凝り固まってはいらっしゃいませんでしたし。
身分が低い方々を無意味に見下していては、いつか足下を掬われてしまいますもの。強固に差に拘り過ぎないのはとても難しく、同時に大切なことだと思いますわ。
…親しくしておいた方が、何かあった際に選択肢が増えますもの。
そして確実に、『青いランタン』は有益な人材の宝庫です。
親しくすることは、きっとアレン様の為にもなるでしょう。
彼らは此方が力を尽くす限りは、同等以上の信頼と友情を返して下さる、とても義理固い方々ですから。
そして、今回。
そんな彼らへの支援と貴族への伝手作りも兼ね合わせた、とある計画……
…というよりも、有益な人材の売り込みを狙わせていただいております。
何しろ『青いランタン』は浮浪児の集団ですもの。
今後の為に生活支援と教育の支援を出来れば取り付けたいところなのですが…
支援するだけの価値があり、意義があり、そして見返りがある。
そう伯爵様に思っていただかないことには何にもなりませんわよね。
貴族の子供の道楽で終わらせない為に、わたくしが踏みとどまらなくては!
「お祖父様、アレンです。帰着致しましたので挨拶とご報告に参りました」
「同じくミレーゼ、クレイ両名ともに帰りました」
こんこんこん!
アレン様のノックの音が響くと、中から入室を促す声が致しました。
わたくしとアレン様は互いに顔を見合わせ、頷き合って扉を開きます。
クレイはそんなわたくし達を、不思議そうに見上げていました。
弟の手を引き、わたくしはアレン様の開いて下さった扉から伯爵様の執務室へと足を踏み入れました。
「「ただいま戻りました」」
ぴったりと、計らずしも声が揃ってしまったのは帰邸に伴うありふれた言葉。
頭を下げるわたくしとアレン様を見て、クレイもまた遅れて頭を下げました。
「ただゃみゃみょーどりちゃっ」
クレイ………言えていませんわ。
わたくしは思わず苦笑を込めながら、わたくしの背にしがみついているクレイを促し前へと出させました。
わたくしの方が、背がありますもの。
後ろにいてはクレイが隠れてしまいますものね。
全員で伯爵様に顔が見える様に位置を取り直し、揃って一礼。
そんなわたくし達の様子に、伯爵様はほのぼのと笑みを返して下さいました。
「おかえり、子供達。久々の外は楽しかったじゃろうか」
「ええ、伯爵様。わたくしがお願いした上で実現した外出ですもの。
勿論、楽しませていただきましたわ」
………色々と、興味深い出来事が重なりましたものね。
予想を超える事実にも遭遇致しましたが、総じてとても益のある外出でした。
「そうですね。僕はついて行くだけでしたが、色々と実りの多い外出でした」
「アレン様は今回、とても積極的でしたのよ。立場の違う子供達が相手でも怖じることなく輪に入っていくのはとても難しいことですが、アレン様は大丈夫でしたの。きっとアレン様が勇敢な方だからですわね」
「ミレーゼ………(そのヨイショの真意は一体…)」
「そうかそうか、皆、よく楽しんで来たようじゃのぅ」
「ええ、存分に。立場が違っても、みな有能な子ばかりですもの。とても興味深い子ばかりで、本当に楽しく過ごせましたのよ。ね、クレイ?」
「あい! あのね、あのね、わんわんがね!」
「……………ああ、わんわん」
――そういえば、それがありましたわねー…
今の今まで、あんなに印象深かった生き物を忘れていられたのは何故でしょう?
それはきっと、忘れていたかったからですわね…。
弟の一言で思い出した生物は、思い出したが最後、無視しきれない存在を放っています。ええ、ええ、それはもう異彩たっぷりに。
ちらりと振り返った、背後。
そこには伯爵様への御挨拶とご報告の間、わたくし達の邪魔とならないよう壁際に控えたレナお姉様がいらっしゃいます。
その腕に、謎のイキモノを抱いて。
「にゃあー」
謎のイキモノが鳴きました。
瞬間、疑惑に満ちた空気で部屋の中が凍り付いたような気が致します。
「………クレイ、あれはわんわんではないでしょう?」
「あうー? でも、わんわー…」
少なくとも、アレはわんわんとは鳴きません。
わんわんとは鳴かないイキモノを、「わんわん」だとは認められません。
「ミレーゼちゃま、あの生物はいったい…」
「【イヌ】です」
「……………!?」
「伯爵様、いえおじいちゃま! あの生き物を飼ってもよろしいですか? よろしいと言って下さいませ…! アレはクレイのお気に入りの子なんですの」
「おじーちゃ、おねがいー!」
さあ、お行きなさい…!
そっと背中を押すと、クレイはとてとてと愛らしいよたよたぶりで老伯爵の膝に縋りつきます。
ぐいぐいと頭を擦りつけながら、上目遣いの哀願…
我が弟ながら、末恐ろしいですわ…無意識の行動である点が、特に。
「わんわ、わんわん、かあいいのー!」
「う、うぐ…」
男孫はたくさんいらっしゃる伯爵様ですが、そんな好々爺とてどうやらわたくしの可愛いクレイには弱くていらっしゃるようです。
わたくしにはとてもクレイの真似は出来ませんわね。
しようと思っても、あそこまでの効果は得られないと分かってしまいます。
得体の知れないイキモノを前に、拒絶したい。
だけど拒絶してクレイを泣かせたくない。
可愛いクレイの笑顔を見たい…と。
伯爵様が葛藤にうち震え、心をぐらぐら揺らしている様が手に取るようです。
「わんわん、わんわー…」
既にクレイの目はうるうると涙を溜めて揺れています。
そんな幼子に上目遣いで懇願されると、胸が痛みますわよね…?
「おじいちゃま、わたくしからもお願い致します。クレイがこんなに気に入っているのですもの。お父様とお母様が亡くなって以来、我儘らしい我儘を言わなかった、わたくしの弟がこんなに…! どうかお願いします、お願いします…!」
「お祖父様、僕からもお願いします! たかが犬1匹でしょう。2人の為に、許してあげてください…!」
ちくちくと、わたくし・クレイ・アレン様の3人がかりです。
大人として良心の呵責に苦しむ伯爵様が、胸を押さえて悶えていらっしゃいます。葛藤と苦悩で、お顔がとても難しくなっていらっしゃいますわね…。
もう、一押しです。
その時。
レナお姉様の腕をするりと抜け出し、動き始めたモノ。
とす…と軽い音を立てて床に着地したイキモノがいました。
足音を立てない静かな歩みは、元々そうなのか絨毯が音を吸い取ったのか。
とにかくそのイキモノは、いつの間にかわたくし達の気付かない間にすぐ近くまで接近していました。
そうして至近距離から。
じっと。
伯爵様を、真っ直ぐに見上げたのです。
その、感情など窺えない無機質な眼差しで。
「にゃー」
再び、高く澄んだ声。
いつ聞いてもどう聞いても、とても『犬』とは思えない声ですわね…。
声に注意をひかれた伯爵様は、ついうっかりと。
真っ向から、『犬』と視線を合せてしまわれました。
「…っ!!?」
盛大に息を呑む、伯爵様。
わたくしの方からは伯爵様が見ている物…『犬』の顔は、窺えないのですが。
代わりに伯爵様のお顔でしたら、とてもよく見えます。
……………だらだらと脂汗を流していらっしゃいますわね。
驚愕に見開かれた、恐怖すら漂う眼差しで。
引き攣り固まった表情は、何と言いましょうか………
とても、劇的なものでした。
それから、謎のイキモノと伯爵様の交わった視線は逸らされることなく。
わたくし達が息を呑みつつ、決してイキモノの方を見ないままに5分、10分が費やされ………
やがて、折れた…心がぼっきりと折れたのは、伯爵様の方でした。
「わ、わかった………その『ソレ』の飼育に関しては、きょきょきょ許可をだ、だ、出そう…」
伯爵様、貴方は一体何をご覧になりましたの?
一気に消耗したように萎れてしまわれて、体力気力は底値に近そうです。
疑問に思いつつも、当然ながら確認をしようなどと思わないわたくしでした。
その方が賢明というものだと、考えずともわかっておりましたから。




