復讐のための手がかりが必要です
驚異的なことですが。
ヴィヴィアンさんの演技力は、わたくしが思う水準よりもずっと優れたものだったようです。
まさか、この世にお兄様に成りすませる方がいらっしゃるなんて…
確かに騙されたと分かった今でも、信じ難いことです。
ですが、騙されていたと自覚したことではっきりと分かりました。
我が家の没落は、何者かの陰謀によるのだと。
今まで一片の疑いもなく、兄が没落させたのだと信じて疑っていませんでした。
まさか、それが濡れ衣だとは思わずに。
知った上は、兄への疑心も信頼のなさも反省せねばなりませんわね…。
ですが、何故でしょう…。
兄に対して、塵芥ほども「悪いことをした」と思えないのは。
普段の信頼の重さというものがどういう時に響くのか…
どうやら、兄はわたくしに身をもって教えて下さったようです。
今日もありがとうございます、わたくしの反面教師様。
「こうなってくると…エルレイク家を陥れ、没落させたのはヴィヴィアンさんに指示を下した者だと考えざるを得ませんわね」
「というか状況的に、別の人が犯人とかよっぽどじゃないとないんじゃない?」
「ろんろんは超大穴で、やっぱアロイヒ様が没落させたんだと思うな☆」
「黙れ、オッサン」
「絶対にありえないとは、言えないことが身内として心苦しいですわね」
「言えねーのかよ!」
「言えませんわよ」
「ミレーゼ様、物凄い真顔で言い切るのね…」
兄を直接知らない方々は、わたくしに疑わしそうな目を向けます。
ですが兄を見知っている私やヴィヴィアンさん、それにロンバトル・サディアはそれに対して遠い目をするしかありませんでした。
「兄のことは置いておきましょう。語り出すとどつぼにはまりますもの」
「それがいいですね…」
「ヴィヴィアンさんは、今の内に何かありますか?」
「私は聞かれたことに全て答えるだけですが…そうですね、そういえば一つ」
「何か重要なことですか? 何だかヴィヴィアンさん、言い難そうですけれど…」
「被害を受けられて、一番割を食ったご姉弟を前に平然とは、とても………それに、今から言う内容も、当事者であるミレーゼ様達には言い辛いことで」
「………分かりましたわ。わたくしも、拝聴する覚悟を致しましょう。クレイは…少し、可哀想ですけれど」
ヴィヴィアンさんの様子を見るに、幼子にはとても言い辛いことなのでしょう。
気遣わしげな彼女の視線が、私やクレイにはしるのですから。
ですがここで彼女に甘えては、ヴィヴィアンさんの負担が大きくなるだけ。
自分のことは、己でしなくては…誰かが助けて下さる訳ではありませんもの。
誰も守っては下さらない。
だから、わたくしがクレイを守らなくてはなりません。
どんなに恐ろしい話であろうと、クレイを脅かすことのないように。
わたくしは話について行けずに半分うとうとしていた弟を早速あやし、眠りに落ちる速度を煽ります。
弟が夢現の間に、重要な話など耳に届かない内に話を聞いてしまいましょう。
「………その、私、指示を出してた奴に切り捨てられてしまうような捨て駒なので、深いことはわからないんですが…私がアロイヒ様を遠ざける様に指示を受け、そしてアロイヒ様に成りすましだしたのが2ヶ月前です。………エルレイク前侯爵夫妻が亡くなったタイミングが、あまりにも揃い過ぎていませんか」
「それは……確かに、あまりにも時機が合いすぎて………ですが無関係という可能性もあるのではありませんか?」
「私、あの事件の少し前に指令を受けているんです。
――アロイヒ・エルレイクとして指輪を入手することがあれば、献上せよ…と 」
その言葉に、わたくしの全身でざわっと毛が逆立ちました。
なんということ。
なんということ…!
おぞましいと、嘆きながら怒る声が聞こえました。
わたくし自身の頭の中から、制御できない感情の声が。
「ゆび、わ……指輪と、仰いまして………?」
「はい」
「お兄様が、手に入れる筈の…指輪?」
「そうです、指輪です」
「それを、貴女が受け取った?」
「…はい」
「指輪を、どこの誰とも知れぬ…仇かも知れぬ相手に、渡した?」
「………はい。渡しました」
あの指輪がどういったもので、どんな価値があるのか知らなかったから…と。
そう言われて、納得も許容もできる話ではありませんのよ…?
指輪。
そう、ゆびわ。
両親の死後、兄に受け継がれた。
……………エルレイク本家、当主の指輪。
それをどこの誰とも知れない仇に、渡した…!?
失踪したお兄様がお持ちだろうと、誰もが思っていた指輪。
持ったまま、失踪してしまわれたのでしょうと。
ですが確かに、言われてみればそれは有り得ないのです。
当主の証である指輪は、2ヶ月前はわたくしの父の指に…エルレイク家当主の指に、はまっていたのですから。
そして当然のことですが、父の没後は跡取りである兄へと受継がれた…
………そのはず、でしたのに。
「最悪ですわ………あの指輪はエルレイク家の当主の証。いわば、エルレイク家の有する全ての権威の象徴です。それを悪用でもされることとなったら………」
そうなってしまえば、エルレイク家は地上から消滅してもおかしくありません。
今度こそ、エルレイク家の名は地に落ち、財産どころか過去から続く全ての功績も称号も信頼も、全てが黒く染められてしまいます。
そうなれば、とてもではないけれど…御先祖様に顔向けが出来ません。
亡くなった両親にも申し開きようがありません。
そして何より、わたくし自身が結果を呼び込んだ全てを許せそうにありません。
きっと、わたくしは己の持てるすべての力で………
以前、家庭教師の先生が素敵な言葉を教えて下さったことがあります。
因果応報。
自業自得。
悪因悪果。
身から出た錆。
そして諸行無常。
………これらの言葉が示す意味を、わたくしは実際に見てみたいと…。
意味を実感してみたいと思わずにはいられなくなるのではないかしら……
どういった用途を想定しているのかは存じませんけれど…
非合法な手段で以て手に入れたのです。
どう考えても、悪用する為としか思えませんわよね…?
邪悪な企みにエルレイク家を貶めた、何者か。
顔も見えないその者に、怒りはわたくし自身を燃やしそうなほど、熱く。
わたくしの顔を見たピートが、ぶるりと全身に強い震えを走らせていました。
「我がエルレイク家に害を成すよう指示を下した者に関しては貴族だとしかわからない…ということですわね?」
「………はい」
神妙な顔で頷く、ヴィヴィアンさん。
ですがそれだけでは、情報があまりにも少なすぎます。
相手を掴もうと思うのであれば、とても足りない。
わたくしは我ながら焦り過ぎていたのでは、と後で思いましたが…
頭に血の上っていたこの時は、ヴィヴィアンさんを気遣う余裕もなく。
掴みかかるのではないかという勢いで、しつこく食い下がります。
「何か手掛かりはありませんの? 何か、1つも?」
「私も、腐れ貴族野郎と支配人に何か復讐したくて、ずっと考えていたんですけど………仲介人を何人も通したから、支配人は確実に知らないでしょうし」
「わあ、ヴィヴィーちゃんって意外に執念深いね」
「…結局、手がかりは1つしかないんですよね」
「あるのでしたら、早く言っていただけません!?」
「あ、ごめんなさい…」
「いえ、取り乱して申し訳ありません。ですが、その手掛かりというのは…?」
「あ…私、貴族の紋章には詳しくなくて……お嬢様なら知ってらっしゃるかも、しれませんけれど………」
そこで一度言葉を区切り、ヴィヴィアンさんはわたくしに縋りつくような顔で重要な手掛かりを口にしたのです。
「たった1回だけ、間近に接した。その時、あの男の指に指輪が見えたんです。
なんだか仰々しい紋章の刻まれた、指輪が…」
ヴィヴィアンさんの見た男の指輪には、紋章が刻まれていたといいます。
とても特徴的で、珍しい紋章が。
重要な手掛かりにもなり得る、それ。
わたくしは重要な手掛かりに、はしたなくも身を乗り出してしまいました。
貴族の家には、それぞれ紋章があります。
その紋章自体が家そのものを現わし、また家系の来歴を辿るもの。
元は戦場でのそれぞれの身元照合に用いたマークが起源に当たります。
ですので、貴族にとって紋章とはとても大切なものなのですが…
………それを、覚えていらっしゃいますの?
「重要な手掛かりですわ。どのような図案か、覚えていらして?」
「は、はい。特徴的な紋章だったので…」
そう言ってヴィヴィアンさんが紙に書いて下さった紋章は…
蛇の尾を生やした狼。
打ち伏せるそれを、踏みつけにした雄々しい角の雄山羊。
その背後に後光を現わす光環が三重に重ねられ、三本の剣が交差する。
細部は思い出せないそうですが、充分です。
とても具体的な図案で、本来の紋章の面影を知るには十分な出来です。
………残念ながら、わたくしの存じない紋章でしたけれど。
家の数だけある紋章を全て覚えている訳はないので、仕方ありませんが…。
「んー………これ、この国の貴族の紋章じゃないね。該当するものは紋章官の紋章図鑑にも載ってないよ。ヴィヴィーちゃんの話からすると、犯人はこの国の貴族に間違いなさそうだし…もしかしたら、他国に縁があるか、他国の貴族と血縁のある貴族じゃないかなぁ」
「フィニア・フィニー? わかりますの?」
「うん。小さい時、母さんと暮らしていた修道院でこの国の紋章図鑑を見たことがあるから。あの分厚い図鑑に載ってなかったくらいだし、間違いないと思う」
「小さい時? ですが紋章は一国だけでも物凄い数で……それを、小さい時に?」
わたくしは、困惑してしまいました。
フィニア・フィニーが何歳までお母様と一緒にお暮らしだったのか存じませんが………今の『青いランタン』との馴染みぶり、貧民街での馴染みぶりを見るに、二年や三年では届かぬ昔のことでしょう。
ですのに…?
「疑うのはわかるけど、コイツの記憶力は確かだ。コイツが間違いないっていうんならそうなんだろうぜ」
「…貴方がそうまで言うのですか。フィニア・フィニーの言に間違いはないと」
「俺の言葉は信用ならねぇかもしんないが、信じろとしか言えねーな」
「……………」
わたくしと『青いランタン』は盟約を結び、運命を互いに左右し合う一蓮托生。
そのリーダーが断言するというのであれば…
ここで信じられないようでは、わたくしに救いはありませんわね。
「わかりましたわ………貴方がたの情報を当てにしたのは、わたくしが先ですもの。ここは信じさせていただくことにします」
「ふふ…ミレーゼ様に信じてもらえるなんて光栄だよ」
「どうか、信用を裏切らないで下さいませね」
「仰せのままに?」
そう言って一礼するフィニア・フィニーの仕草は、驚くほど優雅なものでした。
高等教育を受けた片鱗さえ、見える程に。
………顔を上げた時には、既に常と同じ様子に戻っていましたけれど。
何も気にした様子を見せず、フィニア・フィニーは明るく声を続けました。
「私は過去3代以内に他国の貴族から伴侶を娶った貴族を調べることをお勧めするかな。それ以上血が薄れると、大事に他家の紋章なんて身につけないだろうしね」
「…凄いのですね、フィニア・フィニー。経験を積んだ紋章官のようですわ」
「ふふ…紋章官、貴族しかなれないけどね」
あまりにも膨大な量で、人間の身で覚えることなどとても不可能としか思えない、各家の紋章。
本職の紋章官ですら、その全てを網羅している訳ではありません。
彼らは各紋章を詳細に記載した紋章図鑑を片手に職務に励むのです。
…ですが。
今わたくしの隣には、その『家の数だけある紋章』を丸暗記している驚異的な人物がいらっしゃったようです。
本当に『青いランタン』の人材は測り知れませんわ…。




