え、別人…でしたの?
何も考えずに連載を始めた訳ですが、ええ、無計画にもほどがありますが。
物語の進行都合上連載開始当初と若干の設定変更があります。
読み返して疑問を覚える部分もあるかもしれませんが、しばし通して矛盾があれば訂正予定です。無計画な投稿でご迷惑をおかけしておりますが、今後ともよろしくお願い致します。
――ヴィヴィアンさんの肩には、大きな刺青が入れられていました。
奴隷に身を落としたことを示す、大きく独特の文様が。
服を着ていれば、それは見えずに済むでしょう。
ですが………ずっと隠し続けるなんて、そんなことは無理です。
近しい間柄の方が増えれば、増えるほど、それは隠しきれない。
そう悟らずにはいられない存在感が、刺青にはありました。
わたくし達の国…この王国が建国される、以前。
前王国時代に大々的に横行していた非人道な奴隷制度の名残。
制度そのものは瓦解したはずですのに、今でも残る奴隷の証拠。
それが一種の風習ででもあるかのように、非合法な人身売買で奴隷にされた方々の身には今でも刺青が刻まれるのだと聞きます。
………この目で見たのは、初めてですが。
その存在を知っていても、実際には目にしないモノ。
ですが実際に目にすれば、一目でそれと知れるモノ。
嘆かわしいことですが、奴隷の刺青は今現在でも侮蔑と好奇の原因…
…差別の温床とされるとか。
奴隷にされた、そこに本人の意思は介在しないでしょうに…
哀れな被害者に過ぎない方への下世話な想像や思い込み、それに由来する風評被害をもたらしてしまうのです。
先にも言いましたが、奴隷制度は禁じられた違法行為。
ですが社会の陰で未だに横行している犯罪でもあります。
当然ながら、規制に反する商売として掟が奴隷を扱う者達には課せられている…それは、奴隷を扱う者の暗黙の了解。
奴隷を逃がし、摘発の対象にならない為に。
王国の目を逸らす為に。
彼らは様々な不利益を奴隷として確保した被害者に強いています。
唯々諾々と従う人形になるように、被害者達の抵抗の意思を奪うのです。
刺青にはきっと、そういった意味もあるのでしょう。
あれが体のどこかにあるだけで、奴隷にされた人はまともな人生を…社会復帰を諦めざるを得ないのだと聞きます。
奴隷が差別される現状、刺青があるだけで今の王国ではまともな就職も結婚も望めないのですから。
糧も得られず、家族も得られず、周囲に見放される。
奴隷を示す刺青の有無は、まさに死活問題に及ぶ災いの証。
それを刻まれることで、奴隷にされた方は己の未来に絶望し…
………抵抗することを、諦める。
ヴィヴィアンさんのように。
ヴィヴィアンさんは女優を志望されていたそうですから…。
女優になる為に、家を飛び出して王都にいらっしゃった。
ですが『女優』であれば役に合わせて様々な衣装を身に纏うもの。
こんな目立つ模様を入れられては、女優の夢など叶う筈がありません。
ほんの少し襟の開いた服を着るだけで、見えそうな範囲に達しているのです。
かっちりと襟の詰まった服しか着ない女優が、売れるでしょうか。
劇場では遠く距離のある舞台上に誰がいるのかなど、演技者達の顔の造作などの細かな違いはわかりません。役柄を演じる演者の方々は派手な衣装を目印に、己がどの役を演じているのかを観客に示すのです。
ましてや彼女達は、目立つことが仕事。
目立てば目立つほど、刺青と人身売買の過去が明かされる危険が高まります。
そして一度でも明かされてしまえば、後は好奇の目と侮蔑、そして女性にとっては酷な先入観や固定観念によって彼女の印象は染め上げられてしまうのです。
慎重に隠しても、隠せば隠す程に人々の好奇心は煽られることでしょう。
そうなると強引に服の下を暴こうとする無粋者が現れてもおかしくありません。
奴隷の刺青を持つ者にとって、女優としての人生は望むことすら遠い夢。
女優を目指す者にとって、刺青に由来する風評被害は潰される原因。
彼女に、望んだ未来は有り得ません。
あの刺青が、消えない限り。
この国に、縛りつけられている限り。
……だからこそ、「刺青を消す」という甘言に乗ってしまったのでしょう。
それが不可能だと、知ることもなく。
もしかすると知っていたのかも知れませんが、一縷の希望に賭けて。
そうして、彼女は飼い主の命令に唯々諾々と従い。
わたくしの家、エルレイク家に偽りの姿で入り込んだ。
商家の娘であれば、計算もお得意だったことでしょう。
ディアマンド子爵の職分は、彼女の適役だったのかも知れません。
………結果として、今がある訳ですのね。
「――大体のところは、わかりました」
肩を大きく晒したまま、ぐしゃぐしゃの顔で泣き崩れるヴィヴィアンさん。
フィニア・フィニーが彼女の肩に毛布をかけて、背を擦って慰めの言葉をかけますが、耳に届かないのでしょう。
ですが彼女が泣きやむまで待つような猶予もありません。
わたくしとクレイ、アレン様は夕刻にはブランシェイドのお屋敷に戻らねばならないのですから。
わたくしは彼女の頬にそっと手を添え、俯きがちの顔に視線を合わせました。
…これはすぐに冷さねば、腫れてしまいますわね。
「しっかりなさいませ。仮にも女優を名乗っていらっしゃったのでしょう? 人に見られる職分に就いていらした方が、酷い顔を人目に晒すものではありません」
「お、お嬢様………ですが私なんて、女優なんて…っ」
「諦めなければ夢は叶いますわ」
「え…」
「………等という甘いだけの戯言を口にするつもりは毛頭ありませんけれど、気の持ちようなど個人次第ですもの。本当に実現したい夢でしたら、貴女の努力次第でどうとでもなるのではありませんこと?」
「お嬢様…」
「この国での夢の実現はほぼ不可能だと思いますけれど」
「お嬢様、持ち上げるのか落とすのか…どちらかにしていただけませんか………」
「わたくしは、率直な事実というものを口にしているだけです。現実を認識した上で、どうすれば夢を叶えられるのか思案する方が身の上を嘆いて泣くよりも堅実というものではないかしら」
「流石…家が没落したとなるや、売り飛ばされる前の僅かな猶予の間に飛び出しただけあるね、ミレーゼ様。説得力が段違い!」
そういってフィニア・フィニーは褒めて下さいますけれど…
彼女の様な気休めめいた…ですが心の温まるような慰めの言葉一つ、かけることは出来ませんでした……。
叱るような言葉しかかける言葉の見つからなかった己が、心ない人間のように思えてしまいます。
わたくしの心が曇ったことを、感じ取ったのでしょうか。
ヴィヴィアンさんに厳しい言葉をかけて撤回もしない、わたくし。
無意識にぎゅっと握りしめてしまったわたくしの手に、触れる小さな手。
「ねえしゃま、だいじょう、ぶ…?」
くりっとした目で、見上げてくるクレイ。
透通った透明な弟の目には、わたくしを案じるような色が見えていました。
それからヴィヴィアンさんは、すぐに消沈されていた意気を取り戻されて。
もう大丈夫そうだと判断したフィニア・フィニーが、部屋の外に追い出されていたピートやロンバトル・サディアを部屋の中へと招き入れました。
それを待ってから、改めてわたくしたちは事実確認を繰り返したのです。
「貴女は売られ、脅されて従っていた消極的共犯者ないし実行犯。裏側にいる何者かに指示を下され、わたくしの家の財産類を勝手に処分していた…ということでよろしいのかしら」
「ええ、はい…他にも細々と、色々指令は受けていたんですが……何分、私にもよく理解できてない指示も多くって。半分以上は自分でも何をやっているのかわからないままに、何かをやらされていました」
「な、なかなか不安になることを仰いますのね…」
「ああ、でも…わかりやすい指示もありました」
「…それは?」
「………エルレイク家から、アロイヒ様を引き離すことです」
「それは………」
………それに、何か利得がありますの?
確かにいればいたで厄介な方ですが…
基本的に兄は、武力以外に役には立ちませんわよ?
いつも頓狂な振舞いで、何をするかわからない方だという不安はありますが…
我が家に対する陰謀の抑止力としては、あまり……頭脳的な意味では信頼していないのですけれど。
「それが…アロイヒ様は、なんだかよくわからない謎の財源を多数所有していらっしゃいまして」
「財源、多数…?」
「はい。なんと言いましたか…『風のマント使用料』とか『雷神車使用料』とか、『ポリオのぷらぷら牧場収益』とか、他にも謎の特許とか」
「な、なんですの、その怪しげな財源は…わたくし、初耳なのですけれど」
「私もよくわからないんですけど…これまた何故か、この財源からの収入が困惑するくらいに多くって。削っても削っても、減らなくて………むしろ時を追うごとに財源と収入が増えていくという謎の事態。私の頭は理解が追い付かなくて破裂するかと思いました」
「わたくしのお兄様は、一体………」
普段から何をしているのか謎の方ではありましたが…
お兄様、貴方は本当に何をしていらっしゃいますの…?
「なんと言いましょうか…アロイヒ様個人の収入という扱いなんですけど、アロイヒ様がエルレイク家にいる期間はエルレイク家の財源扱いにして良いってアロイヒ様が言うんですよね……こう言ってはなんですが、私が懸命にエルレイク家の財産を切り崩しても、すぐにアロイヒ様が補填…むしろ増やしてしまって」
「お兄様でも、家の役に立っていましたのね…」
「ミレーゼ様、ミレーゼ様、それ実の兄君に結構な言い方じゃない…?」
「え、ええと…なので、それを上に報告したらアロイヒ様を強制排除するのは不可能だから、何とか言いくるめて家から遠ざけろと」
「……ちなみに、なんと言って遠ざけたんだ?」
「えーと……至近のネタだと、2か月前に「遠い西の国に魔女の住む森があるそうなんですが…その魔女を倒さなければ、うちの妹の病気がっ!」と目の前で嘆いてみたら、にこっと笑ってサムズアップされまして。そのまま旅立ってくれました。ちなみに「妹がっ!」とは言いましたが、特に病気が治るとも治らないとも言っていません」
「お、お兄様…っ」
うちの兄は、やはり大馬鹿なのかもしれません。
阿呆だとばかり思っていたのですが、馬鹿も患っていたのかもしれません。
そもそも大貴族の跡取りがそんなふわっとした理由で旅立たないで下さいませ。
「ミレーゼ……お前、苦労してんだな………」
ピートの同情の眼差しが、とても生温く感じられました。
ですがそんな同情をいただいても、何の気休めに………も……………?
「待って下さいませ。ヴィヴィアンさん、今…2か月前、と?」
「はい、2か月…です」
「ですが、そんな…そんなはずは……」
わたくしの顔は、きっと困惑に染まっていたことでしょう。
記憶力は自信がある方でしたが…わたくしは思い違いをしているのでしょうか?
わたくしの記憶では両親が亡くなるまで、兄は2か月以上前からずっと我が家にいた筈ですのに。
「どういうことですの………」
その予想は、半ば付いておりました。
彼女自身が、言っていましたもの。
兄の身の振る舞いを、覚えさせられた…と。
わたくしの見上げる視線から、目を逸らすことなく。
ヴィヴィアンさんが深く、深く頭を下げられました。
それこそ、今日の出会い頭のように取り乱しは致しませんでしたが…
あの時のような、懸命さで。
「申し訳、ありませんでした…っ!!」
「な、なんということですの………」
………2か月一緒に暮らしていて、全く気付きませんでしたわ!
実の兄だといいますのに…本当に、欠片も気付きませんでした。
そもそも8歳児のわたくしと23歳の兄では生活時間帯が大幅にずれているということもありましたが…
兄が生まれた時から世話をしてきた使用人達や両親まで気付かなかったというのは、少しどころでなく凄いことでは………
ヴィヴィアンさんに凄く才能があるのか、エルレイク家の人間が阿呆なのか…。
実の兄が摩り替っていたことに、全く気付かなかったわたくし。
兄とは外見はともかく、内面は少しも似ていないと思っていたのですが……
…もしかすると、わたくしも兄に似て大間抜け者だったのかもしれません。
本当に、ショックです…。
数々の奇矯な振る舞いも、あれこれも。
兄が何も考えずにやっていることと、信じて疑っていませんでしたのに…。
何と言いましょうか…
己の信じていた世界に、亀裂でも入ったような心持ちでした。
ヴィヴィアン
「アロイヒ様を演じる一番のコツは、ズバリ『何も考えないこと』です! 後は『普通やらないよな』と思うような突飛なことを日常に軽く織り交ぜながら、それでも何食わぬ顔をしていることです。後はそれで、周囲の人が『ああ、アロイヒ様だから』と納得して思い込んでくれます!!」
ピート
「この姉ちゃんも大概失礼だよな。相手、貴族だろ…?」
フィニア・フィニー
「アロイヒ様を演じている間に、不遜な態度…じゃないね、『何も考えないこと』が身に染みついちゃったんじゃない?」
ろんろん
「おお、それありそうだなー」
フィニア・フィニー
「黙れおっさん」
ろんろん
「だからこの嬢ちゃん、オッサンに手厳し過ぎる!!」
ヴィヴィアンは暫く、子爵とアロイヒの1人2役二重生活を送っていました。
基本、昼間は子爵。
夜は外から帰ってきたアロイヒのふり。




