人の売り買いなど下劣な行為に他なりません
10/16 後書き追加。
女優を目指して上京したものを、所属劇場の支配人に裏切られて人身売買の憂き目に遭ってしまわれたというヴィヴィアン・アンブロシアさん。
とても災難なことだと思いますが……どう考えても、犯罪ですわよね?
良識ある大人のすることではありません。
劇場支配人だけでも、叩けば埃の出る身という言葉を連想するには十分です。
王都に居ても聞こえてくる話ではありますが、奴隷制度も直接的な人身売買も公には禁じられた違法行為に当たります。
しかし陰で横行しているのは確かで、わたくしとて数日前には売られかけた身。
この場にいるピート達、貧民街の子供らも人身売買を生業にする闇商人が目を光らせて拉致を狙っている対象だと耳に致します。
…浮浪児童は大勢いますし、攫われて売り飛ばされても、気にする大人は少ないという点で狙われ易いのは避けようのない事実なのでしょう。
………ピート達が、いくらわたくしの求める情報に繋がっている可能性が高いからとは言え、素直に匿っていた理由もこのあたりにありそうですわね。
人身売買の被害者という背景が、親近感なり同情なりを抱かせたのでしょう。
「何人もの仲介人を経て、注意深く自分の正体を悟られないよう小細工を惜しまない男でした……私を、買い取った男は」
「仲介人に、小細工。それ程の手間をかけられる時点である程度の権力なり後ろ盾なり財力なりを持っているのではなくて?」
「ええ…私も、直接に会う機会はほぼありませんでした。いつも一方的に、私を観察しているような感じで…少ない接触でも分かります。あの男は、貴族でした」
「貴族……」
…やはり、そうですか。
半ば予想はしていましたが、きな臭さを感じずにはいられない情報が出てくると、やはり少々気疲れしてしまいますわね…。
それはつまり、わたくしの家にどちらかの家の者が手の者を忍ばせていたということですもの。
ヴィヴィアンさん自身は演技力があろうとも、どう見ても素人。
切り捨てられている時点で、捨て駒です。
ですがそんな彼女を受け入れる場を整えるのは、外側からでは無理があります。
………ヴィヴィアンさんの受け入れ態勢を整えることが出来るだけの位置に、我が家の内部に、その貴族の細作が紛れ込んでいたということに他なりません。
そこにどういった思惑があるのか…
我が家は王国屈指の名家の一つ、押しも押され……なかった、大身貴族です。
そこにどういった理由があるにせよ、不穏な背景があるのは間違いありません。
巨大派閥の頂点におり、王宮の重職につき、家は建国から続く正真正銘の名家。
妬んでいる方も、恨んでいる方も、逆恨みしている方も。
擦り寄ろうという方も、利用しようという方も、弱味を探る方も。
もしくは我が家の栄光を奪い取ろうという方も。
一枚岩とはいかない貴族の内情を思うに、それこそ我が家の敵対者にも味方にも、多くの思惑を持って我が家への干渉を狙う家があったことでしょう。
今となっては、言うだけ意味のないことですが。
もしかしたら複数の家から我が家に潜り込んだ者がいたのやもしれません。
いくら密偵を送ろうとも、突破できないだけの配下を従えていたと思っていたのですが…どうやら買い被りだったようですし。
どんな思惑を持って、我が家を狙ったのでしょうか。
我が家を内部から切り崩したかったのか…あら、成功していますわね?
………冷静に考えると、ヴィヴィアンさんは何をしたのでしょう?
「売り飛ばされた先で、私は徹底して『貴公子』の立ち居振る舞いや貴族の風習、マナーや学問を叩きこまれました。それこそ、貴族の若い男として通用するような素養を。それと並行して、ある実在の貴公子2人の仕草や癖を覚えるよう、徹底的に教育されたんです」
「我が家に、ディアマンド子爵として入り込むためですわね。ですが2人…?
片方はディアマンド子爵だとして、もうお1方は…」
「……………アロイヒ・エルレイク様です」
「………………………習得、出来ましたの?」
「それが…いつまで経っても、さっぱり行動パターンが把握できなくて。調査書というのをいくら読んでも、無理で……最終的に、ある程度取り繕って襤褸が出ない程度なら良いとGOサインが出ました」
「ある程度取り繕えるだけでも、凄いことですわよ…」
あの、兄の言動、振る舞い。
それだけならまだしも…演技者である彼女に求められていることは、やはり『演じる』ことだったはずです。
そうでなければ、わざわざ劇場支配人になど話を持ちかけないでしょう。
その点から考えて、彼女は理解できない行動パターンを有する破天荒貴公子に成りきらなければならなかったはずで……
………わたくしには、とても無理ですわ。
実妹のわたくしとて、理解しきれない。
あの兄を1度でも演じて見せたというのであれば、わたくしは彼女を尊敬するでしょう。その演技者としての実力を、尊敬せずにはいられません。
「…ですが、兄になり済ましてどう致しますの? お兄様は良くも悪くも目立つ方。顔を知っている者は多くいましてよ? 家の内部となれば尚のこと…」
「そちらは、可能ならという範囲で…本命は、ディアマンド子爵の方でしたし」
「………子爵は、どうなりましたの?」
我が家に仕えるはずだった、ディアマンド子爵。
ですが実際に現れたのは、その名を騙る別人。
………では、ディアマンド子爵の本物は何処に?
目の前にいるヴィヴィアンさんを知った時から念頭にはあったのですが…なるべく考えずにしていたのですが、そろそろ追及しないではいられないようです。
わたくしがじっと視線を注ぐと、ヴィヴィアンさんは話し辛そうに目を逸らし…ぼそぼそとではありましたが、ディアマンド子爵の所在を語り始めました。
「その、本物の子爵は、う…海、に………」
言いたくない、と。
そんな気持ちが透けて見えます。
つかえながらのしどろもどろな様子に、ピートは簡潔に言葉を返しました。
「沈められたのか?」
「………いえ、南方のリゾート国家に、10年がけのバカンスに…」
予想外の単語がきました。
わたくしも、どちらかといえばピートと同じ発想をしておりましたが……
…バカンス、とは。
わたくしが目を丸くしている背後で、食いつきよくロンバトル・サディアが身を乗り出して声を上げておりました。
「バカンス!? え、なにそれ。ろんろん超羨ましい!」
「黙れ、オッサン! ヴィヴィーちゃんの話を遮ってんじゃないよ!」
「ぐあっ…この嬢ちゃん、ホントにオジサンに手厳しいんだけど!」
騎士の足の甲を、あの凶悪ヒールな婦人靴で踏み躙るフィニア・フィニー…
………どう致しましょう。
8歳児のこの身には刺激が強すぎて、クレイの情操教育によくないのではないかとハラハラしてしまいます。
さりげなくクレイを胸に抱き込み、そっと弟の視界を封じました。
「ねえしゃま?」
「しっ クレイ、見てはなりません…!」
「みゅ?」
「やめてそこのご姉弟! そんな反応されると、何かオジサンいけないことしてる、ダメな大人みたいじゃない!」
「駄目な大人か問われれば、確実に駄目男と呼ばれる部類だと認識しております」
「…うわーお。ここにいるお子ちゃま達、みんな手厳しい!」
「もう誰か、このオッサンに猿轡かまさせとけ。あと、縛って転がしとこーぜ」
「明らかに応対も悪いよね!? 終いにはろんろん泣いちゃう!」
………ロンバトル・サディアはやはり鬱陶しい方ですわね。
彼に関わっていると少しも話が進みそうにありません。
わたくしはヴィヴィアンさんを促し、ロンバトル・サディアから幾らかの距離を取って話の続きを聞くことに致しました。
「私がディアマンド子爵と入れ替わり、エルレイク家に入ってからの指令は1つでした。一家の何方にも気付かれぬよう、慎重に、密やかに、しかし素早くエルレイク家の財産を処分せよ…と」
「貴女は、それが違法行為だと存じませんでしたの…?」
「…いいえ、知っていました。でも私は、命令に従うしかなかった」
「話して下さい。貴女は売られた後、何をされたのです」
「………実家の家族を、質に取られました」
「まあ…」
そんなところではないかと思っていました。
思っていました、が……本当にそうだなんて。
「家族は何も知りません。ただ、秘かに監視の目が家族を見張っている。何かあったら、家ごと火達磨にする…と」
「…こう申しては何ですが、本当に監視の目が…? ただの脅しでは、なく?」
「………私の身柄引き受け人だった、劇場支配人が情報も売ったんです。彼らは、私の幼い妹の持ち物を持って来ました。私が妹に作ってあげた、ぬいぐるみを」
「製作者本人だというのであれば、確かですわね…ですが、平然と家宅侵入を致しますのね。下手を打てば騒がれ、身辺に乱れが生じるでしょうに…」
「人の家に勝手に上がり込む。勝手に物を盗む。それを簡単にやるのかと思うと…血の気が引きました。手段は選ばない人達なんだって、簡単に思い知らされる」
「……他人の家に、勝手に息のかかった替え玉を送り込んでくるような者達がまともな思考回路をしていないことは、確かですわね」
「……………………それだけじゃ、ないんです」
「え」
相手を脅す時に、人質を取る。
ありふれていて外道な振る舞い。
ですが、それだけではないとヴィヴィアンさんが仰いました。
自分が従った理由は、それだけではないと。
わたくし達が、見守る中。
それを口にするのが、どれほど厭わしいのか…
察せずにはいられない、緊張と嫌悪の表情。
ヴィヴィアンさんにとって、余程それは唾棄すべきことなのでしょう。
正直、何を理由に従ったのか…従わせられ、犯罪の片棒を担がせられたのか。
その動機には、興味があります。
他ならぬ、我がエルレイク家を陥れるために行われた非道ですもの。
興味がないとは、とても申せません。
ですが、あのように歯を食い縛って…
今にも柔らかな唇を、食い破ってしまいそうな、危うさ。
固い表情を見ている内に、もう結構ですと告げようと決めました。
実際にそう口にするつもりでしたが…
わたくしが口を開くよりも、早く。
ヴィヴィアンさんがわたくし達の前で、はらりと。
まず床に落ちたのは、装飾が多い為に重量もそれなりにある、上着。
飾り釦や装飾の金属が擦れ合い、床板とぶつかって固い音が響きました。
空虚に、尾を引いて。
わたくし達の意識をも、固く凍らせるように。
一枚だけでは、なく。
ヴィヴィアンさんは次にベストに、そしてシャツにと手をかけ…
何故、いきなり、服を脱ぎ始めましたの…!?
動揺で、目が逸らせません。
一早く我に返ったのは、フィニア・フィニーでした。
彼女はヴィヴィアンさんがシャツの釦に手をかけたところでハッと息を呑み…
………ロンバトル・サディアに見事に鮮やかな回し蹴りを決めました。
「なに悠長に女性の脱衣見物してんだ、あ゛ぁ゛!? 覗き犯の名目でお前ん家に通報すんぞ、ごるぁ!! 無理だなんて高ぁくくんなよ!? お前ん家の情報、微に入り細に穿ち調べ上げたの誰だと思ってんだ、ああぁん!?」
「ちょ、ちょっ……嬢ちゃ、オジサンね、いまそれどこじゃないの………嬢ちゃんの蹴りが良いとこに…!!」
「フィー、素が出てんぞ。めっちゃガラ悪ぃから。ミレーゼもヴィヴィアンも唖然としてっから」
………ピートの言葉通り、唖然と見入ってしまいました。
不躾にじろじろ見るなどと…淑女としてはしたない限りですわ。
ですが、それも致し方ないことだと思いますの。
思い、ますの…よ? ええと、間違っていませんわよね…?
ともあれ、先ほどクレイを抱き込んでいたことに安堵致しました。
わたくしであっても、衝撃を受けるほどです。
弟の視界を塞いでいて良かったと、今日ほど安堵したことはありませんでした。
ヴィヴィアンさんは、わたくし達に見てほしいものがあると仰います。
ですがそれを拝見させていただくには、ヴィヴィアンさんが服を脱ぐ必要があるとかで…困ってしまいましたわね。
結局ピートとロンバトル・サディア、男性陣をフィニア・フィニーが部屋から締め出して下さいました。
クレイはまだ3歳の幼子ですし、わたくし自身が傍から離すことに…何より、ロンバトル・サディアに預けることに不安があったので、ヴィヴィアンさんには申し訳ありませんが同席させていただくことに致しました。
幸い、ヴィヴィアンさんも3歳児に肌を見られることは抵抗がないらしく、さしてもめることもなく了承していただけましたし。
それから改めて、ヴィヴィアンさんはわたくし達に肌を晒したのですが…
脱ぎ棄てられたシャツ。
その下から現れたモノは、わたくし達の目を奪い、思考を凍結させる。
それ程に、酷いものでした。
「これは…」
「女の身体に、なんてものを…」
フィニア・フィニーから、ぎり…っという音が聞こえてきました。
とてつもない力で歯を食い縛る、歯軋りの音が。
「………これが、私が抵抗できなかった原因です。彼らは、私さえ従順なら目的を遂げた後…コレを、消してくれると言った。彼らの力なら、それが出来ると」
「…ですけど、その約束は守られなかった。ですわよね…?」
「当然だ…っ だって、それを綺麗に消すなんて…そんな技術ないんだから!」
フィニア・フィニーの声は、泣きそうに揺れていました。
わたくしも、あまりの痛ましさに目を逸らしてしまいそうになります。
――ヴィヴィアンさんの肩には、大きな刺青が入れられていました。
奴隷の身を示す、大きな模様が。
人身売買関連に関しては最初の方から匂わせていましたが、現在のこの国では違法として禁じられています。
ただこの国の前身となった国では奴隷制度がまかり通っていて、刺青などはその名残に当たります。
今の王家は大々的に禁じているんですけどね。
しかし前王国時代から民間の深窓意識に定着した侮蔑は完全に消えておらず、奴隷の汚名を負った人々には救出された後も生きにくい環境になっています。




