職業に貴賎がないとはいいません
「それじゃ、ここからここまでアンタの担当だから。
ちゃっちゃと掃除しちゃって」
「承りましたわ」
「なにその言葉遣い…わかったって一言いえばいーのよ」
「わかりましたわ」
「ふん…っ」
逃げるように屋敷を後にしてから、五時間後。
わたくしは、城下町のとある界隈にいました。
歓楽街と呼ばれる界隈の、とあるお店。
置屋と呼ばれる場所です。
「あんたさぁ…その気取った口ぶり、なんとかなんないわけ?」
「そうは言われましても…わたくしのこれは性分ですもの。
生まれたときからこう話すよう、躾けられてきましたので…」
「いつまでお貴族様のつもり…アンタ、此処がなんだかちゃんと分かってんの?」
「置屋ですわよね?」
「そうよ。まあ、お育ちのよろしい貴族様のお子ちゃまには意味なんてわから…」
「芸妓や娼妓のお姉様方を抱えるお家のことですわよね。
揚屋や茶屋の要望に応じて芸娼妓を派遣する生業に従事している場所のことです」
「…って、意味わかってんの!? アンタ何歳だっていったっけ!?」
「わたくし、齢8つになります」
「な、なんて末恐ろしい………」
先程からわたくしの面倒を甲斐甲斐しく見てくださっているお姉様はレナお姉様。
わたくしの4つ年上の、12歳。
少々幼く見えますが、栄養の足りない貧民育ちには珍しくないそうです。
彼女はこの置屋『しろがね屋』の下働き兼見習いに当たる職についています。
わたくしが職務に慣れるまでの世話役に任命された…とのことで。
今日から、わたくしの同僚です。
「なんでアンタみたいなのが、『しかばね屋』なんかに…」
「それは我が家が没落したからですわ。珍しいお話ではありませんでしょう?」
あれから、一応真っ当な職業はないかと思案し、探しました。
しかしどう見ても厄介ごとの種にしか見えない、訳ありのわたくし達。
人情や良識に訴えたとしても、雇用してくれる相手にも生活がありますから。
当然の如く、わたくし達を善意で雇おうとするような奇特な方はいませんでした。
下手すれば貴族の子供の暇潰し、悪戯、その類と思われて追い払われる始末。
手荒には扱われませんでした。
ですがお願いだから帰ってくれと土下座までされては…
こちらが悪いことをしているように感じられ、弟の手を引いて後にしました。
わたくしのような身元の保証も、学も、経験や技能、年齢すらも足りない身。
それに家なしですから。
どう考えても、真っ当な職場に相手にしてもらえるはずがありませんでした…。
弟という完全扶養家族を連れて、住み込み可能な職場を探しました。
でもそういった場は、やはり信用がものをいうのでしょう。
日暮れ近くまで粘っても無駄だろうと、わたくしは早々に見切りをつけました。
もしかしたら、わたくしや弟がみすぼらしい身なりであれば。
そうすれば情に訴えてどこかに雇ってもらえたかも、知れませんけれど。
屋敷を出たばかりで、庶民の着物すら持っていないわたくし達。
それに所作がどう見ても庶民ではなかったようで…
たった1日で欺けるはずもなく。
健全健康的なお店では、ことごとく冷やかし扱いを受けてしまいました。
仕方がないと、内心でさざめく不安と焦りを何とか宥め。
弟の手前、わたくしが取り乱す訳にはいきませぬ。
わたくしは弟が安心できるよう、彼の拠り所になると決めたのですもの。
状況を理解していないながらも、繰り返される拒絶の言葉に不安を感じたのでしょう。
わたくしの袖を握って見上げてくる弟に、わたくしは精一杯の微笑を向けます。
「大丈夫、大丈夫ですわ…クレイ、まだ何も始まっていませんもの」
「ねぇしゃまぁ、みぃな、おこっちぇるの…?」
「いいえ、怒られている訳ではありません。ただ、皆、困っているの…
わたくし達のような相手を、どう扱っていいのか困っているのです」
「ねぇしゃま、め…?」
「ふふ…わたくしにはクレイがいますもの。容易い道とは思っていませんでしたもの。今更10や20や48、雇用拒否されたくらいでは目減たりいたしません……」
そうして巡り巡って、最終的に屋根とこれから先の衣食住。
それから、教養や経験など、色々と。
弟という扶養家族連れでそれらを保障していただけて、お給金をいただける職場。
それらをわたくしの前に提示してくれたのは、この置屋『しろがね屋』でした。
真っ当な道を諦めた訳ではありませんでしたが……
現在、置屋にいます。
たった1日で、素晴らしく急展開です。
……いえ、こうなるのは見えていた気も、しますけれど。
勾引に遭った訳でも、騙された訳でもありません。
この仕事を選んだのは、他ならぬわたくしです。
下町でわたくしの荷物を引っ手繰ろうとした浮浪児童一派と、少々。
会話による平和的解決の末、少々の情報料と交換で色々教えていただきました。
そうして得た情報から、複数の選択肢を吟味した結果。
ここが一番リスクが少なく、条件も良ろしいのではと思ったのです。
…他の選択肢が、あまりにも禄でもなかった、ともいいますけれど。
「ねえしゃまぁ…」
「あら、クレイ。付いて来てしまったのですね…」
「ちょっとアンタ、弟は置いてきなっていったでしょ!」
「申し訳ありませぬ。部屋で待つように言いつけましたのに…」
「う、うっく…ひぇ…」
「あらあら、男子が女性の前で泣いてはなりませんよ」
「ねえしゃま、ねぇしゃまぁ…ひ、ひとり、やぁ……っ」
「ちょっと!」
「申し訳ありませぬ。ですが、この子は両親を亡くしたばかりなのです。
その上、わたくしまで側にいなくては…心細くて当然ですわ」
「ふん…っ ここはお客様の来る様な店じゃないけど、女商売なのよ。
どんなに小さくても、男が表に出てくるようじゃ駄目ね。さっさと躾けなよ」
「あら…有難うございます」
「……なんのことよ」
「今日は、一緒にいても良ろしい…と、そういうことですわよね?」
「……………っ」
「有難うございます、レナお姉様」
「ちょっ…お姉様なんてガラじゃないから止めて!」
「あら、では何とお呼びすれば…? ここでは皆「姉」と呼ぶものと…」
「姉さん、よ。姉さん! あたしのことは姉さんって呼べばいいのよ」
「うふふ…わかりました。レナお姉様」
「ちょっとぉ!?」
「あら、つい口が……」
「こ、この子…絶対に我を曲げない気だわ……っ」
少なくとも此処であれば、幼いうちから無体を受けることもありませぬ。
此処であれば、みっちりと教養を躾けていただけます。
わたくしは貴族子女の教養として歌舞音曲をはじめ様々習っていました。
その経験を活かせ、下地がしっかりしていることで高賃金が約束されています。
それに弟を、少なくとも成人まで扶養することが出来ます。
男の子なので、永遠にずっととはいきませぬが。
それでも独り立ちができるまで、わたくしの側に置いておくことができます。
勿論、有る程度大きくなったら下働きなどもしなければならないでしょう。
ですがわたくしの稼ぎ次第では学校にもやれます。
共にいることで、必要な教養を授けることもできるでしょう。
わたくしのことよりも、弟のことを第一に。
そう考えた結果、最も保証と賃金がしっかりしていて、身になりそうな職。
そういう意味では、当座はこの置屋が最適だったのです。
売られるのか、自分から来るのか。
その僅かな違いが今後の待遇を分けるのではないでしょうか。
少なくとも、借金を背負わずに済む分だけ。
その分だけ、ほんの少しですが融通が利きますもの。
「それよりも、先程から度々耳にしますが……『しかばね屋』、とは?
こちらは『しろがね屋』ではありませんの?」
「あ? あー…アンタ、知らないのね。
ここ、確かに先々に期待の持てる子とか、売れっ子の姉さんには待遇いいけどさぁ。
それ以外の十把一絡げとか、店を裏切れないような訳ありには…
気付いたら姉さんの何人かが、消えてたり、とか………」
「にわかに怪談じみて参りましたわね…」
「そんな薄ぼんやりした話じゃないわよ。ちゃんと理由も分かってるし」
「…というと?」
「『裏』の組織とも繋がりがあって…そっちにも女の子、回してるって話。
うっかりしてお店の中の立ち回りに失敗したら、いつ屍になってもおかしくない。
だからお店の名前をもじって、『しかばね屋』ってね…
これ、姉さん達の間での話だから、間違ってもお客さんにいっちゃ駄目よ?
―― じゃないと消されちゃう、からね 」
「「……………」」
………浮浪児童の情報に、そんな話はありませんでしたが。
どうやらここは、思っていたよりも…予想以上のブラックなお店だったようです。